みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

菖蒲をスーパーで見かけ

2007-05-05 00:19:29 | Weblog
「あ、そうか、菖蒲湯か」と思い買って風呂に入れる。でも、まったく期待はずれ。匂いがない。まったくないとは言わないがホントにかすかな匂い。別に、菖蒲だけでなく、今の花も野菜も匂いがホントに薄い。春先、近所の花屋にミモザの鉢植えが置いてあるのを見つけ、マスターに「このミモザって匂いがないね」と言ったら、その花屋のマスター言わく「え?ミモザって匂いないじゃない。ウチで売ってるのはみんな匂いしないよ」。この発言には、正直ビックリした。花屋さんがミモザに匂いがないと思い込んでいるとしたら、今の子供たちが、バラに匂いがなかったらり(花屋で売っているハイブリッドのバラは匂いがとっても少ない種類だ)、野菜に匂いがなかったりするのもしょうがないことなのかナ?と思ってしまう。
日本の社会から匂いがこうも毛嫌いされ始めたのはいつ頃からなのだろうか?無香料が売りの商品が巷にあふれ、匂いがないことがイイことだ的な感覚が日本中にまん延している。人間の感覚にとって、匂いというのは、いい匂いも悪い匂いもとても重要なもの。この感覚が薄いと、人は大体が危険を察知する能力を失うし(人は、危ないモノを匂いで判断する)、食事を楽しむこともできなくなるし(味はその半分が匂いで感じるもの)、あらゆる意味で鈍感な人間を育てることになってしまう。
それに、日本の社会はいい匂いを判断する能力を失っているだけでなく、いやな匂いにまで鈍感になっているような気がする。先日名古屋のタクシーが全面禁煙になるというようなニュースをやっていたが、私は、これは「当たり前」の話しだと思う(東京のタクシーも早くそうするべきだ)。副流煙の害がどうのこうのと言う前に、あの匂いを何でみんな許容できるのか不思議でならない。タバコを吸う人には、ひょっとしたらいい匂いなのかもしれないが、吸わない人間には悪臭以外の何者でもない。というか、私は、電車で隣にタバコを吸う人が座っただけで気持ちが悪くなる。あのヤニの匂いをかがされるのはかなりの苦痛だ。
匂いも音も味も環境や社会によって考え方が変わるので、私たちが使うスパイスのクミンの匂いは、中東の人たちには、けっこうセクシーさを象徴する匂いなのかもしれない(以前イランの人にそんな話しを聞いたことがある)。私には、クミンの匂いはワキガの匂いを連想させるが、肉料理にはけっこう欠かせないスパイスでもある。昔の人は、和服にお香をたきしめて匂いを移し、そうして着ていた(英語では、匂いをつけることを「着るwear」という単語で表現する)。匂い袋もそうだし、サシェのようなものも人はオシャレで利用していたわけだが、最近はそういうことをする人は少ないのかもしれない。私は、大事な人に対して書く手紙の便せんはあらかじめサシェで匂いを写したものを使う。別に相手がそれに気づこうが気づくまいがそれはかまわない。これが、私自身のオシャレのつもりだから。
匂いも味も音楽もオシャレに楽しまなければ、人生本当にツマラナイ。

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