私はこのことばが大嫌い。
というよりも、こういうことばが存在すること自体、日本はまだまだ「バリアフリー後進国」だなと思ってしまう。
なにかバリアフリーには二種類あって、一つは段差のない「物理的なバリアフリー」、そしてもう一つは健常者も障害者も分け隔てなくつきあっていく「心のバリアフリー」みたいな詭弁(私には詭弁にしか思えない)を使ってバリアフリーの本質を誤摩化そうとしているとしか私には思えないからだ。
冗談じゃないと思う。
バリアフリーっていうのは、単に「段差がない」っていうことでもないし、「差別をなくそう」っていうことでもない訳で,とにもかくにも「目線」の問題なのだと私は思っている。
要は単純なこと。
子供の目線と大人の目線の違いを考えれば簡単にわかること。
大人が子供を理解しようと思ったらまず「子供の目線」に立ってモノを理解していかなければならない。
そうしなければ、大人は子供をとても危険な目にあわせてしまう。
大人の目線ではOKなものでも子供の目線に立つと危険なモノは世の中にゴマンとあるからだ。
それと同じように、車椅子で生活する人たちを理解しようと思ったらまず「車椅子の目線」を理解するところから始めなければならない。
それができれば、車椅子の快適な生活とは単に「段差がなくなればいい」訳ではないことがすぐに理解される。
しかし,大人が子供の目線に立つのは「苦しい」。
大人がかがんで子供の目線に立つのはけっこう辛い(肉体的に)し,もはや大人になってしまった人間が子供の気持ちを理解するのもシンドイことだ。
同じように健常者が車椅子の人たちと同じ目線に立とうと思ったら、同じようにけっこう辛い場面もたくさん出てくる。
なんで俺たち(健常者)の方が苦労しなきゃいけないんダと思った時点で、もう同じ「目線」に立つことはできない。
つまり、バリアフリーを理解することはできないということだ。
最近スーパーに夫婦一緒に買い物に来る高齢者夫婦をよく見かける。
昔は,男性(特にこの世代の人たち)がスーパーまで一緒に買い物に来ることは稀だった。
たいがいは(お店の)外で待っているか家で待っているかどちらかだったと思う。
それから比べると格段の進歩,だと思うのだが,まだ彼らの様子はどこかギコチない。
奥さんと一緒に買い物カゴを押していてもどこか所在なげで、時に他の買い物客の「邪魔」にさえなってしまう。
つまり,彼らの気持ちの中にどこか「なんで(男の)俺が買い物に一緒に来なきゃ行けないんだ」的な意識や「俺が料理作る訳じゃないのに何買っていいかわからないよ」といった意識が残っているから所在なげに見えるのだと思う。
つまり、彼らの一番の問題は、まだ「主婦目線」になりきれていないこと。
中には一人でテキパキと買い物を続けている初老の男性もいる。
きっと一人暮らしなのか、主夫業を楽しんでやっている人なのだろう。
彼らの買い物には何の迷いもない。
今日、あるSNSで「全国で書店が減り続けている」というニュースを見かけた。
これ自体以前から指摘されていることで何の驚きもないが、そのニュースに対するツイートの中に「今どきAmazonで何でも買えるんだからそっちを利用すればいいじゃん」みたい書き込みがあるのを見ていて、やはりこれもまったく「目線」の問題を理解していない人が多いんだなと思ってしまう。
私自身もふだん書店がそばにある環境には暮らしていないので(本屋はあるけれどもお目当ての本はないので)通販で本はよく買う。
でもそれは、私がそれをできるからに過ぎない。
そういう買い方をできない人が世の中には一体どれだけいることだろう。
もしかしたら、そんな買い方が存在することすら知らない人がものすごくたくさんいるのではないだろうか。
若い世代にとっての「当たり前」と高齢者世代にとっての「当たり前」にはものすごく乖離があるわけで、この乖離を理解して相手の目線に立つというスタンスがない限りバリアフリー社会など夢のまた夢。
首相が女性の活躍できる社会(輝く社会か?)を、と叫んでみても日本の社会は一向にそちらの方向には進まない。
いくら日本のトップが「さあ踊れ」と言っても「何で俺たちが踊らなきゃならないの。なんで女性というだけで優遇しなきゃいけないの」といった男性が多いうちはこのかけ声は単なるかけ声倒れに終わってしまうだろう。
「笛吹けど踊らず」だ。
そんな「危うさ」を感じているからこそ,世の中は「こころのバリアフリーも大事」みたいなことを言いだして(まったくバリアフリーの本質を見ようとしない)自分たちの「危うさ」さえも隠そうとしているのではないのか。
バリアフリーに「こころのバリアフリー」もヘッタクレもないと私は思う。
世の中の人すべてが、相手の目線,他人の目線にたって生活するようになれば自然に世の中すべてがバリアフリーになるのにナ…と思うのは私だけではないだろう。
