自閉症の僕が跳びはねる理由

2019年12月29日 12時04分05秒 | 社会・文化・政治・経済
 
東田 直樹  (著)

内容紹介

28か国で翻訳、世界的ベストセラー!会話のできない自閉症者の心の声。

「僕が跳びはねている時、気持ちは空に向かっています。空に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのです」(本文より)
人との会話が困難で気持ちを伝えることができない自閉症者の心の声を、著者が13歳の時に記した本書。障害を個性に変えて生きる純粋でひたむきな言葉
は、当事者や家族だけでなく、海をも越えて人々に希望と感動をもたらした。世界的ベストセラーとなり、NHKドキュメンタリー「君が僕の息子について教えてくれたこと」でも放映された話題作、待望の文庫化!
デイヴィッド・ミッチェル(英語版翻訳者)による寄稿を収録。

内容(「BOOK」データベースより)

僕は跳びはねている時、気持ちは空に向かっています。空に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのです―。人との会話が困難で、気持ちを伝えることができない自閉症者の心の声を、著者が13歳の時に記した本書。障害を個性に変えて生きる純粋でひたむきな言葉は、当事者や家族だけでなく、海をも越えて人々に希望と感動をもたらした。世界的ベストセラーとなった話題作、待望の文庫化!

著者について

●東田 直樹:1992年8月千葉生まれ。作家。重度の自閉症。パソコンおよび文字盤ポインティングにより援助なしでのコミュニケーションが可能。理解されにくかった自閉症者の内面を綴った作品『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール)が話題になり、2013年には英語版がデイヴィッド・ミッチェルの翻訳で刊行。その後20か国以上で翻訳され世界的なベストセラーに。エッセイに『跳びはねる思考』『自閉症の僕の七転び八起き』、詩集『ありがとうは僕の耳にこだまする』等。全国各地で講演会を開催している。

 

最後まで、心を動かされたまま読みきった。障害者が書いたから評価される…そんな作品では全くない。もちろん、自閉症である著者でなければ書けない本だが、哀れみや「福祉」の観点で評価されているわけではないことが読めばわかる。本の虫を自負しているが、本を読んで初めて、心に突き刺さった。全く自分の知らない世界を、これほどリアルに突きつけられた気持ちをどう表現すべきなのかわからない。感動、驚き、共感といった言葉では追いつかない気がする。自閉症に関心のある人だけでなく、多くの人に手にとってほしい。


8月中旬、突然主人がこの本を予約していました。
実際に届いたのは9月の中旬で、1か月近く経ってようやく手元に届いたのでした。

しかしながら、私はさっぱり主人の気持ちが分かりませんでした。
届いた本の表紙を見て「病気を持つ方が自費出版したものなのかな?」と思った程度で、
その本を手に取ろうとすら思いませんでした。

しかしながら、その数日後、たまたまNHKでこの本を取り上げた番組をみました。
気づけば、番組をみながら、ずっと泣いている自分がいました。

わが家には4歳になる息子がおり、生後半年まで健康体だったのですが、
ある病気にかかり、その治療中薬の副作用で脳死状態となりました。

命はとりとめましたが、脳に酸素が行かず、
歩くことも、喋る事も将来は不可能だと言われました。

今は歩くことは出来ていますが、発語はできません。
奇声も上げますし、飛び跳ねますし、かみつく事もしょっちゅうです。

正直、こういった状況に疲れ果てておりました。
命は助かったものの、死んでくれたほうが楽かもしれない と
何度も思う事もありました。そして、そんな自分を責めていました。
朝夕、沢山の親御さんの前を通って、息子を施設の保育園に送っていますが、
健常なお子さんを見る事の辛さ(息子も病気にならなければ、普通に
喋っていたのに。。。歩いていたのに・・という思い)と、
他の親御さんが息子に対して向ける「変な子」という視線に耐えられない日々でした

そんな中、東田さんの番組を見て、自分の息子と重なるものがありました
(自閉症ではないものの)

障害を背負った息子の、母親になった自分だけが辛いのだ と思っていましたが、
それは大きな間違いだった という事に気づかされました。

あの番組を見て、著書を拝読して以来、息子に対しての態度も
変わりました。
親である私が、息子に対して、1個人として接していなかったこと、
腫れ物に触るような気持ちでいたこと、
そんな自分を、とても恥ずかしく思いました。
今後、喋る事の出来ない、自己表現の出来ない息子と歩む人生で、
東田さんの本が大きな影響を与えてくれたことは、間違いありません。

テレビで東田さんが話していた事で、一番印象的だった言葉は
「周りの人の刺すような視線が辛い」
というものでした。

飛び跳ねたり、大声をあげたり、奇声をあげる我が息子ですが、
周りからの冷たい視線はよく感じます。
それが嫌で、私は引きこもっていました。

でも、その視線が当人にとっても辛い物である とは考えもしませんでした。

勿論、東田さんの心情と、息子の心情が同一であるとは思いませんが、
周囲の冷たい視線が辛いのは、私の息子もそうなのかもしれない・・・と一瞬思いました。
自分だけが辛いなんて、何を馬鹿な事思っていたんだろう
と思わされた一言でした。

A横道にそれる内容ばかりで申し訳ありません。
AMAZONのレビューに書く内容ではない と思いましたが、
率直な気持ちを書かせて頂きたいと思い、
恥ずかしながら載せさせていただきました。

ここに一人、東田さんの存在で、出された本によって、それが普及することで、
救われた気持ちを抱いた人間が存在する事をお知らせしたかったのです。

この方の著書が日本内で、世界中で、障害のあるなしに問わず
多くの方に読んでもらえる事を心の底から望んでいます。


最初にテレビで作者のことを知りました。自閉症としては重たいほうかなと感じました。症状の重さと知的感覚・能力は比例しないことはなんとなく理解はしていました。私たちにとって理解しようのない行動パターンや意味不明な言語は、好んで表現しているとは限らないと知っただけでも意義がありました。この本を読んで疑問に思う人がいても、反発があったとしてもそれはその人にとっては正しいと思います。人はみな同じ考えを持っているわけでも、同じ能力を備えているわけでもありません。
だからこそ他人を理解しようと努力し、他人の意見を聞き、理解を深めていくのだと思います。
日ごろの作者の思いを理解できたことがこの本を読んだ大きな収穫です。そのことをどのようにとらえ、何を目標に置いて前に進むかは十人十色なのでしょう


知り合いの幼児が自閉症と分かり、勧められて読みました。話せなくても、ちゃんと考えていること、私たちより、より平和で優しい心を持っていると分かり胸が熱くなりました。彼らの平和な世界を造っていきたいと影ながら考えています。みんな違っているのが、当たり前だし、当然なのだと考えさせられました。私達が枠に拘り未熟なのだと、ハッとさせられました。


普段、図書館で本を借りることが多いのですが、どうしても感謝の気持ちを表したく本を購入しました。
家族の事をもっとわかることができ、今後の助けになりました。
愛しい存在が、ますます愛しく感じられました。
様々な自閉症の本を読み、不安になってしまったご家族などにもお勧めです。
しかし、何より私自身の心が洗われ、涙が沢山流れました。
何気なく生きている世界の、真の美しさ、やさしさ、有難さを見せていただいたような、
まるでデトックスされた気持ちです。
そして直樹さんがここまでの文章を書けるよう支え続けている、お母様やご家族様、周りの方々の、
その愛と忍耐にも感動、敬服しております。
感動がうまく言葉にならず恐縮なのですが、人生で1番、人に薦めたい本です!!
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています。


英語版”The reason I jump"を読んだ英国人の友人が、「自閉症の人が、こんなに素晴らしい能力を持っているなんて、想像したこともなかった」と言って、紹介してくれました。私は日本語版を読みました。自閉症の人の心と体内で起きていること、それによって本人がどれだけ苦しんでいるのか、そして同時に周囲の人にどれだけ心を配っているのかを、初めて知りました。ショートストーリーにはウィットとユーモアを感じました。「自閉症についてどう思ういますか?」には胸がつまされました。とても良い本です。自閉症の人、障害に苦しむ人が、少しでも楽な気持ちで生きていける世界を作りたいものです。


10年以上前から、駅のホームで、突然にダーと駆け出す子供がいて、どこか傷害がある方だと大くくりで見ていました。しかし、本書を読み、障害には様々あるということ、心の中で感じたり考えたりしていることに、健常者と全く違いはないということを知りました。こちらの理解しようとする努力が足りず申し訳なく思います。


読んで感じたことです。一人の自閉症者ではあるものの、そうした方々の考えの一端に触れることができたのはありがたかった。
素直な言葉で綴られてるので場所によっては、そんなこと言われてもなとかそれは我儘なのではと思ったところもあった。ただ、心も感覚もそれら全てを自由に適切に制御できないとしたら自分はどう感じるだろう、いやそもそも彼らの素直な思いが特殊なのか大多数の一般的見解や感情が実は特殊なのか考えさせられた。
何が正常で何が異常なのか、そもそも正常って何のなのか見つめ直す良いきっかけになった。




 

 

 
 
 
 

 

創作の原点 映画監督 岩井俊二さん

2019年12月29日 11時05分46秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

小説や手紙を物語の中核に据え、心の内面のひだを丁寧に紡ぎ、しっとりした情感とノスタルジーを引き寄せる。

創作の幅は広い。
もともと、好きなことに熱中して想像し、それを形にしようとする子供だったという。
小学低学年のころから、絵を描くのも文章を書くのも好きだった。
中学に入ると思春期らしく「季節って何だろう」と目に見えないことを考えた。
今よりはるかに感受性が豊かで、「受信者ではいられず、何かを表現しないと我慢ができなくなった」
多彩な分野への創作意欲は小中学生から始まっていたのだ。
疑問を持ちながらも、やるほどにできることも増えていく。
具体的な表現方法は分からなかったが、描きたいもの、創りたいものは、できるところから始めた。
「今もその考え方は変わっていない」と話す。
映画は高校生の時から好きだった。
高校3年の時に見たクロード・ガニオン監督の「KeiKo」という作品は、カメラと人しかいない感じがして、自分でも作れるんじゃないかと思ってしまった。
「大学に入るなり映画を作り始めた。いったんそう思ってしまうと、作りたくて仕方なくなってしまう。僕の場合、集団芸術に参加するというより、子供の時やっていた粘土細工と同じ。形にできるかどうかなんです」
絵も漫画も「最初は時間がかかるが、だんだんうまくなった。最初は出来そこないの失敗作ばかりで、最初から得意なものなんてなかった」
むしろ、みんなができることができないところから始まった。
「極めて不器用に生まれた」という劣等感のなかで、人知れず「こっそり失敗を直していった。学校の勉強より手間がかって、計り知れないカロリーを使ってきた」とほほえむ。
今の課題は読書。
「アウトプットのみが好きで、インプットは苦手。最近は、生涯読むことがないと思っていた名作の文学を読んでいます」
「表現したい」意欲に突き動かされ
「作為的になることもあるので、情感を強調せず成立させることにした。
毎日新聞12月28日記事から引用

岩井 俊二(いわい しゅんじ、1963年1月24日 - )は、日本の映画監督・映像作家・脚本家・音楽家。脚本家としては、網野 酸(あみの さん)というペンネームを用いることもある。
主な作品
映画
『Love Letter』
『スワロウテイル』
『リリイ・シュシュのすべて』
『花とアリス』
『リップヴァンウィンクルの花嫁』
経歴・人物[編集]
宮城県仙台市出身[2]。仙台市立西多賀中学校[3]、宮城県仙台第一高等学校を経て、1987年、横浜国立大学教育学部美術学科卒。学生時代から小説家を目指し、美術の学科に入ったのもその道に影響すればいいと思ったためである。絵はあくまでも趣味で描き、漫画の持込みなどもした。卒業前にも就職活動をせず、とにかく映像関係の仕事に就くためアルバイトをしながら人脈を広げる。
小学時代、ほかに家にレコードがなかったため、百科事典のオマケについていた『世界の名曲』というレコード集でシューベルトやショパンを聴き込んでいたという。ターンテーブルは幼稚園の頃から家にあった[4]。
1988年、ビーイングなどのミュージック・ビデオの仕事を始める。1993年、テレビドラマ『if もしも~打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を演出し、日本映画監督協会新人賞を受賞。テレビドラマでの受賞はきわめて異例である。同作品は再編集され、1994年劇場公開される。1995年、初の長編映画『Love Letter』を監督。日本や中国でも好評だったが、韓国では特に爆発的な人気を呼んだ。これに続く『スワロウテイル』は賛否両論あったが、岩井の知名度を大きく上げた作品である。
その後長編・短編作品を順調に公開し、独特な映像美から「岩井美学」などと呼ばれるようになる。初めてドキュメンタリーを発表した1999年頃から劇映画の監督業以外にもフィールドを広げ、2000年には庵野秀明監督作の『式日』に俳優として出演。新しい技術の取り組みにも熱心で、日本で最初にAVIDによるノンリニア編集を取り入れ、『式日』と同じ年にはインターネット上のBBSを使った大衆参加による小説『リリイ・シュシュのすべて』を完成、映画化する。この映画もまたHD24Pという、フィルム表現に近いデジタル撮影による新しい方法で行われ、仮編集はApplePowerBookが用いられた。この撮影法をいち早く取り入れた一人である。また、2003年にはWEB配信という新しい上映方法で『花とアリス(ショートフィルム)』を公開。
2004年4月1日からオフィシャルのウェブページでシナリオ募集していた『しな丼』のコーナーを閉鎖し、「戯作通信」こと『playwoks(プレイワークス)』というウェブサイトを開設、また合わせてラジオ番組、『円都通信』がスタート。この『playwoks』(『しな丼』)で扱われたシナリオがラジオドラマとして毎週放送されていた。その中の作品「虹の女神」(2006年)、「BANDAGE バンデイジ」(2010年)が映画化。プロデューサーとしての手腕も見せる。
2005年より[要出典]ロサンゼルスに拠点を移し活動している[5]。2009年にはフランス・アメリカ合作映画である「ニューヨーク、アイラブユー」に監督の1人として参加[5]。ハリウッドにて初の長編映画「vampire」を撮影した。
映画監督の市川崑へのリスペクトを示している事でも知られており、『市川崑物語』の監督も務めた。
フジテレビの深夜枠であるJOCX-MIDNIGHTのアイキャッチ「音楽美学」を製作した。
なお、2009年横浜開港150周年記念テーマイベント(開国博Y150)において、プロデュース及び、初のアニメ脚本『BATON』を手がけている。
2014年、短編『TOWN WORKERS』で初のアニメーション作品を手がける。
2015年1月8日から、NHKのEテレで『岩井俊二のMOVIEラボ』が放送[6]。
2015年2月20日、長編アニメーション作品『花とアリス殺人事件』を公開。
前作に引き続き、ロトスコープで作られた理由は、元々生々しいロトスコープを気持ち悪いと思っていたが、ラルフ・バクシの作品を見て、斬新さや美しさを感じたのがきっかけで、20年前からテストしており、ある水準に達したので挑戦している。実写を線でなぞるだけだと気持ち悪い絵になるため、顔だけ手描きでディフォルメするなど試行錯誤している。
映画プロデューサーの鈴木敏夫には、「アニメ業界でロトスコープはタブー」と否定的な意見も言われているが、本人は「アニメの人達からすると、それはアニメじゃないって事になるんですよ。
なぞるだけじゃないかっていう。でも僕からすると、アニメだって言われてる物を見ると、本当の人の動きの美しさに欠ける訳ですよ。こんなんでいいんだろうかって」とも語っている[7]。
2016年2月、NHKで『岩井俊二のMOVIEラボ シーズン2』が放送。
作品


昭和とわたし

2019年12月29日 10時23分04秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 

内容紹介

あらすじ・内容
「本書はわが人生のアンソロジーです」。二・二六事件、太平洋戦争、沖縄密約……昭和に翻弄された女性たちに寄り添って、時代の声を刻み続けた約50年にわたる仕事を一冊に凝縮。

女性ノンフィクション作家の草分けとして知られる著者。
昭和の戦争や重大事件を扱った重厚な作品から、着物について書かれたエッセイ、友人との交遊など描いた軽妙な作品まで、その魅力を余すことなく収録した「澤地久枝入門」に最適の一冊!

