「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・08・26

2013-08-26 14:14:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「『満願』の日傘」より。

「その小説をはじめて読んだのがいつだったのか、覚えていない。いちばん最近読んだのは、つい昨日のことである。その間、何十回読んだかわからない。もしかしたら、短いものだから、全部諳んじることができるかもしれない、と思うほどである。太宰が戦後すぐに書いた『満願』という小説の話である。
 太宰らしい中年男が、疎開したまま伊豆あたりの田舎に戦後もそのまま居ついている。彼は昼近くにのこのこ起きだし、近所の医者の家に新聞を読みに行くのを日課にしている。陽当たりのいい縁側で夫人の出してくれたお茶を飲み、新聞を隅から隅まで読む。毎日そうやっていると、いつの間にかこの医院に来る患者や、その家族の顔を自然に覚えてしまう。その中に、ちょっと気になる一人の若い奥さんがいた。週に一度ばかり薬を貰いに来て、その帰りぎわ、医者が玄関までわざわざ送って出て、その奥さんに『もうしばらくの辛抱ですよ』と叱咤するように言うのである。その度に、医者の目をまっすぐ見つめ、女学生のようにこっくりうなずくのが気にかかり、医者の夫人に訊ねてみると、ご主人が胸の病気でもう一年余り養生していて、若い奥さんの懸命な看護でだんだんよくなっているという。ただ、体に障るので、夫婦のことを禁じられているらしい。辛抱というのは、何もそのことだけではないだろうが、可哀相に、と人の好い夫人は垣根越しに帰って行くその奥さんの後ろ姿を見送るのだった。
 春が過ぎて夏が来た。ある日、彼が新聞からふと目を上げると、垣根の向う、野の道を白い日傘がくるくる廻りながら遠ざかって行くのが見える。弾むように、飛ぶように、日傘が踊っている。あの若い奥さんだった。医者の夫人が、彼の耳元で囁いた。『今日、やっとお許しが出たのよ』。満願である。二人はいつまでも嬉しい日傘を見送っていた。
 私にも見えるようである。心が冷え冷えと寒い日、何か、誰か、温かいものが欲しいと願うとき、目をつむると白い日傘がくるくる廻って行くのが私には見える。たったこれだけの幸せがなぜ私にはない、と嘆きたいこともある。もしあのとき、もう少しの優しさが私にあったら、と悔やむこともある。とても手の届かない情景のように思える日もあれば、明日はあの日傘が自分の方へやって来そうに思える日もある。幻だと思えばこそ、満願の日傘はいっそう楽しげに、くるくる、くるくる廻るのである。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする