阿部 憲仁
9人が亡くなった凄惨な事件
「はい、わかりました」
判決を聞いた被告人は、あっさりとこう答えたという。
12月15日、東京地裁立川支部で「座間事件」の犯人・白石隆浩被告に死刑判決が下された。2017年の8月から10月にかけて、彼は自殺願望を抱く9人の男女を1人ずつTwitterで勧誘し、神奈川県座間市の自宅アパートに連れ込んだ。うち8人の女性被害者には性的暴行を加えたうえで、全員の首をロープで絞めて殺害。
その後、遺体から小額の金品を盗み、証拠隠滅のためバラバラに解体して近隣のゴミ捨て場に廃棄した。その一方で、被害者たちの頭部は自宅で保管していたという。彼は一体なぜ、このようなむごたらしい殺人事件を起こしたのだろうか。
犯行現場となったアパート[ウィキメディア・コモンズ]
白石被告自身は法廷で、金銭や性交渉、証拠隠滅が目的だったと証言している。しかしこの座間事件は、本人が語ったシンプルな動機だけでは説明がつかないと感じている。金品や性的興奮を目的として起こった他の殺人事件と比較すると、被害者たちの頭部を自宅で保管していたことや、法廷で死刑を受け入れたかのような言動を繰り返したことなど、座間事件には異様な特徴がいくつも見られる。
私はこれまで、アメリカの有名な殺人犯や相模原障碍者施設殺傷事件の植松聖など、数多くの犯罪者たちと直接面談したり、電話や手紙でやり取りするなどコミュニケーションを重ねてきた。その経験から、座間事件の特徴を以下で考察してみたい。
結論を先に述べれば、私はこの事件が典型的な2タイプの殺人を混ぜ合わせた「ハイブリッド」ではないかと考えている。
大量殺人と連続殺人の相違点
自分と直接関係がない複数人を殺害する事件を「無差別殺人」と呼ぶが、その中でもさらに「大量殺人」と「連続殺人」の2種類に分類することができる。まずは有名な殺人犯を挙げながら、この2種類について解説していこう。
前者の「大量殺人」とは、文字通り一度に1ヵ所で多くの人間を殺害する事件のことを指し、アメリカなどでしばしば発生する銃乱射事件や2008年に起きた秋葉原通り魔事件などが該当する。代表的な事件として、2012年にアメリカのコロラド州で発生した「オーロラ銃乱射事件」を挙げておきたい。
犯人であるジェームズ・ホームズは上映中の映画館に銃を持ち込み、映画の銃撃シーンに合わせて拳銃やショットガンを観客に向けて乱射した。死者は12名、負傷者は58名にも上った。このように、一度の犯行で何十人もの人々を無差別に殺害するのが、大量殺人の特徴である。
法廷でのジェームズ・ホームズ[Photo by gettyimages]
そのため、その多くは、逮捕される前に自殺する、あるいは警察官に銃を向けて逆に射殺されるケースがかなり多い。1999年にアメリカの同州で発生したコロンバイン高校銃乱射事件の場合、犯人であるエリック・ハリスとディラン・クレボルドはたった45分間で13名を射殺、24名に重軽傷を負わせた後、自殺している。
彼らのように自ら命を絶つ犯人が一定数見られるのは、犯人が「自分自身の生」に対しても執着が乏しいからだろう。こういったケースを、他人を巻き添えにした「拡大自殺」と解釈する専門家もいる。
一方「連続殺人」は、一般に1人の人間が複数の相手を別々の場所で殺害するような事件の指し、「シリアルキラー」と呼ばれるのはこちらの犯人である。連続殺人の特徴は、犯人が「強い攻撃性」と殺害行為に対する快感を抱いていることだ。それゆえ、被害者を拷問するなど、犯行にサディスティックな特徴を見せるケースも少なくない。
たとえば1974年から1991年にかけてアメリカのカンザス州で10人を殺害したデニス・レイダーは、被害者を縛り上げて自由を奪ってから、拷問を加えて殺害していた。他にもいわゆる「めった刺し」や性的暴行など、被害者に対して過剰なまでの攻撃性を見せることもある。
座間事件が持つ2つの要素
座間事件は、この2パターンの特徴を併せ持ったハイブリッド型の事件だと言えるだろう。連続殺人的な側面は、自殺願望を抱く被害者たちに1人ずつコンタクトを取り、自宅に誘い込んで性的暴行を加えたうえで殺害した点からも明らかであろう。
座間事件の場合、厳密には「スプリー殺人」に分類される。たいていの連続殺人事件の場合、犯行と犯行の間に一定の間隔がある。それら事件の犯人たちは、誰かを殺害した後に「冷却期間」を設けて、しばらくの間は普通の生活を送ることが多い。
やがて日常生活で溜まっていく鬱憤やストレスに我慢できなくなり、次の犯行へと進むことになる。たとえば先述のデニス・レイダーは、最長で7年半も犯行の間隔を空けている。
