コロナで医療緊急事態宣言 インフルとは「別格の脅威」 日医など9団体

2020年12月21日 22時00分28秒 | 医科・歯科・介護

12/21(月) 20:39配信

時事通信

記者会見で「医療緊急事態宣言」を発表する日本医師会の中川俊男会長(中央)ら=21日午後、東京都文京区

 日本医師会など九つの医療団体は21日、東京都内で合同記者会見を開き、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で全国的に医療体制が逼迫(ひっぱく)しているとして「医療緊急事態宣言」を発表した。

【グラフ】新型コロナウイルス 都道府県別感染者数・死者数

 日本医師会の中川俊男会長は「新規感染者数を何が何でも減らす。国民が一丸となって真正面からコロナに向き合って」と感染対策の徹底を改めて呼び掛けた。

 中川氏は、冬季に流行するインフルエンザと比較しても、新型コロナは「別格の脅威だ」と指摘。感染者の増加が止まらないことで、「誰もが平等に医療を受けられる日本の医療制度が風前のともしびになっている」と危機感を訴えた。 

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397年ぶり木星と土星大接近!“輪”もバッチリ撮影

2020年12月21日 22時00分28秒 | 社会・文化・政治・経済

木星と土星が大接近 月も加わり天体ショー
12/17(木) 18:15配信

共同通信

隣り合うように接近した木星(右下)と土星(同上)。近くに細い月も姿を現した=17日午後5時12分、東京都日野市

 木星と土星が隣り合うように接近し、近くに細い月も姿を現す珍しい天体ショーが17日、東京などで見られた。国立天文台によると、22日には木星と土星が1623年以来、約400年ぶりの近さとなる。ただし日本からは、この日は地平線の下になって観察できず、最も近づいた状態を見るチャンスは、21日の日の入り後、1時間ほどという。

 天文台は、条件が良ければ南西方向に肉眼でも観察できるとした上で「双眼鏡を使うとさらに楽しめる」と説明する。

 木星と土星は太陽の周りを回る周期が異なり、約20年に一度、接近して見える。軌道の傾きに差があるため、どこまで接近するかに違いが生じる。

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12/21(月) 17:58配信

木星と土星が397年ぶりの大接近です。

 21日午後5時すぎに、東京都内から4Kカメラを使って撮影した映像です。輪があるのが土星で、その隣に見えるのが木星です。望遠鏡で見た時に2つの星が同時に見えるのは非常にまれで、国立天文台によりますと、地球から見える2つの星の位置が0.1度の角度まで近付くのは、1623年以来、397年ぶりです。ちなみに、1623年の日本は江戸時代で、徳川家光が3代将軍になった年です。次に2つの星が近付くのは60年後の2080年だそうです。

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木星と土星、きょう21日夜が最接近 望遠鏡にガリレオ衛星や土星の環 400年ぶり天体ショー
12/21(月) 11:31配信

京都新聞

接近する木星(下)と土星(2020年12月20日午後6時40分、京都市東山区で口径8センチの屈折望遠鏡で150倍レンズで撮影)

 木星と土星が21日から22日にかけて約400年ぶりに大接近する。日本では21日の日没後の南西の空で様子を見ることができる。

【動画】木星と土星、天体望遠鏡で捉えた

 20日夜、京都市内で望遠鏡を向けると、一つの視野の中に木星と土星をとらえることができた。木星の周りにガリレオ衛星と呼ばれる四つの衛星イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストが見え、土星の環(わ)も見えた。

 国立天文台(東京)によると、木星と土星は約20年ごとに接近するが、今回は二つの惑星が、地球から見たときの軌道の交点近くで接近する珍しい現象で、約0・1度まで近づくという。同程度まで接近するのは1623年7月17日以来397年ぶりという。

 21日の京都市の日の入りは午後4時49分、木星・土星が没する時間が午後7時8分ごろで、午後5時半から6時半ごろが見頃となる。最も近づくのは22日未明だが、日本では地平線の下となり見ることはできない。

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繰り返し売春行為か、東京・西荻窪のサロン経営者の女逮捕

2020年12月21日 22時00分28秒 | 事件・事故

12/21(月) 12:40配信 TBS系(JNN)

従業員に売春行為をする場所を提供したとして、東京・杉並区でリラクゼーションサロンを経営する女が逮捕されました。

 売春防止法違反の疑いで逮捕されたのは、杉並区西荻窪のリラクゼーションサロン「ネージュ」の経営者で中国籍の劉洳君容疑者(55)で、先月25日と今月13日、店で従業員が売春行為をすると知りながら、場所を提供した疑いがもたれています。
 
 警視庁によりますと、店では通常のマッサージも行われていましたが、売春が繰り返し行われていたとみられるということです。
 
 店は1か月間におよそ100人が利用していたということですが、劉容疑者は取り調べに対し、「11月に私は辞めていた」「売春が行われていることを知りませんでした」と容疑を否認しています。(21日11:32)