【目次】
序  その仕事を貫くもの
I わたしの満州  戦前から戦中を過ごして
II 棄民となった日々  敗戦から引揚げ
III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく
IV もの書きになってから 出会ったひと・考えたこと
V 心の海にある記憶   静かに半生をふりかえる
VI 向田邦子さん  生き続ける思い出
わたしが生きた「昭和」
声なき民の側から歴史を書き続ける筆者が,自身の歩みと家族の歴史に焦点をあて,「昭和」という時代の検証に挑む.
昭和史を知るために最適の一冊
歴史の闇に埋もれた人々の声を作品に残してきた澤地久枝。その膨大な仕事の中から、今の読者に伝えたい文章だけを選りすぐった。

商品情報

貧しさゆえに一家で「満州」に渡り過ごした少女時代,敗戦後の難民生活と家族の運命….つねに声なき民の側に立って歴史を見つめ続けてきたノンフィクション作家が,今初めて自身の今日までの人生と家族の歴史に焦点をあて,「昭和」という時代の検証に挑む.作家活動の原点を示す記念碑的作品.

歴史の闇に埋もれた人々の声を作品に残してきた澤地久枝。その膨大な仕事の中から、今の読者に伝えたい文章だけを選りすぐった。

内容(「BOOK」データベースより)

女性ノンフィクション作家の草分けとして知られる著者。昭和の戦争や重大事件を扱った重厚な作品から、着物について書かれたエッセイ、友人との交遊などを描いた軽妙な作品まで。その魅力を余すことなく収録した「澤地久枝入門」に最適の一冊!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

澤地/久枝
1930年生まれ。ノンフィクション作家。東京・青山に生まれその後、家族と共に満洲に渡る。1949年中央公論社に入社。在社中に早稲田大学第二文学部を卒業。退社後、五味川純平氏の助手となり『戦争と人間』の脚注などを担当する。

向田邦子さんとは20代からの付き合いで1981年、飛行機で向田さんが亡くなるまで続いた。

さらに大江健三郎さんとの出会い、「あんたは乾いた文体で昭和史をお書きなさい」と言われた。

作家としての方向性が定まらない時期だけに胸にしみた。

そして「全く言われた通りになりました」

1972年『妻たちの二・二六事件』(中公文庫)で作家活動に入る。

1986年、『記録ミッドウェー海戦』(小社刊)で不明だった日米の戦死者3419名を掘り起こした功績により菊池寛賞受賞。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

アフガニスタンで殺された医師の中村哲さんとも親交が長かった。

2010年に刊行された「人は愛する足り、真心は信ずるに足る-アフガニスタンとの約束」では聞き手を務めた。

「かけがいのない人を亡くしてしまいました。本当に日本人の誇りでした」

 

 

 

 
 
 

 
 
 
 


独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

2019年12月28日 16時01分57秒 | 社会・文化・政治・経済
 
大木 毅 (著)
 

内容紹介

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。日本人の想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

【著者からのメッセージ】
第二次世界大戦の帰趨を決したのは独ソ戦であるが、その規模の巨大さと筆紙につくしがたい惨禍ゆえに、日本人にはなかなか実感しにくい。たとえば一九四二年のドイツ軍夏季攻勢は、日本地図にあてはめれば、日本海の沖合から関東平野に至る空間に相当する広大な地域で実行された。また、独ソ戦全体での死者は、民間人も含めて数千万におよぶ。しかも、この数字には、戦死者のみならず、飢餓や虐待、ジェノサイドによって死に至った者のそれも含まれているのだ。そうした惨戦は、必ずしも狂気や不合理によって生じたものではない。人種差別、社会統合のためのフィクションであったはずのイデオロギーの暴走、占領地からの収奪に訴えてでも、より良い生活を維持したいという民衆の欲求……。さまざまな要因が複合し、史上空前の惨憺たる戦争を引き起こした。本書は、軍事的な展開の叙述に主眼を置きつつ、イデオロギー、経済、社会、ホロコーストとの関連からの説明にも多くのページを割いた。これが、独ソ戦という負の歴史を繰り返さぬための教訓を得る一助となれば、著者にとってはまたとない歓びである。

内容(「BOOK」データベースより)

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

大木/毅
1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史)。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在、著述業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

この世において
「地獄」でない戦争は
存在しないのかもしれませんが
「独ソ戦」(1941-1945)は
軍事的な合理性をすら失い
「世界観戦争」(絶滅戦争)にまで
変質して行ったという点において
最高度に「地獄」的な戦争でした。
それが読了していちばんの感想であり
本書の核心と申し上げてよいかと思います。
著者は新史料(あとで述べます)に基づき
軍事的な「経緯」のみならず
独ソ戦の「性格」を正確に論じています。
一般向けの新書として白眉と思います。

上記の著者の結論は
「終章」において詳述されます。
戦争をその性格上
①通常戦争
②収奪戦争
③世界観戦争(絶滅戦争)
の3つに分類し
独ソ戦の時間的な各段階において
①、②、③がどのような
相互関係にあったのかを
「模式図」で示したものが
掲載されています(p.221)。
数学の集合論や論理学で多用される
「ヴェン図」(ベン図)を
イメージしていただけると幸いです。
要するに3つのマル(円)の相互関係です。
ちなみにジョン・ヴェン(1834-1923)は
英国の数学者・哲学者で
いわゆる「ヴェン図」を導入しました。

独ソ戦は
①通常戦争、②収奪戦争、③世界観戦争
(絶滅戦争)の3つが並行して始まり
最終的には①と②が③に完全に包含されて
しまったことが模式図から読み取れます。
そして「通常戦争」が「絶対戦争」に
変質して行っていたことが示されています。

個人的には父祖から耳で聴いた
戦争の地獄と言えばたとえば
・ノモンハン事変(1939)
・ガダルカナル島撤退(1943)
・インパール作戦(1944)
・レイテ戦(1944ー45)
・硫黄島の戦い(1945)
‥などを連想します。このように
旧日本軍の「地獄」は
例えば、敵の圧倒的火力の前に
無力感から精神的失調をきたしたり
あるいは、兵站(補給)の不足・欠損による
飢餓や餓死のイメージが強いのが
特徴と言えるかもしれません。

これらに対して独ソ戦は
ヒトラー(1989-1945)に代表される
「劣等人種」(ウンターメンシュ)を絶滅し
「東方」にドイツ民族(アーリア人)の
「生存圏」(レーベンスラウム)を獲得する
‥というナチス・ドイツ側の世界観と
スターリン(1878-1953)に代表される
「不可侵条約」を一方的に破棄した
「ファシスト」の侵略を
ソ連邦の諸国民が撃退して
「共産主義」イデオロギーの優越を示した
‥というソ連側の世界観の激突でした。
この「世界観の激突」を通奏低音として
本書は書かれていると思います。

独ソ戦の「性格」の話が長くなりましたが
軍事的な経緯やディーテイルについても
本書は「実証的に」詳述されています。
「実証的に」と強調しましたのは
これまで独ソ戦について記述された
一般向けの本の中には
誤った史料に基づいて書かれたものが
少なくなかったからです。
さらに
1989年に東欧諸国が解体し
1991年にソ連が崩壊してから
多くの新史料が見つかりましたが
それらが記述に反映されることなく
標語的に申し上げれば
「1970年代の水準で止まっている」
記述が(特に日本における)
一般向けの本では多かったことは
否定できないようです。

本書によりますと例えば
独ソ戦に直接の関係はありませんが
ヘルマン・ラウシュニングの
『永遠のヒトラー』(天声出版 1968)は
ヒトラー語録・ヒトラーとの対話
というふれこみでしたが現在では
偽書(つまり捏造)であることが
判明しています。

あるいはまた
フランス人を連想させるペンネーム
「パウル・カレル」
で多くの戦記物を書いたドイツ人
パウル・カール・シュミット
(1911-1997)につきましては
2005年
ドイツの歴史家ヴィクベルト・ベンツが
パウル・カレルの伝記を上梓し
体系的な批判を行いました。
カレルの基本的な主張は
「第二次世界大戦の惨禍に対して
ドイツが負うべき責任はなく
国防軍は劣勢にもかかわらず
勇敢かつ巧妙に戦った」(はじめに ⅷ)
でした。つまり現在の視点からみると
明らかにまちがっていたので
「歴史修正主義」(同)
です。その結果
2019年現在、母国ドイツにおいて
パウル・カレルの著作は
「すべて絶版とされている」(はじめに ⅹ)
と著者は指摘しています。
カレルの捏造(実際には存在しなかった
事象を記述すること)について
具体的な記述が「はじめに ⅸ」にあります。

