「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・08・19

2013-08-19 12:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「家のあちこちにあった薄明り」より。

「白秋の『雪と花火』の中に、『薄あかり』という小さな詩がある。

  銀の時計のつめたさは
  薄らあかりのⅦ(しち)の字に、
  君がこころのつめたさは
  河岸の月夜の薄あかり。

  空の光のさみしさは
  薄らあかりのねこやなぎ、
  歩むこころのさみしさは
  雪と瓦斯(ガス)との薄あかり。

  かるい背広を身につけて
  じっと凝視(みつ)むる薄あかり。
  薄い涙につまされて、
  けふもほのかに来は来たが。

 昼が明るく、夜が暗いのは、いまも昔もおなじである。けれどあのころは、その間(あわい)に薄明りがあった。曖昧で心細く、仄かに揺れて不安げで、泣きたくなるような薄明りがあった。そんな中に、私たち子供はじっと身を竦(すく)めていた。そうして、何かが通り過ぎるのを待っていた。私がもし昔に還りたいと願うとするならば、それはあの薄明りの中である。おなじように、白秋も、朔太郎も、伊東静雄も、大木惇夫も、すべてのときめく詩は、薄明りの中に生れたのだと思う。だから、いまは詩が生れない時代である。そしていま、私たちが詩を忘れているのは、あの薄明りを忘れてしまったからである。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする