「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

みれん 2007・09・15

2007-09-15 08:45:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昭和59年7月の文章です。

  「フェリックス『お前は綺麗だなあ。そして底の底まで健康なやうだ。お前のやうな人間は人生に対して十分の権利を持つて

  ゐるのだ。どうぞ己(おれ)に構はないで、別れてしまつてくれい。』

   どういうわけか私は二十(はたち)のころ読んだシュニッツレル作森鷗外訳の『みれん』という小説をしきりに思いだす。

  フェリックスは肺をわずらってあと一年の命だと医者に言われて、その医者のことをあんなに体がよくて若いんだから、まだ

  四十年ぐらい生きられるだろうと恋人に言う。

   二人は往来へ出た。その周囲(まわり)には歩いたり、しやべつたり、笑つたりして生きてゐて、死ぬることなんぞは考へない

  人がうようよしてゐた。(略)

  『だつてあなたなんぞこそ健康になるたちの人ですわ。』

   男は声を出して笑つた。『お前。己が運命といふものが分らないでゐると思ふのかい。今ちよつと工合が好くなつたからと

  いつて、己がそれに騙(だま)されてゐると思ふのかい。己は偶然自分の前途を知ることが出来て、死ぬる日の近いのが分つて、

  外のえらい奴のやうに、哲学者になつて了(しま)つたのだ。』

   そして男はこう言うのである。『ちよつとこれを見い。ここに何と書いてある』男はそこにあった新聞を手にとって、日附の

  ところを指さして、来年のこの日には自分はもうこの世にいないのだと女に分らせようとするのである。

   ところがフェリックスの死を宣告した医師は、ある日突然死ぬのである。それを聞くと同時に、フェリックスは心の底でひど

  くあの医師を憎んでいたことに気がつくのである。

   『みれん』は佳作で、いつまでも引用したいがきりがないからやめる。私は妻が何を言ってもつとめて笑って答えることにし

  た。二人一緒に失望落胆するよりよかろうと思うだけで、それは妻にも分らないではないが、時には何を笑うかとむっとするこ

  とがないではない。それは私の笑い声のなかに、死ぬことなんぞ考えないものの響きがあるからだろうと私は察するが、それは

  如何ともできない。」


         (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)
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