12/15(火) 6:01配信
現代ビジネス
写真:現代ビジネス
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12月15日、座間9人殺害事件で刑事告訴された白石隆浩被告に一審判決が言い渡される予定で、検察側は死刑を求刑している。9人もの男女を殺害した凄惨な座間事件だが、実は「10人目の被害者」になっていたかもしれない女性がいた。彼女へインタビューを行なった2017年11月16日掲載の記事を再掲する。
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【写真】「人間の死体」に魅了された19歳の凶行…神奈川「美女解体事件」のすべて
〈男はバラバラに刻んだ遺体に囲まれた部屋に暮らしながら、平然と女性に甘言を弄し続けた。「好きだよ」「会いたい」。会っていたら、彼女もまた毒牙にかけられたのか。殺人犯との日々を語った。〉
「人を殺したことがある」
Photo by iStock
9月6日夜、私が自分のツイッターで「死にたいので一緒に死ねる方募集します」とツイートしたところ、『首吊り士』というアカウント名の彼から反応が来ました。
「一緒にどうですか。車と薬を持っています」
そこから少しダイレクトメッセージ(DM)でやりとりをした後、無料トークアプリでメッセージのやり取りや電話をするようになりました。
これ以降、逮捕される数日前まで、毎日のように彼とやり取りをしていました。私は彼に本名を伝えていましたが、彼から聞いていた名前は『りょう』でした。私はその名前で呼んでいた。
その後、名字も教えてほしいと言ったら、何度か断られたのですが、最終的に「山本だよ」と教えてくれた。本当かどうか疑わしかったけれど、年齢は25歳、町田市の黄色いロフト付きのアパートに住んでいる、という話でした。
今回の報道を最初に聞いたとき、もしかしてと思ったけれど、聞いていた名前とは違った。でも、(報道された)写真を見て同一人物だとわかったんです。
最初の会話は、「一緒に死にたい」という内容でした。私が死ぬことを怖がっていたら、次第に話は「死ぬのはいいから、一緒に住みたい」「会いたい」という内容に変わっていきました。
翌日以降、「近いうちに会えるかな」というメッセージが送られてくるようになった。
初めて彼と会話をしたとき、好青年というか、爽やかな声という印象を受けました。
彼も最初は私に敬語を使っていた。最初の通話では、「死にたいんですよね?」と聞かれ、私が、「はい、死にたいです」と答えた。
私はこれまでも「死にたい」というツイートをして様々な人とSNSを通じてやり取りをしたことがありますが、そのなかでも彼が一番熱心に語りかけてくれました。
〈こう話すのは、南関東在住の介護士(21歳)だ。彼女は神奈川県座間市のアパートから9人のバラバラ遺体が見つかった事件で逮捕された白石隆浩容疑者(27歳)と、逮捕直前まで52日間にわたって交際を続けていた。
今回の事件は、SNS上で「自殺志願」をしている女性を誘い出し、殺害したことで社会に衝撃を与えた。
彼女もまた、ツイッターで「死にたい」と漏らし、それに目をつけた複数の人間から接触を受けた。その一人に白石容疑者がいた。
彼女ら自殺志願者の間では、いかに「死」が身近な話題であったかということに驚かされるが、そうした不安定な心理につけこんだのが白石容疑者だった。もし、彼が逮捕されていなかったら、彼女が“10人目の被害者”となっていた可能性は極めて高い。〉
初めての通話のとき、彼の電話口からシャワーの音というか、水が流れるポチャポチャという音が聞こえてきたことを覚えています。
「なんで水の音がするの」と聞くと、「何も水はいじっていないけど、なんで?」と返されました。そして彼からすぐに「この話は止めよう」と遮られた。
10月上旬頃から、彼が「好きだよ」「付き合えない?」と好意を伝えてくるようになりました。来年あたりに実際に会う約束をしていて、同棲しようという話も出ていた。
私は本当に病んでいたので、恋とかそういう気持ちはなかった。でも彼との間で、私が働いて彼が家のことをやるという形で同棲するという話はありました。
私はあまり本気ではなかったんですが、彼は悩みとかもよく聞いてくれていたので、とりあえず来年あたりに彼の家に遊びに行って、2人で長崎のハウステンボスに旅行しようねって話をしていたんです。
そんななか、10月中旬頃、彼から電話で「人を殺したことがある」と打ち明けられます。このとき、彼は淡々としていました。私は冗談かなと思ってあまり気に留めませんでした。
具体的には、「ホストで働いていたとき、キャバ嬢のお客さんがいてその子が病んでしまって『死にたい』と言っていたから殺した。殺したのは俺じゃなくて、違う男が殺したんだけど、遺体を埋めたのは俺なんだよね」と。
「遺体を埋めた場所はどうしたの?」と私が聞いたら、「その場所には俺もその後行っていないからわからない。でも警察から連絡も来ていないから多分バレていない」と言っていました。
この話を聞いた後、今度は「ある男の人に死にたいから殺してくれと頼まれ、その男の人から大金を貰って殺した」とも言っていました。「縄で首を絞めた」と。
数日後、「この前、人を殺したことがあると言ったじゃん。実は他にも殺しているんだよね」と言われました。この時の彼は真面目というか、少し思いつめているような話し方でした。
私は半信半疑で聞いていたので、あまり突っ込まなかったんです。嘘だと思っていたので、すぐに自分の話に切り替えちゃった。でもまさか本当に殺していたなんて……。もしかしたら彼は私に「本当のこと」を打ち明けたかったのかもしれません。
10月20日には、ロープの写真が送られてきたこともあります。私が、「なんでそんな写真送ってくるの」と返事をしたら、その後、「ごめんなさい。悪ふざけが過ぎたね」「もうやらない」と返ってきた。
私が嫌悪感を示すと、「わかった」「お願いだから嫌いにならないで」という返信もきました。
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「人間の死体」に魅了された19歳の凶行…神奈川「美女解体事件」のすべて
立て続けに行われた犯行
穂積 昭雪 プロフィール
近年、あまり聞かれなくなった社会的犯罪に「墓荒らし」がある。
読んで字の如く、墓を暴き棺に納められている遺骨や遺体、埋葬物を遺族の許可なく取り出すことである。遺体は解剖学の実験および漢方薬の材料にするために特定の業者などに売られたほか、脅迫目的で使われることもある(骨壺を盗み遺族から金品を要求するなど。1993年には漫画『サザエさん』の作者長谷川町子の遺骨が盗まれ金品が要求された事件が発生している)。
現在では、墓地のセキュリティが厳しくなったこともあり、このような犯罪が行われるケースはほとんどなくなったが、土葬が中心であったかつての日本では墓が暴かれるという事件がたびたび発生している。
今回、ご紹介するのは、1937(昭和12)年~1938(昭和13)年に、土葬の風習がまだ根強くあった神奈川県の某村で発生した18歳少年による猟奇的な「墓荒らし事件」である。彼は死体に魅了され、赤ん坊、若い女性を対象に、立て続けに凶行を引き起こした。
〔PHOTO〕iStock
消えた赤ん坊の遺体
1937年1月19日の寒い朝、神奈川県のA村にある共同墓地に、近隣住民の63歳の女性が日課である掃除のためにやってきた。いつものように掃除をおこなっていると、不自然に盛り上がっている土山に気が付いた。
女性が土山へ近づいてみると、そばには墓標が倒れ、棺を掘り返したような跡があった。
女性はすぐに墓の持ち主である遺族に報告した。この場所にもともと埋められていたのは、この地に住む役人の息子・太郎くん(仮名)で、太郎くんは生まれてすぐに病気となり、生後2か月でこの世を去った。早すぎる死を悲しんだ両親は「せめてお墓だけは立派に」と赤ん坊用の棺を用意し3日ほど前に丁寧に埋葬したのだった。だが、その小さな棺や遺体は見知らぬ誰かによって掘り返されていたのだ。
地元の警察は、「墓荒らしは人道に反する重大な犯罪である」とし、聞き込み捜査のほか1週間後には村中の山を捜索した。すると、共同墓地から800mほど離れた裏山で、ボロボロになった赤ん坊の衣類、小さな骨などが見つかった。
衣類の近くには、まだ新しく作られたと思われる土饅頭があり、掘り返してみると小さなやわらかい頭蓋骨が出てきた。遺留品から、共同墓地から盗まれた太郎君のものに間違いなかった。
しばらくして、警察は近くの住宅街に住む農家の息子で当時18歳の少年・吉本清三(仮名)を容疑者として検挙した。
清三少年の供述によると、1月18日午後2時ごろ、彼は飼っている愛犬シロと妹・弟を連れて散歩に出かけたという。
自宅から共同墓地へは愛犬との毎日の散歩コースだったが、その日はどうも墓に着いてから愛犬シロの様子がおかしい。そして事件は起こった。清三と弟たちが南天の木を探して目を離している間に、シロは赤ん坊の埋められた墓を一心不乱に掘り返していたという。
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「ああ!シロ、なにやってるんだ!」
清三はシロを墓から引き離し、妹と弟を連れて急いで家へと帰った。
だがその晩、清三は、シロが掘り返した墓のこと、土の中なかからチラリと見えた小さな棺桶のことがずっと頭から離れず、寝付けなかった。結局、夜中に家をコッソリと抜け出し、シロと一緒に墓地へと舞い戻り、清三は好奇心から墓に収められた赤ん坊用の小さな棺を開けてしまったのだ。
「これが人間の死体なのか」
清三は初めて見る棺に納められた冷たい死体に興奮していた。
だが、同時に自分の犯した禁忌が怖くなり、棺はいったん土の中に戻し、赤ん坊の遺体は、翌朝もっとよく観察するため自分だけしか知らない裏山の秘密の場所に持っていくことにした。この時点で清三は「観察が済んだら棺に返そう」と思っていたという。
翌朝、清三は赤ん坊を隠した裏庭に行こうとすると、犬小屋にいるはずのシロの姿がない。
「まさか……」
清三は走って裏山へと向かったが、悪い予感は的中した。
シロは赤ん坊の遺体を貪るように食べていたのだ。赤ん坊は既に白骨となっており、発覚を恐れた清三はバラバラになった骨をかき集め、残った頭蓋骨と一緒に土の中に埋めて隠したのだという。
〔PHOTO〕iStock
話を聞いた警察官は、清三の死体への執着に不気味さを感じたという。
この時点で死体遺棄損壊罪が成立するが、清三は未成年ということもあり、逮捕にはならなった。しかし、墓荒らしのきっかけを作った清三の愛犬シロは近隣住民の手で撲殺処分となった。
閑静な村を騒がした「荒らし事件」はこうして幕を閉じたかに思えたが、本事件はあくまで次なる猟奇事件の序章に過ぎなかった。
消えた美女の遺体
墓荒らし事件から1年が過ぎた1938年1月12日、村一番の美人と呼ばれた吉田キク(仮名)が病気のために24歳で亡くなった。キクは女子青年会の会長も務めたこともある器量の良い女性で、男性陣からの人気も高く、両親をはじめ多くの人々がその早すぎる死を惜しんだという。
野辺の送り(遺骸を埋葬地または火葬場まで運び送ること)も済ませた1月15日、キクの両親親戚一同がお墓参りのため、畑の中にあるキクの墓を訪れた。
土盛りの墓はなんの変哲もなく墓標もそのままだったが、親族のひとりがなんとなく昨日までの墓とは違う印象を受け、父親に進言した。
