みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

トイレとおもてなし

2015-02-14 14:48:42 | Weblog
伊豆は今,河津桜のシーズンだ。
観光客も大分増えてきている。
ソメイヨシノよりほぼ1ヶ月早咲きの河津桜の旬はこの時期から来月初旬まで。
ふだん利用している伊豆急という電車内の広告にも河津桜情報が満載だ。
この伊豆急という電車ちょっと変わっていて、通常車内で見られるような企業、店舗、メーカーなどの中刷り広告が一切ない。
車内にある広告は,伊豆の観光情報、イベント情報の類いだけ(後は自社広告のみ)。
つまり,電車自体が伊豆の「観光宣伝列車」になっているのだ。
都内の電車でこんなことが起きるのは車両がスポンサーに買い取られた時だけだ(伊豆急ではそれが日常)。

そんな広告を眺めながら「久しぶりに恵子と河津の川沿いに咲く見事な河津桜を見てその先の河津の七滝(ななたる、と発音する)にでも行ってみたいな」と思った。
しかし、次の瞬間「きっと無理だよな」という諦めの気持ちが湧きあがる。
恵子を車でそこまで連れて行くことはそれほど難しいことではない。
が、問題はトイレだ。
多くの身障者や車椅子利用者たちが「旅行」に二の足を踏みがちな理由の多くはここにある。
移動は何とかなっても(まあこれも難しいことは確かだが)一番問題なのはトイレをどうするかということ。
旅行ガイドを見てもどこにどのように障害者向けのトイレが整備されているかまでは書いていない(まあ,それが普通だけど)。
(身障者向けトイレは)あるかもしれないし、ないかもしれない。
ある意味,賭けだ。
トイレのことを考え始めると自然と旅への気持ちは冷めていく。
オリンピック招致騒ぎで、日本は「おもてなしの国!」みたいな言われ方がされ、多くの日本人もそのことに疑いを差し挟まないようだけれども、私は、果たしてそうなのかなといつも思ってしまう。
たしかに、助け合いの心や相手を思いやる心は,どの国の人にも負けないものがあるかもしれないが、それだけで即「おもてなしの国」になってしまっていいのかナという気もする。

時々、恵子と一緒に昔の日本映画を見ていてドキッとすることがある。
「オヤジが中気で寝たきりでさあ…」とか「あいつはもう脳溢血でヨイヨイなんだよ…」とかいうようなセリフが古い日本の映画にはけっこう頻繁に登場する(中気=チュウキというのは脳溢血の昔の言い方)。
そんなセリフが画面の役者の口から飛び出すたびにすぐ横で画面を見ている恵子の表情を盗み見ないわけにはいかない。
今のセリフを聞いて恵子はどう思ったのだろうか…。
昔の映画にはメクラ、ツンボ,ビッコなどといった今は差別用語として使わなくなってしまったことばが当たり前のように出てくるので、その部分はカットされていたり「ピー」で隠したりしているようだが、チュウキとかヨイヨイの類いにまではあまり配慮が行き届かないらしい。
とはいっても私は,このことで日本人のことばに対する意識が低いとかはけっして思わないし,映画の脚本の中の「ことば狩り」をしようとも思わない。
問題は、先ほどのトイレのことでもわかるように日本の社会というのは,かつて「社会の弱者」を日常生活から完全に切り捨ててしまっていたのではないのかと思えることなのだ。
(日本の社会が)バリアフリー、つまりユニバーサルデザインのことを考え始めたのはごくごく最近のことで、しかもそれは都会(の一部)だけで、古い田舎町、観光地などにはその考えはまだまだ及んでいない。
先ほど私が旅の「移動だけなら何とかなる」と言ったのは、移動は私自身が直接関与できるからだ。
だから,「なんとかなる」。
でも、トイレは別だ。
恵子の面倒を見るために私が女子トイレの内までついていくわけにはいかない。
多くの観光地には障害者用の手すり付きトイレはおろか水洗トイレすら整備されていないところも多い。
障害者に和式トイレを使えというのは、ある意味、拷問のようなもの。
だが,ほとんどの健常者はそんなことに頓着しない。
だって,自分には「関係ない」からだ。
かつての日本(しかも、まだたった数十年前の話だ)は,健常者と社会的弱者は最初から同じ立場にはなかったのかもしれない。
老人の姨捨山伝説(本当にあったかどうかは別として)のように、弱者は健常者と一緒に生活してはいけないような雰囲気がどこかにあったのかもしれない。
そんな日本が、そんな簡単に「おもてなしの国」と言われて良いのだろうかと思う。
「おもてなし」を外国に自慢したいんだったらまずトイレを何とかして欲しい。
きれいとか汚いとかいうレベルの話ではなく、自分が片足だけで片手だけで、あるいは身体の自由を奪われた状態でも使えるようなトイレを日本中に配置することができて初めて「おもてなし大国」と言えるんじゃないのかナ。
列車内の河津桜のポスターを見ながらそんなラチもないことを夢想した。


