今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「家のあちこちにあった薄明り」より。
「昭和十年代を舞台にしたドラマをお正月に放送して、今年で十年になる。なんとなく、あの時代に忘れ物をしてきたような気持ちが捨てきれず、かと言って、回を重ねれば重ねるほど、その謎は深まるばかりなのだが、私がこの時代に拘る気持ちの半分は日本家屋への拘りではないかと思う。あのころの山の手にあった、ごくポピュラーな間取りと調度を再現しようとしているだけなのだが、これがなかなか上手くいかない。毎年、ドラマを観てくれた人たちから、昔の家を思い出したとか、思い出して、いま住んでいるマンションの生活が嫌になったとかいう手紙をたくさん貰うが、撮っている当人としては、いくつも不満が残って悔しい思いをしているのである。
その一つは、あのころの家の、廊下の冷たさである。炬燵のある茶の間から、一歩廊下へ出るとすくみ上がるようだった。あの冷たさがテレビカメラで、どうやっても表現できない。ご不浄へいくのに、みんな小走りになったのは、別に急いていたわけではなく、廊下が凍るように冷たかったからである。家の中を走るのは、行儀が悪いと重々承知していても、走らないではいられなかった。
もうひとつは、あのころの家のあちこちにあった薄明りである。これも、いくら照明を工夫してもどこか違う。微妙に違う。たとえば、夜中に目を覚ましたときに、ふと目に入る障子の白さがある。かすかに庭の南天の葉影を映して、ぼんやりと白い。あるいは、雨戸の節穴から洩れ入る、朝の光もそうだった。あの懐かしい薄明りは、どうしたら再現できるのだろう。輪郭のぼやけたサーチライトのような光の輪の中に、小さな埃が舞っていた。太陽が翳ると薄明りはもっと薄くなり、そうすると埃の粒がふっと見えなくなる。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「昭和十年代を舞台にしたドラマをお正月に放送して、今年で十年になる。なんとなく、あの時代に忘れ物をしてきたような気持ちが捨てきれず、かと言って、回を重ねれば重ねるほど、その謎は深まるばかりなのだが、私がこの時代に拘る気持ちの半分は日本家屋への拘りではないかと思う。あのころの山の手にあった、ごくポピュラーな間取りと調度を再現しようとしているだけなのだが、これがなかなか上手くいかない。毎年、ドラマを観てくれた人たちから、昔の家を思い出したとか、思い出して、いま住んでいるマンションの生活が嫌になったとかいう手紙をたくさん貰うが、撮っている当人としては、いくつも不満が残って悔しい思いをしているのである。
その一つは、あのころの家の、廊下の冷たさである。炬燵のある茶の間から、一歩廊下へ出るとすくみ上がるようだった。あの冷たさがテレビカメラで、どうやっても表現できない。ご不浄へいくのに、みんな小走りになったのは、別に急いていたわけではなく、廊下が凍るように冷たかったからである。家の中を走るのは、行儀が悪いと重々承知していても、走らないではいられなかった。
もうひとつは、あのころの家のあちこちにあった薄明りである。これも、いくら照明を工夫してもどこか違う。微妙に違う。たとえば、夜中に目を覚ましたときに、ふと目に入る障子の白さがある。かすかに庭の南天の葉影を映して、ぼんやりと白い。あるいは、雨戸の節穴から洩れ入る、朝の光もそうだった。あの懐かしい薄明りは、どうしたら再現できるのだろう。輪郭のぼやけたサーチライトのような光の輪の中に、小さな埃が舞っていた。太陽が翳ると薄明りはもっと薄くなり、そうすると埃の粒がふっと見えなくなる。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)