「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

真実の百面相 2013・08・03

2013-08-03 14:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、大森荘蔵(1921-1997)著「流れとよどみ」より。

「カメレオンの本当の色は何だろうか。もちろんそんな色などがないことは誰でも承知している。

木の葉の中での緑色、岩場の上での茶褐色、それぞれその場その場の色のどれもが真実の色であって、

その中でこれこそ本物の色だというような色はありはしないからである。だがカメレオンや七色変化(へんげ)

の紫陽花(あじさい)とは違って、色変わりをしないものには『本当の色』がある、そう思う人もいるだろう。

 しかし例えば着物の生地に本当の色といったものがあるだろうか。昼と夜、窓辺と部屋の隅、螢光灯と白熱電球、

生地をのせた台の色、見る人の眼の具合、こういった様々の状況でその生地は様々な色に見える。

それら様々な色の中でどの色がその『本当の色』だと言えるのか。青磁の壺や翡翠の帯留めは、どの向きから

どのような近さで見たときにその本当の色を見せると言うのだろうか。いやこういう場合にもその折々の様々な

色のすべてが本当の色なのであって、特定の一つの色が他を差しおいて真実の色になるわけではあるまい。

ステレオのハイファイが音キチの間でやかましくいわれるのは、その装置が出す音が演奏現場の生の音を

どれだけ忠実に複製しているかということであろう。しかし演奏会の生の音自身が座席によって様々に聞こえる。

そこでこの座席で聞く音こそ本当の音なのだ、といえるような座席があるだろうか。

座席によって料金が違うのは高い席ほどより真実の音が聞けるからだろうか。そうではあるまい。

いい席ほどよく聞こえるだろうが、よく聞こえることがすなわち本当の音が聞こえるということではない。

天井桟敷で聞く音もそこで聞こえる本当の音であることでは平土間で聞く音と何のかわりもない。

真実とは貧しく偏頗なものではなく豊かな百面相なのである。」

(大森荘蔵著「流れとよどみ-哲学断章-」産業図書)





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