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4 コメント

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何かが忘れられている気がー (藤原あや子)
2015-02-15 22:52:42
これから春・夏にかけて、一年中でいちばんの行楽シーズンがやってきます。しかし、とても嬉しいのと同時に、「私が行くことができるところはあるのかしら…?」と思ってしまうのです。それは、やはり、行った先にはいったい障害者用の『トイレ』はあるのだろうか、ということを先に考えないでは出かけられないからなのです。デパートや大型ショッピングモールなどには、(内容はともかく)最近は必ずありますが、行楽地には残念ながらとても少ないと思います。ホテルや旅館などでも障害者用のバリアフリーの部屋を用意してあるところはものすごーく少ないのが現状です。最近超高級リゾートで有名なホテルに、「私も行ってみたいなあ」と思い、問い合わせてみましたところ、『申し訳ないですが、そのような部屋は用意がありません。でも、スタッフ一同心からのおもてなしをさせていただきます』という回答がかえってきました。私が言っているのはそういう次元ではありません。いくら良いおもてなしをされても、トイレや洗面所、お風呂(温泉があるところならば部屋に温泉が引いてあるか、とか)などがフラットになっているかとか、ベッドの配置などが使いやすい状態になっているかなどの方が断然優先されなければ、利用することは絶対にできません。ある意味、何のおもてなしはなくても、部屋がフラットな使い勝手の良い状態でさえあれば、利用できるのです。こんなにも新しい、超高級なリッチな気分を味わうことができるリゾートホテルに、一部屋もそういうバリアフリーの部屋はないのです。「私みたいな人には来て欲しくないのかなあ」と、ちょっといじけてしまいそうになります。たまーに、『バリアフリーの部屋があります』というので泊まってみると、とりあえずトイレや風呂は確かにバリアフリーですが、ツインのベッドの間が車いすが通れないほど狭かったり、ベッドルームよりも(バカに)広~い畳の部屋が一緒についていたり(若い家族と孫やじいちゃんとおばあちゃんたちが泊まれるようにできている)。。。単純にバリアフリーのツインのベッドルームが欲しいだけなのに……。余計なものをつけなくても、もっとストレートでいいと思います。どうしてなんでしょうかー。私の活動でいちばんちからを入れたいのが「これ」なんですよ。インフラ整備、特に『トイレ』なんです。
また、2020年にはオリンピックが開かれます。オリンピック、パラリンピックなどと分かれて開かれるのもちょっと疑問に感じます(いろいろと面倒なことがあるとは思いますがー)が、せめて、車いすでも何も前調べをしないでも観戦できるようにして欲しいと願うばかりです。ちなみに、パラリンピックのニュースは、金メダルを取ったって、結果を短時間で聞くくらいのものですよね。そのあたりにも差があることは否めないです。少し話がそれましたが、日本はまだまだです。おもてなしは、その辺ができて初めて本当の『おもてなし』ではないでしょうかー。世界各国から障害者が観戦にこられる国になったら、間違いなく賞賛されることでしょう! そうなれば嬉しいですね~。ユニバーサルデザイン、これからの時代、本当に大事です。少し遅きに失した感は否めませんが・・・。
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やっぱり目線の問題だと (みつとみ俊郎)
2015-02-23 21:09:10
思います。どの目線で生きていくのかという視点がなければどんな社会でも「ユニバーサルデザイン」という思想は根付かないと思います。「子供目線」で見ると大人の社会は大きいものだらけ(子供時代は誰でもそう思うはず)。でも、大人になってしまった「かつての子供」には子供目線が(もう)ないので子供には使いづらいものだらけ。どんな場合でも「相手の目線」に立つということがおもてなしので基本だと思うのですが、日本のおもてなしの思想にはこれが根本的に欠けています。ひたすら「自分のやりたいようにおもてなしをする」だけなので、ある意味「親切の押し売り」になることもあります。私は介護施設で「ボランティアの押し売り」をしたくなかったので「仕事」として責任を持つ「音楽サービス」とやろうとしているのですが、これもなかなか理解されません。「お年寄り目線」で何が必要で何が求められているかを徹底的に考えてやる音楽でない限り,所詮プロがやろうがアマがやろうが「自己満足」にしか過ぎません。多分,日本にユニバーサルデザインが根付かないのはこんな「思想」が欠けているからだと思います。藤原さんのやろうとしていることも私がやろうとしていることも絶対に社会には必要です。もしそれがきちんと理解されないと、オリンクピックでやってくる外国の人たちにバカにされるだけだと思います。「日本人のおもてなしってタダの一人よがりなんだ」と。
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観光地の改革 (オルソン節子)
2015-04-22 22:56:27
5年ほど前に息子夫婦を連れて、桜の季節にアメリカから里帰りをして、京都にも旅行をしました。その時にアメリカ人の嫁が閉口したのは、観光地のトイレが殆んど和式ばかりだったことです。世界遺産に認定された場所も多い昨今、外国から訪れる人々も多くなってきたのに、トイレに関しては、あまり改善されていないのが残念です。日本人の私たちでさえ、洋式トイレの方が快適に使えるのに、和式トイレが今だにあるということ自体おかしいと思います。新幹線や都会の公共施設のトイレがハイテク化しているのに対して、観光地のトイレがこんな状態では、ギャップも甚だしく思います。数年前の経験を思い出して、このコメントをさせていただきます。
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その通りです (みつとみ俊郎)
2015-04-24 06:43:30
外国人でなくても、自分がもし足が悪かったと仮定したらあの和式トイレに入る気が起こるでしょうか?多分不可能だと思います。かろうじて座れたとしてもどうやって立ちあがれというのでしょうか?そういう「想像力」がないから別に「それでイイ」と思ってしまうのだと思います。観光地は「人に来てもらう」ことは考えますが、その「来た人たちがどう思うか」という想像力までは働かせないのでしょうネ。やはり、「世界遺産」や「オリンピック」に一生懸命になるのならそういう「想像力の訓練」も一緒に行うべきだと思います。
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