みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

ネバーギブアップ

2015-03-20 08:44:48 | Weblog
震災から4年の月日がたったということは、恵子の病気も発症から4年近くたったということだ。
彼女が脳卒中に倒れたのは、震災からちょうど半年遅れの同じ年の9月初めのこと。
なにかの別の出来事(キューになるような社会の大きな出来事)が自分たちの人生の「ある瞬間」を思い起こさせてくれるということはよくあることだろうと思う。
私たちにとっても「その瞬間」が多くの人たちの記憶に残る「あの瞬間」によって思い起こさせられるというのはこれから先も変わらず起きることなのかもしれない。
しかし,私たちの4年間は「あの瞬間」とはまったく無関係に流れてきた。
そして、私たち以外の第三者にとって私たちの時間はまったく無関係な時間でしかない。
だから、この4年近くの間に私たちに起こった出来事や現在の私たちの様子を第三者が知る由もないし、関心もないのは当然のこと。
そのせいか、病気の発症から4年もたてば「きっとすごく良くなっているだろう」と、ごく普通に「好意的」に解釈してくれる人たちも多い。
しかし,そういう予断を持って私たちに接しようとする人に私が「まだそんなに良くなってはいませんし、むしろ悪くなっているような時もあるぐらいで…」と説明すると「まあ,そんなだったらリハビリなんか諦めて車椅子で生活したら? ずっと車椅子で生活している人もいることだし…」といった変な慰め方(?)をしてくださる人もいる。
もちろん、その方がけっして悪意で言っているのではないことは百も承知だ。
しかし、私はそんなことばを聞くと(きっと、私は内心怒っているのだろう)けっこうムキになってまくしたててしまう。
「いや、私たちは絶対に諦めません。諦めたら終わりです。諦めるということは、単に歩くことを諦めるとかいう問題ではなく生きることそれ自体を諦めるということなんです。世の中には難病に苦しんでいる人たちはたくさんいらっしゃいます。そんな人たちだって、絶対に諦めちゃいないはずです。今は薬もない、治療法もないという状況でも明日にはどう変わるかわからない。そんな時、その『奇跡』を信じていなかったら絶対にその『奇跡』の恩恵を受けることはできないと思いますよ。常に奇跡を信じ続けることでしか人間は生きていけない…。おそらく人間と他の生物の決定的な違いはそこなんじゃないのか」
と私が一気にまくしたてるとさすがに相手も、納得した様子で(かどうかはわからないけれども)こう返事を返してくる。
「そうよね、絶対諦めちゃダメよね」。
ある映画を思い出す。
副腎白質ジストロフィーという難病にかかり、医師、支援団体などから見放された息子を救うために素人であるにもかかわらず治療法を見つけだそうと死にものぐるいで格闘する母の姿を描いた『ロレンツォのオイル/命の詩』という映画がそれ。
スーザン・サランドンという私の大好きな女優が、医者にも見捨てられた難病の子供の治療法を懸命に見つけようとする母親を演じている。
他の家族は全員サジを投げているのに(最初は父親も相当頑張るのだが)この母親だけはけっして諦めずに頑張り治療法を発見するところが見る人の感動を呼ぶ映画だ。
最終的に「あるオイル(オリーブオイルの一種)」がこの病気に有効だということを母親が見つけることで映画は終わるのだが、実際にこのオイルで治療できた患者の方はそれほど多くはなかったために(映画があまりにも奇跡的だったので同じ病気の患者さんが過剰な期待をしたせいなのかもしれないが)この映画に対する評価は未だに賛否両論ある。
でも、私はそんなことを問題にはしたくない。
映画をご覧になるとわかるのだが、もう「気が狂った」としか思えないほどに病気の治療法探求に没頭する母の姿は、結果がどうであれ、私は十分称賛に値すると思っている。
母がけっして諦めなかったがゆえに子供は死を免れ不自由ながらも生きながらえることができたわけで、人生は、やはり諦めた瞬間に終わってしまうのでは…と思ってしまうからだ。
未だに麻痺で苦しむ恵子の顔を見ながら毎日思う。
お互いそんなことばを実際に交わすことはないが、いつも二人の間にある暗黙の了解。それはきっと「ネバーギブアップ」。

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