「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・08・17

2013-08-17 12:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「五歳で漱石をそらんじる」より。

「街の貼り紙や新聞の広告の中に、なんとなく親に訊いてはいけないような字があった。これは本能的にそう感じたとしか言いようがない。〈花柳病(かりゅうびょう)〉というのが、それだった。何のことか判らなかった。ところが、不思議に思えば思うほど、街のあちこちにその字が目立って見えるのである。ご丁寧にその字だけ、朱色で書いて電信柱に貼ってある。雑誌の広告では、その字だけ大きな活字になっている。こんなにたくさん、この病気で悩んでいる人がいるらしい。どんな病気かは知らないが、父や母は大丈夫なのだろうか。誰にも訊けないというのは辛いものである。けれど何となく禁忌(きんき)の感じだけは、子供心にも察知できるのである。だから、黒い塀をめぐらせた中から三味線の爪弾きが聞こえる家の正面に廻って、〈花柳流……〉という看板に出くわして、動悸がしばらく治まらなかった憶えが私にはある。私がこっそり抱えつづけた〈花柳病〉と、〈月経帯〉の謎が解けたのは、それから十年経った戦後しばらくしてのことだった。
 そういう字は、漱石にも乱歩にも出てこなかった。世の中のことは、全部本に書いてあるとはかぎらない。やっぱり室内だけではなく、室外へもでなければならないと私は思った。幸い、小学校へ上がるころから、私の体は少し丈夫になっていた。遅まきながら、阿佐ヶ谷の街を一人で歩いてみたりした。友だちというものがいなかったから、いつも一人だった。天沼寄りの森の中に、灰色の洋館があって、その中からはときどき女の悲鳴のような声が聞こえることもはじめて知った。〈病院の森〉と呼ばれていたその森の入り口から、細い露地を入ると、ガラス戸の破れた鳥獣剝製(はくせい)店があることも、ずっと住んでいて、それまで知らなかった。いろんな店や、いろんな家があるものだ。住んでいる人たちの名前だって、ずいぶんたくさんあるのでびっくりする。〈服部〉という字が読めなかった。〈五十嵐〉も判らなかった。父の書架に並んでいた姓しか知らなかったのである。
 そのうちに妙なことに気がついた。〈鈴木寓〉とか〈林寓〉とか、阿佐ヶ谷の住宅街には〈寓〉という名の人がやたら多いのである。けれど、私や私の家族の知人に、〈寓〉という名のつく人は一人もいなかった。私は、何のためらいもなく母に質問した。母はほんの少しの間、当惑したような顔をして、それから何となく口を濁した。末っ子にはどんなことでも教えてくれた母が、生涯でたった一つ教えてくれなかったのは、このとき、このことだけではあるまいか。

 いまはもう、東京中歩いたって、〈花柳病〉の貼り紙にも、〈寓〉の表札にも出くわすことはない。そして私は、半世紀前には確かに読めた字が読めず、誰も周りにいないのに、辺りを見回しながら字引を引いている。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

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