『タゴール・ソングス』佐々木美佳監督インタビュー

2020年12月17日 21時29分42秒 | 社会・文化・政治・経済

タゴール・ソングを知ることで、状況に対して立ち向かい、前に進む原動力になる。

 

 アジア圏で初めてノーベル賞を受賞し、作家、詩人、シンガーソングライター他にも多様な肩書きを持ち、今でもインドの詩聖とあがめられているラビンドラナート・タゴール。彼が遺した2000曲にも及びタゴール・ソングが、現代に生きる人たちにどのような影響を与えているのだろうか。タゴールが創作活動を続けたベンガル地方のバングラデシュ・ダッカ、インド・コルカタでの現地取材を重ね、今も人々と共にある歌の魅力を探ったドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』が、7月11日(土)より第七藝術劇場、7月31日(金)より出町座、今夏より元町映画館他全国順次公開される。

監督は、本作が初監督作となる佐々木美佳。東京外国語大学在学中からラビンドラナート・タゴールをはじめとするベンガル文学やタゴール・ソングに触れ、なぜ人々は今でも身近な存在としてタゴールやその歌を愛するのかという疑問を抱いたという。

映画は「今から百年後−私の詩の葉を心を込めて読む人、あなたは誰か?」というタゴールの詩の一節から始まる。ちょうど百年前にベンガルの地でこの詩を詠んだタゴールは、既に歴史を俯瞰し、未来を生きる人間にも呼びかけているのだ。本作では、旧タゴール邸があるシライドホ他多数の場所でロケをし、道ゆく人からタゴール・ソングの先生、タゴールの歌を現代風にアレンジして演奏している若手ミュージシャンや、タゴールを心の支えにラップで闘うミュージシャンたちにもインタビューを敢行。それぞれが、マイフェイバリット・タゴール・ソングを披露するが、各々お気に入りが違うのも、タゴール・ソングの多彩さを感じさせる。また、まだまだ貧しく、女性の人権が守られていないインド、パキスタンで過酷な環境の中、タゴールの歌、「ひとりで進め」を心の糧に、なんとか前に進もうとする若者たちの力強い姿も目に焼きつくのだ。

5月12日(水)よりオンラインの「仮設の映画館」でバングラデシュ、インドと同時公開を果たし、6月1日の劇場公開からは勢力的にトークショーや舞台挨拶を行っている佐々木美佳監督と大澤一生プロデューサーにお話を伺った。


 

■インドの大偉人なのに「私たちのタゴール」と呼ぶギャップに惹かれて。

――――タゴール・ソングは、元々佐々木監督の卒論のテーマだったそうですね。

佐々木:外国人からすれば、タゴールはノーベル文学賞も受賞していますし、ガンジーと並ぶインドの二大偉人と捉えられています。ただ、ベンガル語を勉強すると、タゴールへの親しみを感じはじめ、また現地のみなさんも「私たちのタゴール」と言うのです。私はそのギャップが面白いと感じましたし、なぜそんなにタゴールやタゴール・ソングが好きなのかという疑問が生まれました。卒論を書くためにバングラデシュのダッカを訪れ、タゴール・ソングについて話を聞いたり、歌ってもらううちに、目の前に歌う人がいて、その人自身の人生のストーリーがあり、その上で歌があると、なんとなくですがタゴール・ソングのことが少し分かるような気がしたのです。それが映画のきっかけになっていきましたね。

 

■佐々木さんには、タゴール・ソングに対して「ただ興味がある」の先をいくこだわり、執着があった(大澤プロデューサー)

――――映像系の学校出身というわけではない中、映画を作ることへのハードルの高さはなかったですか?