【75年目の告白】岐阜・黒川開拓団 満州で性的な接待を強いられた女性たち「歴史の渦の中で引き回され、きょうまで生きるとは」

2020年12月21日 21時53分20秒 | 事件・事故

12/21(月) 18:09配信

中京テレビNEWS

戦前、岐阜県旧黒川村など(現白川町)から開拓団の一員として満州に渡った女性たち。彼女たちは敗戦後、生きて日本に帰るために、団からソ連兵に対する性的な接待を強いられました。

当時、18歳以上の女性が駆り出されたとされた“接待”でしたが、今回の取材で14歳の少女が犠牲を強いられたことや、“接待”は一度ではなかったことなどが、初めての告白により明らかになりました。

生きて日本に帰るために。そして仲間を救うために。終戦直後の混乱のなかで”接待“という名の性暴力の犠牲となった女性たちが、戦後75年のいま、当時の記憶を語ります。

開拓団として満州へ 敗戦で全てが変わった

佐藤ハルエさん

佐藤ハルエさん(95)。戦後、岐阜県ひるがの高原に移り住んで70年以上、この地で語り続けていることがあります。
 
「ソ連の兵隊を頼むには、女を提供するということで、私どもは犠牲になった。仲間も性病と発疹チフスとでバタバタと亡くなっていた」(佐藤ハルエさん)

75年前の敗戦直後、中国北東部・満州。1932年から日本が事実上の植民地としていました。


佐藤ハルエさん(当時19歳)

日本は国策として、満州へと移住する人を募りました。その数、全国で27万人。岐阜県からも約1万2000人が海を渡り、ハルエさんもそのひとりでした。

政府が満州に開拓団を送りこんだ狙いのひとつは、大陸で戦う日本軍の食糧増産。その裏で「満州国」の支配、防衛という軍事的な目的もあったとされています。

日本軍が中国の人から不当に安く買いとった家に住み、広大な畑でアジア人労働者を率いて作物を作る日々。山のように取れる作物をみて、住み続けたいと思ったといいます。

「ジャガイモとか、トウモロコシ。ジャガイモはたくさんとれて、列車に積んで運んで、南の方の大きな会社へ(送った)」(佐藤ハルエさん)

しかし、敗戦ですべてが一変しました。1945年8月、ソ連が満州に侵攻し敗戦が決まると、家や土地を取り返そうと、現地の人の一部が暴徒と化し襲ってきたというのです。

「指輪とか時計を持っていたら、隠さないと取られてしまう。みんな取られてしまった」(佐藤ハルエさん)

「体を張って頼む」強いられた性的な接待

黒川開拓団

やがてハルエさんたち黒川開拓団に、悲惨な知らせが届きました。熊本から来た来民(くたみ)開拓団の団員270人が、暴徒の襲撃に耐えられず集団自決を図ったというのです。

黒川開拓団の団員は約660人。集団自決も脳裏をよぎる中、団の幹部が出した答えは、侵攻してきたソ連兵に守ってもらうという選択でした。


写る8人のうち6人が、性的な接待を強いられた

その見返りは、女性。団は18歳から21歳位までの女性15人ほどを集め、ソ連兵への性的な接待を強いたのです。
団の幹部が「既婚者に頼めば、必ずもめごとになる」と考えたため、未婚の女性が選ばれました。

「独身者だけ、どうかここを守るように、あんたら体をはって頼むといわれましたので。仕方がない、ここのためなら、と思いまして」(佐藤ハルエさん)

写真に映る8人の女性のうち、6人が無理やり接待に駆り出されたといい、ハルエさんもその1人でした。

“接待所”が作られ、1週間に2回から3回ほどソ連兵がやってきたといいます。

戦後75年目、始めての告白「銃でつつかれ、4人並べて強姦されたことも」

電話取材に応じた女性(当時17歳)

また、当時18歳以上という条件だったはずの接待も、複数の関係者を取材していくうちに、17歳で犠牲を強いられた女性がいるという証言も出てきました。

その女性は、家族には知られたくないとの思いから、長年当時の出来事を胸に秘めていましたが、今回、電話ならと取材に応じてくれました。

「男の人ってこんなひどいことするものなのかと、(当時)17歳だから泣くことしか知らない。手を握りこぶしにして、がまんがまんがまんって、みんな5回以上は(接待に)いってるのでは。銃でつつかれるから怖くて、4人並べて強姦されたこともあった」(接待を強いられた女性)

