「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

一知半解 2007・11・20

2007-11-20 09:10:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 少年時代のなん年かを、私は巴里(パリ)とその郊外ですごした、と今ごろ白状するには曰(いわ)くが
  ある。
   私は西洋にいた話をすることを好まない。我々の周囲には、それを語る人が多すぎる。聞けばその話
  は、たいてい一知半解である。彼が語り終るのを待って、仲間入りして、こんどは私が一知半解を喋
  (しゃべ)ってどうしよう。
  私は遠慮して、何食わぬ顔で聞いているうちに、実はと言いそびれ、二十なん年たったのである。
  海外に行くと、たいていの人は愛国者になるという。なん日間、なん年間なるのか知らないが、なる
  というレディメードの定評がある。私が西洋と西洋人に批判的なのはそのせいかと、早合点されるの
  を恐れて、いっそ言わぬに如(し)かないと思ったことは事実である。
   私はたしかに巴里にいた。その近郊メエゾン・ラフィットにもいた。
   巴里にいたなら、巴里に明るいはずだと誰しも思うだろう。ところが私は、ほとんど何も知らない。
   知らなければ、怪しまれる。怪しまれて釈明すれば、さらに怪しまれる。面倒だから黙っている。
   つかぬことを言うようだが、私は、いまだに高輪(たかなわ)の泉岳寺を知らない。芝にいながら東京
  タワーにのぼらない。知っているのは町内のことだけである。」

 「 巴里名所をよく知るのは、観光客である。巴里中を案内してくれる、馬車だかバスだかがあるはずで
  ある。
   私がそれに乗らなかったのは、誰も乗せてくれなかったのと、ながくこの地で暮すはずだったから
  である。
   ながくそこに暮す人が、急いで見物するはずはない。死ぬまでエッフェル塔にのぼらない巴里人は
  いくらもいる。近所合壁のことしか知らないのが、その土地の人の本来だろう。
   だから私は、ワグラムの近所と、ポルト・サンクルー界隈と、メエゾン・ラフィットしか知らない。
  そこにしばらく住んだからだ。
   そのかわり、今でも路地から路地をひろって歩き、たぶん道には迷わないだろう。」

   (山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする