追い詰めたのは誰? コロナ禍の保健所をカメラが捉えた

2021年11月12日 08時21分44秒 | 新聞を読もう

医療プレミア特集

西田佐保子・毎日新聞 医療プレミア編集部
2021年10月24日

宮崎監督が撮影中、最も印象に残ったのは、相手のことを考えて真剣に対応する保健師の姿だったという=宮崎信恵監督提供

 鳴りやまぬ電話、膨大な量の発生届や紙のカルテ、涙を流す保健師――。「終わりの見えない闘い」は、新型コロナウイルス感染症の拡大で対応に追われる保健所にカメラを向けたドキュメンタリー映画だ。

「電話がつながらない」「何日も連絡が来ない」など非難の的になることも多い保健所だが、スクリーンには「人の命を守る」という強い正義感のもと、葛藤や苦悩を抱えつつも寸暇を惜しんで働く保健師たちの姿が映し出される。「えらいね、立派だね、と美化したくありません」。

監督の宮崎信恵さん(79)はそう言い切り、「そこまで追い詰めたのは誰? 私は映画でそこを問いかけたい」と訴えた。【西田佐保子】

第3波なんて、第4、5波に比べたら夢のよう
 「保健所が大変なことになっている」

 2020年4月、宮崎監督の友人で、中野区にキャンパスがある帝京平成大学ヒューマンケア学部看護学科の工藤恵子教授からメールが届いた。「ドキュメンタリー映画を撮っている私のところに連絡があったということは、きっと何か意味がある」と思い、宮崎監督は中野区保健所に駆けつけた。当時、同保健所の所長だった向山晴子さんは、コロナ禍における現状を記録に残したいと力強く訴えたという。

 その「本気」に宮崎監督は応えた。保健所内部の撮影という厳しいハードルもクリアし、全国で1日あたりの新規陽性者が最大1605人(20年8月7日)を記録した「第2波」、7955人(21年1月8日)を記録した「第3波」を含む、20年6月24日から21年3月26日までの約10カ月間、新型コロナ対応の最前線に立つ保健所をカメラでとらえた。

 向山さんが21年4月に練馬区保健所へ異動になり、撮影を終えることになった。「本当はもっと撮りたかった」と宮崎監督は漏らした。撮影時、向山さんは週3日ほど保健所に泊まり込んで仕事をしていたという。「夜間の緊急通報があるので、ほぼ連日連夜、スマートフォン(携帯電話)に電話がかかってきて2、3回起こされたそうです」。撮影終了後、さらに感染拡大が広がった。

 「『第3波までなんて、第4、5波に比べたら夢のようだった』と話す保健師もいましたね」。鳴りやまぬ電話の中、時に不安を口にして落涙し、土日祝日、正月、朝昼夜を問わず業務に追われる保健師の姿を映画で目にすると、その「夢のよう」と評される「混沌(こんとん)」を超える日常を、とても想像できない。

保健師とは誰か?
 当初、向山さんは「保健師を育てたい」との使命感から、コロナ下の保健所を記録することを望んだそうだ。一方、保健所で電話対応に追われている人の多くが「保健師」であることや、そもそも保健師はどのような役割を担っているのかを知らない人もいる。実際、「『終わりの見えない闘い』を見て、初めて保健師という存在を認識した」といった感想が、ツイッターに投稿されたという。

 宮崎監督は、「お母さんたちは子どもの3歳児健診を受ける際に(各市区町村に設置されている)保健センターで接することはあるけれど、多くの人にとって保健師は遠い存在かもしれませんね」と話す。

 保健師は、病気の予防や健康維持のため保健指導を担う専門職で、国家資格の保健師免許と看護師免許の取得が必要とされる。2018年現在、全国で5万2955人(男性1352人、女性5万1603人)が就業しており、その多くが市区町村(2万9666人)や都道府県(1351人)、都道府県、政令指定都市、中核市などに設置されている保健所(8100人)などの行政機関に勤務している。

 都道府県によって人口当たりの保健師数に差がある。島根県は人口10 万人当たり79.3人、長野県は同77.2人、山梨県は同76.5人に対し、神奈川県は同23.5人、大阪府は同25.9人、東京は同28.4人と大都市部は少ない(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/18/)。

 保健所の業務は、日常的にも、結核・インフルエンザ・エイズなどの感染症対策、難病・精神疾患・ひきこもりなどに関する相談、食品衛生、食中毒の検査など多岐にわたっており、医師、薬剤師、獣医師など専門的技能を持つ職員とともに働く。

 保健所の数は、1990年以降減少している。94年に保健所法が地域保健法へと大幅改正され、地方への権限委譲が進んだ。3歳児健診などの母子保健事業を…


新型コロナ 何が保健所を追い詰めたのか

2021年11月12日 08時17分11秒 | 社会・文化・政治・経済

毎日新聞 2021/11/11 

ドキュメンタリー映画「終わりの見えない闘い」の監督、宮崎信恵さん=東京都中野区のポレポレ東中野で

 鳴りやまぬ電話、膨大な量の発生届、涙を流す保健師――。
映画「終わりの見えない闘い」は新型コロナウイルス感染症の対応に追われる保健所にカメラを向けたドキュメンタリーだ。

「人の命を守る」強い正義感のもと、寸暇を惜しんで働く保健師たちの姿のみならず、保健所が抱える体制の課題が映し出されている。

 

 


保健所を削減しまくってきた理由と今後のあり方

2021年11月12日 08時10分58秒 | 医科・歯科・介護

坂東太郎日本ニュース時事能力検定協会認定講師
2020/8/10(月) 11:00

余っている?足りない?(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)
 新型コロナウイルス感染症の再拡大が懸念されるなか、昨年まで進められてきた「病床削減」方針を見直そうという動きが出てきました。すでに削減されてきた保健所や感染症病床のあり方も問われています。もっとも一連の削減にも理はあったのです。

増大する一方の医療費をどうするかという問いに新型ウイルスが示した「伝染病の脅威は去っていない」という警告を加えて我々はどうすべきでしょうか

病床が余りまくっているから減らすとの方針
 日本の病床数が多い理由として常にあげられるのが「社会的入院」と重症者用のベッドを軽症者が入院しているケースなどです。社会的入院は本当は自宅で暮らせる程度の傷病者が病院に入っている状態。

一人暮らし世帯が増加して在宅だと面倒をみてくれる人がいないとか、公的医療制度のおかげで自己負担分が小さくて済むといからといった理由が考えられます。

 重症者病床の軽症者利用も「社会的入院」と密接に関係があります。余らせておくぐらいならば受け入れてしまおうという流れが指摘されてきました。

 その結果、日本の人口1000人当たりの病床数は13床を超えているのです。この値は欧州主要国(イギリス約2.5 スウェーデン約2.2)や制度こそ大きく異なるアメリカの約2.8と比較にならないほど多く、数字だけで見れば「日本は他の主要国と比べて病床がものすごく多い国」となります。

 ゆえに国は少しでも病床を削減して限りある医療費や医療資源(医師の数や負担など)を有効活用しようという方針を取り続けてきました。結果として病院の病床数は1992年の約169万床をピークに減少し、現在は14万床程度削られています。

 それでも過剰だというのが国の見方。焦りを募らせる最大の要因が第1次ベビーブーマー(1947年~49年生)全員が75歳以上になって社会保障制度の持続可能性がピンチに陥ると不安視される「2025年問題」の存在です。備えるべく16年度末までにまとめられた「地域医療構想」では「急性期」と「慢性期」のベッドが余剰でリハビリ中心の「回復期」が足りないと推定されました。

 急性期はさらに救命救急や集中治療などを要する「高度急性期機能」と急性状態を一般的な手術などで切り抜けて症状を安定化させる「急性期機能」に分かれます。「慢性期」とは長期療養が必要な患者を入院させる機能を必要とするパターン。厚生労働省は少子高齢化による人口構成を踏まえて若年層に目立つ(つまり少なくなる)「高度急性期」と「急性期」を減らし高齢者に多い(増える)手術後のリハビリなどを担う「回復期」を増やすという原則で調整し、全体像たる人口減少に対応して病床そのものを更に5万床程度少なくする方針を進めているのです。

