12/10(木) 10:54配信
AERA dot.
トライアウトで注目を集めた新庄剛志 (c)朝日新聞社
新庄剛志(48)の動向に注目が集まっている。
12月7日、新庄はプロ野球12球団合同トライアウトに参加した。実戦からしばらく遠ざかってはいたものの結果は3打数1安打1四球。最後の打席できっちりタイムリーを放つなど、多くのプロ野球関係者にしっかりと存在感をアピールした。
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プロ野球選手として復帰できるのか、それは誰に聞いても難しいと答えるだろうが「新庄ならもしや…」、そんな期待感を抱かせてしまうところが新庄の魅力なのかもしれない。
新庄が北海道日本ハムファイターズ(以下:日ハム)に在籍していた2004~2006年に対戦経験のある元千葉ロッテマリーンズの渡辺俊介さん(44)はこう語る。
「やっぱり見ていて、何かをやってくれるんじゃないかっていうワクワク感が新庄さんの魅力。やっぱりあの人は他の人と違う。絶対期待を裏切らない。そんな場面を現役時代に何度も見てきた」
意外と知られていないが、渡辺さんは新庄が最も苦手にしていた投手の1人だ。対戦成績は6打数0安打3三振。ヒットは1本も打たれていない。対戦打席数が少ないのではないかという声もあるが、実は、それには理由がある。新庄は渡辺さんが登板する試合に、あえて出場しなかったというのだ。
新庄が苦手としていた投手だからこそ知る貴重なエピソードを、渡辺さんがAERA dot.に明かした。
* * *
――先日、トライアウトが行われました。新庄さんが参加したことを率直にどう思いましたか?
新庄さんらしいなって思いましたね。
普通の人はなかなかできないチャレンジです。海外では引退を撤回して、また復帰するっていうのはたまにありますが、日本だとこれまでないですからね。
トライアウトでの4打席目のヒットは素晴らしかったですが、僕がまず驚いたのは1打席目のセカンドゴロ。あれだけ実戦から離れていたのに、プロの球に当てるっていうだけでもすごいことです。しかも初球からですよ?
ゴロにはなってしまいましたけど、芯に近いところに当たっていましたし、さすがだなと思いました。運動能力がほんとうに高い人ですね。
――2004~2006年の3年間、新庄さんと渡辺さんはともに同じパ・リーグに所属して対戦経験もあります。当時は、新庄さんのことをどういう風に見ていましたか?
新庄さんの存在はとにかく大きかった。特にパ・リーグにとっては。
今でこそセ・リーグとの人気差はなくなってきていますが、当時はパ・リーグをどうやって盛り上げていこうかと各球団が考えている時代でしたからね。
球場の天井からゴンドラで降りてきたり、バイクで入場してみたり、オールスターでキラキラのベルトをつけてきたり、ホームスチールをいきなり決めてみたり、他にもたくさんありますが、とにかくこんなことしちゃっていいのっていうことばかり。どれもこれも、新庄さんじゃないとできないことでしたね。
――ちなみに新庄さんは現役時代、渡辺さんからヒットを1本も打っていません。この事実には気付いていましたか?
対戦した打席はそこまで多くないとは思っていましたが…1本も? けっこう良いライナーを打たれた記憶もあるんですが、そうなんですね。あまりそこは考えていなかったです。
――新庄さんとの対戦では、他のバッターと異なる攻め方などはしていたのでしょうか?
新庄さんだからといって、特に変わった攻め方というのはしていませんでしたね。
もちろん、新庄さんのデータは頭に入っていましたので、苦手なボールを徹底して投げてはいました。長打も怖かったですし、新庄さんが打つと試合の雰囲気がガラッと変わりますからね。かなり慎重には攻めていましたよ。
ただ、単純に新庄さんは僕のようなアンダースローが苦手だったんだと思います。投げていて「あ、嫌がっているな」っていうのはすぐに分かりましたから。
――新庄さんは、渡辺さんが苦手だったせいか、あえて試合に出場しなかったという話もあります。あれは、事実なんでしょうか?