佐々木:まず大澤さん(プロデューサー)にしつこく、しつこくアプローチしました。

大澤:色々な判断基準はありますが、まずは佐々木さんに「ただ興味がある」の先をいくこだわり、執着があったことが大きいですね。僕個人として、映画を作るときは、自分が発見できるものという判断基準があるのですが、最初タゴールと聞いた時、誰かわからなかった。写真を見ても中世の偉人かと思ったほどでした。タゴール・ソングを聞いてもピンとこなかったのだけど、聞いていくうちに、自分に近づけられる部分が見つかるなと思ったんです。ただの古典ではなく、ブルーハーツのようだとか、そういう風に聞けばいいんだなと発見ができた。そして重要なのは、Youtubeでアップされているように、今の若い人たちが歌っている歌だったのです。それならば、国や文化が違っても今の自分たちに引き寄せられるはずだと思い、総合的な判断として佐々木さんの初監督作をプロデュースしようと決めました。

 

――――インドのコルカタやバングラデシュのダッカでロケをするにあたり、Youtubeでタゴール・ソングの歌い手をかなり調べてから現地に入られたそうですが、どのようにして取材者と出会っていったのか教えてください。

佐々木:事前に調べてアポを取ったのと、現地でコンタクトを取ることができたのが半々ぐらいでしょうか。子ども達にタゴール・ソングを教え、有名な歌手でもあるレズワナさんは紹介、オノンナさんはタゴールの生家に行った時、休館日で呆然としている時に同じく休館と知らずに来ていた彼女と偶然出会ったんです。

 

 


■インドとバングラデシュ、複雑な歴史はあるが、ベンガル地方は言葉、文化的ルーツも同じで関係性も密。

――――インドとバングラデシュとを行き来しておられましたが、同じベンガル地方でも違いを感じることが多かったですか?また、実際に国が違うことでお互いを嫌悪するような空気はあったのでしょうか?

佐々木:やはり違いますね。ヒンドゥー教の人がマジョリティなのと、イスラム教の人がマジョリティなのとでは、雰囲気が違いますし、宗教で食文化や物の考え方も変わります。元は同じ国で同じ言葉をしゃべっている土地なのに、今はインドとバングラデシュとに分かれてしまった。だから見た目は同じでも、すごく違いがあり、そこにいい意味での魅力を感じています。インドとバングラデシュは国の大きさも豊かさも違いますし、複雑な歴史もありますが、ベンガル地方に関しては、言葉が同じで文化もルーツも同じという意識があるので、関係性は密だと思います。

 

――――バングラデシュは貧しい、労働搾取をされているなどのイメージを日本の私たちは持っていますが、本作では未開発な中のエネルギッシュさが画面か伝わってきますね。

佐々木:日本でバングラデシュについて伝わっていることといえば、児童労働や労働問題の劣悪さが主ですが、私は文化的な魅力を伝えたいと思っていました。駅でもストリート・チルドレンを撮りましたが、何か撮らなければという思いが強かったですね。

 

――――佐々木監督はご自身がベンガル語を話せるので、通訳なしで、直接現地の人と会話できることが、より取材相手の内面を引き出すことに繋がったのでは?

佐々木:今回の題材、タゴール・ソングはベンガル人が大事に思っている文化ですから、私がベンガル語で直接伝えることで、それを知りたいという姿勢がより明確に相手に伝わったのではないかと思います。元々、ベンガル人は人との距離が近く、私がベンガル語を話すと他人行儀ではなく、友達か家族のような感じで色々話をしてくれるので、楽しみながら取材をしたのが映画にも出ているのかなと思います。

 

――――現地ロケは4回行かれたそうですが、回数を重ねるごとに、取材相手との関係性を築いたのでしょうか?

佐々木:1年間に4回、それぞれ1ヶ月ぐらい滞在しました。映画でもよく登場している大学生のオノンナさんや、タゴール・ソングの教師、オミテーショさんのところにはよく通いましたし、高校生のナイーム君のところへは毎回会いに行き、今回はこの話をしようと決めたり、この場面を撮ろうと一緒に話し合っていましたね。

 

 

 