というよりも、こういうことばが存在すること自体、日本はまだまだ「バリアフリー後進国」だなと思ってしまう。
なにかバリアフリーには二種類あって、一つは段差のない「物理的なバリアフリー」、そしてもう一つは健常者も障害者も分け隔てなくつきあっていく「心のバリアフリー」みたいな詭弁(私には詭弁にしか思えない)を使ってバリアフリーの本質を誤摩化そうとしているとしか私には思えないからだ。
冗談じゃないと思う。
バリアフリーっていうのは、単に「段差がない」っていうことでもないし、「差別をなくそう」っていうことでもない訳で,とにもかくにも「目線」の問題なのだと私は思っている。
要は単純なこと。
子供の目線と大人の目線の違いを考えれば簡単にわかること。
大人が子供を理解しようと思ったらまず「子供の目線」に立ってモノを理解していかなければならない。
そうしなければ、大人は子供をとても危険な目にあわせてしまう。
大人の目線ではOKなものでも子供の目線に立つと危険なモノは世の中にゴマンとあるからだ。
それと同じように、車椅子で生活する人たちを理解しようと思ったらまず「車椅子の目線」を理解するところから始めなければならない。
それができれば、車椅子の快適な生活とは単に「段差がなくなればいい」訳ではないことがすぐに理解される。
しかし,大人が子供の目線に立つのは「苦しい」。
大人がかがんで子供の目線に立つのはけっこう辛い(肉体的に)し,もはや大人になってしまった人間が子供の気持ちを理解するのもシンドイことだ。
同じように健常者が車椅子の人たちと同じ目線に立とうと思ったら、同じようにけっこう辛い場面もたくさん出てくる。
なんで俺たち(健常者)の方が苦労しなきゃいけないんダと思った時点で、もう同じ「目線」に立つことはできない。
つまり、バリアフリーを理解することはできないということだ。
最近スーパーに夫婦一緒に買い物に来る高齢者夫婦をよく見かける。
昔は,男性(特にこの世代の人たち)がスーパーまで一緒に買い物に来ることは稀だった。
たいがいは(お店の)外で待っているか家で待っているかどちらかだったと思う。
それから比べると格段の進歩,だと思うのだが,まだ彼らの様子はどこかギコチない。
奥さんと一緒に買い物カゴを押していてもどこか所在なげで、時に他の買い物客の「邪魔」にさえなってしまう。
つまり,彼らの気持ちの中にどこか「なんで(男の)俺が買い物に一緒に来なきゃ行けないんだ」的な意識や「俺が料理作る訳じゃないのに何買っていいかわからないよ」といった意識が残っているから所在なげに見えるのだと思う。
つまり、彼らの一番の問題は、まだ「主婦目線」になりきれていないこと。
中には一人でテキパキと買い物を続けている初老の男性もいる。
きっと一人暮らしなのか、主夫業を楽しんでやっている人なのだろう。
彼らの買い物には何の迷いもない。
今日、あるSNSで「全国で書店が減り続けている」というニュースを見かけた。
これ自体以前から指摘されていることで何の驚きもないが、そのニュースに対するツイートの中に「今どきAmazonで何でも買えるんだからそっちを利用すればいいじゃん」みたい書き込みがあるのを見ていて、やはりこれもまったく「目線」の問題を理解していない人が多いんだなと思ってしまう。
私自身もふだん書店がそばにある環境には暮らしていないので(本屋はあるけれどもお目当ての本はないので)通販で本はよく買う。
でもそれは、私がそれをできるからに過ぎない。
そういう買い方をできない人が世の中には一体どれだけいることだろう。
もしかしたら、そんな買い方が存在することすら知らない人がものすごくたくさんいるのではないだろうか。
若い世代にとっての「当たり前」と高齢者世代にとっての「当たり前」にはものすごく乖離があるわけで、この乖離を理解して相手の目線に立つというスタンスがない限りバリアフリー社会など夢のまた夢。
首相が女性の活躍できる社会(輝く社会か?)を、と叫んでみても日本の社会は一向にそちらの方向には進まない。
いくら日本のトップが「さあ踊れ」と言っても「何で俺たちが踊らなきゃならないの。なんで女性というだけで優遇しなきゃいけないの」といった男性が多いうちはこのかけ声は単なるかけ声倒れに終わってしまうだろう。
「笛吹けど踊らず」だ。
そんな「危うさ」を感じているからこそ,世の中は「こころのバリアフリーも大事」みたいなことを言いだして(まったくバリアフリーの本質を見ようとしない)自分たちの「危うさ」さえも隠そうとしているのではないのか。
バリアフリーに「こころのバリアフリー」もヘッタクレもないと私は思う。
世の中の人すべてが、相手の目線,他人の目線にたって生活するようになれば自然に世の中すべてがバリアフリーになるのにナ…と思うのは私だけではないだろう。
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