法廷でのデニス・レイダー[Photo by gettyimages]
一方、座間事件の特徴は、約2ヵ月間で9人を殺害するという驚異的な犯行スピードだった。犯行の間隔は、最短で2日間、長くても18日間しかなかった。このような犯行の展開を見るに、冷却期間を置くことなく、まるで「ひとまとまりの出来事」かのように一連の殺人が行われた座間事件は、典型的なスプリー殺人のケースである。
前述の通り、この事件の異様な特徴の一つが、白石被告が被害者の頭部を自宅に保管していたことだが、それはこのようなスプリー殺人の結果だと考えられる。
白石被告は被害者たちの遺体をバラバラにしてゴミ捨て場に廃棄した一方で、頭部はクーラーボックスに入れて自宅で保管していた。頭部や大きな骨は解体するのに手間がかかるが、不可能ではない。わざわざ見つかるリスクを承知で遺体の一部を手元に置いておいたのは、非常に不可解である。
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だが、約2ヵ月間に9人を殺害するという、驚異的なスピードで犯行を重ねていた白石被告は、遺体の処理よりも次の犯行へ意識が向いてしまったと考えれば納得がいく。胴体部分は解体できても、手間のかかる頭部が後回しになっていたのであろう。
もっともこの点については、被害者たちの頭部が、白石被告にとって殺人の「記念品」になっていた可能性も捨てきれない。連続殺人犯の中には、犯行現場に戻って自分の殺人行為を確認したり、被害者の所持品を「記念品」として手元に置いておいて犯行を思い出したりする者もいる。彼らにとっては、「殺害=偉業の達成」といった意識があり、「記念品」はそのトロフィーに当たるため大事に保管しておく傾向がある。
たとえば1978年から1991年にかけて、アメリカのオハイオ州やウィスコンシン州で17人の青少年を殺害した「ミルウォーキーの食人鬼」ジェフリー・ダーマーは、頭部や胴体など被害者たちの遺体の一部を意図的に自室に保管し、すでに処分して手元にない遺体についても、写真を撮影して保存していたという。遺体そのものや写真を定期的に見返すことで、犯行の瞬間を思い返していたのだろう。
法廷でのジェフリー・ダーマー[Photo by gettyimages]
警察がアパートに踏み込んだ際、白石被告は「Aさんの頭はここ、Bさんのはここです」といったように、被害者の頭部の場所を正確に説明している。おそらく彼は、頭部の存在を意識しながら生活していたのではないだろうか。
少し話がそれたが、大量殺人と連続殺人に話題を戻そう。ここまで見てきた通り、座間事件には、連続殺人的な特徴が色濃く見られるが、一方で大量殺人的な要素も見られる。そう感じたのは、公判での白石被告の言動がきっかけだ。
「(一審で下された判決が)極刑でも控訴しない」
「すべてを終わらせたい」
このように白石被告はすべてを諦めて、死刑を受け入れているような素振りを見せたという。ほとんどの連続殺人犯はこうした潔い態度を見せない。彼らの多くは司法取引により何とかして死刑を逃れようとするし、たとえ弁護を引き受ける人間がいなくなったとしても、自ら弁護人を務めて法廷で徹底的に闘う。
「被害者たちは自ら死を望み、白石被告に殺されることを承諾していたかどうか」という点について、公判では検察側と弁護側が議論を戦わせた。白石被告はTwitter上で出会った自殺願望を抱く人々を殺害していたため、弁護側は「被害者も同意したうえでの殺人だった」と主張し減刑を狙った。
しかし白石被告本人は、死刑につながることを理解しながらも「被害者たちの承諾はなかった」とする検察側の起訴事実をすべて認めていて、「(弁護士と)方針が合わず、根に持っています」とも話している。
これらの白石被告の法廷での言動は、彼の「生への執着の乏しさ」を示唆するものと考えられ、大量殺人的な特徴と言える。それゆえ、座間事件は2タイプのバイブリッドではないかと分析している。
「猟奇性の根源」はどこにあるのか
連続殺人犯と大量殺人犯、同じ凄惨な殺人事件であるにもかかわらず、なぜそれぞれ異なる特徴があるのだろうか。その理由として、専門的には、幼少期の家庭環境が影響しているのではないかと考えられる。
「(一審で下された判決が)極刑でも控訴しない」
「すべてを終わらせたい」
このように白石被告はすべてを諦めて、死刑を受け入れているような素振りを見せたという。ほとんどの連続殺人犯はこうした潔い態度を見せない。彼らの多くは司法取引により何とかして死刑を逃れようとするし、たとえ弁護を引き受ける人間がいなくなったとしても、自ら弁護人を務めて法廷で徹底的に闘う。
