日本でもインフルエンザで、毎年、数千人が命を落としています
kadobun
2019 年末に初めて確認された新型コロナウイルスの感染者が、増加の一途をたどっています。医学が発達し、衛生面でも格段に向上した現代社会でなぜ、これほどまでに拡大するのでしょうか。
『感染症の世界史』の著者、石弘之さんに緊急でお話をうかがいました。
【あわせて読みたい】
▷〈第2弾〉新型コロナウイルスがついにパンデミック(世界的大流行)に。東京オリンピックは開催できるのか? 経済への影響は?『感染症の世界史』著者、石弘之さんインタビュー(20.3.13 更新)
▷新型コロナウイルスで広がる不安。医師、木村知さんインタビュー「検査結果は絶対ではありません。体調が悪ければまず休むことを徹底してほしい」(20.3.5 更新)
※リンクはページ下部にもあります。
風邪の原因でもある実は身近なコロナウイルス
――最初に石さんの紹介をしたいと思います。新型コロナウイルスのニュースが増えていますが、石さんと感染症のかかわりは深いものがあります。『感染症の世界史』のあとがきを読んだときの衝撃は忘れられません。
人間ドックで書類をわたされて、検診の前にさまざまな質問の回答を記入せよという。面倒な書類なのでいい加減に欄を埋めて提出したら、若い看護師さんから「既往歴をしっかり記入してください」とたしなめられた。
しかたがないので「マラリア四回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢(せきり)、リーシマニア症、ダニ発疹熱各一回、原因不明の高熱と下痢数回……」と記入して提出したら、「忙しいんですからふざけないでください」と、また叱られた。
(『感染症の世界史』のあとがきより)
石:ははは。アフリカやアマゾン、中国、ボルネオ島などで長く働いていたので、さまざまな熱帯病や感染症の洗礼を受けました。
私はもともと環境が専門です。「なぜ環境史研究者が感染症の本を書いたの?」と聞かれることがよくありますが、感染症は環境の変化から流行するというのが持論です。西アフリカのエボラ出血熱の大流行は熱帯林の破壊が原因であり、マラリアやデング熱などの熱帯病は温暖化で広がっています。
今回の新型コロナウイルスに関していえば、人間がこれほどの過密社会をつくらなければ、彼らも流行を広げられなかったでしょうね。
――その新型コロナウイルスですが、感染経路が不明の感染者が日本国内でも確認されました。
石:感染症は、動物の体内にいたウイルスが一番初めにうつった「ゼロ号患者」から家族や職場や医師などの周辺者、さらに通勤電車や病院内などでの偶発的な感染者を経て、市中感染、アウトブレイク(感染爆発)へと発展していきます。
今は市中感染がはじまった段階ではないでしょうか( 2 月中旬)。ということは、無症状の感染者やインフルエンザなどと混同された人が、感染を広げている可能性は高いと思います。
――そもそも「コロナウイルス」とはどういったものですか。
石:コロナウイルスはごくありふれたウイルスです。風邪の原因ウイルスは数種類ありますが、私たちが日常的にかかる風邪の 10 ~ 15 %は、コロナウイルスによって引き起こされています。
コロナウイルスが最初に発見されたのは 60 年ほど前のことです。風邪の患者の鼻から見つかりました。ただコロナウイルスの歴史は非常に長く、遺伝子の変異から先祖を探ると、共通祖先は紀元前 8000 年ごろに出現していたようです。以来、姿を変えてコウモリや鳥などさまざまな動物の体に潜りこんで、子孫を残してきました。
――風邪を引き起こすほど身近なのに、命を奪うほど凶暴なものもいるとは……。
石:コロナウイルスの仲間による感染症は、ヒトに感染してカゼの症状を引き起こす 4 種類と、新型コロナウイルスのように動物を経由して重症肺炎の原因になる 2 種類の計 6 種が知られています。
感染者を死に至らしめる可能性のあるコロナウイルスはこれまでに 3 回出現し、パンデミック(世界的流行)引き起こしています。
最初は 2003 年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、次が 2012 年のMERS(中東呼吸器症候群)、そして今回です。ウイルスが世代交代を繰り返しているうちに、突然変異が蓄積して重篤な症状を起こすように変異したのでしょう。
ヒトは微生物に 1 勝 9 敗
――石さんはご著書『感染症の世界史』のなかで次のように警告していました。
人間の社会の変化のすきをついて侵入してくる病原体は、それぞれ異なった場所や時期に根を下ろし、その後は人間同士の接触を通じて新たな地域に広がっていく。もしかしたら、第二、第三のSARSや西ナイル熱がすでに忍び寄って、人に侵入しようと変異を繰り返しているかもしれない。
(『感染症の世界史』より)
石:ウイルスの唯一の目的は「子孫を残すこと」につきます。地上最強の地位に上り詰めた人類にとって、唯一の天敵が病原性の微生物です。約 20 万年前にアフリカで誕生した私たちの祖先は、数多くの病原体と戦いながら地球のすみずみに広がっていきましたが、とくにウイルスは強敵でした。知られないままに、多くの地域集団が全滅させられたことでしょう。
人類の歴史は 20 万年ですが、微生物は 40 億年を生き抜いてきた強者です。
――うーん、ウイルスが強敵といわれても想像がつきません。