僕も直接新庄さんから話を聞いたわけではないですが…おそらくある程度は本当だと思いますよ(笑)。
ある日、突然、僕が先発する試合にだけ出場しなくなりましたから。
――すごい話ですね(笑)。当時、渡辺さんはどのように感じていたのでしょうか?
あまりに突然だったので、最初はケガなのかなって思っていました。でも、次の日の試合とかは普通に出ているんです。
それが何試合か続くと、さすがにいろんな噂が聞こえてくるようになりましたね。「具合が悪い」とか、色々理由をつけて出場しないらしいとか…(笑)。
まあでも、当時は新庄さんのようなクリーンナップを打つ選手が出ないっていうのはチームにとっても自分にとってもラッキーだなとは思っていましたね。当時は、ひちょり(森本稀哲)とかも、そこまで活躍してなかったので。
ちなみに僕は、新庄さんと何打席対戦していますか?
――対戦成績は通算で6打数0安打3三振です。
6打席ですか。新庄さん、あきらめ早っ!(笑)。
6打席なら、2試合くらいですから、もうちょっと対策してきてほしかったですね(笑)。
今もそうですけど、当時もアンダースローで投げるピッチャーは少なかったので、ある程度対応に時間がかかるバッターは他にもたくさんいました。僕を苦手にしていたのは、新庄さんだけっていう訳じゃありませんでした。
でも普通はみんな対策を練って、それなりに対応してくるものなんですけど…そこを「試合に出場しない」っていう選択をするのが新庄さんらしい。
並の選手だったら、絶対許されないですよ。
「打てないから試合に出ない」なんて、普通だったらレギュラーを外されます。
何打席も対戦を繰り返して、本当に打てない場合は、試合の終盤とかであれば交代みたいなのはまだ理解できますけど、たった6打席ですからね。
――なぜ、そこまでして出場しなかったと思いますか?
おそらく新庄さんはファンにカッコ悪いところを見せたくなかったんじゃないでしょうか。
どうせ打ちとられるにしても、150キロのストレートに豪快な空振り三振するのは良いけど、僕みたいな100キロのスローカーブに三振するっていうのは、スイングも中途半端になるし。それが嫌だったんじゃないですかね。
けど、今となっては、もっと対戦したかったなっていうのが僕の本音です(笑)。
――新庄さんだからこその特権というやつですね(笑)。そんな新庄さんだったからパ・リーグが盛り上がったという見方もできますか?
それはあると思いますね。
現役時代の新庄さんのプレーで、僕が最も衝撃的だったのは2004年のオールスターゲームで見せたホームスチール。確かオールスター史上初だったはずです。オールスターなので、絶対何かやるだろうなとは思っていましたが、まさかホームスチールをするとは。
僕はベンチで見ていましたが、けっこうきわどかったんですよねタイミングが。結果的にギリギリでセーフになりましたが、もう正直そんなのもどっちでも良かった。ベンチも球場も大盛りあがり(笑)
ほんとすごい選手だなって思いましたね。
日ハムがあれほどの人気球団になったのは間違いなく新庄さんの力が大きい。もちろん日ハムだけじゃなく、あの当時のパ・リーグを盛り上げた立役者は新庄さんといっても過言ではないでしょう。
――改めて聞くと新庄さんはスーパースターですね(笑)。この先の新庄さんにどんなことを期待していますか?
新庄さんは、プロ野球界だけじゃなく、日本の野球界に必要な人材です。
新庄さんがきっかけで、野球に興味をもった人は、たくさんいます。それだけ影響力を持っている人って、元プロ野球選手の中でも意外と少ないですから。仮にトライアウトに合格しなかったとしても、何かしら日本の野球界に関わり続けてほしいですね。
僕達をワクワクさせてくれるような活躍を、これからも期待しています。
(聞き手・構成/AERA dot.編集部・岡本直也)
渡辺俊介(わたなべ・しゅんすけ)/1976年8月27日生まれ。2000年ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズに入団。“サブマリン”と称されたアンダースローが特徴で、05年に15勝を挙げ日本一に貢献。06、09年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表の連覇を経験。現在は社会人野球チーム「日本製鉄かずさマジック」で監督を務める。