■取材を通してタゴール・ソングを咀嚼し、一緒に列車のシーンを作り上げたナイーム君。

――――ナイーム君も佐々木監督との撮影を通じて、成長をしていったのでしょうね。

佐々木:日本人が共同代表をしているNGO団体エクマットラは、ストリート・チルドレンを保護して生活を支え、教育も行なっています。そこで歌が好きな青年がいるという話を聞き、会ったのがナイーム君でした。それまでタゴール・ソングにすごく傾倒していた訳ではなかったと思いますが、この撮影を通じてナイーム君はタゴール・ソングをたくさん練習し、「赤土の道」を何度も歌ってくれました。彼自身も歌詞を咀嚼する中で、自分の過去の記憶や辿って来た道を見つけたから、取材でも色々な言葉を語ってくれたと思います。最初部屋で歌を聞いた時は、チューニングにズレがあったりもしましたが、最後、列車の上でのシーンでは本当に堂々と歌ってくれました。ナイーム君自身が列車に乗って街に出てきたこともありますし、彼自身が列車の上で歌ってみたいという気持ちが強かったので、私たち撮影チームと合意の上で、カメラマンとナイーム君とで作り上げたシーンでしたね。

 

――――オノンナさんは、個人の自由を妨げられ、結婚することを求められる親に対し、自由を求めて行動を起こそうとします。まだ、彼女のような境遇の人はベンガル地方では多いのですか?

佐々木:インドもバングラデシュも古い価値観は日本以上に残っていますし、反発しようとすればするほど娘の方が傷ついてしまう。親子の意見の相違に関する描写はボリウッド映画でもよく登場します。今回、日本パートはオノンナさんが「世界を見てみたい」と発言していたので、こちらから来日を打診しました。彼女の希望を実現させた形ですね。

 

■「ベスト・オブ・タゴール・ソング」。未収録の中には一生かけても分からない歌がある。

――――タゴール・ソングスは、小さい子どもが口ずさめるものから、プロの歌手でも歌いこなすのが難しいものまで、本当にバリエーションが豊かですね。

佐々木:タゴール・ソングスは2000曲ぐらいあり、心のことから、自然や神、祈りなど、本当に歌の内容が多岐に渡っています。映画に出てくるのは20曲ぐらいですが、素人でも歌えるのはやはりポピュラーな曲で、結果的に「ベスト・オブ・タゴール・ソング」になったかもしれません。ただ、インタビューで「一生をかけてもわからない」と言われていたように、映画には出てこないけれど難しい歌がたくさんあり、それは自分が歌って、咀嚼して、人生経験を重ねるうちにわかる歌なのだろうなと、なんとなく感じました。

 

 

 

■タゴールが存在を世界に知らしめた深遠なバウル。

――――映画ではバウルと呼ばれる吟遊詩人が民族楽器を弾きながら素晴らしい歌を披露しますが、バウルについて、教えていただけますか?

佐々木:ベンガルの人でも「バウルとは?」と聞かれても答えられないぐらい、深遠な人たちですが、一般的にはベンガルの宗教詩人などと言われています。アウトカーストの人がバウルとして生きていくケースもありますし、伝統的なスタイルとしては歌を村から村へ歌い歩く形だそうですが、今は海外で公演するようにもなっているそうです。タゴールはコルカタ生まれですが、30歳ぐらいで今のバングラデシュにあるシライドホに移り、タゴール家の領地管理の仕事をするようになります。そこで初めてベンガルの伝統的なバウルに出会い、バウルの歌う言葉の深遠さに魅せられ、バウルの旋律を彼の歌にのせることもありました。タゴールがバウルを発見したといっても過言ではない。逆にタゴールがいなければ、バウルの存在を世界に知らしめることはできなかったかもしれないくらい、タゴールとバウルは関係が深いですし、バウルが脈々と歌で伝えてきた平等や自由は、タゴールの歌の思想にも大きな影響を与えています。最近刊行された「バウルを探して〈完全版〉」(著:川内有緒、写真:中川彰)に、バウルのことは詳しく書かれていますよ。

 

――――なるほど、バウルとの出会いも含め、タゴールにとって、自然豊かなシライドホで過ごすことができたのは、自身の創作の大きな力になったんですね。今回、相当多くの素材がある中、編集で何か留意したことはありましたか?