石:これまで 1勝 9 敗ぐらいでヒト側の負けが込んでいるのですよ。勝ったのは 1977 年以来発病者が出ていない天然痘と、ほぼ根絶寸前まで追い込んだポリオぐらいでしょう。
たとえば、1918 ~ 19 年の「スペインかぜ」の世界的流行では 3000 万~ 4000 万人が亡くなりました。近年の再検討では、8000 万人以上ともいわれています。以前も述べたと思いますが( https://kadobun.jp/feature/interview/80.html )、とくに第 1 次世界大戦の戦場になった欧州の流行は激烈をきわめ、大戦の終結が早まったほどです。
その後も、1957 年の「アジアかぜ」、1968 ~ 69 年の「香港かぜ」、どちらも 100 万人以上が亡くなっています。
アメリカでは現在、インフルエンザが大流行していて、アメリカ疾病対策センターは、少なく見積もっても 2600 万人が感染し、死者は少なくとも 1 万 4000 人と発表しています。( 2 月 19 日CNNニュース)。
日本でもインフルエンザで、毎年、数千人が命を落としていますし、はしかや風しんの流行も止められません。
――ウイルスに意識を向けたことがないので気付きませんでした。
石:ヒトと微生物の戦いは、まさに「軍拡競争」です。ヒト側がワクチン、新薬などを繰り出せばウイルス側は変幻自在に変異して、せっかく獲得したヒトの免疫をかいくぐり、薬剤に耐性をもつウイルスで攻めてきます。
現在、世界中でウイルスの検査法の開発やワクチンづくりが行われていますが、できあがったころには、ウイルスの方はさらに進化して、ワクチンが効かなくなっているかもしれません。
――今後も、今回の新型コロナウイルスのような新型の感染症は登場しますか。
石:ヒトと微生物の戦いは未来永劫つづくものだということは、『感染症の世界史』をお読みいただければ、その理由がわかると思います。
私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った「幸運な先祖」をもつ子孫であり、その上、上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、さまざまな対抗手段によって感染症と戦ってきました。それでも感染症がなくなることはありません。
私たちが忘れていたのは、ウイルスも 40 億年前からずっと途切れずにつづいてきた「幸運な先祖」の子孫ということです。しぶとく生き残ってきたヤツらなのです。
ウイルスは普段、どこにいるの?
――ところで 40 億年も生き抜いてきたウイルスたちは、普段はどこにいるのですか。
石:多くのウイルスは、野生動物、家畜、そして人の体の中に潜んでいます。たとえばオオコウモリからは 58 種類のウイルスが発見されていて、「病原体製造器」といわれています。
全体の数は明らかになっていませんが、既知の脊椎動物 6 万 2000 種がこれぐらいのウイルスをもっていると仮定すると、少なくとも 360 万種ものウイルスがいることになります。
ウイルスは、ありとあらゆる生き物に入り込んでいます。近年、ほかのウイルスに感染するウイルスも見つかっています。むろん、人間に悪さをするのはごく一部ですが。
――では、新型コロナウイルスは、どこにいたのでしょうか。
石:キクガシラコウモリが持っていたウイルスの疑いが強いです。このコウモリは日本にも生息しています。それがほかの動物を経由して人に感染しました。ゲッシ類、タヌキ、ヘビ、アカゲザル、犬猫などからも同じウイルスが分離されており、仲介役はまだわかりません。
コウモリ
耳が大きく顔が特徴的なキクガシラコウモリ
――新型コロナウイルスは中国の武漢で発生しました。ご著書の中では、今後の感染症について次のように警告していました。春節で多くの人が移動することにも言及しています。
今後の人類と感染症の戦いを予想する上で、もっとも激戦が予想されるのがお隣の中国と、人類発祥地で多くの感染症の生まれ故郷でもあるアフリカであろう。いずれも公衆衛生上の深刻な問題を抱えている。
とくに、中国はこれまでも、何度となく世界を巻き込んだパンデミックの震源地になってきた。
(『感染症の世界史』より)
石:中国では生きた野生動物を買って食べる、という食文化があります。先ほど申し上げたように、動物の中には膨大な未知のウイルスがいます。
私も中国に滞在していたときにこんな経験があります。広州の地方のレストランに一人で入ったのですが、メニューがなく、まごまごしていると、お店の人がキッチンに連れて行ってくれました。好きな食材を選べと、手真似でいうのです。そこはまるでペットショップさながらに、タヌキやハクビシン、ヘビやカメ、クジャクなど、さまざまな動物が小さな檻に入れられて並んでいました。なんとかバケツのなかの魚を見つけて、難を逃れました。大きな町の市場に行けば、おどろくほど多くの野生生物が売られています。
――中国政府は今回の新型コロナウイルスの感染拡大をうけて、スーパーなどでの売買を全面的に禁止しました。各地の野生動物の市場は次々に閉鎖されたそうです( 2 月 17 日朝日新聞)。
石:トップダウンですから動きは速いですね。とはいえ、額面通りには受け取れません。中国には、「上に政策あれば、下に対策あり」という言葉があります。お上が厳しく締め付けても、人々はしたたかに対策を立てているという意味です。