接待は、ソ連兵が撤退するまでの約2か月、続いたといいます。

妊娠・性病を防ぐため、手当てをした女性たち

高橋みね子さん

接待が終わると、女性たちは医務室で消毒を受けました。

当時、2人の女性が処置を行っていました。高橋みね子さん(91)は、母親が助産師だったため、女性たちの処置を手伝うことになりました。

凄惨を極めた75年前の記憶。

一切、当時の出来後を口外しないと、黒川地区を離れ暮らしていましたが、何度か記者が訪ね、ハルエさんたち女性が声をあげていることを説明していく中である日、何か決意したように…ゆっくりと話し始めました。

記者:女性たちは朝に帰ってくるのですか?
「そうです。その足で医務室に来る。とにかく10分でも早く洗浄したいって気持ちが強かった。ベッドのようなものを作ってくださった。そこに寝てしまうわけじゃなくて、膣内を洗浄するんです。病気をもらわないようにってことと、妊娠しないようにと、一番届くところまでって(日本人の)衛生兵が教えてくれて」(高橋みね子さん)

全員、妊娠はしませんでしたが、みな性病にかかり、のちに4人は死亡しました。
特にハルエさんは“接待”に駆り出される数も多かったため、症状もひどかったといいます。

「ハルエさんがひどかった。よく立ち直ったと思う」(高橋みね子さん)

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安倍前首相の「虚偽答弁」118回 衆院調査局 桜を見る会前夜祭

2020年12月21日 21時47分23秒 | 事件・事故

12/21(月) 19:31配信

毎日新聞

安倍晋三前首相による「桜を見る会」前夜祭に関する疑惑を巡り、衆院調査局は21日、安倍氏が2019年11月~20年3月に事実と異なる国会答弁を118回していたと明らかにした。延べ33人の質問者に答弁していたことが判明していたが、今回は1人の質問者への「事実と異なる答弁」の回数をすべて足し合わせた。

【図表で比較】安倍氏の答弁と浮上した新事実

 安倍氏周辺は、安倍事務所側が前夜祭の一部費用を補塡(ほてん)したことを認めている。安倍氏にその事実を伝えていなかったというが、立憲民主党は、結果的に安倍氏が①事務所の関与はない②ホテルからの明細書はない③補塡はしていない――の3パターンの「虚偽答弁」を重ねていたと指摘。衆院調査局に依頼したところ、①の趣旨の答弁が70回、②が20回、③は28回で、計118回だった。

 立憲の黒岩宇洋国対委員長代理は記者団に「118回も虚偽答弁を繰り返した。国民に説明したいと言っている安倍前首相だから、公開の証人喚問や参考人招致に応じてほしい」と述べた。【宮原健太】

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「医療緊急事態宣言」で危機感 医療団体トップが合同会見

2020年12月21日 14時42分12秒 | 医科・歯科・介護

12/21(月) 17:36配信

医療に関係する団体のトップらが21日午後、異例の合同会見に臨み、「医療緊急事態宣言」を出し、逼迫(ひっぱく)する現状への危機感を訴えた。

日本医師会・中川俊男会長「本格的な冬を迎えて、全国の新型コロナウイルス感染者数が急増しています。連日、過去最多を更新し、重症者数も増えています。誰もが平等に医療を受けることができる日本が誇る医療制度が、風前のともしびになっています。国民みんなで真摯(しんし)に新型コロナウイルスに真正面から向き合いましょう。『感染しない、感染させない、うつさない、うつらない』を合言葉に、静かに過ごし、クリスマス、年末年始を乗り切りましょう。本日、われわれ医療関係団体は、医療の緊急事態を宣言します」

 

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3-4-5の車券を思いついたのに

2020年12月21日 14時42分12秒 | 未来予測研究会の掲示板

佐世保開設記念競輪7レース

輪子は家を出た時に、3-4-5の車券を思いついた。
過去に、大穴が的中した時のことが頭にあったのだ。
あの時は、ボックス車券の600円が、8万円余りの払い戻しとなる。
3色の旗 青 赤 黄を園児たちが持っていた。
運動会の予行演習のようで、それぞれの旗を先頭に行進していた。
「可愛い」と笑みがこぼれた。
当時、看護師の輪子は小児科勤務で幼児と触れる機会が多かった。

「最近、ついていない」本命車券を買っては負けていたので、3-4-5の車券を再び思いつく。
でも、メンバーを見ると、4番は逃げ選手だった。
並び 9-2-7 4-1-8 3-5-6
本命が2-9 4・4倍(1番人気)
ついて2-7 6・6倍(2番人気)

「輪子、オッズなど見るな」と父の元タクシー仲間の荻原さんが言う。

しかも、2番の和田 圭選手は、前日の11レース準決勝では対抗だったのに、村上 義弘選手に張られて弾かれて8着に沈んでいる。
2番を外す車券は考えられなくなる。
「今日は、巻き返すはず」と期待する。
3-4-5のボックス車券買うつもりの輪子は結局、2-9-3 2-9-5 2-9-7へ変更する。
結果は
2車単 4-3 1万9570円(38番人気)
3連単 4-3-5 14万1350円(227番人気)

昨日、車券師のような人を見かけた。
過去に5-6-1の3連単車券53万5650円の大穴車券。
8月16日名古屋競輪8レースを300円も買った人だった。
1着小倉竜二-2着田中晴基-3着太田竜馬の3連単車券で、郡司浩平が8着に沈み、スーパールーキーの寺崎浩平が逃げて9着の大敗だった。

「世に中には、非凡な人がいるもなのね」と関心を持つ。
その人が、この日も穴となった3レース的中させていた。

9レス
6-7-1 8万300円(182番人気)
10レース
3-7-4 4万4890円(159番人気)
12レース
2-9-6 3万4590円(95番人気)

どのような予想行為なのか、聞いてみたくなる。

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 4 藤井 昭吾   12.5 B  
× 2 3 谷口 遼平 3/4車輪 11.9    
3 5 小嶋 敬二 5車身 12.4      
  4 8 吉松 直人 6車身 13.4      
5 1 山本 巨樹 5車身 14.0      
2 和田 圭          
7 松坂 英司          
9 早坂 秀悟          
  6 島野 浩司    

佐世保競輪記念決勝 ケントまさかの落車

2020年12月21日 12時20分45秒 | 未来予測研究会の掲示板

2020年12月20日 レース詳細

地元記念制覇 S級決勝
予想担当記者:
赤競 小山 裕哉






選手名
府県/年齢/期別


ギヤ
倍数
直近4ヶ月の成績
競走得点 S B 1
2
3


2連
対率
3連
対率
  9 1 1 山崎 賢人
長 崎/28/111
S1 3.93 112.82 1 10 5 4 0 0 6 3 2 7 33.3 50.0 61.1
× 10 2 2 吉田 拓矢
茨 城/25/107
S1 3.92 115.45 0 9 6 4 1 0 7 4 2 10 30.4 47.8 56.5
13 3 3 村上 義弘
京 都/46/73
S1 3.92 109.80 4 0 0 0 5 3 1 7 2 16 3.8 30.7 38.4
    15 4 4 笠松 信幸
愛 知/41/84
S1 3.92 107.92 8 0 0 0 8 3 6 5 4 12 22.2 40.7 55.5
  13 5 小川 真太郎
徳 島/28/107
S1 3.92 110.20 1 3 0 4 2 1 2 5 5 13 8.0 28.0 48.0
    20 5 6 須永 優太
福 島/32/94
S2 3.92 102.61 0 0 0 0 2 0 0 2 3 9 0.0 14.2 35.7
    15 7 山口 泰生
岐 阜/39/89
S2 3.92 109.76 0 0 0 0 12 4 9 7 6 4 34.6 61.5 84.6
  16 6 8 神山 拓弥
栃 木/33/91
S1 3.92 105.92 5 0 0 0 4 3 3 4 5 14 11.5 26.9 46.1
  9 9 新山 響平
青 森/27/107
S1 3.93 114.65 2 12 8 5 1 0 12 2 1 8 52.1 60.8 65.2
【誘導員】米嶋 賢二 A1

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 2 吉田 拓矢   11.6    
2 9 新山 響平 3/4車身 11.9 B  
  3 6 須永 優太 1/2車身 11.9      
4 3 村上 義弘 3/4車身 11.7      
  5 4 笠松 信幸 3車身 11.7      
6 5 小川 真太郎 1車身 11.7      
  7 7 山口 泰生          
8 1 山崎 賢人          
8 神山 拓弥      

レース後記

レース後記写真

レースは後ろ攻めの吉田が上昇して赤板過ぎに切ると、動きに乗った新山響平が打鐘前に先頭に立ち、北日本を受けた吉田は3番手を確保。

最終バックからまくり出た村上義弘に合わせて踏んだ吉田が、粘る新山をゴール前の直線で捕えた。
 「優勝したことは素直に嬉しい。でも結果は良かったけど、満足してはいけない。満足せずにしっかりと自力で記念を獲ることを意識しないと。初手で後ろは想定していなくて、一回前に出てから考えようと。新山さんがいったときに良いペースで駆けていたので、誰も来れないだろうと思い、勝ちに徹しようと。山崎さんがきたら合わせて踏もうと思ったら、村上さんがきたので踏んだ。最後はここまできたら優勝しようと。今回は展開に恵まれた結果。新山さんの強さも感じてさすがだなと。前回の落車でどうなるかなと思ったけど、諦めずにマイナスに考えず、体を見つめ直すとプラスに考えて調整できて良かった。初日、2日目とセッティングを試してダメで、3日目に戻して結果が出た。ダメな部分がわかって修正できてよかった。」
 新山響平はハイペースで駆けて吉田の強襲に屈し準V。
 「出切るときのスピードがかなりハイペースになったことで緩めることができなくて、最後は脚が一杯でした。もうひと踏みできれば良かったんですけど、その脚が残っていなかった。(吉田)拓矢がうまかったですね。村上さんがいる中で、あの位置を取れるのは自分の考えにない動きなので。拓矢に優勝を獲られたのは悔しいけど、また練習で強くなるための糧になる」
 吉田を追った神山拓弥が3着も押し上げで失格したことにより須永優太が繰り上がり3着に入った。
 「こんな恵まれることがあるんですね。初手は車番も悪かったから後ろから先行と思っていたけど、中団を取れたのが良かった。ずっと流れていたから余裕はなかったし、後ろも来れないだろうと。自分は一杯でしたね」


「聴く」ことの力 臨床哲学試論

2020年12月21日 12時05分07秒 | 社会・文化・政治・経済

【桑原武夫学芸賞(第3回)】「聴く」という、目の前にいる相手をそのまま受け止めるいとなみが、他者と自分理解の場を劈く−。ことばを黙って迎え入れる受け身の行為がもたらす哲学...

内容(「BOOK」データベースより)

聴く、届く、遇う、迎え入れる、触わる、享ける、応える…哲学を社会につなげる新しい試み。「聴く」こととしての『臨床哲学』の可能性を追求する、注目の論考。

内容(「MARC」データベースより)

哲学を「臨床」という社会のベッドサイドに置き、そのことで哲学の時代・社会における「試み」としての可能性を探り、とりわけ「聴く」こととしての臨床哲学の可能性を追求した、哲学を社会につなげる新しい試み。

著者について

鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年京都市生まれ。京都大学文学部卒業。同大学文学研究科博士課程修了。
現在、大谷大学教授、大阪大学名誉教授。哲学・倫理学専攻。
主な著書に『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ、桑原武夫学芸賞)、『ことばの顔』(中央公論新社)、『「哲学」と「てつがく」のあいだ』(みすず書房)、『まなざしの記憶』『時代のきしみ』(いずれも阪急コミュニケーションズ)、『死なないでいる理由』(小学館)など多数。
 
 
 
鷲田清一さんは数少ない哲学者で、過去の哲学を紹介したり解説するだけの「哲学」学の学者ではありません。
「ちぐはぐな身体―ファッションって何?」「見られることの権利―〈顔〉論 」など普段見過ごして深く考えないモチーフについてユニークな視点で、哲学する本を出しています。
この本は臨床哲学という聞きなれない著者が提唱する哲学についての試論です。

ほどなく死を迎える末期がん患者に、「私は、もう駄目なのではないでしょうか?」と聞かれた時、あなたならどう答えますか。
1.「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
2.「そんなこと心配しなくていいんですよ」と答える。
3.「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
4.「これだけ痛みがあると、そんな気持ちにもなるね」と同情を示す。
5.「もうだめなんだ・・・・・・とそんな気がするんですね」と返す。

医師は1を選び、看護師は3を選びます。
精神科医は5を選びます。

患者は、説明・解説を求めているのではなく、理解と受容を求めているのです。
患者の気持ちに寄り添うことで、苦しみは和らぎます。
説明・解説・激励で・同情では得られないものです。

一般的に男性は説明・解説で相手を納得させようとし、女性は思いやり、同情する傾向があります。
精神科医の、オウム返しの応答は、「傾聴」の内容です。

著者は、このエピソードで、上から目線の医師ではなく、下からの患者の視点に立つ臨床哲学のエピソードとして紹介します。
大上段に振りかざして、世界とはなにか、意識とは、心とは、を取り組むのではなく、身近で現実的な事物から展開する臨床哲学を提唱します。

目線がかち合う、声が届く、沈黙とことば、間が取れない、だれかに遭うこと、声の響く、傷つきやすさ、祈りとしての傾聴、人の脈に触れる、ホスピタリティ等々が、論考されています。
いずれも興味を引くモチーフですが、結論めいたことを唱えることなく、様々な事例や本を引用して、関連付けをしています。
精神科医の中井久夫先生の著作からの引用が多いのには驚きました。

写真家の植田正治の時代離れしてシュールな雰囲気の写真が豊富に使われて、本の内容とマッチしています。

ひとりで暗く沈思黙考したい時には、うってつけの本かと思います。
 
 
 
聴く」とは、なにもしないで受動的に耳を傾けることではない。
語る側からすれば「自分のことばを受け止めてもらった」という、
確かなできごとなのだから、と著者は説く。

「聴く」とは、相手をありのままに受け止めるいとなみ。
他者の経験を、まるでわがことのように受容し、理解すること。
だから、他者の苦痛への感受性が問われる、とも。

人の痛みを、自分の痛みとして
受け止められる人は
感受性がとても豊か。あるいは
自分自身も同じように
傷つき痛んだ経験がある人だろう。

他者の苦痛への感受性、という言葉を
心において
「聴く」力を少しでも高めたい。
 
 
 
