今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 少年時代のなん年かを、私は巴里(パリ)とその郊外ですごした、と今ごろ白状するには曰(いわ)くが
ある。
私は西洋にいた話をすることを好まない。我々の周囲には、それを語る人が多すぎる。聞けばその話
は、たいてい一知半解である。彼が語り終るのを待って、仲間入りして、こんどは私が一知半解を喋
(しゃべ)ってどうしよう。
私は遠慮して、何食わぬ顔で聞いているうちに、実はと言いそびれ、二十なん年たったのである。
海外に行くと、たいていの人は愛国者になるという。なん日間、なん年間なるのか知らないが、なる
というレディメードの定評がある。私が西洋と西洋人に批判的なのはそのせいかと、早合点されるの
を恐れて、いっそ言わぬに如(し)かないと思ったことは事実である。
私はたしかに巴里にいた。その近郊メエゾン・ラフィットにもいた。
巴里にいたなら、巴里に明るいはずだと誰しも思うだろう。ところが私は、ほとんど何も知らない。
知らなければ、怪しまれる。怪しまれて釈明すれば、さらに怪しまれる。面倒だから黙っている。
つかぬことを言うようだが、私は、いまだに高輪(たかなわ)の泉岳寺を知らない。芝にいながら東京
タワーにのぼらない。知っているのは町内のことだけである。」
「 巴里名所をよく知るのは、観光客である。巴里中を案内してくれる、馬車だかバスだかがあるはずで
ある。
私がそれに乗らなかったのは、誰も乗せてくれなかったのと、ながくこの地で暮すはずだったから
である。
ながくそこに暮す人が、急いで見物するはずはない。死ぬまでエッフェル塔にのぼらない巴里人は
いくらもいる。近所合壁のことしか知らないのが、その土地の人の本来だろう。
だから私は、ワグラムの近所と、ポルト・サンクルー界隈と、メエゾン・ラフィットしか知らない。
そこにしばらく住んだからだ。
そのかわり、今でも路地から路地をひろって歩き、たぶん道には迷わないだろう。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)
「 少年時代のなん年かを、私は巴里(パリ)とその郊外ですごした、と今ごろ白状するには曰(いわ)くが
ある。
私は西洋にいた話をすることを好まない。我々の周囲には、それを語る人が多すぎる。聞けばその話
は、たいてい一知半解である。彼が語り終るのを待って、仲間入りして、こんどは私が一知半解を喋
(しゃべ)ってどうしよう。
私は遠慮して、何食わぬ顔で聞いているうちに、実はと言いそびれ、二十なん年たったのである。
海外に行くと、たいていの人は愛国者になるという。なん日間、なん年間なるのか知らないが、なる
というレディメードの定評がある。私が西洋と西洋人に批判的なのはそのせいかと、早合点されるの
を恐れて、いっそ言わぬに如(し)かないと思ったことは事実である。
私はたしかに巴里にいた。その近郊メエゾン・ラフィットにもいた。
巴里にいたなら、巴里に明るいはずだと誰しも思うだろう。ところが私は、ほとんど何も知らない。
知らなければ、怪しまれる。怪しまれて釈明すれば、さらに怪しまれる。面倒だから黙っている。
つかぬことを言うようだが、私は、いまだに高輪(たかなわ)の泉岳寺を知らない。芝にいながら東京
タワーにのぼらない。知っているのは町内のことだけである。」
「 巴里名所をよく知るのは、観光客である。巴里中を案内してくれる、馬車だかバスだかがあるはずで
ある。
私がそれに乗らなかったのは、誰も乗せてくれなかったのと、ながくこの地で暮すはずだったから
である。
ながくそこに暮す人が、急いで見物するはずはない。死ぬまでエッフェル塔にのぼらない巴里人は
いくらもいる。近所合壁のことしか知らないのが、その土地の人の本来だろう。
だから私は、ワグラムの近所と、ポルト・サンクルー界隈と、メエゾン・ラフィットしか知らない。
そこにしばらく住んだからだ。
そのかわり、今でも路地から路地をひろって歩き、たぶん道には迷わないだろう。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)