新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大は、社会が抱えている構造的問題を顕在化させた。
医療崩壊の危機に見舞われた国もある。
人工呼吸器の配分を如何に判断するかの問題が浮上した。
COVID-19の感染爆発時における人工呼吸器の配分を判断するプロセスについての提言
2020年3月30日
生命・医療倫理研究会
この提言の趣旨
この提言は、医療資源の調達について最大限の努力を行政や病院に対して求めています。それにもかかわらずCOVID-19の急性期医療を担う病院の集中治療領域おいて人工呼吸器等の救命医療に必須の医療資源が不足、払底した場合の対応を提案したものです。
そのさい、あくまでも患者さんの意向を中心に考えるとともに、どうしても医療資源の配分を行うことが不可避な状況においては、救急医療・集中医療の分野で広く共有された重症度の指標を用いて恣意的にならないように検討することを求め、記録を適切に行うこと、適宜倫理支援を受けること等、差別のない、公正で透明性のあるプロセスの重要性を訴えています。
私たちは、各病院で指針を作成するときに参照していただくことを期待していますが、この提言が妥当なのかは、それぞれの病院の倫理委員会等で必ず検討をしてください。また、個々の病院としての決定には限界があると思われるため、公的なガイドラインの作成につながってほしいと願っています。
はじめに
現在、日本において懸念されているCOVID-19の感染爆発が現実となった場合、人工呼吸器をはじめとする医療資源が不足することが懸念される。このような非常時は、災害時医療におけるトリアージの概念が適用されうる事態であり、これまで私たちが経験したことのない大きな規模で、厳しい倫理的判断を求められることとなる。これは、一人ひとりの患者に最善をつくす医療から、できるだけ多くの生命を助ける医療への転換が迫られるということである。
すでに海外からこのような状況における医療資源の配分を判断する考え方についての論考が公表されているが、日本での議論は十分ではない。そこで、私たちは、今般の非常時に、日本の病院において人工呼吸器の配分をどのようなプロセスで判断をするべきかのひな形を提示したいと考えた。この提言を叩き台や契機として、COVID19 の診療にあたる病院、関連学会、行政での検討が行われることを期待するものである。特に政府には、人工呼吸器を含む医療資源が不足しないよう全力で取り組むとともに、非常時にこの提言にあるようなプロセスで診療が行われることを支持する姿勢を明示するよう要望する。
COVID-19の感染爆発で人工呼吸器が不足した危機的状況においても、平時と同様に、医学的な適応と患者本人の意向を中心に人工呼吸器の装着を判断するのが原則である。しかし、数の限られた人工呼吸器をどの患者に装着するか、人工呼吸器で生命が維持されている患者の人工呼吸器を救命可能性のより高い患者のために取り外すことが許容されるか、取り外すことが許容されるのであれば、それはどのようなプロセスで判断されるべきか、という未曾有の臨床倫理上の問題に直面することとなる。また、このような状況下においては、治療のかいなく救命の可能性がきわめて低い状態になった患者に対する人工呼吸器の使用の中止を考えざるをえない。これらの問題は、病院として明確に示されたポリシーのもと、実際にCOVID-19の診療にあたっている多職種からなる医療・ケアチーム(以下、医療・ケアチーム)が判断するとともに、倫理コンサルテーション等のチーム外からの支援を適宜受けることが必要である。
なお、ここで提言をする人工呼吸器の配分の判断プロセスは、COVID-19による呼吸不全だけでなく、すべての原因による呼吸不全が対象となる。また、この提言では人工呼吸器を取り上げるが、ECMO(体外式膜型人工肺)等の人工呼吸器以外の医療機器・資材、集中治療室や陰圧室を含む病床、医療スタッフ等の人的資源についても、同様のプロセスで判断されるべきであると考える。
この非常時におけるプロトコールを実際に発動するかどうかは、医療・ケアチームの状況認識を踏まえ、病院長の責任で決定するべきである。また、非常事態から脱し次第、平時の対応に復する判断をすることも病院長に求められる。
1:判断の基本原則
人工呼吸器の装着を含む医療行為を実施するべきか否かの判断は、医学的な適応と患者本人の意思にもとづいて行うことが基本原則である。この原則は非常時においても尊重される。
非常時においては、人工呼吸器等の不足している医療資源を使用して、効果が期待できない医療を行うことは控えざるをえない。それには以下のような行為が含まれる。
① 救命の可能性がきわめて低い状態の患者に対して、心停止時に心肺蘇生を行うこと。
② 救命の可能性がきわめて低い状態の患者に、人工呼吸器を装着すること。
③ 人工呼吸器を装着後、救命の可能性がきわめて低い状態になった場合に、人工呼吸器の装着を継続すること。
急性期医療における救命の可能性がきわめて低い状態の判断については、「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン〜3学会からの提言〜」の「終末期の判断」に例示されている類型(下記、①〜④)を参照する。
① 不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分な時間をかけて診断された場合。
② 生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器が不可逆的機能不全となり、移植などの代替手段もない場合。
③ その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場合。
④ 回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合。
患者の生命の短縮につながりうる判断は、医療・ケアチームとして行い、検討内容を診療録に適切に記録するとともに、可能な限り患者やその家族等と共有する。また、医療・ケアチームとして判断を行うことが困難な場合には、倫理コンサルテーション等を活用するなど、医療・ケアチームの外部に支援を求める。
病院長は、上記のプロセスに加えて、どのような場合に病院倫理委員会や病院長の判断を事前に仰ぐ必要があるのか、病院としての方針をあらかじめ決定し、医療現場に周知することが望まれる。また、定められたプロセスに従って導き出された判断および行為について、病院長は最終責任を負う。
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2:人工呼吸器の払底と不足
この提言で人工呼吸器の払底とは、たんにその病院内で使用できる人工呼吸器がないという意味ではなく、人工呼吸器の装着が可能な他院への転院も不可能で、人工呼吸器の販売会社、近隣の病院、行政等に依頼しても人工呼吸器の手配がつかない状況であって、救命の可能性がきわめて低い患者に対する人工呼吸器の使用を控えていても人工呼吸器が足りない状況を指す。
この提言で人工呼吸器の不足とは、人工呼吸器の払底が現実的な問題となっている状況を指す。
動物用、研究用、あるいは研修用に保有されている人工呼吸器の使用も考慮するべきである。また、1台の人工呼吸器で複数の患者の呼吸管理を行うことの可否は、関連学会等の最新情報を参照し、各病院で施設として判断する。
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3:人工呼吸器装着についての本人の意向の確認
COVID-19による肺炎を発症しているすべての患者に対して、容体が悪化して人工呼吸器の装着が必要になった場合に備えて、次項の内容に準じた説明を行い、人工呼吸器の装着に対する意向と本人の意思決定する力が低下したさいに自らの意思を推定する人について、あらかじめ確認しておくことが望ましい。その内容は、家族等とも共有し、適切に記録する。これらはアドバンス・ケア・プランニングのプロセスの一環として行われることが望ましい。
実際に人工呼吸器が必要な状態になった場合には、可能な限り、平時の診療と同様に、現在の病状、人工呼吸器の必要性、他に取りうる手段等について十分に説明した上で、本人の意思を確認する。そのさい、以下についても説明する。
① 人工呼吸器による治療を継続しても救命の可能性がきわめて低い状態になった場合には人工呼吸器を取り外すこと。
② より救命の可能性が高い患者に使用するため、人工呼吸器を取り外すことがありえること。
③ いかなる場合でも、苦痛の緩和のためのケアは最大限行われること。
④ 今後意思決定をする力が低下した場合に備えて、人工呼吸器を装着後に検討される可能性のある治療の変更(新たな治療の開始・不開始、既に開始された治療の中止を含む)について、自らの意思を推定する人は誰か決めた方がよいこと。
意思決定能力のある患者本人が人工呼吸器の装着に同意しない場合には人工呼吸器の装着を行わないのが原則である。意向が変わった場合には人工呼吸器の装着を希望できること、ただし、その時点で人工呼吸器が手配できない可能性があることも丁寧に説明する。
本人が人工呼吸器の装着に同意しない場合であっても、人工呼吸器の装着によって救命される可能性が高い場合には、人工呼吸器装着の必要性について本人へ説明し、同意を得る努力を行う。
本人の意思決定能力が十分でない場合、アドバンス・ケア・プランニングを含む事前の意思表示や家族等による本人の意思の推定を尊重する。もし、事前の意思表示や家族等による推定意思が人工呼吸器の装着に同意を与えないものである場合には、本人はどのような理解で意思表明をしていたのか、家族等はどのようなことを根拠に意思を推定しているのかを確認した上で、人工呼吸器の装着を行わないのが原則である。特に、事前の意思表示が入院前に作成されたものである場合には、現在の状況に適用できるか、慎重な検討を要する。
本人の意向を確認することも推定することもできない場合には、人工呼吸器の装着を行うことが基本である。ただし、あらためて評価を行い人工呼吸器の装着を行っても救命の可能性がきわめて低い場合や人工呼吸器を装着しない治療が本人にとって最善であると考えられる場合には、人工呼吸器の装着を差し控えることも許容される。人工呼吸器の装着を差し控える判断は、医療・ケアチームとして行い、検討の内容を診療録に適切に記録する。医療・ケアチームとして検討しても判断を行うことが困難な場合には、倫理コンサルテーション等を活用するなど、医療・ケアチームの外部に支援を求める。
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4:人工呼吸器が不足した状況下における患者の選択
人工呼吸器が不足しており、人工呼吸器を装着する患者の選択を行わなければならない場合には、災害時におけるトリアージの理念と同様に、救命の可能性の高い患者を優先する。誰を優先するのかは、医療・ケアチームで検討し、その内容を適切に記録する。医療・ケアチームとして検討しても判断を行うことが困難な場合には、倫理コンサルテーション等を活用するなど、医療・ケアチームの外部に支援を求める。
救命可能性の判断は、医療・ケアチームが、個別の患者の容体に応じて、救急医療・集中医療の分野で広く共有された重症度の指標等を用いて恣意的にならないように慎重に行うとともに、判断のプロセスを適切に記録しなければならない。性別、人種、社会的地位、公的医療保険の有無、病院の利益の多寡(例:自由診療で多額の費用を支払う患者を優先する)等による順位づけは差別であり、絶対に行ってはならない。患者が医療従事者であるか否かは考慮しない。
医療資源を医療従事者に優先して配分するのは、そうすることによって人的医療資源が維持され国民全体の利益を最大化することが期待できる場合に限定される。感染防止のための衛生材料、ワクチンや軽症段階から使用できる治療薬が開発された場合等については、医療従事者が優先配分を受ける合理性があると考える。
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5:救命の可能性がきわめて低い状況における人工呼吸器の取り外し
人工呼吸器を用いた集中治療をつくしても救命の可能性がきわめて低い状況になった場合には、人工呼吸器を取り外すことを基本とする。医療・ケアチームとして判断を行うことが困難な場合には、倫理コンサルテーション等を活用するなど、医療・ケアチームの外部に支援を求める。
人工呼吸器を取り外す場合には、本人の同意(本人の事前の意思表示や家族等による意思の推定を含む)があることが望ましい。非常時に、明らかに救命の可能性がきわめて低い治療を、本人や家族等の拒否を唯一の理由に継続することを許容するか否かは、それぞれの病院において事前にポリシーを策定し、一貫した判断を行うべきである。
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6:人工呼吸器が払底した状況下における、人工呼吸器を装着している患者からの人工呼吸器の取り外しと新たな患者への装着(人工呼吸器の再配分)
人工呼吸器が払底した状況下においては、人工呼吸器の再配分は許容されうる。しかし、実際に許容するかどうかについては、各病院であらかじめポリシーを定めておくことが望まれる。
人工呼吸器の再配分を検討する場合には、取り外す患者と装着する患者の選択について、病院倫理委員会等で検討し、承認を得ることを原則とする。病院長や病院倫理委員会があらかじめ設定した条件(倫理コンサルテーションチームの構成要件、病院長等との連絡体制など)のもとに、倫理コンサルテーション等の、より機動性のある会議体が倫理委員会の代替をしてもよい。
取り外す患者と装着する患者の選択は、救急医療・集中医療の分野で広く共有された重症度の指標等を用いて、医学的に判断を行う(4-2参照)。人工呼吸器を装着してからの日数を考慮に入れてもよい。
① 人工呼吸器の再配分が許容されるには、取り外される患者と新たに装着される患者の救命可能性の差が明らかである必要がある。救命可能性の差が明らかではない場合には、既に人工呼吸器が装着されている患者を優先する。
② 人工呼吸器の再配分のための取り外しの対象となる患者に基準を設ける場合は、「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン〜3学会からの提言〜」の「終末期の判断」で示された類型を含む、生存して退院することが不可能であると医療・ケアチームが判断する場合等が考えられる。この基準は、医療状況の逼迫がさらに深刻になった場合は見直されてよい。
救命の可能性がきわめて低いとまでは言えない患者から、人工呼吸器の再配分のために人工呼吸器を取り外す場合には、本人の同意(本人の事前の意思表示や家族等による意思の推定を含む)を前提とすることを原則とする。救命の可能性がきわめて低い患者が対象の場合でも、本人の同意(本人の事前の意思表示や家族等による意思の推定を含む)があることが望ましい。
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7:人工呼吸器の装着を差し控える場合や取り外した後のケア
人工呼吸器の装着を差し控える場合や取り外す場合であっても、医療・ケアチームは、緩和ケアチーム等の協力を得ながら苦痛の緩和を含めたその他の治療を最大限行い、患者の尊厳を尊重した医療・ケアを継続する。
人工呼吸器の取り外しを誰が行うか、感染防止策を前提に家族等の同席を認めるか、集中治療室から一般病室への移動を行うか、移動をするとしたら人工呼吸器の取り外しの前か後か、実際の取り外しの際の苦痛緩和の方法等の具体的な事項については、事前に医療・ケアチームあるいは病院としての方針を定めておくことが望ましい。
医療・ケアチームは、この非常時に次の患者の生命を救うために、人工呼吸器の取り外しを受け入れた家族等の気持ちを理解し、可能であれば感謝の気持ちを率直に伝える。
病院長は、倫理的葛藤を抱えながらCOVID-19診療の最前線に立つ医療・ケアチームが大きな心理的・身体的負担を抱えることを理解し、精神科リエゾンチームや産業保健の専門家等とともに、適切なケアを行う。
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8:その他
この提言では、実際に診療にあたっている医療・ケアチームが判断することを基本に、状況に応じて倫理コンサルテーション等のチーム以外のリソースに相談することとしている。しかしながら、患者の選択や人工呼吸器を取り外す判断は、医療・ケアチームに過大な負担を強いるものとなる可能性があるため、医療・ケアチーム以外の救急・集中治療の専門医と倫理支援部門等からなる合同の委員会や支援チームを組織してこれらの判断にあたらせてもよい。
搬送された病院の人工呼吸器を含む医療資源の制約から、受けられる医療に差が生じないように、患者が救急搬送される段階でのトリアージや病院に対する医療資源の配分が適切に行える公的な仕組みの確立も必要である。
感染爆発の時期が地域で異なる可能性があることから、地域を越えた患者の移送や人工呼吸器の融通について公的機関が仲介する仕組みが望まれる。 また、すでに感染が収束しつつある国外からの援助を求めることも躊躇するべきではない。
生命・医療倫理研究会有志
(作成)
竹下 啓(医師・東海大学)
堂囿俊彦(倫理学者・静岡大学)
神谷惠子(弁護士・神谷法律事務所)
長尾式子(看護師・北里大学)
三浦靖彦(医師・東京慈恵会医科大学)
(査読)
荻野美恵子(医師・国際医療福祉大学)
註:
この提言は生命・医療倫理研究会世話人の有志が作成した試案であり、何らの拘束力もなく、また、法的、倫理的な妥当性を保証するものではない。
有志はそれぞれ個人の立場で提言の作成に関与しており、所属施設の方針等とはまったく関係はない。
誰でもこの提言を自由に利用・参照することができる。個人や団体がこの提言を参照して、よりよいガイドライン等を作成することを歓迎する。
実際の診療上の判断にこの提言を用いる場合は、それぞれの病院の責任において行うこと。生命・医療倫理研究会およびその構成員は一切の責任を負わない。