「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・09・14

2007-09-14 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続きです。

 「それなら妻は私を全く認めないかというと、認めるものがないではない。桜かざして今日もくらしたというように優にやさしい話なら大好きである。風流またはセンチメンタルな話も好きである。むかし『あれ鈴虫がないている』というコラムを『週刊朝日』に書いたときは珍しく喜んでくれた。
 ―農薬のおかげでとんぼも蝉も死にたえた。虫の声もきかれなくなったと前回この欄に書いたら、東京を去ることわずか十里の町から一少女が電話をくれて、ここではいま虫の声が降るようです。聞かせてあげましょうホラと受話器を庭に近づけたが、いくら感度がよくても虫の声ははいらない。それを言うにしのびないので私は聞えたふりをして礼を述べそっと受話器を置いた云々。
 こういうものが書けるのになぜ変なことばかり書くかと彼女は残念がるのである。『松竹梅で痛さを言う』というのも気にいったほうである。妻は健康な人がきらいになった。生きている人には死んでいく人の気持は分らないと人間を見る目がかわって、しばしば言葉じりをとらえてからむようになった。
 私はつとめてそれを笑うようにした。二人とも失望落胆するよりそのほうがいいからである。けれども妻は何を笑うかという目で見ることがあった。私の笑いのなかに死ぬことなんぞ考えていないものの響きがあったからである。私は思わず口をつぐんだ。
 妻はけなげに気をとり直して私にからむのは朝だけにすると言った。私は病状を松竹梅で言えと命じた。天丼うな丼のように今日の痛みは『梅』だなどと言うように頼んだのである。
 怪しや今朝は『松』だと言う日がありはしないかと、ひそかに私は願っている――と結んだときは妻は顔をあげなかった。いっぽう『他人の目にはただのお多福』というたぐいの小文は題を見ただけで病気を忘れて哄笑した。
 それまで入退院を繰返してはいたが、病院生活はながくて一カ月でうちへ帰ることができた。死ぬと思ったことはなかった。今度はちがう。けれども一縷の望みがないではない。骨にきて五年も生きてきたのだから奇蹟はもう一度おこるかもしれない。
 医師は肋膜と称している。当人は肺ガンだと知りながら今度は肋膜だという。そう思いたいのだろう。肋膜なら水をとればらくになる。はじめ二リットル(一升強)次いで一リットルとったがあとはゼリー状になってもうとれないという。二リットルとったときに呼吸が少しはよくなるはずなのにならなかったから万事は休したのである。
 帰ってうちで死にたいと言いだしたのはこのときからである。それにはせめて車に乗れるだけの体力がなければならないと妻は病院の廊下をさまよい歩いた。階上と階下をあがったりおりたりして足をたしかめていた。病院は治すこともできないくせに退院を許さない。足袋はだしでも脱走するぞとまだ意気さかんなところを示したが、それもはやふた月の昔になった。

 いちはつの花咲きいでてわが目には 今年ばかりの春行かんとす  子規

 妻が入院したときはまだ冬だった。それから七十日、春はすでに行こうとしている。私は口にだしては言えないけれど、この歌を思いださずにはいられなかった。」

   (山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
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