「学校」をつくり直す

2025年01月24日 11時16分38秒 | 社会・文化・政治・経済

苫野一徳 (著)

「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」のまま続いてきた学校への絶望を、希望へと変える方法を提言する。

小1プロブレム、学級崩壊、いじめ、学力テスト重視……
「なんだかおかしい」。
けれども、学校のシステムはどうせ変わらない、とあきらめていないだろうか。

「みんな同じ時間割」「みんな同じ教材」「みんな同じテスト」は、「当たり前」ではない。
学校が変わるために、私たちに何ができるだろうか。

数多の“現場"に携わる、教育学者による渾身の提言!
学びをもっと遊び(探究)に。/「みんな一緒」をやめる。……

教師は、“共同探究者"。
そして、子どもたちに、“学校づくりのオーナーシップ"を。



【目次】
はじめに

学校システムの限界/新しい学校づくり/教育の“現場"とは?/教育学を役立てる
第1章 何が問題の本質なのか?
「落ちこぼれ」問題/「吹きこぼれ」問題/小一プロブレムは、むしろ学校のプロブレム/アクティブ・ラーニングの落とし穴……
第2章 先生もつらい
教師の多忙/授業のスタンダード化/「ユニバーサルデザインに基づく授業」の落とし穴/“しんどい学校"だからこそ/「エビデンスに基づく教育政策」の問題……
第3章 学校をこう変える1――「探究」をカリキュラムの中核に
システムの転換に向けて/学校は、変えられる/「とりあえず、あれもこれも勉強しておきなさい」?/「探究」は格差を広げる?/もっとたくさん“失敗"を……
第4章 学校をこう変える2――「ゆるやかな協同性」に支えられた個の学び
興味・関心や学ぶペースは人それぞれ/テストも個別化/「○○メソッド」の落とし穴/「方法のパッチワーク化」からの脱却/時間のムダをなくす/制度改革に向けて……
第5章 わたしたちに何ができるか?
まずは知ること/対話を続ける/小さく始める/人は恐怖よりエロスで動く?……

あとがき
引用・参考文献

出版社より

「学校」をつくり直す1
「学校」をつくり直す2
「学校」をつくり直す3
 

商品の説明

著者について

1980年生まれ。専門は哲学、教育学。熊本大学教育学部准教授。著書に『教育の力』(講談社現代新書)『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)『勉強するのは何のため?』(日本評論社)他多数。

 

「学力」「生きる力」などあいまいな言葉があやふやな論理で語られてしまいがちな教育界の現状をふまえ、そもそもの教育の本質や目的を明らかにし、それを形にするための具体的な方法を提案・紹介している。

想定読者層は教員や教授が主かと思われるがとても平易な言葉でわかりやすく書かれているため教育に関心のある人なら誰でもおもしろく読めるはず。イエナプラン、探求学習などのエッセンスをフツーの学校にどう取り入れるかの言及多数。

僕も教育関係の仕事をしている身ですが、自分のやり方を疑ったり探ったりする切り口にはとてもいい本だと思います。
 
  • 5,でもよかったのですが。哲学的な視点というところからは5,なのですが
    反証的材料も、少し付加してもよかったのかな、と感じたので。4点。
    素敵な纏め方ではあるので、参考にはなるかと。

    「まずは『知ること』。当たり前のことだが、これがとにもかくにも第一歩である」は、
    教師を目指すひとこそ読んでほしい内容かと。

    ただ、さまざまな教育現場に在籍し、長きに渡って現場を支えてきた 長年の付き合いのある知人教員3名に、この著書の感想をたずねてみた(たまたま読んでいた、読ませた、等等)

