今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。
「 むかし私は『竹の柱に萱(かや)の屋根』というコラムを書いたことがある。私は萱の屋根で結構である。
門戸(もんこ)を張る気はさらにない、机がなければちゃぶ台でもいい、紫檀(したん)や黒檀の高価な銘木
(めいぼく)の机の前に坐しても、私に私以上の文章が書ける道理がない。
結局私は老荘の徒(と)だ。私は武林無想庵を反面教師として拒絶しながら、少年のころの一両年を共に
過して、やっぱり多くを学んだのである。
ついこの間私は老子の小国寡民(かみん)が理想だと書いた。国が小さくて民(たみ)が少い、民をして遠く
へ遊ばせない、舟があっても乗せない、甲冑(かっちゅう)があっても着せない、(略)目の前が隣りの国
で雞や犬の声が聞えるのに、民(たみ)老死に至るまで相(あい)往来しない。
二千何百年前の人が今日(こんにち)のことを言い当てている。……民ヲシテ死ヲ重ンジテ遠ク徙(ウツ)ラ
ザラシム。舟輿(シウヨ)アリト雖(イヘド)モ之(コレ)ニ乗ル所ナク、甲兵アリト雖モ之ヲ陳(ツラ)ヌル所
ナシ(略)隣国相望ミ雞犬ノ声相聞エテ民老死ニ至ルマデ相往来セズ。
原文にはこうある。民老死に至るまで相往来せずというのが理想郷なのである。何用あって月世界(げつせかい)へ――と以前私は書いた。」
(山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)