新約聖書「使徒行伝」第9章18節
の表現を借りるならば
「目からうろこのようなものが落ち」る
思いを読了後にしましたのは
上記のラウシュニングやカレルに対する
現在の世界標準の評価だけではありません。
いくつか順不同で挙げてみましょう。

・ドイツ国防軍は
ナチスによる犯罪・戦争犯罪
(SSによるジェノサイドなど)
に関連して決して
無謬(むびゅう)ではなかった。

・そもそも独ソ戦は
ヒトラーの「世界観」によって
のみ起こされたのではなく
ドイツ国防軍も軍事的な観点から
「対ソ戦やむなし」と考えていた。

・ドイツ陸軍総司令部(OKH)が
立案した対ソ作戦は
1)敵を過小評価し
2)我が方の兵站能力を無視した
ずさんな計画だった。

・ドイツを含む中央ヨーロッパの
鉄道が標準軌であるのに対し
ロシアの鉄道は広軌であるから
ドイツ軍にとっては線路の
レールの幅を変える工事をしないと
鉄道による輸送はままならなかった。
(ナポレオンの侵攻を教訓に
二度と侵略されないように
ロシアはわざと鉄道の軌道の幅を
ヨーロッパと違うものにした
とする説を聞いたことがあります)

・「電撃戦」(ブリッツクリーク)
というコトバはそもそも
宣伝・啓蒙当局あるいは
ジャーナリズムが使い始めたもので
軍事用語ではなかった。

・「ドクトリン」という
軍事用語があり重要な概念である。

・史上最大の戦車戦と言えば
「クルスク会戦」(1943)
(の中の「プロホロフカ」の戦い)
という定説があったが
ソ連崩壊・冷戦終結後の新史料による
研究が進んだ結果
独ソ戦の初期において既に
大規模な戦車戦が展開されていた
ことが明らかにされた。
参加した戦車数が
クルスク(プロホロフカ)を上回る
戦車戦があったことが判明している。
ひとつの例は「センノの戦い」である。

‥上記のように私にとりまして
「目からうろこのようなもの」を
挙げて行くときりがないくらいです。

振り返ってみれば
・1989年11月 ベルリンの壁崩壊
それと並行あるいは続発する
東欧諸国の解体
・1989年12月 マルタ会談
(冷戦終結を明記)
・1990年10月 ドイツ統一
・1991年12月 ソ連邦崩壊
という歴史的事象を私は
リアルタイムで見聞きしていましたが
その結果
多くの新史料が公開され
独ソ戦を含む第二次世界大戦に関する
研究が飛躍的かつ画期的に進んだ
という事実を今、実感しています。

ヒトラーの伝記(あるいは第三帝国史)
ひとつとっても
ソ連崩壊以前に
アラン・バロック(1914-2004)
ウィリアム・シャイラ―(1904-1993)
ヴェルナー・マーザー(1922-2007)
ヨアフェム・フェスト(1926-2006)
ジョン・トーランド(1912-2004)
‥などの著者たちによる
特色ある書物が出版されていました。
それらに加え
ソ連崩壊後の新史料を踏まえた
イアン・カーショー氏(1943-)の大著
『ヒトラー(上):1889-1936 傲慢』
(白水社 2016)(原著 1998)
『ヒトラー(下):1936 -1945 天罰』
(白水社 2016)(原著 2000)
が出版されいわばヒトラー伝の
「決定版」となった観があります。
上下二段組で本文に限定しても
(上)が 611ページ
(下)が 870ページあります
(重さはどちらも軽く1キロを超えます)。
とりあえず一度目を通しましたが
なにしろ大著ゆえに細部まで
読みこなすのは時間が必要です。
独ソ戦についても的確な記述が
多々あります(特に下巻)。

カーショーの大著に比べると
逆に一冊の「新書」という
限定された舞台で独ソ戦を記述する
という行為は別種の困難さが伴なう
であろうことは容易に分かります。
材料を取捨選択し
文章の論理的構造を組み立て
かつ読者が(研究者ではなく)
(私を含む)一般人を対象とするという
配慮をする必要があります。
従って本書は
一冊の新書で独ソ戦をコンパクトに
しかも本質的に記述した労作
ということができると思います。

付録の「文献解題」は
次に読むべき本の指針となりますし
「略称、および軍事用語について」
「独ソ戦関連年表」は
よくまとまっていて使いやすいです。


当方も例に洩れずパウル・カレルをはじめとするフジ出版社などの「軍記物」や小林源文あたりからドイツ軍・武装SSについて読んでいた方だ。
 この本は国防軍神話に批判的な割には意外と具体的な記述のない本だ。この著者が訳した伝記と同様、エーリヒ・フォン・マンシュタインには大甘なので、彼が第11軍司令官時代にユダヤ人虐殺の命令を出した事に触れたくないらしく、同じ南方軍集団に所属していた第6軍司令官時代にヴァルター・フォン・ライヒェナウ元帥が出したライヒェナウ指令すら出て来ない。ビーヴァーの「スターリングラード」は「ドイツ軍最高の戦略家」に手厳しいが、そんな発想がないのだろうか?
 また「スターリングラード」にあるように「投降した将兵を以て『ドイツ解放軍』を結成するとの案」を出したのはヴァルター・フォン・ザイトリッツ-クルツバッハ砲兵大将なのに、パウルス元帥だと混同している。この本の著者は文献解題で犬猿の仲らしい相手の「誤訳」を批判したり、Twitterで白水社版の「ミレナへの手紙」の邦訳者がミレナ・イェセンスカーはアウシュヴィッツで「死んだ」と書いた本を酷評したりしているが、そんな事より自分の間違いに気がつくべきだ。何しろ「トレイシー」を読まないで「兵士というもの」の監修をしたり、「歴史修正主義者」というより「ナチの残党」という方が世代的にはふさわしいパウル・カレルの「砂漠のキツネ」には書かれているのにロンメル伝で他の戦死したり負傷したりした将軍達の中で後年のロードス突撃師団長ウルリヒ・クレーマンも負傷した箇所で彼だけ「削除」しているのだから。ロードス突撃師団を取り上げた「ラスト・オブ・カンプフグルッペⅢ」の著者と違って、「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」を読んでいるから、といって、こんな使い方をしていては話にならない。追記・Twitterで指摘に答える形でパウルス伝に基づいていると呟いていたが、出典を含めて本に書いてほしいものだ。
 「第二次大戦の〈分岐点〉」でナルヴァの戦いを取り上げているのに「旧バルト三国」という表現を使っている。ソ連時代ですらバルト三国はソ連を「構成」する「民族共和国」なのだが、それなら「旧ウクライナ」という表現をすべきではないか?新書本だから収まりきれないだろうが、バルト三国のようなドイツとソ連との間に置かれた国家やドイツの同盟国だったハンガリー、ルーマニア、フィンランドといった国々が「絶滅戦争」では、どういう役割を果たしたのか、も触れるべきだった。また「絶滅戦争」における自由ドイツ国民委員会とドイツ将校同盟及びロシア解放軍をはじめとするドイツ側の民族部隊の位置づけも取り上げるべきだった。追記その2・「第二次大戦の〈分岐点〉」にはモスクワ戦直後の「レニングラード」解囲戦の記述で、この本での表記に従うと「第2打撃軍」がドイツ軍に包囲されてから「1942年の晩秋」に飛んでいる。つまり「第2打撃軍」がスターリンに見捨てられて壊滅して、司令官のヴラーソフ将軍がドイツ軍に投降するまでの記述がない。赤軍の「作戦術」を高く評価する為には「独ソ戦」を書くのに必要なヴラーソフの存在を抹殺したのか、それとも「ドイツ軍事史」で「予防戦争論」についてを書いた箇所で「捕虜、しかものちにウラソフ軍に走った捕虜の証言に重きを置くホフマンの主張を、『コラボ史料』が疑わしいことはいかなる歴史家にも明らかであると一蹴する」と書いたように「ウラソフ軍」の名目上の「親玉」に相当な偏見があるのか知らないが、せっかくヴォルコゴーノフ将軍が「勝利と悲劇」で一章を割いてヴラーソフを書いているという意味が理解出来ないようだ。しかし「コラボ史料」云々と評した人は「独ソ戦」の著者が忌み嫌う人が訳した「総統からの贈り物」の共著者の一人と思うが、グデーリアンの回想録を読んでいないのか、読み飛ばしたのか、あるいは邦訳とは違うテキストを使っているのか知らないけれどグデーリアンがダイペンホーフ荘園の略奪については、ある程度書いているのを知らないらしい。勿論、「誤訳」というなら話なら別ですが。「コラボ史料」という表現は例えばマルガレーテ・ブーバーーノイマンの著書や「独ソ戦」の著者がもっとも忌み嫌うパウル・カレルが「バルバロッサ作戦」でトゥハチェフスキーを書く際にシュピーゲルグラスという名前が出てくるので多分クリヴィツキーの本だと思うが、一頃だったら「反共宣伝」だの「逃亡者の捏造」だのといった「印象操作」をして「歴史のゴミ箱」に葬り去ろうとした時に使うアジプロの文句を連想する。ドイツ民主共和国国家評議会議長にしてSED書記長だったエーリヒ・ホーネッカーの「私の歩んだ道」のような本ですら「赤軍」の著者のエーリヒ・ヴォレンベルクについては「モスクワでは、レーニンの革命的教訓とレーニンの国の生活を深く理解できるよう、私を助けてくれたのであり、階級闘争の中で一〇年以上も功績をあげたのであった」とか「ボレンベルクはブションヌイと個人的な知り合いだったので、私を彼に紹介してくれたボレンベルクは、前に述べたとおり、後年、敵側に走ったが、ブションヌイとのこの一件に関して、私は今でもボレンベルクに感謝している」とかと書いているんですけれど。


独ソ戦で「ドイツ軍は占領地で徹底した破壊と殺戮を繰り広げた」
の一文の裏側で実際に何が行われていたかを知りたいと思うと、「スターリングラード攻防戦」や「クルスク戦車戦」等の個々の戦役や、アウシュビッツ等の絶滅戦争の側面を詳細に記した高価な(研究)書籍は存在する一方で、「第二次世界大戦史」のタイプの書籍では数ページしか記述がなく、価格を含めて手軽なテキストが存在せず不満でした。その中間を埋める事に成功している書籍です。
見やすい地図・図表、巻末の参考文献、略語説明、年表付きと丁寧な作り、戦争本にありがちな過度に感傷的にならない簡潔な文章・文体とテキストとして優れています。

戦局の進行(バルバロッサ作戦→スターリングラード攻防戦→ドイツ軍の退却と敗北)と呼応する形で著者が説明する所の「通常戦争」「収奪戦争」「絶滅戦争」と戦争の性質が変わっていったという記述が特に分かりやすく印象に残りました。優れたテキストですが無味乾燥な通史書ではありません。

人類史上例を見ない特異な戦争である「独ソ戦」‐その事は本書を読み進むうちに理解が進むでしょう‐に関心のある人すべてにお勧めしたいです。

個人的には「アンネの日記」や「夜と霧」、映画「スターリングラード」、アインシュタインが亡命のアメリカで原爆の実現可能性についてルーズベルト大統領に書簡を送ったという”事実”等々、本書を読んで「なるほど」と、理解が立体的に深まりました。

p.s.
いわゆる「軍事クラスタ」の読者にも刺さる内容だと思います。



 

人生を変えた恋愛カウンセラー

2019年12月28日 14時29分31秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

羽林 由鶴さん
太め女性恋愛応援カウンセラー。103kgのバツイチ子持ちでありながら、東京大学大学院卒の13歳年下男性と出会い、やがて結婚。

自身の経験を生かした恋愛術は、すべての悩める女性たちを包み込み、幸せに導くと話題に。テレビ、雑誌、新聞等の各メディアも注目

ストレスが重なった上、肺塞栓症で倒れ、危篤状態に。

生死の境をさまよい、2か月半の入院生活で目にしたのは、病気や死にかけた経験すら笑い話にしている周囲の患者さんたち。
「太っていることなんて、大したことじゃないかも・・・」そう感じるようになった。
見舞いに来た父親の「(死んでいたかもしれないから)後の人生はおまけ。お前の好きに生きろ」という言葉も、心にストンと落ちた。
退院後、DVを12年間を続けていた夫と離婚が成立。
「私の人生を変えてきっかけは、入院、離婚、父の言葉。無理だと思っていた離婚ができた。やればできるじゃん!って(笑い)。
後の人生おかけと思うと気楽になれたけど、好きに生きろの<好き>がない。
長い間、元夫が暴れないよう言うことを聞いて生きてきたから、自分の<好き>を考えてない。
だから逆に、好きじゃない生き方を考えたら、人の顔をうかがうことだった。
それから、ハッキリとモノを言えるようになりました。
自己否定や、全てをコンプレックスに結び付ける考え方のクセを変えようと意識すると、物事の本質を客観的に見つめられるようになった。
誰かと比べるとき、その人の丸ごとではなく、最も優れている部分だけを見ていることに気がついた。
「人と比べなければ、人生まあまあ悪くないなぁって」
考え方のクセは急に変えられないけど<やっぱりダメだ>が出たとき、気付くことが大事。
あ、また思っちゃった。
でも今回はすぐ気付いた、ラッキー!と繰り返すうちに、「そんなことどうでもいっか」と思えてきました。
再婚した夫の勧めで、恋愛カウンセラーの道に。
「若い世代を応援したいです。今、周りの評価を気にして、自分の感情にすら自信がない子が多い」
案外近くに「大丈夫だよ」と信じてくれる大人がいるってことも、忘れないでね」


ありのままでいいんだよ!

2019年12月28日 14時18分17秒 | 社会・文化・政治・経済
 

―あなたが素敵な男性をひきつけて、恋愛上手になっちゃう方法 

 

内容紹介

「エチカの鏡」などで大反響! 体重103kgで13歳年下の東京大学卒のパートナーからプロポーズされた著者が、誰でも永遠の最愛パートナーを見つけて幸せになっちゃう方法をコミックで教えます。どんなコンプレックスがあっても、ありのままのあなたで大丈夫! 悩む時間は大切だけど、悩みすぎる時間はもったいないですよ! ひとつひとつの悩みを懇切丁寧に答えていきます。
(目次より)
第一章 昔からずっと太っていて・・・。誰ともつきあったことがありません
第二章 恋愛経験がなくて、何をしていいかもわからないです
第三章 私たち、最近失恋しちゃいました
第四章 こんなにがんばったのに、うまくいきません
第五章 家族みたいな存在? 彼は何を考えているのでしょう?
「あなたの望む彼」との出会いを増やす方法
永遠のパートナーと早くうまく出会う方法
出会いを楽しんでいるだけなのに、仲よくなれる方法
結婚が現実になった場合の、彼のご両親とのあいさつは?

内容(「BOOK」データベースより)

13歳年下の東京大学卒のパートナーを見つけた体重103kgの著者が、コンプレックスに悩む女性の恋愛相談にこたえます。恋愛下手、恋愛経験ナシ、年齢との葛藤…。ひとつひとつ丁寧に解決法を伝えます。

著者について

太め女性恋愛応援カウンセラー。肥満という体型コンプレックスに悩んだ時代を経て、自ら考案した恋愛テクニックで次々とプロポーズされる。東大大学院卒の13歳年下の彼とゴールインした最先端恋愛術がマスコミから注目され、テレビ、雑誌でも活躍。
ホームページ「28歳太め女性限定、180日で彼氏GETの法則」
無料メールマガジン「痩せずに幸せモテ女」

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

羽林/由鶴
太め女性恋愛応援カウンセラー。103kgのバツイチ子持ちでありながら、東京大学大学院卒の13歳年下男性と出会い、やがて結婚。自身の経験を生かした恋愛術は、すべての悩める女性たちを包み込み、幸せに導くと話題に。テレビ、雑誌、新聞等の各メディアも注目(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 


幼少からのコンプレックスやご経験が読むほうや、若い女性をとても癒し勇気づけてくれます。
体型も雰囲気も中身も癒し系の著者です。相当頭の良い女性なので、
ご苦労された節もあるかと思いますが、適職につかれ数々の女性をお導きに
なられ、とても素敵だと思いました。イラストも最適で読み手も癒されます。
関西テレビのえみちゃんねるでお見掛けして、とても良い感じの人でした。
またテレビで拝見したい感性の方です。


表紙のイラストどおりの雰囲気のゆるい漫画です。さらーーっと読めます。

残念ですが、この本の内容では
「そんなの詭弁だよ、なんだかんだ言って美人でスリムな人のほうがいいよ」
「そんなのウソだよ、こんな見た目の女に好意を持たれたら迷惑に決まってるよ」
そういう私の「認知」あるいは「思い込み」を覆してはくれませんでした。

しかし!
恋愛に関してはムリでしたが、例えば仕事の場や同性間での関係などで
ふとした瞬間「あれ?ここで積極性を発揮できるかどうかって、容姿の良し悪し関係なくね?」
と思える場面が増えました!
これまではこんな私が◎◎しても……という思いが強すぎて、卑屈になるべきでない部分までそうなっていたと思います。
この本に書かれた内容を素直に受け入れられるなら、お値段分の価値はあるはず。


ユズさんはテレビで拝見して興味を持ち、この本を読ませていただきました。
一見健康ダイエット本とみまごう平和なデザインの本ですが、それもいいと思います。
真実がキッチリあります。
何よりも誠意を感じるよね!
いろんなタイプの女の子がでてきます。共感できる痛みがさ、ひしひしと伝わってくる。

この本に出てくる女の子、1分1秒生きてるのが怖い!(年とっていくのが)って
いうのが共感できました。それがごく普通の女の子なんですよね。
なんだか、みんな恋愛の恐怖みたいのにしばられてるんですよね。
私もそうかもしれないです、でも本当に大事なのは「自分らしさ」ということ。
世の中婚活で浮かれていますが、危険です。その先を想定してないと思うから。
その答えがこの本にはあると思います。

この本のどの部分に答えがあるのか、みなさん違うと思いますが、
読後、人生をもっと広い目で、勇気を持ってみれる本だと思います。


「エチカの鏡」だったか、テレビで拝見して衝撃というか笑撃(!?)を受けて以来、メルマガを愛読しています。
この無料メルマガも とってもおすすめです。

読みやすく、共感できる&うなづける事ばかりで、恋愛に限らず、自分に自信のないことや、人間関係全般で悩んでいる人みんなに読んでほしいし、もっと若いときに知りたかったことばかりが書いてありました。
勿論もう結婚してしまったから、○歳になってしまったから遅いということはありません。

内容自体は☆5つつけても良いくらいなのですが、本そのものと 内容共に 値段のわりにちょっと残念な薄さというか、 情報量自体が少ないかなということと、
も〜〜う少し絵が上手なかたに描いていただいたほうが。。。と思いました。勿論色々事情があるのはわかりますが、商業出版物ですので。。。
マンガのセリフというか 文字が写植でなく手書き(こちらも 読みやすい上手な字とは言い難い)なのは、 友達にもらった手紙みたいで心に沁みてきて むしろ良いと思いました。


本当に悩んで自信を失い、悲観的になっている時期に読み
救われました。
優しい絵で、すぐ手に取る事の出来る場所に置いて
何度も読みました。
そこから1歩進む元気をもらいました。


恋をしてもむくわれないことばかりで、恋愛にネガティブになってしまう私。
でも、この本を読んで、もう無理するのはやめようって思いました。
自分を卑下するより、もっといろんな人と知り合って、自分の視野を広げたいって。
そして本当に好きな人と出会えたら良いなって思いました。
今までもてない人生で、それはこれからも劇的に変ることはないと思うけど、コンプレックスにとらわれて生きるより、今この自分を楽しもう!!恋したいって思いました。


頑張ったり、努力すれば報われるのだと、学校や世間で言われていますが、それは間違った思い込みだということを教えてくれます(少なくとも恋愛に関しては)。

ゆずさんの無料のメルマガもおすすめです。迷っているとき、苦しんでいるとき、罪悪感を和らげてくれます。いろいろな心理の本を読んできたけど、ゆずさんのメルマガが一番合っている気がします。

少しでも多くの女性が救われて、元気になるといいなあ、と思います。



 
 
 

 

 
 

逆転人生「さようならコンプレックス 体重103キロの幸せ大逆転」

2019年12月28日 14時04分12秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

2019年10月28日 NHK

初めまして、103kgの恋愛カウンセラー羽林由鶴です。

番組をご覧いただきましてありがとうございます。

このたび取材を受けるにあたっての私の思いをお伝えします。

私の人生のほとんどは、コンプレックスに縛られ、苦しくて辛い時間が多かったんです。

もし、過去の私のように今 苦しく辛い思いの方がいらっしゃるなら伝えたいことがたくさんあります。

一番は、人生って意外と面白くできてるということ。
人生がまあまあ悪くないと思えるだけで、こんなに未来に期待できるようになるんだということです。

苦しく辛い時間が長引くと、未来もずっとこのままうまくいかないと感じてしまいがちです。

でも、そうでもないかなぁ?って思うヒントとして、みっともなく苦しかった時代の私を包み隠さずお伝えする覚悟をしました。

必要な誰かに届いたとしたら、、、大丈夫だよって言いたいです。
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彼女がもう20年近く摂食障害で苦しんでる。自分も彼女から番組の中で言っていた同じようなセリフを何度も聞いた。苦しんでいる彼女にあなただけじゃないよって伝えたくなった。いいお医者さんに巡り合えたことがうらやましい。変われたことも、気づいた事も。

投稿者:Jack/男性/50代
 

変えられるコンプレックスと変えられないコンプレックスがある。まあまあと思えで済む事だけではないと考えてしまう点がありました。内面と外見両方をもっと上を目指したい人程変えられないコンプレックスに引っかかってしまうかもしれませんね。

投稿者:求める限度は人それぞれ/男性/30代
 
何気ない、冷静かつ優しいコメントは、当事者にとって‘解って貰えた、理解してくれた'それだけで救われた感が感じられました。
投稿者:キツネくん/男性/60代
 

精神科医の女性の先生もすごいと思った。

投稿者:さつちやん/女性/70歳以上
 

羽林由鶴さんは「辛い悩みの中にもプラスを見つける」のが大得意。コンプレックスに悩む人たちの相談にのり、笑顔を取り戻す手伝いをしてきた。しかしかつては、自身がコンプレックスでどん底に。太った自分はダメ人間だと責め続け、恋も、将来の夢さえもあきらめていた。その後、ある出来事を転機に人生が大逆転。素敵な結婚をして、幸せになれたカギとは?番組では「勇気をもらえる言葉」が次々と。「人生まあまあ悪くない」

出演者ほか

司会】山里亮太,杉浦友紀,【ゲスト】羽林由鶴,【出演】岩尾望,光浦靖子,星野概念,【語り】川庄美雪

 



人格とは

2019年12月28日 13時59分47秒 | 社会・文化・政治・経済

人格(じんかく)は、個人の心理面での特性。

人柄。または人間の人としての主体。
明治時代に井上哲次郎が英語のPersonality/Person、ドイツ語のPersönlichkeit/Personに相当する漢語として造語したものである。
発達心理学、教育学においては、人間の成長の過程において形成されていくものとみなされることが多い。
人格の形成
事故や病気等による外的要因を除いて、幼少期における経験や体験が、人間としての人格形成に大きく影響を与えていると思われる。
幼児期に親の愛情を受けずに(ネグレクト等)育った子供は、表情(笑顔等)が少なくなったりする傾向がある。
また、こういう環境で育った子供は、脳の発達具合にまで違いがみられる。
また、幼少期に継続的な虐待(児童虐待)を受けた子供の中には、虐待を受けている自分を別の人物として無意識的に切り離し苦痛から逃れようとする機制のために、自分自身の中に別の人格(正確には人格状態)を形成する場合もみうけられる。
この状態が進行することによって起こる疾患が解離性同一性障害、いわゆる多重人格である。
ただし、心的外傷による分裂病発症理論には否定的な意見もある(分裂病を作る母を参照。
こうした、人間には本性というものは存在せず、子供は本来無垢であり、言語能力・性格・知能・性的指向といった人の頭の中にあることの全ては、外部からの経験によって形成されるという考え方をタブラ・ラーサのドグマと呼び、20世紀を通じて人格形成プロセスの常識として考えられてきた。
しかし、1995年にジュディス・リッチ・ハリスが発表した実証的な論文が発達心理学に一石を投じることとなる。
その後の行動・遺伝学の研究によって、人格の形成の半分は遺伝子の直接・間接的影響で生じ、残りの半分は親の子育てや家庭環境とは関係の無い、何か別のものであるということが分かってきた。
残り半分の「何か」についてハリスは、人間は10代半ばに現在置かれている相対的な社会的地位によって、自分の人格の一部を定める傾向があると述べている。


