今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「小学生のホームルームと、大学生のディスカッション(討論会)との間に、差別があろうか。そこにあるのは、八百長だけではないか。弁論討議のたねは、みんな今朝の新聞に出ていた。あるいは雑誌『世界』に出ていた。そんならさっき読んだばかりだと、誰か一人が言いだせば、ディスカッションは瓦解する。だから、辛抱して聞いているふりをする。なに聞いてなんぞいるものか。ただ相手の口がむなしく開閉するのを見ているだけである。めでたく一段落したら、今度はおれの番である。相手が聞くまねをする番である。彼らはこれを思想の交換、または言論の自由と称している。私は『ぱくぱく』と称している。
言論の自由は、彼らが好んでとりあげるテーマである。どういうわけかこれを論ずるとき、人は必ず息まく。息まかなければ恰好がつかないという紋切型さえできている。言論の自由とは、即ちこのぱくぱくの自由か。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)
「小学生のホームルームと、大学生のディスカッション(討論会)との間に、差別があろうか。そこにあるのは、八百長だけではないか。弁論討議のたねは、みんな今朝の新聞に出ていた。あるいは雑誌『世界』に出ていた。そんならさっき読んだばかりだと、誰か一人が言いだせば、ディスカッションは瓦解する。だから、辛抱して聞いているふりをする。なに聞いてなんぞいるものか。ただ相手の口がむなしく開閉するのを見ているだけである。めでたく一段落したら、今度はおれの番である。相手が聞くまねをする番である。彼らはこれを思想の交換、または言論の自由と称している。私は『ぱくぱく』と称している。
言論の自由は、彼らが好んでとりあげるテーマである。どういうわけかこれを論ずるとき、人は必ず息まく。息まかなければ恰好がつかないという紋切型さえできている。言論の自由とは、即ちこのぱくぱくの自由か。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)