哲学に疎い私には難解だが読みごたえあり。
本格的な哲学書を読むのは初めてなので一回読んだだけでは吸収できていません。
毎晩寝る前に同じところを読みながら寝落ちする事ひと月以上かかっています。
日常生活におけるさまざまな局面に対して丁寧に深い考察をおこないながら、ひとの心を解説しており、素人でも疲れます。
また、引用文献内からのことばが適切なものが多く理解を助けています。
鷲田先生の他の著書も探して読んでみたくなっています。
 
 
哲学書であるので、硬い文章の連続かと思いきや、意外に身近な文体である。しかし、内容的には深いものもあり、価値ある一冊といえる。
 
 
「臨床」がつくので病人や精神的弱者にどう接するか、という話かと思いましたが、より広い概念で「人が話すこと」の真意を考え、どう話すか、というよりどう聴くか、について考える手がかりが書かれています。ネットなどを通じて「発信すること」に多くの人の関心が向けられているなか、人が発信したことをどう受け止めるかについて考えさせられます。
 
 
はじめて、哲学者の書いた本を読んだ。専門的な言いまわしももちろんあるが、広い意味での臨床にたずさわる人へ向けての問いかけもあるため、サクッと入れる。・・・この本はそういった、日頃”哲学”といったものにわざわざ目を向ける機会がないアナタにこそオススメだ。
 特に臨床にたずさわっている人なら、漠然と考えていた”目の前の患者(他者)”とかかわることの大切さにハッと気づかされるだろう。それも、医療・福祉業界関係者のような切り口とは又違った、人としてのベーシックな視点からの問いは不思議と引き込まれる。本書は『聴くことの力』ということに着目して、いろいろな方法で掘り下げていこうとする探求の書物でもある。痛みや、出会い、迎え入れるということ・・・そえられているモノクロの写真のように、控えめにでも印象的に知り考えるきっかけになるだろう。
 
 
解消することができない心の傷によって苦しむ人への一番の処方は聴くことなのでしょう。
本書には1997年の阪神大震災後の避難所でのエピソードも引用されているように、東日本大震災で被災した方に対するケアを考える上で重要な指摘を与え得ると思う。

そしてそれ以上に、自身と他人の関係性について根源から考察しており、コミュニケーションを考える上でも大きなヒントを得ることができる。

 

鷲田清一『「聴く」ことの力』は、まずこれまでの哲学が「語る」ことに力を入れすぎ、自身を衰退させたのだと指摘する。「語ることがまことのことばを封じこめ」、「わたしたちは語ること以上に、聴くことを学ばねばならない」という。哲学的な思考の場として重要なことは、他者にむかいあおうとする受け手側の姿勢である。本著の論旨はそこに一貫している。
 
 そのなかで鷲田は、可傷性(傷つきやすさ)について取りあげている。人間同士の会話が「共時的な相互接触へとさらされる場所」となるためには、自分を差しだし、他者の苦しみに苦しむことである。可傷性はホスピタリティという概念に接続される。聴くことで我々は自分自身を変える、というよりも変わらざるをえないのだと論理が展開してゆく。
 
 ここで私は著者と異なる見方で考えてみたい。すなわち人はなぜ話を聴こうとするのか。そもそも聴くという行為の原点は何なのだろうか? 一般に小さな子供は哲学者であるといわれる。かれらは他者にふれることをいとわず、自らの不安定さを無意識のままに提示する。しかしそれは、傷つきたいからという理由ではないはずだ。
 
 たとえば我われは定まらない自己像に出会ったとき、くだけていえば不安や悩みと差しむかいになったとき、その不安定さを解消する手段として他者の言葉を意識しはじめる。企業の未来が心配な人はビジネスフォーラムへゆき、引きこもりの子供をもった親は教育シンポジウムへ足をはこぶ。これらは一対一のコミュニケーションではないものの、聴くことを思考の場として実践しているといえる。しかし、鷲田の論理でゆけば聴くことで自己が固まるのではない、脆くくずれやすいものとなるのだ。
 
 可傷性それ自体が聴くことを求めるのではないし、それだけが場を開かせるのでもない。抽象的になるが、自分の傷つきやすさをみとめ、自己の批判と認知を繰りかえしながら生きてゆこうとするとき、他者との関係はホスピタルな場と変化する。
 
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紙の本 本書を読んで私は息詰まり、そして触発された 2001/01/20 22:34
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随所に挿入された植田正治の写真が実に素晴らしい。これらの写真がたとえ本文と無関係に配列されているのだとしても、読み手はそこに文脈上の関係を探り、本文とのシンクロを感じてしまうのであって、これは読者の「勝手」に委ねられた愉しみだ。
 
 著者はあとがきで「執筆の過程で言葉を書き継げぬこともしばしばあったが、そのとき、植田さんのあの写真の横に文章を添えたいという一心でかろうじて言葉を絞りだしえたことが何度かある」と書いている。私はそこに、第一章で紹介されている詩人谷川雁氏の「この世界と数行のことばとが天秤にかけられてゆらゆらする可能性」云々ということばとの響き合いを感じた。
 
 文章もいい。「《知識》(グノーシス、knowledge)ではなく《智恵》(ソフィア、wisdom)の粋とされる哲学的な知こそ、経験をくりかえし折り重ねるところではじめて、織り目のように浮かび上がってくるものであって、そういう時間の澱[おり]をたっぷり含み込んだ哲学のことばは、それを哲学研究者がもっとも正しく語るのかといえば、そうではあるまい。」(18頁)など、著者は言葉で遊んでいて、その思索の息遣いが聞こえてくる。
 
 鷲田氏の思考のエッセンスは、たとえば「歴史的に局所づけられた場所で、時代が突きつけている問題を考えることで、結果として逆に、時代や場所を超えた普遍的な視界が開かれるという点に、哲学的思考の逆説的ともいえるありようがよく示されているとおもう。」(52頁)といった文章に濃縮されている。
 
 それはまた、「だれかに触れられていること、だれかに見つめられていること、だれかからことばを向けられていること、これらのまぎれもなく現実的なものの体験のなかで、その他者のはたらきかけの対象として自己を感受するなかではじめて、いいかえると「他者の他者」としてじぶんを体験するなかではじめて、その存在をあたえられるような次元というものが、〈わたし〉にはある。」(129-30頁)という規定へ通じていくのであって、ここに述べられた「現実的なものの体験」の場が、著者のいう「臨床」だ。
 
 臨床とは、「ひとが特定のだれかとして他のだれかに遭う場面」であり、「ある他者の前に身を置くことによって、そのホスピタブルな関係のなかでじぶん自身もまた変えられるような経験の場面」であり、そして「他人の苦しみに苦しむという感受性が、深いディスコミュニケーションのなかで交通(通じあい)が生まれるその瞬間への「祈り」というかたちをとって成就している」接触の場面でもある。
 
《主張するのではなく〈聴く〉ということ、普遍化が不可能であるということ、そして最後に〈臨床〉が「哲学する」者として臨床の場面にのぞむ者の経験の変容を引き起こすひとつの出来事であるということ、その意味で〈臨床〉が時間のなかにあるということ、この三重の意味において、《臨床哲学》は非‐哲学的であろうとする。》(108頁) 
 
 豊富な文献からの当意即妙の引用術といい、触発されるところの多い書物なのだが、途中で一種の息詰まりを感じた。顔、皮膚、身体、声、名、等々の語彙群、そして濃密な関係をめぐる人間学的(?)考察に息詰まる思いがしたのだ。ここで論じられている死や歴史はつねに人間の死であり歴史なのだから、それは当然のことなのかもしれない。
 
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紙の本 私は、何故この本を読む気になったのだろうか? 2003/05/04 12:05
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 私は、何故この本を読む気になったのだろうか? なにか興味深い本の参考文献として、取り上げられていたからだった、と思う。断片的に、納得でき腑に落ちる文章がいくつかあったが、全体として何を言っていて、何故 、『「聴くこと」の力』という書名なのか、ほとんど解らなかった。しかし、臨床哲学、哲学の現場、という雰囲気は、朧げながら感じ取れたように思う。
 