    A氏:まあ、良書だとはおもうけど。正直ね、理想論かなー…本音はこうありたい。自由の相互承認、ってのはとても大事なのはわかりますけど。でも、そうそう簡単にいかない。現場は結局校長裁量。トップダウンのいまの国立大学とそっくりでは?若い人もどんどん辞めちゃう時代(この前も、4か月半でやめられた@新卒、、、、本当に課題が山積中。やや具体性のない哲学を語られてもな…というのが正直なところ(全部具体性がないわけではない、ただ、どうしても現場にいると机上の空論に映る)。ただこれらが実現出来たら、こどもたちはもっと生き生きしますわなー。「学校の大人はせわしなくて怖くて忙しそうで信頼できず」に映っているのが本音。なかなか「意見を述べる」風土が根付いていない現場に配属されると、このようなことを提案しようにもできない、、、難しい。同志を3名以上確保しないと、こういう理想論を展開していくのは、厳しい。

    B氏;同じことを同じように、は常々疑問を感じているところであり、、、それがいやで既存の現場を抜け出したわけで(苦笑)。子どもたちが「自由意思で選べる」ことがほぼないのが今の公学校。(私立はまた別だが)例えば、全ての時間割を自己選択制(単位制は死守するとしても)にしたり、教員を生徒が選べるようにしたらいいのに、と。公立高校やってられんわ、ということで私立や海外に足を運んではや20年。日本へ戻ってきてフリースクールを手伝い始め早10年。日本の教育改革には時間がかかりすぎ、そこへこういう指摘を哲学からずばり、と伝えてくれるのはなんとも心地よい。

    C氏:これを読んでいて、甲野先生の「表の体育裏の体育:(日本の近代化と古の伝承の間に生まれた身体観・鍛錬法 )」を思い出した。あのときに感じた感覚と少しにてるから。現場にいる人間とやりとりをしながらの展開だったらもっと具体性を帯びて、現場の教員も読む気になるのでは?こういう著書は、いかんせん、個人の思想もぐっとはいってきがち。だからこそ、もったいない印象。それでも。。。やはり色々なことを考えさせてくれる著書は、教育者にとって大切な時間ではある。ありがたや。自分はかけないし(笑)

    …現場の先生からすると、現場の先生との対談とかのほうがおもしろいとのこと。工藤勇一先生との対談本もあるけど、ある種トップの御意見だから、、、とも。
    理想論にきこえてしまうのも、忙しさで猫の手もかりたい教師からすると、、、わからんでもないかな~と。

    そんなわけで、色々な意見をもらったものを、まとめたりしながら記載してみました<(_ _)>
     
    教育心理学、教育社会学、教育経済学等、教育に関する学問は色々あるが、著者が専門とするのは哲学と教育学である。
    「哲学は科学の母であり、また同時に科学とは質の異なる問いを問うものとして発展してきた。すなわち、科学が『事実』のメカニズムを仮説的に明らかにするのに対して、哲学は『意味』や『価値』の本質を洞察するものである」。このように、哲学という視座から教育のあり方を根本から問い直す本書には学ぶところが多い。
    哲学というと、ひたすら頭だけで思索する学問と思いがちだが、著者は「毎月、全国の小中高校などをたくさん回り、多くの先生や子供たちや教育行政関係の方々などと交流したり、一緒に仕事をしたり」している。これにより、地に足のついた教育論を説くことができているように思う。

    本書の中で、特に頭に残しておきたいと思ったのは下記である。
    ・教育に関するあらゆる諸問題は、「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」という150年来続いてきたシステムに概ね起因しており、そのシステム自体を変えない限り教育はよくならない。
    ・教育は、すべての子どもに「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、すべての子どもが「自由」に生きられるための“力”を育むためにある。
    ・現代において「自由」に生きるための“力”とは、「自分なりの問いを立て、自分なりの仕方で、自分なりの答えにたどり着く、探求する力」である。
    ・人は多くの場合“エロス”で動くと思う。“エロス”とは、哲学用語でワクワク感とか喜びとかいった意味の言葉。AIがどうとか、経済がどうとか言うより、「こんな教育が実現したら、子どもも親も先生も、もっとワクワクする未来を作ることができるはず」と、私たちはもっと言っていくべきなのではないか。

    これらの知見は、小学生の保護者として家庭教育を行う際の大きな指針となる。哲学をベースとした根本的な指針なので、広範囲に応用も利く。「自由の相互承認」や「エロス」という概念は、自分自身が生きる指針としても参考にしたい。