佐々木:編集中は編集マンの横で、ひたすら映像翻訳者として撮影した人たちが何を言っているのかを伝えることに専念し、意思疎通する作業に集約していました。

基本的にインタビューと歌で構成されていますが、場所が変わったり、昼や夜といろいろなシーンがあります。歌も光の歌もあれば、暗闇の歌もある。タゴール・ソングの風景や感情の流れと共に、映画の素材の風景を組み合わせています。

 

 

 

■タゴール・ソングを知ることで、状況に対して立ち向かい、前に進む原動力になる。

――――インディーレーベル代表のクナルさんが、貧困はなくならなくても、貧困の中で生きていくためにタゴール・ソングを伝えていく責任があるとおっしゃっていました。本作のテーマ、ベンガル人とタゴール・ソングの関係の一端が垣間見えたのではないですか?

佐々木:タゴール・ソングを知ったり、歌ったりすることで、心の持ちようが変わると思います。歌があると自分を信じることができる。すると、その人の生き方が変わると思いますし、状況に対して立ち向かい、何かしら前に進む原動力になる気がします。それはナイーム君からも教えてもらったことですね。私自身もタゴール・ソングに背中を押されている部分はありました。映画を観るたびに「一人で進め」と言われると、「はい、がんばります!」という気持ちが芽生えますね。

 

――――やはりタゴールは、地元愛を込めて歌うからこそ、ベンガルの人たちに100年後も愛される気がしますね。

佐々木:そうですね。タゴールが地元のことを歌ってくれたから、自分たちの文化や自然を認めることができ、ベンガル人のアイデンティティになっているといっても過言ではないと思います。

 

――――ちなみに今まで、タゴールを題材にした映画は現地で多く作られているのでしょうか?

佐々木:サタジット・レイがタゴールのドキュメンタリー映画を作っています。また、タゴールが書いた小説を基にした映画や、タゴール・ソングが劇中歌として登場する映画も古いものから新しいものまで結構ありますね。インドやバングラデシュでも今、仮設の映画館で同時公開していますが、どう受け止めてくださるか気にはなります。いずれは現地でも上映会ができるように、動いているところです。

 

――――私自身も緊急事態宣言下、仮設の映画館で『タゴール・ソングス』を観て、癒されましたし、旅情を誘われました。最後に、これからご覧になる皆さんにメッセージをお願いします。

佐々木:コロナ禍で海外、それこそインドやバングラデシュにも行きにくい状況ですが、映画を通してちょっとした旅気分になっていただければうれしいです。個人の内面や生き方を考えざるを得ないタイミングの今、タゴールの詩に触れることで、人生のヒントが見つかるかもしれませんので、ぜひ観に来ていただければと思います。

(江口由美)


 

<作品情報>

『タゴール・ソングス』(2019年 日本 105分)

監督:佐々木美佳

All songs by ラビンドラナート・タゴール

出演:オミテーシュ・ショルカール、プリタ・チャタルジー、オノンナ・ボッタチャルジー、ナイーム・イスラム・ノヨン他

2020年5月16日(土)より仮設の映画館にて絶賛公開中

7月11日(土)より第七藝術劇場、7月31日(金)より出町座、今夏より元町映画館他全国順次公開

※第七藝術劇場、7/11(土) 13:20 の回上映後、佐々木美佳監督とシタール奏者石濱匡雄さんによるトークショーあり。

©nondelaico


マイナス要因を前進のエネルギーに

2020年12月17日 21時20分45秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽悩みがあるから人を励ませる境涯に。

▽釈尊は言葉を自在に使う人-ヤスパースの言葉

▽現実に地道な苦労をした蔭の人がいることを意識し、尊敬したい。

▽マイナス要因を前進のエネルギーに。

▽私たちの心は、縁に触れ、瞬間瞬間、目まぐるしく変化していくものだ。

しかし、大事なことは、この移ろいゆく心を、どこに定め、どう行動していくかだ。

それは、私たちが未来を開く力となる。

▽実は、さまざまな変化に対して、私たちがどう捉え、何を思うか<心の置き所>は、私たちの健康とも密接に関わっている。

▽心的ストレスは、病気とも無縁ではない。

心の置き所は感染症とも関わる。

免疫機能は<強い心>によって活発に働く。

▽人は常に何らかのストレスにさらされているが、そうしたストレスの原因を、いつまでも引きずり、考え込んでしまうタイプの人は、脳内からストレス物質が分泌され続けてしまう。

