みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

ある雑誌からマイルス・デイビス

2007-09-14 06:34:55 | Weblog
についての長い原稿を依頼される。8ページ分の特集記事。
ビートルズと同じぐらい昔から散々いろんな人が書きコメントしてきたテーマだ。 でも、私が「マイルスとサティの話から原稿始めますよ」というと、出版社の人に本当にびっくりした顔をされてしまった。
「え?サティとマイルスに何か共通点でもあるんですか?」。彼の顔にはそう書いてある。 私にとってはいくらでも共通点のある二人の音楽家が、世の中では全く接点のない二人に思われているところが逆に私にとっては何とも不思議だ。
ここで、原稿のネタをすべては明かせないのであまり詳しくは書けないが、この二人の共通点の一つだけ言っておくと、それはモードに関すること。つまり、中世のグレゴリア聖歌などで使われていた音階(教会旋法)のことだ。サティもモードを使っていた。マイルスも使った。ただそれだけのことではない。モードを使った人は他にも大勢いるから、別に彼ら二人がそれ(=モード)を使っていたからといって、それだけで二人に接点が出てくるわけではない。もっと、大事なこと、それは、二人とも、そのモードが音楽史の大きな流れの中では必然的に出てくるものだということを確信的に知っていてそれを使い、そのことがまわりから完全に理解されなかったことだ。
サティのあのあまりにシンプルなメロディとハーモニーは人々から長い間理解されず、親友のドビュッシーからも「もうちょっと音楽の形式について勉強した方がいい」と説教めいたことまで言われている(ドビュッシーもサティをあまり理解していなかったようだ)。マイルスにしても、コード理論(つまり、ドレミファの理論ということ)にもとずいたアドリブができないからモードのアドリブに走ったのだろう、と言われていた時代もあった。まあ、要するに、何かを確信的に初めてやろうとする人は、まわりからは理解されにくいものなのかもしれない。
でも、サティはミヨーやプーランクといったフランス六人組という作曲家グループからは圧倒的に支持されていた(神のように崇められていた)し、マイルスにもジョン・コルトレーンという最大の理解者で弟子は得たわけで、その意味ではきちんと理解されて現在は多くのファンから支持されているのだから、結果としては幸せな人たちなのだろうと思う。でも、サティという人は生きている時にはほとんど理解されていなかった。それはそれは、かわいそうなくらい。よく、ほとんどの偉大な作曲家は生きている時には報われないんだ、みたいな言われ方をするが、サティという人の亡くなり方はあまりに惨めだ。ほとんど老人の孤独死のような状態で亡くなっている。ちょっと、「それではあんまり」という気もするのだが...。
二人とも「世の中を変えてやろう」といった壮大な決意があったのかどうかはわからないけれども、結果的にみれば、二人とも音楽を変えることに多大な貢献をしている。世の中全体の今のヒーリング傾向を、まったく違うジャンルで何十年も前から予見していたこの二人の偉大な人間を,
ちょっとこれまでとは違った視点から浮き彫りにしてみようと思っている(本当の目的はマイルス・デイビスについて書くことなのだけど...ハハハハ)。

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1 コメント

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初コメです。 (Saki)
2007-09-14 15:20:04
マイルス…ストラヴィンスキーとかも聴いてたらしいですね?

いや、それだけなんですが。

ええ。
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