みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

2日間友人たちが伊豆の家に宿泊

2009-11-12 14:48:10 | Weblog
した。
一人は2回目で、もう一人はその友人の妹さんで今回が初めて。
友人のリクエストでラザーニャを作る。
ラザーニャというのは、イタめし屋さんでもメニューに入っているところとないところがある。パスタやピザほどメインに食べられることがないせいかもしれない。ラザーニャは、大体どこのレストランでもオードブルかサイド・ディッシュ扱いだ。
ラザーニャをメインにしてお腹いっぱい食べる人はそれほどいない。でも、今回のお客さんは「ラザーニャをたくさん食べたい」人だった(笑)のでたくさん作った。
私はラザーニャの麺も手打ちで作るし、ソースももちろん手作りだ。
「これ、商売で売ったらかなり人来るよね?」という私の問いに全員が大きく頷いていてくれた。
私自身、かなりイケてる味だと思っている。

先週、今年どこの学校で私の著作が入試問題で使われたかの報告書が届く。私が私の本の著作権管理をお任せしているところからだ。
今年は(といっても、報告分は昨年の分なのだが)、浦和明の星女子中学と名古屋学芸大学短期大学の2カ所。
こういう学校入試の場合はすぐに使われたかどうかが判明していいのだが、予備校とか問題集は若干調べにくいらしく、訴訟騒ぎがいつもある。この2つの学校の入試問題にしても、私のところに学校から問題が届いたわけではなく、この著作権管理団体が「問題をよこしなさい」といって始めて送られるのだ。
まだ、日本の教育現場も著作権意識はかなり低いということらしい。


昨日、ネットで外国のオーケストラのサイトをいろいろ調べていたら(参考にしなければならないことが多々あるため)、サンフランシスコ交響楽団のサイトのトップページにイアン・アンダーソンの顔が写っていたのを見つけちょっとビックリ。
イアンはもちろん伝説のプログレ・ロックバンド「ジェスロ・タル」のリーダー/ヴォーカル/フルート奏者だ。
彼がサンフランシスコ交響楽団を共演するというのがサイトのトップページに載っていた。
もちろん、ここが日本なら絶対に「チケット買わなきゃ」になるのだが、いかんせん、アメリカではちょっと無理。
でも、こういうところが日本も見習うべき姿勢だし、ビジネス態度だろうと思う(アメリカのオケは人々に聞いてもらう努力をいつもしている)。
私は、今、真剣にオーケストラをいかにビジネスとして確立できるかを考えている最中だ。
そんな中、先日、ある本を購入した。「オーケストラの経営学」という本だ。
著者は女性で、元々東京芸大を出て東京のプロオケでビオラを弾いていた方だという。この女性、何を思ったか大学に入り直して日本の大学で MBAをとって、現在大学の教授をやっておられる方だという。
私には、この本を買う理由と期待があったので、とても楽しみにこの本を読んだ。しかし、まったく期待外れであるばかりでなく、途中で腹がたってきてしょうがなかった。

