言葉一つで、人は変わる―夢をつかむ「言葉の力」

2020年12月25日 23時24分21秒 | 社会・文化・政治・経済
言葉一つで、人は変わる(詩想社新書)
 
 
「野村再生工場」を可能にしたのは
「言葉の力」だった! !
「言葉」がその人の考え方を変え、行動を変化させ、
ひいては習慣を変え、ついには人生をも変える・・・
どんなとき、どんな相手に、どのような言葉が人の心を動かすのか、
個々の能力を伸ばし、組織を強固にする
知将の「言葉」へのこだわりをすべて明かす!
(以下、「はじめに」より)
あの一言があったから、いまの私がある。
そんな「言葉」が私にもあった・・・・・・
あれは私が南海に入団して、ようやく一軍に上がりかけたころのことだった。
朝、球場に出勤した際に、鶴岡一人監督からすれ違いざまにかけられた一言。
この言葉で、私の人生はまぎれもなく変わったのだ。
いまでも50年以上も前の、あの監督の声の響きが私の耳には残っている。
あの一言があったから、いまの私がある。
言葉には、それほどの力があるのだ。
(目次)
第1章 たった一言が、その人の人生を変える
・カラを破れずにいる人への言葉 ・自分の能力の限界に落胆している人への言葉
・上司の評価に不満を持つ人への言葉 ・夢にくじけてしまいそうな人への言葉 ・技術習得に励む人への言葉・・・
第2章 「問いかける」ことで人は伸びていく
・潜在能力を引き出す問いかけ ・組織で機能しない人材を変える問いかけ
・選手の適性を見極める問いかけ ・成長への原動力を喚起する問いかけ ・なかなか結果が出ない人への問いかけ・・・
第3章 運命を変え、夢をつかむ「言葉の力」
・目標を見失っている人への言葉 ・結果ばかりを求める人への言葉 ・組織の本質を教える言葉
・一流を目指している人への言葉・教えを乞われたときの言葉・・・
第4章 一人でも部下がいたら知っておく指導者の言葉
・初めて部下を持った人への言葉 ・リーダーの資質とは何かを知る言葉
・部下のミスに直面した指導者への言葉 ・部下の操縦に悩む指導者への言葉・・・
 

内容(「BOOK」データベースより)

「野村再生工場」を可能にしたのは「言葉の力」だった!!「言葉」がその人の考え方を変え、行動を変え、ひいては習慣を変え、ついには人生をも変える…個々の能力を伸ばし、組織を強固にする知将の「言葉」へのこだわりをすべて明かす。

著者について

1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークスへテスト生で入団。3年目に本塁打王。65年、戦後初の三冠王(史上2人目)。MVP5度、首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度。ベストナイン19回、ゴールデングラブ賞1回。70年、南海ホークス監督(捕手兼任)に就任。73年、パ・リーグ優勝。のちにロッテ・オリオンズ、西武ライオンズでプレー。80年に45歳で現役引退。90年、ヤクルトスワローズ監督に就任、4度優勝(日本一3度)。99年から3年間、阪神タイガース監督。2002年から社会人野球・シダックスのゼネラル・マネジャー兼監督。06年から09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督。『野村ノート』(小学館)、『なぜか結果を出す人の理由』(集英社)、『リーダーのための「人を見抜く」力』(詩想社)など著書多数。
 
 
私が「言葉一つで、人は変わる」という題名に惹かれたのは、もちろん今の自分の生き方を変えたいと思ったからです。ここ数年、「生き方」に関した本を読みました。大学教授、心理学者、果ては欧米の医学博士が書いた本まで読みました。そして、それらは私にとって役立たずなので捨てました。

本書は素晴らしい。プロ野球選手、プレーイングマネージャー、プロ野球チームの監督をされていたときの現実体験に基づく、血の通った文章が書かれています。
一例を挙げますとヤクルトの監督をされていたときの池山隆寛選手に言った言葉、開幕戦で8番で起用したこと。
「チームに対する貢献心の薄い選手と思えた」池山選手がチーム優先の姿勢を身につけていった事。
それらの現実経験を通じて人間は集団のなかで生きるものであり、そうした組織の中で人間は常に「組織において自分は何を求められているのか」といった視点をもって生きていくことが大切であることを述べられています。

私は本書を読んで「学者の書いた本は机上の空論、だから一見、もっともらしく思えるが何の役にも立たない」
「野村克也さんの本は現実体験から生まれた考え方、だから生きた言葉であり役に立つ」と感じました。
 
 
会社で管理職をしており、野村さんの本はマネジメントのための教科書的な存在です。

的確且つ実践に大いに役に立つ書籍だと私は思います。
 
 
ノムさんは不世出の名監督です。
この本には野球だけではなく人生と真摯に向き合う「言葉」
がたくさん詰まっています。
”財産を遺すより、業績を遺すより、人を遺すことが最も尊い”
ノムさんいわく、ある程度は人を遺すことができたと言っておられますが、
ノムさんに比べたらまだまだ小粒の人材だと思います。あの古田でさえも。
今の球界にはノムさんを超えるような人材は皆無だと思います。
かくいう私もノムさんには遠く及びませんが・・
やはり人間は切羽詰まった環境でないと大物は出てこないんですかね。
時代と環境が名伯楽ノムさんを作り上げたんだと思います。
 
 
 
人間は人の評価の中で生きている。 新到三年、皓歯を見せず。 言い訳は成長の敵である。 自分が何を求められているのか、考える。そのためには自分を知ること そもそも論を考える。根拠を動く。 代わりの人間はいつもいるということを常に持つ。危機感に繋がる。 平凡を繰り返すことが非凡を生む。努力に即効性なし 細かいことを感じないやつは大きなことは絶対にできない プロであるからには専門家になれ。それがプロのプライド 人生の中で出会った人には意味がある 練習で1成長し、実戦で9成長する。
 
 
「人が成長していくにあたってもっとも必要なことは、『感じる力』だ。何かを『感じた』とき、人は『考える』のだ。感じなければ、考えることもない。すべてのスタートは感じる力なのだ。もっともっと成長したいと考えるなら、感性を磨くべきだ」
 
 
野村さんの言葉は、印象に残る言葉が多く、やはり、裏付けされた読書量がそういった言葉が言えるんだと思いました。本書を読んで、野村さんのような印象に残る言葉を言えるように読書に励もうと思います。
 
 
野村さんの本は数冊読んでるが、いつも心に響く。この本もショートで的確な指摘が多くとても勉強になった。野球を通じての話がほとんどだけれど、どれも自分の仕事や生活に置き換えても同様であると感じられることが惹かれるところだ。何か壁にぶち当たった時にまた開いてみたい。
 
 
テスト生として南海に入団一年目で危うく退団話が持ち上がったと、人の人生は一寸先は闇。底辺から頂点まで中々経験出来ることではない。
 
 
野村さん好きだなぁ。当たり前でなくてはいけないんだけど、つい忘れてしまうことを教えてくれる。「心底、相手のことを思い、『なんとかしてやりたい』という思いからの言葉でなければ選手は動かないのだ。」定期的に読み返して、自分を振り返りたい。
 
 
「考えた上で結果を出せば、1つの成功の方法論となる。」というのが自分にとって一番足りないところだろう。また、いい人はリーダーには向いていないという話で、哲学がないといけないというのは、これまた、自分の最近の課題であり、何で働くのか、そもそも自分の仕事をちゃんとしってんのか?と考えさせられた。

「希望!希望!また希望と」ビクトル・ユゴーの言葉

2020年12月25日 22時53分31秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽人間を強くするのは、人との絆である。
悩みに直面し、不安にさなまれたとしても、時には力強く寄り添って、共に歩んでくれる仲間がいる。
安心できる場所があるから<またここから頑張ろう>と思えるのだ。
▽新型コロナウイルスの感染拡大は、<人権の危機>でもある。
人権は、すべてに優先する根本的課題だ。
人権なくして平和も幸福もない。
▽<人権文化>の確立には、市民一人一人の意識変革が不可欠。
▽何があろうが、誰が何と言おうが、断じて負けない-この不撓不屈の生命力。
▽自分に課せらていると感ぜられる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることはできない―ベートーベンの言葉
聴覚を失ってもなお、<わが魂はこれに打ち勝たねばならぬ>との誓いの炎であった。
▽人間の真価は、最大の逆境においてこそ鍛え顕わすことができる。
▽最も困難な時こそ前進しなければならない。
▽逆境にあっては、まさに、かく叫ばなければならぬ「希望!希望!また希望と」ビクトル・ユゴーの言葉


木星と土星の超大接近

2020年12月25日 11時13分01秒 | 社会・文化・政治・経済

astroarts.c

最接近する12月21日前後には月の見かけの直径よりも近づく「超大接近」となります。

今回ほどの接近は約400年ぶり、次回は約60年後という、非常にレアな現象です。
ぜひ観察してみましょう。

2020年12月の木星と土星は、夕方から宵の早い時間帯に南西の低空に見えています。
2つ並んだ天体のうち、明るいほうが木星です。

日の入りから木星・土星が沈むまでは、12月上旬で3時間ほど、下旬では2時間ほどしかありません。空が暗くなり始めるころには、木星と土星はかなり低いところにあります。南西方向の空が開けた、見晴らしが良いところで観察しましょう。

低空ということは、山並みやランドマークと一緒に眺めたり撮影したりするのには好都合です。ぜひ良い場所を見つけてみてください。17日には細い月も接近して、3天体の美しい共演が見られます。

木星と土星の間隔

12月中の両惑星の間隔は約2度未満です(天体の見かけの大きさや間隔は角度で表します)。2度は50~60cm先の1円玉の見かけサイズと同じくらいです。つまり今回の大接近では、1円玉を持った腕を伸ばすと木星と土星が両方とも隠れてしまいます。

17日から25日ごろまでは間隔が0.5度未満となります。0.5度は50~60cm先の5円玉の穴の見かけサイズくらいなので、この期間は腕を伸ばして持った5円玉の穴を通して木星と土星が両方とも見えるほどの「超」大接近になります。

最接近するのは21日、22日ごろで、間隔は約0.1度になります。肉眼では1つの星にしか見えないかもしれません。どんなふうに見えるか(見えないか)、確かめてみましょう。

›› 天体写真ギャラリー「2020年11月~12月 木星と土星の大接近」

木星と土星の接近の様子

木星と土星の接近の様子。視野円の直径は2度(50~60cm先の1円玉の大きさ)。木星と土星は大きめに描いている。画像クリックで表示拡大(ステラナビゲータで星図作成)。

参考リンク:

惑星で星空視力大実験!!! 〜木星・土星"超"大接近観測プロジェクト〜
木星と土星の見え方を世界中から募集。レポートに参加して「星空視力」調査に協力してみよう。

天体望遠鏡で観察

木星と土星の間隔が0.5度未満となる17日から25日ごろは、天体望遠鏡の同一視野内でも両惑星を観察することができます。0.5度というサイズは月の見かけの大きさとほぼ同じなので、月の全体が見えるくらいの倍率(100倍くらいまで)であれば観察可能です。100倍くらいあれば木星の縞模様と土星の環を同時に見ることができるでしょう。空の条件が良ければ、縞模様や環だけでなく、衛星も見えるかもしれません。

※天体望遠鏡で見える範囲(視界の広さ)は、アイピース(接眼鏡)の種類にもよりますが、だいたい「50÷倍率」(単位:度)くらいです。50倍なら約1度、100倍なら約0.5度で、倍率が高くなるほど狭くなります。

最接近する21日、22日ごろの木星と土星の間隔は約0.1度(月の見かけサイズの20%ほど)となり、300倍ほどの超高倍率でも同一視野内に見えます。

後述するように、これほどの大接近は397年ぶりとなりますが、当時の観察条件では見えなかった可能性が高い現象です。今回の超大接近は「人類が超高倍率の望遠鏡の同一視野内で木星と土星を観察する、初めてのイベント」といえるでしょう。

2020年12月21日と22日の木星と土星の見え方。図は正立像で上が天頂方向。35mm判換算12000mmの直焦点撮影の写野角も表示(写野角の傾きは赤道座標に揃えてある)。画像クリックで表示拡大(ステラナビゲータでシミュレーション)。

実際には、まだ空に明るさが残っていることや、低空で大気の影響を受けやすいことにより、スッキリした惑星像を見るのは難しいかもしれません。肉眼と同様、ぜひこちらも見え方を確かめてみてください。公開天文台や科学館での天体観察会に参加したり、インターネット中継を見たりするのも良いでしょう。

拡大しての写真撮影にも挑戦してみてください。最接近のころは35mm判サイズ10000mm前後の写野角にも収まりますし、両惑星の並び方の変化を追うなら数百mmでもじゅうぶんです。天体望遠鏡での見え方を調べたり画角を検討したりするのには天文シミュレーションソフト「ステラナビゲータ」が便利ですので、ぜひご活用ください。

12月21日夜、400年ぶりに木星と土星が超大接近します

配信

観測可能な大接近は約800年ぶり!


人間としての外交、渉外が大切

2020年12月25日 11時13分01秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽心という泉が、必死さ、懸命さに満たされていれば、創意工夫はほとばしり続ける。
▽<一生懸命>に伝えたことは、そのとき分からなくても無駄にならず、後に成長につながる。
▽悩みがあるこらこそ、心は育つ。
▽満々とした生命力をたたえ、常に人生を楽しんでいける境涯へ。
▽最後まで<先駆>であり続けるためには、綿密な計画性と持続が大切だ。
<先駆>とは地道な努力と堅実さ裏打ちされていなければならない。
▽試練に次ぐ試練、涙また涙というのが、現実の社会といえる。
そのなかで人生に勝利していく。
▽人間としての外交、渉外が大切である。
▽人間には<慣れ>という感覚がある。
今いる状況に慣れ、危険が進行していても、<これまで何もなかったから、これから先も大丈夫>と安易に思い込んでしまいがちだ。
感覚の麻痺、油断を打ち破ることが<危機管理>だ。


娘が亡くなって5年…電通過労自殺、母「風化を感じる」

2020年12月25日 11時10分55秒 | 事件・事故

12/25(金) 0:00配信

朝日新聞デジタル

大学3年生になる前の春休みにハイキングした時の高橋まつりさん(左)と幸美さん=高橋幸美さん提供

 広告大手・電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が、クリスマスに過労自殺して25日で5年になる。母の幸美さんが、命日にあわせて手記を公表した。「最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません」と5年間の思いをつづった上で、「過労死問題の風化を感じています」と懸念。「在宅勤務で労働時間が増えている人もいます。コロナ禍にあってもコロナ後においても改善を継続して欲しい」と、国や社会に一層の対策推進を求めた。

【写真】2001年の冬、小学3年生の高橋まつりさん(左)と幸美さん=高橋幸美さん提供

 高橋まつりさんは2015年12月に、東京都内の女子寮で命を絶った。長時間労働による精神疾患が原因だったとして、16年9月に三田労働基準監督署(東京)が労災認定。電通は17年10月、違法残業を防ぐ措置を怠ったとして東京簡裁から罰金50万円の有罪判決を受けた。手記で幸美さんは、「長時間労働や異常な上下関係やハラスメントは、あんなに健康で明るく向上心の強かった娘をも、あっという間に『うつ病』に追い込んだ」と、悔しさを改めてつづった。

 その電通は今年11月、希望退職した正社員と、個人事業主として業務委託契約を結ぶ人事施策を明らかにしている。幸美さんは「労務管理の責任があいまいにならないように取り組んでいただきたい」とし、引き続き電通の労働環境の改善の取り組みを注視していくとした。

 また手記で幸美さんは、まつりさんの事件直後は過労死をなくす取り組みが社会全体で進んだ一方、仕事が原因で命を絶つ人は19年も約2千人いたとの警察庁の統計をひいて、「いまだにたくさんの人が犠牲になっている。国は本気で過労死防止に向き合い、過労自殺を無くして欲しい。どうかこれ以上私たちのような犠牲者を増やさないでください」と訴えた。

 国は来年夏、過労死を防ぐための施策の土台となる「過労死防止大綱」を見直す。幸美さんは遺族代表の一人として、3年に1度の改定論議に初めて携わる。手記を、こう結んだ。「日本が、若者たちが希望を持って人生をおくれる国になるように発言していくことが、娘が私に遺(のこ)した使命と思い、微力ながらまつりと共に力を尽くしてまいります」(吉田貴司)


《高橋幸美さんの手記全文》

 ※表記などは原文のまま掲載しています

まつりの5年目の命日によせて

高橋幸美

2020年12月25日

 「こんな富士山のある田舎で育ったのは、今思えば、幸せだったのかもしれないな。お母さんと弟とカニを捕まえたり、ホタルを見に行ったり、川で泳いだり……」とまつりが語ったのは、なくなる2、3カ月ほど前のことでした。

 まつりが亡くなって今年で5年目のクリスマスを迎えました。最愛の娘、生きていたら29歳です。

 まつりはいつも「お母さん、お仕事終わったの」と電話してくれました。東京に行くと駅まで迎えに来てくれて「お母さん大好き」とぎゅっと抱きしめてくれました。まつりの笑顔が私の幸せ、生きる希望でした。いつかの誕生日のように「お母さんおめでとう」と突然帰ってきてくれることを夢見ています。

 でも、私が仕事帰りに向かうのは娘のお墓です。どんなに娘を思っても、二度とまつりを抱きしめることはできません。

 娘のベッドには小さい頃のパジャマとお人形とぬいぐるみ。娘の眠る赤い箱の前には、小さい頃遊んだオルゴールの宝石箱。母の日の手紙。きらきらのアクセサリーや口紅。娘が可愛がっていた猫の「ももちゃん」。たくさんの娘の遺した大切な娘の息遣いと一緒に、私は5年間なんとか生きてきました。

 「死んだ子の年を数える」と言いますが、嘆いても仕方のないことだとわかっていても、最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません。最愛の娘を失った苦しみは一生癒えることはありません。

 5年前、まつりは確かにこの世界に生きていました。「こんなに辛いと思わなかった」「休職か退職か自分で決めるからおかあさんは口出ししないでね」と言ったまつり。「会社の色んな人に相談したからもう大丈夫になったはず」と11月に私に言ったのに、徹夜労働や深夜勤務は続いていました。

 2015年12月25日クリスマスの朝、入社後わずか9カ月、24歳になったばかりの人生を終わらせました。

 私は駆けつけた警察で娘の自殺の原因を尋ねられた時「仕事が原因です」とすぐに答えました。

 「電通に入社しなければ、あの部署に配属されなければ、娘は自ら命を絶つことはなかったのだ」と後悔はつきません。

 娘は「文章力や発想力、コミュニケーション能力を発揮したい。早く自立して母に仕送りをしたい」と年収が高いと評判の電通を就職先に決めました。

 私は電通の激務の評判や過去に過労自殺があったことを知り、とても心配でした。でも娘は「私は大丈夫。ハングリー精神で色んな困難を乗り越えてきたんだから」と言いました。

 しかし長時間労働や異常な上下関係やハラスメントは、あんなに健康で明るく向上心の強かった娘をも、あっという間に「うつ病」に追い込んだのです。

 「これ以上耐えられない。この会社でキャリアを積むことは考えられない。辞めよう」と考えていたのに、責任感の強い娘は頑張っているうちに、「苦しい、辛い、死にたい」と考えるようになり、「死んでしまったら苦しみから逃れられる」と自分で気付かない間に正常な判断ができなくなったのです。

 「残業するなと言われるのに、新人は死ぬほど働けとか言われて意味分からない。この会社おかしい」「今週10時間しか寝ていない」「生きるために働くのか、働くために生きるのか分からなくなってからが人生」「これが続くなら死んだ方がよっぽど幸せなんじゃないかとさえ思う」

 2016年10月私が娘の過労自殺を公表した当時、これらの娘のSNSは多くの働く人の共感を呼びました。過労死問題は連日、テレビや新聞やネットニュースで取り上げられ、その後、日本中の多くの職場で長時間労働やハラスメントを無くす動きがおこりました。企業は優秀な学生を採用するために社内の働き方の改善に努めました。

 私の元には仕事で追いつめられた沢山の人たちの声が寄せられ、「まつりさんの苦しみとお母さんの悲しみを自分と重ね合わせ、自死を思い留まった」と打ち明ける方はひとりではありませんでした。娘の命の犠牲によって、日本から過労自殺がなくなり、若者たちの命が救われるのではないかと期待しました。

 ところが昨年「仕事が原因」で自殺した人は警察庁発表で1949人もいます。労働環境を改善しない職場で、未だにたくさんの人が犠牲になっているのです。

 国は本気で過労死等の防止に向き合い、すべての業種で過労死ラインの労働とハラスメントを禁止し、11時間以上の勤務間インターバル制度を義務化し、過労自殺を無くして欲しいと思います。どうかこれ以上私たち母娘のような犠牲者を増やさないでください。

 またこの一年、人々の意識から過労死問題の風化を感じています。過労死の記者会見があっても、報道されることが少なくなりました。過労死・過労自殺が無くなっていないのに、問題が風化することは、国民の命と健康を守ることが困難になると大変危惧しています。

 新型コロナウイルス対策で、在宅勤務を導入し社員の健康に配慮した働き方の改善に努めている企業がありますが、在宅勤務で逆に労働時間が増えている人もいます。コロナ禍にあっても、コロナ後においても改善を継続して欲しいと思います。

 電通に関する報道があるたびに言葉にできない複雑な心境になりますが、電通に対しては引き続き、グループ全体での労働環境の改善の取り組みを注視して参ります。社員の個人事業主化ということが政策に上がっていますが、会社の労務管理の責任が曖昧にならないように取り組んでいただきたいと思います。

 また、日本でこれまで立場の弱い人たちが、コロナ禍で一層追い込まれていると感じています。非正規雇用労働者、低賃金の業種、ひとり親家庭などの年収が低い人達が、さらに生活が困窮して追いつめられています。

 国の雇用政策の中で、望まないのに非正規雇用に就いている人は年々増加しています。私が長時間労働の削減を訴える度に「残業代が減って困る」という声があがります。生活の為に長時間労働をしなければならないような、労働条件の悪い雇用形態をやめ、賃金を底上げする労働政策に転換して欲しいと思います。このような政策は貧困対策や、虐待、いじめ、少子化対策、子育て支援、自殺防止、過労死防止にもつながるのではないでしょうか。

 自殺者の増加にも胸を痛めております。相談体制の充実は重要ですが、国民の生き辛さの根本的な問題の解決を行い、あらゆる人の痛みに向き合い、支援し、救済し、必死で生きている人たちが報われる国にして欲しいと思います。

 私は2年間、厚生労働省の過労死等防止対策推進協議会において遺族の代表の1人として、娘が苦しみの中で命を絶った経緯や、長時間労働やハラスメントの恐ろしさを語り、過労自殺を無くす実効性のある対策を講じて欲しいと訴えて参りました。日本が、誰もが安心して活き活きと働き、若者たちが希望を持って人生をおくれる国になるように発言していくことが、娘が私に遺した使命と思い、微力ながらまつりと共に力を尽くしてまいります。

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