今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昭和六十二年三月の「みれん」
と題した文章の一部です。
「このごろ私はひとりごとを言うようになった。生きている人は死んだ人の話を聞いてくれない。一度は聞くふりをするが
それは『義理』で、二度とは聞いてくれないから私は死んだ妻の話ができない。
妻はガンをわずらって七年、去年五月十一日力尽きて死んだ。ガンはもう珍しくないから話題にならない。この七年の
あいだ毎年のように入退院をくりかえした。入院すれば私はひとり置きざりにされる。妻は出勤前に必ず見よとポスター
の裏にマジックで書いた諸注意を壁に張って行くのが常である。戸締り。台所・風呂場のガス元栓。ストーブ・アイロン。
燃えるゴミの日、燃えないゴミの日などと大書してある。私は毎朝それを仰ぎ見て十なん枚の雨戸をしめ、片手に靴、片
手にカバンを持って泥棒のように勝手口から出るのである。そのときはひと月で退院したが、去年入院するときは改めて
書いて貼った。そして七十一日目に死んだ。私はにわか独身者になったのである。今もそのポスターを妻が生きていた日
と同じく仰ぎ見て私は家を出る。私は死んだ人のさし図をうけている。
天気のいい日には蒲団をほす。もう着ることのない蒲団ではあるけれど、しめったままにしておきたくない。まだ箪笥
の引出しには衣類がぎっしりつまっている。ふだん着にはみな見おぼえがある。手を通すつもりで通せなかった晴着があ
る。茶の間の薬箱には医院の薬袋が夥しく残っている。日付を見るとああこのときはまだ歩いて通院できたのだな、この
とき肺ガンを発見してくれさえすればとみれんは尽きないのである。下駄箱には履物が揃っている。いつ帰ってもその日
からもとの暮しができる。
私は二年間毎朝病人の背をなでさすった。七時にめざめたときは三十分、五時にめざめたときは二時間なでてやった。
スキンシップは多く子供にすると書いてあるが、最もこれを欲するのは病人と老人で妻はその一人である。私は五つ六つ
のころ父の肩をたたかされて一時間たっても倦きなかった。たぶんほかのことを考えていたのだろう。妻ははじめ恐縮し
たがしまいにはなすにまかせた。志が『芸』にあるものがよき夫であるはずがない。せめてもの罪ほろぼしのつもりであ
るが、子どもぐらいには言えと命じたのに恥ずかしかったのだろう。ときどき十五分ぐらいと言って二時間とは言わなか
ったようだ。
私は自分の衣類がどこにあるかさがしてこれもマジックで書いてあるのを発見した。いつまでも私は死んだ人のさし図
に従ってそれが嬉しくないことはないのである。こうして人は死ぬのだなとそれを甘受する気になるのである。
私は夜ふけてまっくらな家へ帰る。カバンのなかに懐中電灯を二つ用意して手さぐりでどちらか触れたほうで勝手口の
ドアのカギ穴を照らして常のごとく忍びこむうちにひとりごとを言うようになったのである。『いま帰ったぞ』『晩めし
は食ってきたぞ』『雨の晩はいやだな。両手がふさがってカギをあけるのに手間どって』。
子供たちは怪しんで私をこの家からひき離そうとする。この家は形見のかたまりである。ここにいるかぎり死んだ人の
支配はまぬかれない。『雨月物語』にこれに似た話があったような気がする。妻と語って私はなかば死んだ人なのだなと
分って声を出して言うのである。
『おお待ってろ、すぐ行くぞ』 」
(山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
と題した文章の一部です。
「このごろ私はひとりごとを言うようになった。生きている人は死んだ人の話を聞いてくれない。一度は聞くふりをするが
それは『義理』で、二度とは聞いてくれないから私は死んだ妻の話ができない。
妻はガンをわずらって七年、去年五月十一日力尽きて死んだ。ガンはもう珍しくないから話題にならない。この七年の
あいだ毎年のように入退院をくりかえした。入院すれば私はひとり置きざりにされる。妻は出勤前に必ず見よとポスター
の裏にマジックで書いた諸注意を壁に張って行くのが常である。戸締り。台所・風呂場のガス元栓。ストーブ・アイロン。
燃えるゴミの日、燃えないゴミの日などと大書してある。私は毎朝それを仰ぎ見て十なん枚の雨戸をしめ、片手に靴、片
手にカバンを持って泥棒のように勝手口から出るのである。そのときはひと月で退院したが、去年入院するときは改めて
書いて貼った。そして七十一日目に死んだ。私はにわか独身者になったのである。今もそのポスターを妻が生きていた日
と同じく仰ぎ見て私は家を出る。私は死んだ人のさし図をうけている。
天気のいい日には蒲団をほす。もう着ることのない蒲団ではあるけれど、しめったままにしておきたくない。まだ箪笥
の引出しには衣類がぎっしりつまっている。ふだん着にはみな見おぼえがある。手を通すつもりで通せなかった晴着があ
る。茶の間の薬箱には医院の薬袋が夥しく残っている。日付を見るとああこのときはまだ歩いて通院できたのだな、この
とき肺ガンを発見してくれさえすればとみれんは尽きないのである。下駄箱には履物が揃っている。いつ帰ってもその日
からもとの暮しができる。
私は二年間毎朝病人の背をなでさすった。七時にめざめたときは三十分、五時にめざめたときは二時間なでてやった。
スキンシップは多く子供にすると書いてあるが、最もこれを欲するのは病人と老人で妻はその一人である。私は五つ六つ
のころ父の肩をたたかされて一時間たっても倦きなかった。たぶんほかのことを考えていたのだろう。妻ははじめ恐縮し
たがしまいにはなすにまかせた。志が『芸』にあるものがよき夫であるはずがない。せめてもの罪ほろぼしのつもりであ
るが、子どもぐらいには言えと命じたのに恥ずかしかったのだろう。ときどき十五分ぐらいと言って二時間とは言わなか
ったようだ。
私は自分の衣類がどこにあるかさがしてこれもマジックで書いてあるのを発見した。いつまでも私は死んだ人のさし図
に従ってそれが嬉しくないことはないのである。こうして人は死ぬのだなとそれを甘受する気になるのである。
私は夜ふけてまっくらな家へ帰る。カバンのなかに懐中電灯を二つ用意して手さぐりでどちらか触れたほうで勝手口の
ドアのカギ穴を照らして常のごとく忍びこむうちにひとりごとを言うようになったのである。『いま帰ったぞ』『晩めし
は食ってきたぞ』『雨の晩はいやだな。両手がふさがってカギをあけるのに手間どって』。
子供たちは怪しんで私をこの家からひき離そうとする。この家は形見のかたまりである。ここにいるかぎり死んだ人の
支配はまぬかれない。『雨月物語』にこれに似た話があったような気がする。妻と語って私はなかば死んだ人なのだなと
分って声を出して言うのである。
『おお待ってろ、すぐ行くぞ』 」
(山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)