    さきほど、4月から小学3年生になる息子(長男)にインタビューを試みた。
    Q 小学校は楽しい?
    A どちらかといえばつまらない。しつこく絡んでくる同級生と毎日顔を合わせなければならないし、つまらない授業ばかり。特に国語と算数は板書の書き写しばかりで疲れる。ただし、図工、体育、プログラミングは主体的に動けるので楽しい。

    いままで、なんとなくつまらなそうにしているなと思っていたが、いざ訊いてみると思ったとおりの回答であった。
    次男と三男も、じきに小学生になる。一刻も早く今の義務教育制度が変わってほしいと切に願う。

    著者は言う。「『まずは知ること』。当たり前のことだが、これがとにもかくにも第一歩である」と。
    ぜひ多くの方に本書を手にとっていただきたい。
    我が国の学校教育は、「多数の子供が、同じ教科書を使用して、同じ内容を教師から教えられ、同じテストを受けて評価を受ける」という非常に画一的なやり方である。これは、明治維新以来約150年の長きにわたって定着してきた我が国の学校教育の在り方である。
     しかし、時代は大きく変わった。従来のような画一的な授業では、真に子供の学びを育むことが困難であることが分かってきた。
     本書は、現代のこうした学校教育の問題の本質を明らかにして、そしてその上で、それを克服するための具体的な提言を示している。要するに子供の自主性や個性を最大限尊重し、多様な学び方について言及している。
     「学びをもっと遊び(探究)に」「「みんな一緒」を止める。」まさに理想の教育論を唱えていて参考になる。
     教育行政の元締めたる文部科学省も、近い将来、筆者が考えているような多様な学び方を実現する方針に傾いてゆくだろう。
     本書は、これからの公教育の在り方について一石を投じたものであり、文部科学省の官僚、教師、教育大学で学ぶ学生たちに広く読んでいただきたい一冊である。
    • 現在の日本における公教育の問題点が分かったことです。正直、このシステムが当たり前だと思っていたのですが、様々な教育の仕方が分かった。
      自由の相互承認に関しては、自分の生活にも当てはまった。システムを変える為に、教師が何をすべきか具体的内容が書かれていたので参考になった。
      気に入らないことは
      科学的エビデンスが少ない所です。皆さんも言ってある通り、デメリットは多く語られてはいないです。
      総括として、教育学などに興味を持った人は是非読んでみてほしいです。
      すいません、初めてレビューを書いたので変かもです。
       
    • とはいえ、おそらく、大半の学校・教員は旧態依然としたままだろう。

      理由は、学校教員の多くが日和見主義者であるということ、
      教育(学習)に関して大学で何も専門的な知見を身につけていないことである。

      まず、教員が変わらなくても、毎年、一定数の児童生徒が入ってきて、
      ちゃんと給料がもらえる安定した地位にいれば、必然的に守りに入るもの。

      本書で挙げられたような、授業や学校改革をしなくても、
      食いっぱぐれがない人たちが、そう劇的に変わると思えない。

      ちょっと意識が高い系の教員ですら、
      ○○メソッドや○○モデルに飛びついて、
      「方法のパッチワーク」で終わってしまうのが現状である。

      現在、流行っているユニバーサルデザインも、
      小手先の指導のマニュアル化にすぎず、
      教育の本質を理解しているとはとうてい思えない。

      折角の改革も、
      校長が替わったり、中心的な教員が異動したら、
      元に戻るという学校は珍しくない。

      そうなってしまう根本的な原因は、教員養成課程にある。
      今でこそ、現職上がりの実務家教員が大学教員のポストに就いて大学は増えてきたが、
      それでも、熊本大学や上越教育大学など、
      極限られた大学や大学院でしか、
      教授法や学級経営の専門的な教育が受けられない。

      これでは、教員免許が教員の専門性を担保する時代はまだまだ先であろう。
      「学校」をつくり直すことは確かに大切だが、
      まずは、教員を育てる大学の教職課程をつくり直すべきではないだろうか。

 


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