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紙の本 受け入れることの大切さ 2001/04/22 01:55
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 「哲学」という言葉から受ける印象は、なにやら難しいなあということ。哲学が、その学問の性質上どうしても難解だと思われる言葉を用いてしまうこともある。しかし、近年そのいたずらに難解な文章に対し専門家から批判が出ているのも確かだ(たとえば、アラン・ソーカル事件など)。哲学の方法が洗練されるにつれ、専門家の手に委ねられ一般の人から次第に遠い存在となってきてはないだろうかと思う。
 鷲田氏は、冒頭で「哲学はこれまでしゃべりすぎた」と言う。これまでの哲学が一方的に語るものだったということを反省し、そして語る前に<聴く>ことを学ばなければならないのではないかという。こうして、本書を通して<聴く>ということが、人にとってどんな意味を持つのか、どんな力があるのか考察されていくことになる。
 他者の言葉を<聴く>、あるいはじっと受け止めること。この受身の行為の力をめぐって、「歓待」ということが考察される。「歓待」についてR・シュレールは、「歓待の本質は、客をもてなす主の側には求められない。歓待の本質はあくまでも、やってくる客をめぐって規定される」と述べる。そこから、ホスピタリティというのは、「客」が相手に同化するのではなく、むしろもてなす側がそれまでの自分とは異なる者へと変わるということになる。したがって、もてなすということは、自分の同一性や自分の帰属へのこだわりを捨てなければならない。もてなす側の<掟>よりも客の側の優位であること、それがホスピタリティだという。
 このような自己の同一性へのこだわりをすて、他者を受け入れるという受身の行為にホスピタリティを見出す背景には、この<わたし>という存在が、ひとりでは完結できない、自分自身で閉じるということが不可能だからだ。つまり他者の他者としてしか<わたし>を確認できない。この<わたし>が存在するためには、誰かの呼びかけが必要であり、誰かに世話を受けたので生きてこれたのだ。従って、<わたし>というのは、他者との応答からそのつど確証されるだろう。
 一人では<わたし>というものを確証できない。だから、他者に無条件に受けいれてもらうという経験が大切なこととなる。
 「わたし、ほんとに、生きてていいんですか?」
 「いいんだよ、おまえは、そのまま」
 こうして他者の存在を無条件にまるごと受容すること。無条件に存在を肯定されること。こうした経験をもてなかった者には、無条件に存在を肯定された経験をもつものがこの経験を贈り物として送る。これがケアの根っこにあるべき経験ではないか。
 それにしても、この本は読みやすい。全体を一気に読みとおして気がつくのはそのことだ。それは、やはり鷲田氏の言葉へのこだわりがあるだろうし、なにより哲学がいつでもどこでも誰にでも始められるということの実践だろうか。<臨床哲学>とは、そういうものなのだろうと理解した。
 

不屈の精神、即「負けじ魂」

2020年12月21日 11時37分15秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽うまくいったことは3日たつと忘れる。失敗が人間を作る。
▽高齢になっても若々しい人は「よく動く」「よく食べる」「好奇心を持っている」
「自分流」を大切にしている。医師・作家の鎌田實さんの言葉
▽いかなる試練があったとしても、目先のことに一喜一憂するのではなく、もっと長い尺度で物事を見ながら、信念の道を歩んでいく。
▽勝つことよりも負けないこと。
負けないという人生は、永久に勝ち。
負けないとは、挑戦する勇気。
仮に何度倒れようと、何度も立ち上がり、一歩でも、いや、半歩でも進んでいくこだ。
▽不屈の精神、即「負けじ魂」こそ不可欠。
目の前の課題に勇気をもって挑戦し続ける中で「負けじ魂」は発揮されるのだ。


コロナで入院待機中に死亡「画像診断なぜしない」 親族、診察の検証訴え

2020年12月21日 11時22分22秒 | 医科・歯科・介護

12/21(月) 6:00配信

中国新聞デジタル

自宅療養中の感染者の死亡について説明する広島市と県の職員

 「なぜ早く入院させてくれなかったのでしょうか」。新型コロナウイルスに感染し、自宅待機中に亡くなった60代男性の親族の一人は、中国新聞の取材に応じ、悲しみを訴えた。「持病があってハイリスクなのに、どうして画像診断をせずに帰したのか知りたい」と声を震わせた。

【経過表】男性が亡くなるまで

 この親族によると、14日に県立広島病院を受診した時、男性は入院を希望し、荷物を持参していた。だが約2時間後に帰宅。14日の午後9時ごろに電話すると、男性は「動かなければ大丈夫」と話していたが「ハーハー」と荒い呼吸をしていた。15日朝、亡くなっているのを見つけた同居の家族は救急車を呼んだが、病院には搬送されなかったという。

 広島県健康福祉局の木下栄作局長は記者会見で、感染者の診察時の画像診断について「できるだけやっていただくお願いをしている」と説明したが、14日の診察ではしていなかった。親族は「せめて持病のある人を帰宅させる場合は、画像診断くらいはしてほしい。このまま改善策がなく、他の人が同じように亡くなるなら許せない」と、診察の在り方を検証するよう訴えた。

 新型コロナを診察している別の病院の医師は「基礎疾患のある人は特に急変の恐れがある。画像診断がすべてではないが、何らかの情報を得られたかもしれない」と指摘する。「病床に余裕があってすぐに入院できる状況ならば、こんな悲劇は起きなかったのではないか」と残念がる。

 19日時点の感染者数は1034人。陽性と分かった後に、入院や宿泊施設での療養を待って自宅などで過ごしている人は707人で全体の7割弱に上る。大半は広島市の感染者という。12月からの感染者の急増で、無症状や軽症の人が入院するか宿泊施設に入るかを決める「トリアージ」のための診察も滞っている。

 安佐南区の会社員女性(57)は、陽性と分かった30代の知人男性に診察の順番が回ってこず、保健所から指示がないことを憤る。「熱や筋肉痛で苦しみ、気管支炎の持病があるのにずっと放置されている。せめて安否くらいは確認してほしい」。感染者対応の迅速化を求める声は強まっている。

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