「被害者たちは自ら死を望み、白石被告に殺されることを承諾していたかどうか」という点について、公判では検察側と弁護側が議論を戦わせた。白石被告はTwitter上で出会った自殺願望を抱く人々を殺害していたため、弁護側は「被害者も同意したうえでの殺人だった」と主張し減刑を狙った。
しかし白石被告本人は、死刑につながることを理解しながらも「被害者たちの承諾はなかった」とする検察側の起訴事実をすべて認めていて、「(弁護士と)方針が合わず、根に持っています」とも話している。
これらの白石被告の法廷での言動は、彼の「生への執着の乏しさ」を示唆するものと考えられ、大量殺人的な特徴と言える。それゆえ、座間事件は2タイプのバイブリッドではないかと分析している。
「猟奇性の根源」はどこにあるのか
連続殺人犯と大量殺人犯、同じ凄惨な殺人事件であるにもかかわらず、なぜそれぞれ異なる特徴があるのだろうか。その理由として、専門的には、幼少期の家庭環境が影響しているのではないかと考えられる。
これまで分析してきた無差別殺人犯たちを振り返ると、0~3歳(特に0.5~1.5歳)の期間である「臨界期」の経験が、犯行に影響を与えているケースがよく見受けられる。脳の形成と感情の発達が進むこの時期にある種の出来事を体験すると、成長してからの行動にも影響が現れることが多い。
連続殺人犯を分析していると、幼少期に家庭内で虐待を受けていた事例が数多く見られる。たとえば33人の青少年を殺害した「キラー・クラウン」ことジョン・ウェイン・ゲイシーは、幼少期に父親からひどい虐待を受けていた。父は「グズ」「間抜け」といった侮蔑的な言葉を投げかけながら、よく息子を革のベルトで叩いたという。
逮捕直後のジョン・ウェイン・ゲイシー[Photo by gettyimages]
このように、幼少期に他者から度々「攻撃性」をぶつけられた経験が、その後の破壊的犯行の一因となったことは否定できない。
一方で、大量殺人犯の幼少期の家庭環境を分析していると、保護者による「ネグレクト」が見られるケースがままある。たとえば、2007年にバージニア工科大学で銃を乱射し33名を射殺、17名に重傷を負わせたチョ・スンヒは、非常に口数が少なかった。幼少期に両親と十分なコミュニケーションを取れず、その後も人間関係がうまく築けなかったという。彼も大学で銃を乱射した後、自ら命を絶っている。
座間事件の根源を探る
先述の通り、座間事件は連続殺人と大量殺人の側面を併せ持った「ハイブリッド」だった。白石被告の場合も、幼少期の家庭環境が犯行に何らかの影響を与えたことは否定できないだろう。では、白石家はどのような家庭だったのか。白石被告は幼少期の家庭についてあまり話したがらないという。これは、彼が幼少期を「負の歴史」として認識している可能性が高い。殺人犯の中には、殺人を犯すことで「過去の弱い自分」を乗り越えたと感じる者もいる。
白石被告の場合も、殺人によって過去の自分を乗り越えて、殺人犯としての「強いイメージ」を打ち立てることができたと考えているのではないだろうか。家庭環境や幼少期の経験を明らかにすると、せっかく一新した自分のイメージに傷がつくため、口を閉ざしていると推測できる。
彼の家庭については断片的な情報しか漏れ聞こえてこない。白石被告の父親は大手自動車メーカーの下請け企業で部品設計の仕事についており、「仕事中心で、子育ての時間はなかった」という。一方で、母親については、このように話している。
「母はとても優しく料理が上手な方でした。親からの愛情という意味では恵まれたと思います。歯の矯正をしてくれましたし、視力矯正で病院に通わせてくれました。お母さんの料理も美味しかったです」
他にも「完璧」「きれい」「パチスロにハマった時お金を貸してくれた」など、一見温かい母親を思わせる発言が多い。しかしそのどれも、表面的あるいは物質的な話ばかりなのが気にかかる。なお白石被告が20歳の頃、母親は彼の妹と一緒に家を出て、それ以来彼とは別居している。
確かに、これだけの情報から過去の白石被告に何が起こったのか断定するのは難しい。しかし、他にも報道されている白石家の家庭環境の情報から推察するに、白石被告がまだ非常に幼い時期に、家庭内で何らかの「大きな変化」が生じたと考えられる。
これは決して「白石家に虐待とネグレクトの両方があった」と断言するものではない。しかし幼少期に家庭内での人間関係やコミュニケーションのあり方が「AからB」へと正反対の方向へ劇的に変化し、それが虐待と類比できるような影響をもたらした結果、異なる2つの要素をあわせ持った凄惨な殺人事件へとつながったのではないだろうか。