そうしたストレスが過剰になると、免疫機能が弱まってしまう。

▽一方、こうしたストレスは、捉え方を変えるだけで、軽減できる。

例えば、交通事故に遭っても、起きてしまった過去を悔むより、命が助かっただけでも幸運だと思う人の方が、ストレスは少ないのである。

▽<生き抜く>強い意志を持つことだ。

<必ず勝つ>と決めると、脳内では、本能をつかさどる「大脳辺縁系」が作用する。

大脳辺縁系は人間の持つ生きる力を引き出す役割がある。


「100円でもいいから」と金を無心 飛び込み自殺の母娘、心中の原因となった貧困生活

2020年12月17日 10時35分44秒 | 事件・事故

12/16(水) 5:56配信

デイリー新潮

駅のホームには、1時間ほど前から母子の姿があったという

 80代の母と50代の娘が通過するロマンスカーに身を投げた。当初は分からなかった身元がようやく判明すると、追い詰められていた「8050」の二人の実像が浮かび上がって……。

安藤和津「介護自殺」を身近に感じた20年間の介護生活

 ***

 事故が起きたのは先月28日の午後11時7分。東京都町田市にある小田急線の玉川学園前駅で87歳と52歳の母娘が駅を通過する新宿行きの特急ロマンスカー「はこね72号」に並んで飛び込み、亡くなったのだ。

 社会部記者の話。

「駅では1時間ほど前から逡巡する母子の姿が防犯カメラに収められていました。何度も身を投げようとしては、決心できずにためらう様子だったそうです。この駅はホームドアが設置されておらず、人身事故が度々発生。“自殺の名所”としても知られています」

 走るロマンスカーへ飛び込んだゆえに、

「遺体は損傷が激しく、身元特定までに数日かかりました」(警視庁関係者)

 二人の生活圏は町田ではなく、神奈川県座間市にあった。

 小田急相模原駅から徒歩15分ほどの閑静な住宅地に古い3階建てのマンションがある。7世帯が入居していて、この1階に母子は二人で住んでいた。

「6年ほど前に引っ越してきたんです」

 とは同じマンションに暮らす住人である。

「当初からお母さんも娘さんも仕事をしている様子がなくてね。娘は身長が150センチちょっとなのに60キロは超えているような体形で、朝から家の前でたばこを吸っては缶ビールを呷(あお)るような生活。駅前のパチンコが行きつけだったんだけど、風呂に入っていないのか、臭いがきつくて、客の間で評判になっていました」

4億円の遺産
 生活は苦しかったようで、

「年金暮らしだった二人は同じマンションの住人に借金をしていたんです。しかも一人ではなく複数人から借りていましたよ」(同)

 実際に、金を貸したことのある住人に聞くと、

「今年の9月、夜になって突然、娘がピンポンしてきたんだよ」

 思い悩んだ末のように、娘はこう切り出してきた。

「“2千円貸してくれませんか”って。このマンションって近所付き合いがあって、彼女も知らない仲ではないし、貸してあげたんですよ。そうしたらまた3日後に来た。“今度、遺産が入るので収入印紙が必要なんです”と言って、“1万円貸してくれ”と。たまにお母さんも来るようになって、合計で10万2千円を貸したんですよ」

 ところが、待てど暮らせど金は戻ってこず。

「10月末に娘が“また借りたい”と来た。“いつ返してくれるんだ”と聞いたら、“近々、遺産が4億円入ります。そのための印紙代が必要で。そうしたら色を付けて100万円で返します”だって。これで嘘だとわかったね」

 まるで寸借詐欺の手口で金を無心していた親子。近隣住人が自宅に押し掛け、金を返せと騒ぎになったこともあったという。

「ある人には金を借りられなくなると、“100円でもいいから”なんてせがんだこともあった。面倒だから100円渡して追い返したそうだよ」(別の住人)