――食文化なのでむずかしいですね。日本の捕鯨も世界からさんざん非難されましたが、「わかりました、やめます」とはならず、逆に 2019 年 6 月に国際捕鯨員会から脱退してしまいました。韓国も国際的な批判を浴びた犬肉料理があり、レストランは減ったようですが、なくなってはいません。
石:私たちの国の近くにまったく違う食文化をもった国があるということを、認識しなくてはならないでしょう。衛生意識を高めることが必要なのは事実ですが、非難するだけでは解決しません。
――中国人への差別も心配です。
石:感染症には差別の問題がつきまといます。14 世紀にヨーロッパで大流行したペストのときは、ヨーロッパの全人口の 30 ~ 60 %が死亡したと推定されます。このときには、ユダヤ人が病気を起こしたというデマが流れて、各地でユダヤ人が虐殺されまました。
1918 年のスペインかぜのときも、世界中で感染者に対するひどい差別が起きました。アメリカでは、自警団が町を封鎖して銃撃戦までありました。
日本でもハンセン病患者を隔離する法律、「らい予防法」が 1996 年まで放置されていたことを思い出してください。これは国家主導の差別といえます。
今回の新型コロナウイルスのことでいえば、私の家族が現在、ヨーロッパで働いているのですが、中国人と間違えられた日本人が、道を歩いていて水をかけられたり、いいがかりをつけられるといった不愉快な事件がすでに起きているそうです。
感染力の強い感染症はだれでも怖いです。過剰反応を起こして偏見や差別をばらまいたり、愉快犯的に怪情報を流す人が出てくるのは避けられません。政府は「理性的に行動を」と訴えていますが、ダイヤモンド・プリンセス号の対応のように、対策はふらついて後手後手に回っています。これでは疑心暗鬼に拍車をかけてしまいます。
さらに今はSNSがあります。これは便利な反面、デマを流す凶器ともいえます。周りをたしなめ、無責任な情報が来たら自分の段階でシャットアウトすることが最低限のモラルでしょう。
どこまで感染は広がるのか
――今後、ヒトvs.ウイルスの戦いはどんな展開になるのでしょうか。
石:微生物にとってヒトの体内は温度が一定で、栄養分も豊富な恵まれ環境です。彼らはここから追い出されたくないでしょう。両者の関係は次の 4 つのいずれかの結末に落ち着くと考えます。
図
――この類型は、人間の戦争と変わりませんね。新型コロナウイルスはどうやって収束していくと考えますか。
石:今回のウイルスの致死率は数%ほどと見られています。大流行を引き起こしたほかの感染症に比べれば毒性は低めです。ただ低いだけに、感染力は強力です。感染しても発症せず、本人が気づかないまま広げていることも考えられます。
今後ですが、ウイルスにかかった人は体内に免疫ができますから、免疫を持った人が増えれば、感染のスピードは弱まると予想されています。
参考になりそうなのが、遺伝子を 80 %共有するSARSの先例です。2002 年 11 月 16 日の中国の症例に始まり、台湾の症例を最後に 2003 年 7 月 5 日にWHOが終息宣言しました。流行期間は約 170 日間でした。専門家の間では、夏前にはピークを迎え、徐々に落ち着くのでは、という期待があります。オリンピックまでには何とかしてほしい、というのが多くの国民の願いでしょうか。
――ワクチンはまだできないのでしょうか。
石:さまざまな製薬会社がワクチンの開発に着手したようですが、そう簡単ではないでしょう。WHOのテドロス事務局長は、2 月 11 日、ワクチン開発には 18 か月を要すると見通しを発表しています。
――今後の流行をどうみていますか。
石:感染症の拡大パターンについては、さまざまなシミュレーションが行われてきました。2 つの予測を紹介しましょう。
新型インフルエンザ流行のときに、国立感染症研究所がつくった感染拡大のシミュレーションがありますが、これには背筋が寒くなりました。
ある男性が新型インフルエンザにかかって電車で出社すると、4 日後には 30 人だった感染者が 6 日後には 700 人、10 日後には 12 万人に広がるという結果でした。むろん、コロナウイルスがこうなるとは限りませんが。
もう一つ、「スモール・ワールド現象」といわれる数学的なシミュレーションがあります。小説の題材になり、TV番組でも取り上げられました。米国の心理学者ミルグラム教授が、米国中部のネブラスカ州の住人 160 人を無作為に選び、東海岸の特定の人物に知り合いを伝って手紙を受け渡せるか、という実験をしました。
その結果、わずか 6 人が介在すれば、まったく知らない人にまで届くことができました。各国の同様の実験でも同じような結果でした。
つまり「人類は 6 人が仲立ちすればすべて知人」ということです。手紙をウイルスに置き換えてみてください。容易ならざる事態であることは理解いただけるでしょう。
石弘之『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)
▼『感染症の世界史』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321710000160/
石 弘之
1940年生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞入社。96年より東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使などを歴任。主な著書に『地球環境報告』『鉄条網の世界史』ほか多数。