12/27(日) 6:01配信
ダイヤモンド・オンライン
日本を代表する小説家、村上春樹氏。幻想的な物語を書くことの多い村上氏だが、インタビューでは現実の政治や社会を辛辣に斬った。写真は朗読をしている様子 Photo by AZUSA TAKADA,TOKYO FM
コロナ禍が浮き彫りにしたのは、日本の政治家が最悪という事実――そう話すのは、小説家の村上春樹氏だ。コロナから日本学術会議の問題、この国に必要なものまで、2020年の終わりにダイヤモンド編集部のインタビューで語った。前編・後編の2回で届ける。(ダイヤモンド編集部副編集長 杉本りうこ)
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● コロナは突発事ではなく 何かずっと予感していたもの
――初めまして。
(記者の名刺をしげしげと見て)「ダイヤモンド」って、月刊誌でしたっけ。
――いいえ、週刊誌です。お金のことばかり書いています。
そうなんだ(笑)。
――なじみがないと思いますが、今日はよろしくお願いします。2020年が終わろうとしています。新型コロナウイルスの感染拡大によって、社会の在り方も、歴史すらも変わるような年でした。この一年を村上さんはどう過ごしていましたか。
作家というのは元々、ずっと家にいて1人で仕事をしているものです。特に僕は交際範囲が狭いということもあり、コロナでも日常が変わったという感じはありませんでした。
朝起きて、近くを走って、仕事をして、音楽を聴いて、ビールを飲んで、そして眠る。こういう僕自身の生活はほとんど変わりませんでした。
ただ、世の中は大きく変わりました。1人で物を書いていても、そういう空気は感じます。だから、それにどう対処していくかを、僕もずっと考えざるを得ませんでした。
コロナというのは、突発的な個別の事象ではないと僕は思っています。世界を変えていくさまざまな要因の一つなのだと思っているのです。
今ちょうど、IT(情報技術)によって新しい産業革命のような動きが起こっています。気候変動も進んでいます。ポピュリズムやグローバル化も進行していて、世の中がどんどん変異し続けています。
そういう流れの中に、コロナも一つの変異の要因として加わった。そういうふうにしか僕には見えません。突然、コロナ禍が降り掛かってきたというよりも、何かずっと予感していたものが来たような感じです。
――村上さん自身の創作活動にも、コロナは影響を与えるのでしょうか。
それはもちろんです。人は空気を吸って生きているのですから、空気が変われば体の組成も変わりますよね。ただ変化によってどういう作品が実際にできるのかは、できてみないと分からない。
こういうときの作家としての「対処の仕方」は二つあります。一つはそのもの自体を書くということ。今回だったらコロナで何が変わったのか、具体的に書いていくのです。
もう一つは起こったことをいったん自分の意識の中に沈めて、それがどういう形で出てくるか見定めるというやり方。これは時間がかかるし、どんなふうに出てくるのか、全然予測もつかない。
どちらのやり方もそれぞれ大事ですが、僕はどちらかというと後者を好む方です。意識してこう変えよう、こうしようというものではなく、無意識の、意識下の動きでできるものに、僕は興味があるのです。
僕自身の20年の変化を一つ挙げるなら、海外に行かなかった分、ラジオ(村上氏がDJを務めるラジオ番組「村上RADIO」、TOKYO FMで不定期放送)がきちんとできた。これまでなら1年の3分の1は海外にいましたので、なかなかしっかり放送できませんでした。
――大みそかには年越しの生放送を予定しているそうですが、そこにはゲストとして山極寿一さん(京都大学前学長)と山中伸弥さん(京都大学iPS細胞研究所所長)を迎えるとか。この人選は村上さんによるものですか。
そうです。以前からこの2人とはよく一緒にご飯を食べ、仲良くしているのです。今回の生放送は京都のスタジオでやるというので、真っ先にこの2人の顔が思い浮かびました。
――山極さんといえば日本学術会議を巡る大きな議論の渦中にいた人物です。この議論も、20年の日本に非常に大きなインパクトをもたらしましたが、村上さんはどう見ていますか。
● 学術会議問題のまずさは とんでもない意見を言う人を排除したこと
僕は学者だとか芸術家だとかいった仕事をする人は、どちらかというと浮世離れしていなければならないと思っています。片足は地面に着いているけれど、もう一方の足はどこか別の所に突っ込んでいる。それぐらいじゃないと、そもそも学者や芸術家にはなれません。
そしてこういう人の意見は、世の中にとっても大事なのだと思っています。「一歩、向こう側」に足を置いている人の意見がね。なぜならそういう人の意見は必ず、「固まった意見」に風を吹き込むのですから。つまり、政治家のような人が発する、世の中の「ある種の総体としての意見」を崩すわけです。
だからそれを「総体の意見とは違うから」とか、「現実離れしているから」とか言ってどんどん排除していくと、世の中が固まってしまいます。
――固まるとは、どういう意味ですか?
