著者は語る 『文学は実学である』(荒川洋治 著)
source : 週刊文春 2020年11月26日号
現代詩作家・荒川洋治さんの1992年から2020年に至るまでのエッセイが『文学は実学である』にまとめられた。既刊本から選り抜かれたエッセイに、単行本未収録の8篇が加えられた、佇まいも美しい一冊だ。
「基本的には時系列で並べているのですが、見開きにしたいものもあったので、入れ替えたものもあります。タイトルにもなっている『文学は実学である』もそうですね。文学部を出た人は、歩いていても、わかります。ぼんやりしている。文学部、文科系の人は、いつも、漠然と、人間について考えつづけてきた、というところがあります。つまり、〈人間〉の研究をしているんですね。いまは、これまでの方法では、解決できない問題が多い。社会が壁にぶつかったとき、いざというとき、文科系の人は、人間性にもとづく、いい判断ができ、大切な、必要なはたらきをすることがあります。人間についての総合的な認識や感性をもつことが大切で、文学が『実学』である、というのは、その側面をとらえてのことです。この『実学』は、文学ではないものに求めることもできます。言葉を身体の中で作用させなければならないから、音楽では担えないんです。そういう意味では、哲学・思想にも頑張ってもらいたいですね」
エッセイの内容は、その時々の事象、社会を捉えたもの、旅の話、小説の批評や感想など、多岐にわたる。
30年前、40年前と比べて、文学書が読まれなくなっていることを肌で感じているという。
「いろんなメディアが発達したこともあるし、読書は、他人が書いたものを読むという行為ですよね。でも今の人は、他人に興味がない。自己愛が強くなったのか、あるいは逆に、小さくなったのかもしれない。本来の健全な自己愛の構造は、まず自分があって、そこから親の世代への興味、祖父母の世代の興味へと遡り、過去との繋がりに学んでいくんです。文学はほとんどが、過去を書くものです。でも今は、世代が断絶していて、過去に学ぶこともなくなっています」
文学が凋落したいま、しかし、清新な問いが生まれているという。
「文学が偉くなくなったからこそ、〈文学とは何か〉という根本的で、本質的なことが問われる、試されている時代だと思います。だからこそ面白いし、やりがいがあります。また、時代の先行きが見えなくなると、人は自分自身に立ち戻ります。そういう点で、文学は多少持ち直している気がします。ただ、もう二度と、いわゆる文学の時代は戻ってこないでしょう。ところが、そんなことは関係なく、文学は消えずに存在しつづけるとも思います。路地の奥のお店屋さんみたいな感じですよね。文章を書く人は、絶対に質は落としてはならないんです。時代に関係なく常に読み続ける、少数のお客さんたちの目は厳しいから。その目を最も恐れて、小商いをしていきたいと思います」
あらかわようじ/1949年福井県生まれ。現代詩作家。詩集に『空中の茱萸』(読売文学賞)、『心理』(萩原朔太郎賞)、評論・エッセイ集に『文芸時評という感想』(小林秀雄賞)など。2019年、恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。