功徳とは

2019年12月28日 13時52分55秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

<すばらしい性質>のこと。

すなわち<人徳>

功徳を得るとは<人格を得る>こと。

「釈尊は人の振る舞い」を説いた。
人の生き方、信仰への確信と慈愛は、人の生き方、姿勢で伝わる。
<人格>こそ雄弁にその人自身を顕わしている。

功徳(くどく、梵: guṇa、梵: puṇya、梵: anuśaṃsa)とは、仏教用語、または神社仏閣における用語、あるいはキリスト教神学の用語である。
仏教用語としては、善根を積むことによって報いられる功能福徳や、現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行のこと。
神社仏閣においては、 神仏の恵み、御利益(ごりやく)、利益(りやく)を意味する。
キリスト教神学では、ある善業を行うことによって得られる報償を受ける権利やその報償、それを得る道徳的善業のことである。
造寺、造仏、写経、祈禱などの善行為には、現在または未来において幸福や利益をもたらす能力があるとされる。
これらの善い報いを受けるべき因としての善行を善根(ぜんごん)功徳または功徳善根などという。
善根を積むことや修行の結果、報いとして得られる果報や恵みも功徳という。
「十福業事」も参照
善の行為には宗教的なものと世俗的なものがあり、曇鸞は、前者は悟りの果をもたらすので真実功徳とし、後者はそれをもたらさないので不実功徳とする。


釈尊の生涯

2019年12月28日 13時15分26秒 | 社会・文化・政治・経済

村 元  (著)

内容(「MARC」データベースより)

インドの風土の中で、釈尊が如何に生き、如何に悩み、如何に悟りを開いたか。そのすべてがここにある。独創的な釈尊伝。63年刊「世界教養全集 10」に収録されたものを単行本化。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中村/元
1936年、島根県生まれ。東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業。元東京大学名誉教授。仏教思想・インド哲学の第一人者。99年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

原始仏教聖典に準拠し、考古学的資料や実地踏査に基づく風土的考察検討を加え、何とかして事実に近いゴータマ・ブッダ像を描き出そうとした、最も信頼できる著者の手によって書かれた本です。
人間の一生を、句読点を含め15字以内で表すと「生まれたら、死ぬまでは生きる」という事実でしょう。

自分がどういうわけか生まれ、老い、病に倒れ、やがて死ぬという事実=「生老病死」それは「苦」であると正しく見てとったお釈迦様は、家族を捨て、29歳で出家しました。
で、何を悟ったのか?『原始仏教―その思想と生活』(中村元)に書かれているように、「多数の経典に種々説かれていて一様でない。

結局この書においてこれから紹介することばが、かれの悟りの内容をしめしている・・・」と。あわせて『ブッダの人と思想』(中村元他)を同時進行で読まれると、もともとのお釈迦様の考えを理解する手助けになってくれるはずです。
さて、悟りを開かれたブッダはまず、その教えをかつての修行仲間5人に説きました。すると一同、精神的にはブッダと「同じ境地」に到達した。

中村氏は「そこにはいかなる区別もない」と語り、「釈尊は極度に偉大な超人的な存在であり、仏弟子はとうていそこには到達できないと説くのは、後代の人々の空想や神学者のもったいぶった思弁」とハッキリ指摘しております。つまり、ブッダの到達した境地は、それほどはるか彼方にあるものではなさそうです。
さらに最期、ブッダは「スパッダよ、私は29歳で善を求め出家した。私は出家してから50年余となった。

正理と法の領域のみをあゆんできた。これ以外に<道の人>なるものは存在しない」と。中村氏は「ゴータマはその臨終においてさえも、<仏教というものを説かなかった>。彼の説いたのは真実の道である。ところが後世の経典作者は<仏教という特殊な教えをつくってしまったのである>」。納得!


「釈尊の生涯 中村元」を読む。
○ 日本に於ける仏教は、多くの宗派があり、それぞれ異なる教えを語る。また日本仏教は中国を経由してきた。日本の僧侶は漢語の経をよむ。その経は外国語である漢文で書かれ、庶民には理解し難い。

釈尊は庶民に理解できる言葉で教えを説いたのである。私達は釈尊が如何なる人物であったか知りたい。
○ 著者によると仏教と言う特殊な教えは後世の経典作家により作り出された。
○この書は神話や後世の付加仮託を廃して「歴史的人物としての釈尊の生涯」を語る。
○ 著者は釈尊が如何に生き、如何に悩み、如何に悟りを開いたか。その歴史的人物としての釈尊の生涯を可能な限り事実に近い姿で示そうとする。
○ 真実の釈尊には後年付加された縁起説といった概念すら出てこない、ただ人々に様々な実践的な教えを説いた一人の思想家が現れてくる。
○ 釈尊の言葉「私は出家してから五十余年となった。正理と法の領域のみを歩ゆんできこれ以外には<道の人>なるものも存在しない。」
釈尊は歴史的人物としてその臨終においてさえも、我々が知る仏教というものを説かなかった。


紀元前5世紀に悟りを開き、仏教の開祖となったゴータマ・ブッダ。
偉大な歴史的宗教者であるが、彼の伝記は長い間存在していなかった。これは個別的な事象より普遍的な理法を重んじる仏教徒の思惟法に由来する。

後代に成立した仏伝には、神格化や誇張が多く見られる。
本書は神格化や誇張を排した仏伝であり、人間ゴータマ・ブッダを炙り出そうと試みる。

著者は歴史的人物であるゴータマを、次のように評し締めくくっている。
「彼の教示のしかたは、弁舌さわやかに人を魅了するものでもなく、また一つの信仰に向かって人を強迫するものではない。

異端に対して憤りを発することもない。単調にみえるほど平静な心境を保って、もの静かに温情をもって人に教えを説く。

些細なことを語るときにも、非常に重大事を語るときにも、その態度は同様の調子であり、すこしも乱れを示していない。

広々としたおちついた態度をもって異端さえも包容してしまう。仏教が後世に広く世界にわたって人間の心のうちに温かい光をともすとこができたのは、開祖ゴータマのこの性格に由来するところがたぶんにあると考えられる。」

「ゴータマはその臨終においてさえも仏教というものを説かなかった、彼の説いたのはいかなる思想家・宗教家でもあゆむべき真実の道である。」


日本の仏教には余り興味がないが、釈尊の教えにはとても共感し教えられていて自分にとって生きていく上で
必要不可欠になっています。この本は釈尊の生きた足跡を可能な限り真実に近い形で教えて下さっているのでとてもよかったです。但し、最後についていたどこかの偉そうな坊主の解説は無い方が良かった。それ以外はとても良いのでお勧めの本だと思います。



平和の文化……って?

2019年12月28日 13時03分59秒 | 社会・文化・政治・経済

東京ユネスコクラブ

 差別や偏見、貧困、家庭・職場・教育現場などでの暴力、あるいは環境破壊――私たちの周りにはどれだけの「暴力」がうごめき、社会の「構造」に潜んでいるのでしょう……。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」――ユネスコ憲章の理念が掲げる「平和」は、「戦争のない状態」だけではなく、そんな「構造的な暴力」のない世の中をめざしています。

ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)は、1946年に誕生しました。20世紀の2度の世界大戦を省み、「人類はもうこれ以上、戦争をしない」という堅い決意からでした。

1980~’90年代、単に「戦争がない状態」の「平和」のみでなく、「さまざまな構造的暴力」を否定する「平和の文化」が探求されました。’97年の国連総会で「平和の文化の宣言」が採択され、2000年は「平和の文化国際年」、2001~’10年は「平和の文化と教育のための国連の10年」でした。

「平和の文化」は、ユネスコ憲章の「平和の思想」の今日的な表現です。「人間が求める身近な平和、安心・安全」を、考え方の慣習、「文化」にしようということです。人類が探究してきた平和に別の理念を掲げているのではないのです。「平和の文化」に、一定の行動様式やモデルがあるわけでもありません。一人ひとりの行動、考えは多様です。だからこそ、個々人が「平和」と考える思いを、分かち合いたいと思います。

私たち「平和の文化東京ユネスコクラブ」は、ユネスコ憲章の理念のもと、「平和の文化」の輪を広げていこう、と創設されました。一人ひとりの「平和」は、「人の尊厳を尊ぶ」社会の根っこです。「人権の世紀」といわれる21世紀を、「平和の文化」あふれる社会にしたい……そう願っています。
                                                        (詳しくはこちら)


わいせつ事件の刑事処分非公表 大阪地検「被害者が望まない」

2019年12月28日 12時53分35秒 | 事件・事故

12/27(金) 共同通信

大阪地検は27日、大阪府内で12月に発生した二つのわいせつ事件について、容疑者が起訴されたかどうかの刑事処分結果を「被害者が望まない」として公表しなかった。刑事処分をしたかどうかも明らかにしていない。

非公表となったのは、拾ったスマートフォンで所有者の男性に成り済まし、男性の交際相手の10代少女を誘拐したとして、わいせつ目的誘拐容疑などで建設作業員の男(42)が逮捕された事件と、勤務する大阪府門真市の市立小で3年の女児(9)にわいせつな行為をしたとして、強制わいせつ容疑で小学校講師の男(26)が逮捕された事件。いずれも逮捕時は大阪府警が公表していた。

 

 


被害者にも落ち度がある

2019年12月28日 12時39分25秒 | 社会・文化・政治・経済

日本では性暴力について、被害者にも落ち度があるとの偏見が根強くある。
社会の目や人間関係を気にして声を上げられず、心に深い傷を抱え込んで生きる被害者は多い。

「被害者が狙われやすい服装をしていたんじゃないか」

「普通はそんな手に引っかからない。油断をしていたんじゃないか」

犯罪が起こった際、悲しいことに被害者の落ち度を責める声をたびたび耳にします。

詐欺や傷害、性犯罪などの被害を受けて傷付いている人に対し、「被害に遭ったのはお前にも原因があったからだ」と後から責めることに意味はあるのでしょうか。

『被害者を責める人』の心理

そういった『被害者を責める人』が一定数いる理由について描いたのは、漫画家の洋介犬(@yohsuken)さん。

4コマで分かる、深層心理について描いた作品をご覧ください。

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被害者を責める人の心理について『心の防御』と称した洋介犬さん。

そういった人は自分の心を守るために盾で身を守り、被害者を攻撃してしまうのです。

ちなみに、被害者を責める心理は『公正世界仮説』とも称されます。

【公正世界仮説】

「この世界は公正であり、公平にできている」と考えたがる認知バイアスのこと。

世界や社会に理想を抱き、理不尽に傷付けられることを否定する深層心理。

公正世界仮説を信じ、「正しく生きていれば必ず救われる」と思っていると、被害者に落ち度がない理不尽な出来事を否定したくなってしまいます。

「世界は公正で、公平にできている」と思い込みたいがため、つい被害者に『理不尽な目に遭った原因』を求めてしまうのです。

人間の深層心理について描いた作品に、多くの反響が上がっています。

・被害者の口をふさぐのは、こういった発言だよね。自分も気を付けたい。

なるほど!「自分は大丈夫」と思いたいから他人の落ち度を探してしまうのか…。

・そもそも、事が起こった後に第三者が「こうすればよかったのに」って口を出すのがおかしい。

・被害者を攻撃せず、加害者に対する矛をちゃんと構えるようにしたいと思った。

きっと「正しく生きていれば救われる」という考えは、誰もが心の底で持っていることでしょう。

だからこそ、間違った使いかたをして盾で誰かを攻撃するのではなく、守るように意識していたいですね。

漫画初出:auスマートパスWEBサイト『だいたい日替わりどーがとまんが』


[文・構成/grape編集部]

出典
@yohsuken

関連ニ

 
 
 
 
 

ファンダメンタリズム

2019年12月28日 12時34分18秒 | 社会・文化・政治・経済

根本主義と訳される。
19世紀末から 20世紀初頭にかけてヨーロッパの自由主義神学の影響がアメリカのプロテスタント教会に及び,この神学に抵抗して信仰の根本的教理を固守しようとして,特にアメリカに起ったキリスト教信仰運動。
ダーウィンの進化論,聖書の歴史的高等批評,近代主義,教会の世俗化などに反対した。聖書を逐語霊感説によって解釈し,信仰の伝統的立場を固持して教会教派の分裂を招いた。 1895年ナイアガラで開かれた保守的プロテスタント聖書会議は「ファンダメンタリズム5項目」として次のものをあげている。
聖書の逐語無謬,イエス・キリストの神性,処女降誕,代理贖罪説,キリストの身体的復活と身体的再臨。
現代アメリカでは家庭崩壊や性の乱れに対して,伝統的家族観や共同体意識の復権が「モラル・マジョリティ」などの根本主義の団体から叫ばれている。
また聖書を根本原理とすることから人工妊娠中絶や教科書内容 (進化論) を具体的な批判対象として問題化している。
政治的にはニュー・ライトの傾向に近いものがある。
なお,一般に原理主義といわれ,現存する社会秩序の混乱や道徳心の頽廃に対抗して伝統的価値観への回帰を主張する思想および運動をさすこともある。
イスラム原理主義はその代表的なものである。


原理主義

2019年12月28日 12時27分12秒 | 社会・文化・政治・経済

原理主義(げんりしゅぎ、英語: fundamentalism、ファンダメンタリズム)は、主に以下の意味で使用されている。

キリスト教の用語で、聖書の無謬性を主張する思想や運動(キリスト教根本主義)。
対比語は自由主義神学(リベラル・リベラリズム)、近代主義(モダニスト)、世俗主義など。
上記より派生し、広く聖典や教義を墨守する信仰や立場(イスラム原理主義など)、更には基本的な原理原則を厳格に守ろうとする立場(市場原理主義など)。
対比語は世俗主義、相対主義、多元主義など。
概要
「ファンダメンタリズム」はもともとアメリカ合衆国の保守的プロテスタント派が1920年代に使用したキリスト教の神学用語である。
初期のファンダメンタリズムは、当時のプロテスタント主流派のモダニスト(近代主義者)に対抗した神学運動であったが、その後、北米のプロテスタント派内の穏健な保守派はエバンジェリカル(福音派)と呼称され、超保守派を指してファンダメンタリズム(キリスト教原理主義)と呼ばれるようになった。
一方、イラン革命(1979年)以降、アメリカのジャーナリズム等において、イスラームの急進的な政治運動に対し、キリスト教のファンダメンタリズムとのアナロジーから「Islamic fundamentalism」という用語が使われるようになった。
日本にこれが輸入された際「イスラム原理主義」と和訳された。
さらにこの表現が敷衍され、日本のキリスト教界では根本主義と翻訳されていたキリスト教のファンダメンタリズムに対して、キリスト教原理主義という訳語が使われるようになった(主に現在の北米の宗教右派に対する呼称として使われる)。
他の宗教にも同じくヒンドゥー原理主義、ユダヤ原理主義といった用法が派生している。
今日、「原理主義」という言葉はマスメディア等において広く流通しており、宗教学や社会科学の文脈においては、聖典を文字通りに受け取ろうとする態度や、世俗主義に反対する傾向などを特徴とする運動や思想を指す言葉として使われるようになっている。
しかし厳密な定義があるわけではなく、学術的にも通俗的にも原理主義という語の適用範囲は定まっていない。
原理主義という語は、「単一の価値観だけを信奉し、他者の価値観を排撃する」という意味で、嫌悪する意図で使用される例が多い。
そのため、ごく一部の例外を除き当事者によって自称されることはない。