世の中から、柔軟性が失われていくのです。理屈ばかりで物を考えていくと、物事はうまくいかないのですよ。理屈をちょっと超えたところのものが入ってこないと、世界は滑らかに回転していきません。とんでもないと思えるような意見こそ、意外にも世の中の役に立つものだと僕は思っています。
だからとんでもないことを言う人が発言権を奪われ、排除されてしまうというのは、大変まずいことだと思う。学術会議に総体の意見とは異なる何らかの問題があっても、むしろ問題があるからこそ大事にしなければいけない。
今の時代は、SNSやインターネットによって、意見がどんどんマス(集団的)なものになるじゃないですか。そういう時代にこそ、マスにはならない「個の声」の方が、僕は大事だと思っているのです。
――村上さんはフィクションを書く一方で、実社会に大きな変化が起こるたびに、作品やスピーチを通してメッセージを発してきました。東京電力福島第1原子力発電所の事故の直後には、「日本人が倫理と規範を失っていたことをあらわにした」と指摘しました。今回のコロナ禍では、何があらわになりましたか。
まず一つ大きいのは、政治の質が問われているということです。コロナのような事態は初めてのことですから、政治家が何をやっても、間違ったり、展望を見誤ったりすることは避けられません。そういう失敗を、各国の政治家がどのように処理したかを見比べたら、日本の政治家が最悪だったと思います。
――日本の政治家の、どこが最悪なのですか。
自分の言葉で語ることができなかった。政治家自身のメッセージを発することができなかった。それが最悪だったと思います。
こんな混乱ですから、人が間違ってしまうのは当然のこと。ならば、「アベノマスクなんて配ったのはばかげたことでした」「Go Toを今やるのは間違っていました」ときちんと言葉で認めればよいのです。国民も「間違うことは仕方がないよ、これからちゃんとやってくれればいいよ」と思うはずです。
それなのに多くの政治家は、間違いを認めずに言い逃れするじゃないですか。だから余計に政治に対する不信が広がっていくのです。そういう、日本の政治家の根本的な欠陥がコロナではあらわになった気がします。
米国の大統領だったフランクリン・ルーズベルトは、炉辺談話(ニューディール政策に当たり、ラジオ放送で展開した国民向けの政策説明)をやりました。英首相だったウィンストン・チャーチルも戦争中、ラジオで国民に語り掛けました。
これはどちらも僕はまだ生まれていなかったけれど、ジョン・F・ケネディのことなら、当時中学生だったのでよく覚えています。彼もきちんと自分の言葉を発信できる人でした。
日本人であれば、田中角栄さんは話がうまかった。どこまでが本心か、よく分からないところがありましたが。
こういう人たちと比べると、今の多くの日本の政治家はどう見ても、自分の言葉で語ることが下手です。今の総理大臣だって、紙に書いたことを読んでいるだけではないでしょうか?
元々日本人には、周囲を見ながら話をして、全体から外れるようだとたたかれてしまう面があります。こういう中でどう発言や表現をするのか。これは政治家の問題でもありますし、同時に、表現を仕事とするいわゆる芸術家の問題でもあるのです。
>>後編に続く
ダイヤモンド編集部/杉本りうこ