 自宅のある小田急相模原駅から玉川学園前駅まで電車で約15分。身を投げたホームにはその時間、10分おきに列車が到着していた。「8050」母娘はいつでもその場から離れられたのに、心中を思い留まることはできなかった。やがて直面する老老介護の難局を生き抜ける自信などなかったのだろう。

「週刊新潮」2020年12月17日号 掲載


死刑判決、座間9人殺害「巧みな人心掌握」の恐怖

2020年12月17日 10時32分53秒 | 事件・事故

12/16(水) 12:21配信

東洋経済オンライン

神奈川県座間市のアパートで男女9人を殺害した白石隆浩被告(写真:共同通信)

 神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件で、強盗強制性交殺人などの罪に問われた白石隆浩被告(30)に、死刑判決が言い渡された。

 白石被告は、2017年8月から10月にかけて、ツイッターで自殺願望をほのめかす相手を見つけると、自分にも自殺願望があるように見せかけて遺体発見現場となったロフト付きのアパートの部屋に誘い、15歳から26歳までの若者を相次いで殺害している。

 裁判での最大の争点は、被害者が殺害を承諾していたかどうかだった。

 弁護側は、被害者は自らの意思で被告人に会いに行ったことなどから、殺害に同意していたとして承諾殺人を主張。検察側は、被害者は殺害時に全員抵抗していて、承諾はなかったとして死刑を求刑。しかも、被告人本人は「承諾はなかった」と主張して弁護側と食い違う異例の展開となった。

 東京地方裁判所立川支部は判決で、被害者はいずれも殺害を承諾していなかったとしたうえで、被告人の証言も信用できるとして、死刑を言い渡している。

 言い渡し直後、裁判長が被告人に「聞こえましたか」と声をかける。「はい、聞こえました」と答える白石被告。死刑を認識させる場面も珍しい。

■裁判で感じた「しゃべりのうまさ」

 私(つまり筆者)はこれまで、数多くの死刑判決者あるいは死刑相当事犯の裁判を見てきた。この裁判でも、傍聴席から白石被告の声を聞いた。そこでほかの死刑判決者とは違う特徴があることに気付く。

 淡い緑色の大きめの服に身体を通し、黒髪を背中まで無造作に伸ばして法廷で語る白石被告の言葉に、まず感じたことは、しゃべりが上手なことだった。

 高くもなく低くもない声のトーンで、検察官の質問に答えていく。淡々としている、というより、抑揚を抑えながら言葉が途切れることなく、スムーズに語る。だから、耳障りもよく、すうっと言葉が頭に入ってくる。

 おそらくは、風俗のスカウトの仕事をしていた経験から、そんな話し方を身につけたと思われるが、そうすることで、相手女性を安心させることも知っていたはずだ。

 もうひとつの特徴は、その話し方に加えて、対人関係におけるスマートな感覚だった。言い換えれば、自分のことをどう思っているのか、相手を冷静に見る視点と賢さだ。

これまで観てきた死刑判決者は、どこか対人関係に不器用なところがあった。コミュニケーションが苦手で、孤立し、やがて犯罪に結びつくことも少なくない。池袋通り魔事件は仕事先でうまくいかず、早朝に携帯電話にかかってきた無言電話がきっかけで、怒りを顕わに飛び出していく。先週、最高裁判所が再審を認めない決定をした山口県光市母子殺害事件の元少年も、相手のことなど最初から無視している。

 白石被告の場合、4人目の被害者を殺害する前に、すでにアパートに寝泊まりしていたもう1人の女性がいた。この女性も自殺をほのめかして、誘い出していた。だが、殺してはいない。

 その理由を検察に問われると、こう答えている。

 「お金になると思いました」

 「個人的な情報、悩みなどを聞くうちに、収入があることがわかり、お金になると思いました」

 その女性の職業については、「夜の商売です」とだけ答えている。

 そもそも、この犯行に至った最初の動機は「ヒモになりたい」ということだった。そこに性的欲求が加わり、女性を誘い出し、金づるにならないとなると、性的暴行を加えてから殺害する。