この方の結論は、仰々しく一冊の本にまとめるまでもなく、「オーケストラは儲からない」ということだ。
そんなことぐらい始めからわかってるし、世界中のオーケストラが経営で苦しんでいることぐらい、今どき小学生でも知ってるだろう、という突っ込みを入れたくなるぐらい、この本には何も書かれていない。
経営が苦しい企業はこうしたら好転しますよ、こうしたら業績あがりますよというサジェスチョンをするぐらい 、MBAをとった人間がなんでできないの?と、読んでいて本当に怒り心頭という感じになってしまった。
ただ、これは何もオーケストラだけの問題でもないし、クラシック業界だけの問題ではないと思う。
私が、プロの音楽業界に足を踏み入れて何十年という月日がたつが、この世界で仕事をすればするほど、「本当に甘い業界なんだな」と思わずにはいられない。
普通の企業にとって、新しい製品の商品開発というのは命がけの仕事だ。
それが売れれば会社が儲かるし、売れなければ倒産するかもしれない。一般企業は最低限そんな意識で仕事をやっているはずだ。
しかし、音楽業界やエンタテインメント業界には、そんな意識はサラサラないような気がしてならない。
「柳の下にドジョウは3匹まではいる」と広言してはばからないのが音楽業界の常識だ。一つの形がヒットすれば、それと同じことをあちらでもこちらでも真似をして二番煎じ、三番煎じをねらう。
一般企業の考える「商品開発」とはまったく異なる思考と意識がここにはあるのだなとずっと思ってきた。
だから、口を開けば「売れない、儲からない、仕事がない」の愚痴しか出てこない。
冗談じゃないよと言いたくなってしまう。
仕事ってのは、苦労して自分で作るもの。
根本的にその意識が音楽や芸能の業界にはないから音楽家自身も甘えてしまう。
仕事は待っていれば来るもの、演奏が上手になればやってくる、という幻想を抱きながら仕事をする人たちがあまりに多い。
だからこそ、最終的には、オーケストラのように、「オーケストラは儲からないから、どこかがスポンサーになって支えてくれるのが当たり前」といった開き直りの態度になってしまうのだ(この本の著者もきっとそう思っているのだろう)。
必要経費の半分以上を助成金に頼る今の「財団法人」という枠の中でのオーケストラの経営はもはや無理なんだという自覚すらない。
オーケストラ音楽は文化なんだから国や自治体が守っていくのが当たり前。だからお金を出して支えるのも当たり前。
多分、こんな意識がいまだにあるのだと思う。
これは、もともと音楽を文化として持っていたヨーロッパには通用する理屈だが、これを日本にそのまま持ってくるのはかなり無理がある。ましてや、こうしたオーケストラ経営を税金(助成金は税金だ)で支えていくことが国民全員の理解を得られるとは私には到底思えない。
だから、ヨーロッパと違い、西洋音楽の歴史の浅いアメリカでは、オーケストラの経営は公的なお金には頼らず、そのほとんどを個人のサポートに頼った経営を行っている。
それが自由主義アメリカのやり方だ。
たしかに、先ほどの本にもそこまでの分析は書いてあるのだけど、そこから先は何にも書いていない。
だったら、日本のオーケストラはどうやったらいいの?どういう経営をしていけばいいの?
そこまでも書かれていない本が「オーケストラの経営学」というタイトルで出版されていること自体、日本の文化レベル、社会レベルをよく表していると私は思う。
本当に、「おいおい、ちょっと待てよ」と本気で言いたくなってくる。
フルムスという女性オーケストラをこれから本格的なプロオーケストラにしようとしている私には、この部分に関しては一つの考えとビジョンがある。
オーケストラをこの国で根づかせ、人々がサポートする音楽の一つの形態にしていくための方策は自分では持っているつもりだ。問題はそれをどういう風に実行し、どういう風に結果を出していくかだけだ。それを今、現実に行おうとしているところだが、こういう話に真剣に耳を傾ける音楽業界人は意外と少ない。
「みつとみさん、それは話として理想論でよくわかるんだけど、現実にはみんな食べていかなきゃならないし日銭を稼いでいかなきゃね。音楽で食べていくのは難しいんだよね」。
 こういうことを言う人には、私は即「退場!」と叫びたいのだが、現実には私の方が退場させられてしまうかもしれないのが音楽業界の現実だ。
だからこそ、こういう私の考えは、むしろ音楽業界以外の人たちに積極的にするようにしている。彼ら彼女らの方が本当に素直に私の考えに耳を傾けてくれるからだ。
音楽は音楽家のためのものではなく、普通に生きている不特定多数の大勢の人間のためにあるものだと私は確信している。
私が、いまだに青臭い夢を追っていかれるのも、「音楽は世の中のお役にたって何ぼ」という考えが根本にあるせいだ。
音楽は自己満足でやるものではないはず。
人の幸せに役立つものだからこそ、音楽が何万年も何十万年も前から人類と一緒にあったんじゃないのかナ?
そんな思いがしてならない。
それを忘れると、音楽家もオーケストラも「無用の長物」になってしまうことにどれだけの音楽家、音楽業界人が気づいているのだろうか?


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1 コメント

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ありがとうございました (杉山彩子)
2009-11-16 13:51:20
ラザニア・・・

めっちゃ美味しかったです

また食べたいですわぁ~
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