今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。
「 文語は不自由である、口語にしたらかゆいところに手が届くと考えたのは欲である。文は書いて委曲を
尽せるものではない。尽せないで想像の余地を残しておいたほうがいいのである。
文語というのは平安時代の口語で、それが凍結されたものだという。もう新しくなったり変化したり
しないから工夫はそのなかでするよりほかない。千年工夫したから洗練されたのである。
ラテン語に似ていると思えばよかろう。ラテン語で語りあう家庭は十七世紀のデカルトの時代まであ
ったが今はない。文語として完成したものである。近世まで教育はラテン語で行われた。
口語は動いてやまないものである。それは詩の言葉にはならない。詩は文語を捨てたから朗誦にたえ
なくなった。読者を失った。それはいつから失われたか。新聞の『社説』はえらそうでなければならな
い。したがって記事は口語になっても、社説は大正十年まで文語だった。以後全新聞がこれにならった
とき文語は全く滅びたのである。詩が全部口語自由詩になったのもこのころである。」
(山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)