不要と名指しされた病院がコロナ禍で活躍
 昨年9月、厚労省は思い切った判断を下しました。全国の公立・公的病院のうち診療実績が少ないとか近くに似た病院があるなど「再編・統合の検討が必要である」とした全国424病院の名前を公表したのです。結論を今年9月までに求めもしました。

 この「9月まで」の検討結果報告を延期したというのが先述の「見直し」です。まるで不要物のようにすら扱われた424病院の多くが感染症指定医療機関であり、地域における新型コロナウイルス感染症の手助けどころか「砦」の役割すら果たしているからです。赤字体質を指弾された公立病院の多くがコロナ禍のなか通常の診療を控えてまで、つまり赤字拡大を承知の上で感染症患者を引き受けている現状は経済合理性を旨とした削減の押しつけがいかに偏っていたかを如実に物語ります。

 日本の病床が多い(らしい?)理由の多くは民間病院の急増に求められます。保険診療の範囲で行う公定価格下だと民間は立地や人材確保、診療科目などで少しでも有利なポジションを取ろうとします。言い換えればそこからこぼれ落ちる方々を支えるのが公立・公的病院の主要な役割ですから赤字を努力不足と断じるような方向性の見直しが欠かせないと再認識させられた出来事でもあったのです。

 削減の方向にある機能に数えられる集中治療室(ICU)の病床が不足する可能性も日本集中治療医学会が今年4月に声明を出しました。機器が間に合ったとしても体制が追いつかない恐れが出ているようです。

簡単に区分できない「急性」と「回復」
 そもそも「地域医療構想」で示された4類型が実態を反映しているのかも疑問です。報道でも「病床」と「病棟」を同一視するような傾向があるのですが、果たしてそれでいいのでしょうか。

 一定規模以上の病院に入院した経験のある人は皆ご存じのように1つの病棟に急性期と慢性期、あるいは回復期が混在しているなど当たり前です。「再編・統合」とは主にハード面での推進です。救命救急科(高度救急機能)が置かれた病棟に回復期の病床が置かれていても何ら不自然ではありません。

 高齢者がバッタリ倒れていたとして親族などが救急車を呼んだ際、救急隊員で判断がつかなければ救命救急に直行してICU行き(高度急性)というケースは珍しくありません。診断の結果、大腿骨頸部骨折(高齢者に多い)が原因で頭を打って意識を一時的に失った、しかし脳に損傷はみられないとされれば多くは手術(急性)へと移行しましょう。

 その間にもさまざまな検査がなされ、他に問題がなければ回復期へと向かいますが、思わぬ疾病がみつかるかもしれません。そのたびごとに病棟が変わるかといえばそうでもないのです。特に急性期と回復期の境目は簡単にわかるのもではありません。

保健所削減と所長のなり手不足
 PCR検査は保健所を通さなければできない。だから検査数も少ないという批判はかねてよりなされてきました。ただその背景には保健所もまた減っているという事実が横たわっています。

 終戦直後の保健所法を1994年に改正、97年に全面施行された地域保健法を契機に保健所の数は往時の半数程度まで落ち込んでいます。仕事の多くが市町村に譲られ、数も減らすという内容でした。乳幼児の多死や結核を代表とする感染症から市民を守る地域公衆衛生の中心的役割を担ってきた保健所も衛生環境全体が改善され民間医療機関も発展するなど仕事が次第に少なくなって「役割を終えた」という声が出るほどヒマになったという時代背景があったようです。

 加えて保健所長を典型とする行政医師が慢性的に不足しはじめました。日本医師会などが長らく医師不足そのものを認めていなかったのもあり、せっかく医師免許を取得したのに行政組織(公務員)の一員に甘んじ、かつ医療法施行令が定める診療科名(内科、外科など)にも「公衆衛生科」などなく専門性も競えません。都道府県立の保健所は主に管理業務を担うと変更されていて臨床で腕を磨くのでも、研究に没頭するでもない行政医は不人気。全国保健所長会のwebサイトが自治体の「公衆衛生医師募集」を呼びかけているというのが実情です。

感染症病床減少も一理あり
 政府は新型コロナウイルス感染症を感染症法が定める「指定感染症」(2類相当)と決めています。患者に入院を勧告できるだけでなく強制入院の対象にもでき就業制限も可能。医療費は全額公費負担です。感染症病床を持つ「感染症指定医療機関」が主に対応すると決められています。

 全患者の症状や状況把握をスピーディーに行うためにも正しい治療を施すために当初こそ必要な措置ではあったでしょうけど最初の拡大期は感染症病床がひっ迫して医療崩壊が現実味を帯びて緊急事態宣言へとつながりました。

 実は感染症病床もまた減少されてきた歴史を持つのです。もっともコロナ禍以前の利用率は3~4%。要するにガラガラでした。

 2類はWHOが根絶計画を進めるポリオ(小児マヒなど)、ジフテリア、ヒトとヒトの間に感染すれば壊滅的被害が予測されるH5N1型鳥インフルエンザなどが指定されています。比較的発症例が認められる結核も2類ですが医療法上の分類では感染症病床とは別の結核病床に入院します。

 総合すると保健所や感染症病床の減少はそれなりの理があったとわかります。死に至る感染症は突出して多い季節性インフルエンザを除くと「ほぼ克服した」と勘違いしてもおかしくない状態が続いてきたから。

 予兆がなかったわけではありません。80年代後半に日本中を震撼させたHIV感染およびエイズの発症や02年から翌年にかけての重症急性呼吸器症候群(SARS)流行、WHOがパンデミック宣言まで出した09年の新型インフルエンザなど。ただこれらは感染経路が限定的であったり、日本での患者数や死者数が結果的に少数にとどまったまま収束したので何となくやり過ごしてきた感が残ります。新型コロナウイルス感染症は日本人に「人類は我々を征服していない」という当たり前の事実を残酷なまでにあらわに突きつけたのです。

まずは厚労省の縄張り根性の「削減」を
 だとしたら「恐怖の感染症は来る」という前提で備えを改めて考えなければならないという簡単なようで難しい課題でしょう。コロナ禍は不確実性が極めて高く今後の予測は困難ですが、仮に何とか克服できたという形が実現すれば再び感染症病床はガラガラとなり、保健所もヒマになります。一方で高齢化による医療費増大は確実に訪れるリスクであり続けるわけです。

 したがって未知のウイルスに対応するためだけに感染症病床や保健所を増やしていくというのは現実的とはいえません。同様の事態が発生した際にいかに柔軟な対応が取れるかが肝となります。その点で感染症法に基づく行政検査(PCR検査など)でなければいけないという古めかしい仕組みを国(特に厚労省)が見直すのが喫緊の課題です。

 今回でも、いかに遅くともPCR検査が保険適用された3月上旬以降は自治体や民間を含む医療体制が前面に出てテストを充実させられたはず。にも関わらず厚労省は保健所ルートに固執し、委託先の医療機関のハードルを下げません。こうした硬直した態勢を改めて「平時と有事」に機動的に対応できるよう改革が求められます。

 そもそも自治体などの公立・公的病院の再編や急性期機能の縮小、保健所や感染症病床の削減といった20年以上にも及ぶ戦略は主権者・国民の合意を十分に得てきたでしょうか。なるほど「平時」であれば合理性もありましょう。だからこそ「有事」の今こそ大いに国会などで議論すべきです。

 「平時」に戻れば、いかにも「不要不急」に映る存在ですから争点にもなりにくい。感染拡大でテーマとしては「不急」かもしれない半面でヒリつくような局面だからこそ「不要」どころか最大の国家課題として意見がぶつけられる、ある意味で絶対不可欠な話のはずです。

 背景を覆う社会保障費の増大も納税者たる主権者がもっと真剣に考え直す好機です。給付費のトップである年金保険はマクロ経済スライドの導入など抑制が働き始めています。未知の感染症対応のため予算はどのくらい是認されるべきか、仮に現方針を覆して金銭的なケアを充足させる方向へ舵を切るとしたら国家予算全体で何をどう手当てするかというところまで踏み込まなければなりますまい。


坂東太郎
日本ニュース時事能力検定協会認定講師