今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 昔はどこの家にもお話の上手な人がひとりはいて、子供たちはその人の膝にむらがって
『お話して』とせがんだ。」
「 私の家では『西町のおばさん』が話がうまかった。下谷佐竹の原そばの西町に住んでい
たから『にしまちの伯母さん』で、父の姉にあたる。
その伯母さんの話のなかでは『小僧どこ行く』を思いだす。寺の和尚に命じられて小僧
は毎日味噌を買いに行く。髪床の前を通ると亭主が『小僧どこ行く』と大声で問うので
いまいましくてならない。蚊のなくような声で『味噌買いに』と答える。帰って和尚に
訴えると『足にまかせて』と答えよと教えてくれる。
あくる日『小僧どこ行く』と言われて勇んで『足にまかせて』と答えると『足なきと
きは』と床屋は言う。窮して『味噌買いに』と蚊のなくような声で言って再び訴えると
『風にまかせて』と答えよ。
あくる日小僧はまず『足にまかせて』と言うと、床屋は『足なきときは』と問う。
ここぞと『風にまかせて』と答えると『風なきときは』と言われて『味噌買いに』と
再び蚊のなくように答えた。何ごとも自分で考えなければいけないというほどの話である。」
(山本夏彦著「不意のことば」新潮社刊 所収)