「娘の亡骸に何かあったのではないか」
そう感じた父親は村の組合に事情を話したうえで、墓を掘り返し、棺を開けてみた。
父親の直感通りキクの遺体は棺の中から消えていた。
「いったい誰がこんな事を……」
怒りに震えるキクの父親は警察に連絡した。すると警察から「実は数時間前、墓の近くの杉林から女性の死体が発見された」なる通報が入っており、警察の話ではその女性が「おキクさんではないか」というのである。
親族が現場に駆け付けると、そこには死装束を着た真っ青な顔の女性が仰向けに倒れており、それは紛れもなく3日前に亡くなった吉田キクであった。さらにキクの腹部は鋭利な刃物で腹が切り裂かれており、内臓がドロリと露出し異臭を放っていた。
その光景は警察関係者も思わず息を呑むほどに凄惨な現場であり、キクの両親や親族はその場で思わず泣き崩れたという。
そして捜査員の聞き込みから一人の少年が容疑者として身柄を拘束された。その少年こそ1年前の赤ん坊の墓荒らしの犯人であり19歳になっていた吉本清三であった。
清三は、1年前の墓荒らし事件の後、さらに死体に対する興味が湧いてしまい、寝ても覚めても「人間の死体」のことだけを考えていたという。
そんななか、清三は以前から好意を寄せていたキクが病気で亡くなった事を知った。清三は昨年の墓荒らしにより、保護観察処分となっていたためキクの葬式に参列することは許されず、悶々とした気持ちを抱いていた。それと同時に「あの綺麗なおキクさんの体の中はどうなっているんだろう」という考えに至ったという。
そして清三はキクが墓に入った1月14日の深夜、家を抜け出し、自転車でキクの墓の前に到着した。清三はまるで物の怪に憑(と)りつかれたかのように墓を暴き、キクの遺体を自転車の荷台に括り付け600m先にある杉林へ直行した。
この日は満月であり、キクの青白く美しい顔が月光に照らされていた。
これまで触れたくても触れることの出来なかったキクの冷たくなった体に、清三の興奮は絶頂を迎えた。
清三はキクの死体を荒縄で縛り杉林に括り付け、家から持ってきた包丁にてキクの左乳房から腹にかけ横一文字に切り捌いた。縛られたキクの腹からは既に血の通っていない内臓がドロリと露出し、清三はキクの内臓に鼻を近づけ、冷たくなっている臓物の臭気を心行くまで楽しんだという。
欲情におぼれ我を失った清三による、月夜の解体は小一時間に渡って行われた。
少年の素性
二度の墓荒らしを犯してしまった吉本清三はついに裁判にかけられることとなり、改めてその生い立ちなどが明かされた。
警察の調書によると、清三は両親の年齢を訪ねられた際に「母親は17歳だ。父親の年齢は知らない」と意味不明な供述をおこなったという。また、学校の成績は非常に悪く落第寸前、非常に寡黙で人付き合いも苦手であり、責任能力も問題となった。
だが、犯行時には指紋を残さないように必ず手袋をしていたほか、荒らした墓はすべて墓標を含め元通りにし、自らの遺留品は絶対に残さないようにするなど細心の注意を払っており、決して善悪の判断が付かないという訳ではなかったようだ。
未成年者の犯罪ということもあり、その後の清三少年の足取りは明らかになっていない。
また、その地では戦争を境に土葬の文化はなくなり、清三少年が暴いた墓も戦後の土地開発により移動もしくは埋め立てられてしまい、今やこの事件を知っている人間は数少ないようだ。
事件からおよそ80年。自らの欲望のため墓を暴いてしまった元少年は、その後どんな暮らしを送ったのであろうか。
※参考文献
『読売新聞神奈川県版』(株式会社読売新聞)
『横浜貿易新報』(現・神奈川新聞 株式会社神奈川新聞社)
『神奈川県警察史中巻』(神奈川県警察本部刊)
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