 では、その女性とは性行為に及んだのか。検察が問うと「いえ、していません」ときっぱり答え、その理由をよどみなくこう説明している。

 「性行為をしたほうが親密になる女性と、性行為をしないほうが親密になる女性(がいる)と経験からわかっていたので、しないほうがお金を引っ張れると(思って)、しませんでした」

 「夜の仕事で身体を触られて、プライベートで触られるとウンザリする女性がいることは、スカウトでわかっていたので、しませんでした」

 少なくとも彼なりにそこもよくわかっていた。

■信頼、依存、恋愛のいずれかを抱いていると感じた

 しかも、金を引っ張れると思った理由について、次のように語っている。

 「本当に雰囲気でしか言いようがないですが、私に対して、信頼、依存、恋愛のいずれかを抱いていると感じとったからです」

 そして、4番目に犠牲となる女性とアパートの最寄り駅で落ち合う約束を取り付ける。だが、アパートに連れ込むとなると、すでに寝泊まりしているもう1人の女性と鉢合わせになる。そこで、

 「事前に、友人が遊びに来るからと話して、アパートから出て行ってもらうように言っていました」

 実際には、この女性は犯行当夜、駅前のカラオケ店で過ごしている。その間に、白石被告は4番目の女性をアパートに招き入れると、短時間のうちに、

「お金は引っ張れなさそうと判断しました」「雰囲気から収入がなさそうと感じました」

 という理由で、ほかの被害者もそうであるように、いきなり背後から襲い、失神させてから性交すると、ロープを首に巻き、そのままロフトを利用して吊して殺害している。

 カラオケ店で過ごした女性は、朝、アパートに戻って来た。ちょうど浴室で遺体を解体している最中だった。女性は解体現場を見ている、と供述している。

 このあたりの事情を推測としながらも、白石被告はこう説明している。

 「事前に、ツイッターの方と会って、自殺を手伝って、遺体を解体すると話していたはずです」

 だが、それでは警察に通報されてしまうのではないか、そのおそれはなかったのか、と検察が問う。

 「知り合ってから時間が経ちます。信用、信頼、恋愛、依存の感情を私に向けてきたので、話した結果、例えば警察に話したら、私が捕まって私がいなくなると困ってしまうので、言わないだろうと考えて話しています」

 この女性は、結果的に殺されることもなければ、警察に通報することもなかった。

■悩みや問題がある人のほうが口説きやすい

 白石被告には、こうして相手が自分をどう思っているか、十分に理解して、巧みに操作していたところがある。むしろ、まるで狩りを楽しむようにコミュニケーションツールを利用して女性を絡め取っていた。

 そもそも、ツイッターで自殺願望のある女性を探したことも、こう語っていた。

 「何か悩みや問題がある人のほうが口説きやすいと思いました。操作しやすいということです」

日本では10代後半から20代、30代の死因の第1位が「自殺」であること、そんな状態が20年以上続いていることは、以前に書いた(座間事件が映す「若年層の死因1位が自殺」の闇)。白石被告は、希死念慮を持つ若者が多く、付け込みやすいことも知っていた。対人スキルも心得ていてうまく利用した。そこがほかの死刑事件と違うところだ。

白石被告は死刑になっても控訴はしないと法廷で語っていた。そして、被害者の承諾はなかった、と弁護人と違う主張をして、事件を流暢に語った。にもかかわらず、反省、悔悟の言葉はなかった。

 裁判が終わってみると、この事件で最も希死念慮に囚われていたのは、白石被告なのかもしれない。自殺願望を持つ同世代に親近感を抱き、猟奇的犯行をゲームのように楽しみ、それで死刑になることを望んだ。

 そうでなくても、解体した遺体の一部を一般ゴミと一緒に捨てる一方で、被害者の頭部をアパートに置いておいてどうするつもりだったのだろうか。ため込めば、いつかは追いつめられ、破滅する。その時を待つかのように、警察がアパートを尋ねてきたときは、観念してごまかすこともしなかった。

青沼 陽一郎 :作家・ジャーナリスト

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