今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私は荘子を奔放自在な物語として読んだ。蝸牛(かたつむり)の左の角(つの)に『触』という国がある。右の角に『蛮』という国がある。両国は争って戦ったが、死者が何万人も出た。勝ったほうは逃げるほうを追って、帰るのに十五日もかかった。
帰るのに十五日もかかったのなら、追うのにも十五日はかかったろう。もし多少の抵抗があったのなら、十五日以上かかったろうが、そんなことは書いてない。帰るのに十五日かかったと言うだけである。私は『省略』ということを学んだ。
『蝸牛角上の争』という言葉なら、いまでも大会社の入社試験に出る。まだ全き死語ではない。南北朝鮮の紛争もベトナムの戦争も、共にかたつむりの角の上の争いである。老荘の昔からこのたぐいはあったのである。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)
「私は荘子を奔放自在な物語として読んだ。蝸牛(かたつむり)の左の角(つの)に『触』という国がある。右の角に『蛮』という国がある。両国は争って戦ったが、死者が何万人も出た。勝ったほうは逃げるほうを追って、帰るのに十五日もかかった。
帰るのに十五日もかかったのなら、追うのにも十五日はかかったろう。もし多少の抵抗があったのなら、十五日以上かかったろうが、そんなことは書いてない。帰るのに十五日かかったと言うだけである。私は『省略』ということを学んだ。
『蝸牛角上の争』という言葉なら、いまでも大会社の入社試験に出る。まだ全き死語ではない。南北朝鮮の紛争もベトナムの戦争も、共にかたつむりの角の上の争いである。老荘の昔からこのたぐいはあったのである。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)