みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

一人一人の「生」と「死」

2014-11-09 18:15:19 | Weblog
昨日,終末期ケアの講演会に行った。
上智大学の名誉教授で,「死生学」や「ホスピス」の考えを日本で定着させた第一人者の方とも言うべきアルフォンス・デーケン氏の講演だ。
県看護協会主催の講演なので,二百人ほどの観客のほとんどが看護士さん,介護士さんなどの女性で埋め尽くされていた。
男性は,私を含めてもほんの数人。
その中でひときわ若い男性がいたので話しかけると看護学校の学生だという。
将来看護士さんとして活躍する人なのだろう。
数十年前から日本に「死と生の哲学」や「ガン告知とホスピス」の運動をしてきた先生の話はとても面白い。
それに何分かに一回は必ずお客を笑わせてくれる(氏はドイツ生まれの方だが彼の日本語は流暢というよりもさらに巧みだ)。
ただ,それよりも私が勇気づけられたのは,数十年前には「ガン告知」などまったく受け入れらなかった「ホスピス思想」と「終末期ケア」を,現在の日本での常識的な考えにまで定着させてきた氏の忍耐力と行動力だ。
「そりゃ無理だ」と思われることにチャレンジしていく人には必ず大きな「壁」が立ちはだかる。
どんな時代,どんな場所でも「変化」を恐れる人は多い。
しかし,「変化しない動物」は同時に「進化しない動物」になってしまい,いずれは滅びていく(この考え方こそが『進化論』の中核の思想)。
だから,その壁がいくら高くそびえていてもそれだけで恐れをなして諦めてしまっては何も前に進まない。
看護の世界でも,介護の世界でも,近年「QOL(クオリティオブライフ)」ということばが盛んに使われている。
このことば,昨日の講演でも幾度となく登場した。
しかし,私はこのことばを聞くたびに「<生活の質>って言ったって,一人一人違うはず。それを一体どうやって担保しようと言うのだろう」と首をかしげてしまうことが多い。
リハビリのQOLに限ったとしても,私と恵子のケースと他の大勢のいろいろな病気からのリハビリに頑張っている人たちとではまったく意味もやり方も違うだろう。
極端に言えば,患者自身と家族だって(考え方や求めるものは)違うのだから,そんな簡単に「QOLを考えましょう」などと言えるような問題でもない。
クオリティオブライフというは,「一人一人の生と死と向き合う」というとてつもなく大きな課題であり「壁」」なのかなとも思う。
だからこそ,看護士,医者,介護士といった「ケア」に携わる人たちの不断の努力と学習が必要になってくるのだろう。
先日,私がここ数年施設で「音楽サービス」を実施している企業のトップに会いに行った。
企業内での人事異動で昨年までの社長が交代し,新しい社長が就任したので「ご挨拶を」というのが表向きの理由だ。
まあ,これにはいろいろなbehind the storyがあるのでそれには直接触れないが,とにかく新しい社長に「言いたいことは言わなければ」と思い,とりあえず言いたいことは言ってきたつもりだ(私はサラリーマンの経験がないので,サラリーマン的な処世術は一切使わないし,相手にどう思われようが常に直球,ストレートでしか意思を伝えない)。
これから先の私の目標(つまり,「音楽は介護を救う」というフレーズが世の中の常識になって欲しいということ)に向って,企業や学者,そして自治体,政治家などの協力が,看護士さん,介護士さん,療法士さんなどの現場の人たちとのコミュニケーションと同時に必要になってくると思うからこそ,私は時に「政治的」な動きを好んでする。
ただ,一方で「エライさんに何を言っても無駄。やはり現場から物事を変えていかないとダメ」という意見をおっしゃる方もいる。
もちろん,それも絶対に必要です(し,げんにやっています)。
でも,それだけで世の中の常識は変えられないことも確か(ではないでしょうか?)。
本当に物事を変えて行くためには,いわゆる,「上から」「下から」の両方の変革が絶対に必要だと私は思っている。
そして,たとえそれができたとしても目標の成就までにはとてつもない時間がかかるのだ。
デーケン先生も「ホスピス」という考え方をここまで一般的にするのに数十年の時間を使っている。
しかし,それでも世の中は変わるし,変えられる。
今も,私がミュージックホープの話をいろいろな人にするたびに,「みつとみさんのやろうとしていることは,音楽療法とどこが違うんですか?」といった質問を何回、何十回と受ける。
そのたびに「またそこからですか」と(内心)思ってしまう。
でも,まあそれも無理もないかもしれない。
先日などは「宗教の勧誘かと思っていましたよ」と言われたぐらいなのだから,「音楽療法ですか」と言われるぐらいまだマシな方だと思わなければいけないだろう。
でも、この理解の「壁」を乗り越えないことにはおそらく私の目指しているプロジェクトが「世の中の常識」になることはないだろう。
「音楽は介護を救う」。
こんな単純なメッセージを理解することは,「そう思える心」「それを実感できる心と環境」さえあればそれほど難しいことではないはずだ。
私には幸い身近に「ケア」をしなければいけない人がいる。
あえて「幸い」ということばを使ったが,それまでまったく介護の経験のなかった私に「身をもって」介護とはこういうこと,人をケアすることはこういうことと教えてくれた恵子には本当に感謝している。
マザー・テレサのことばに「目の前にいる人が助けを求めているのに,それを放っておいて,他の家,他の国,他の人たちを助けようとする行為は偽善です」というものがある。
まったくその通りだと思うし,(そんなこと)当たり前だとも思う。
自分の目の前で必死に助けを求めている人にまず手を差しのべること。
それができてはじめて自分のその「手」はさらに遠いところまで伸びていくことができるのだから。

昨日の講演は,(意外なことに)黒澤明の映画『生きる』の話から始まった。
市役所に勤める主人公が癌を告知されてはじめて「生」の意味を知り,お役所仕事ではなく本当に子供たちの幸せのための公園作りを実現して亡くなるという映画の中に自分が言いたい「生と死」のメッセージの全てが語られているとデーケン先生は言っていた。
「死」の意味を知ってはじめて「生」の意味を悟る人間という動物の「業」もまたとてつもなく深いなと思う。
それこそ,この「業」こそが人間が常に乗り越えていかなければいけない「壁」なのかもしれないとも思う。

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