「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

脱・幸福論 Long Good-bye 2023・11・13

2023-11-13 05:43:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、山田太一さんのエッセイ

 「 夕暮れの時間に 」( 河出書房新社 刊 ) から 。

 備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

  ( タイトル「 脱・幸福論 」の中から )

 「 ・・・ 若くて脚光を浴び 、金が入って もてもての人気者の

  幸福と 、しがない六十代のテレビライターの時折 横切る幸福

  感など比べようもないのだが 、あっちは浅くてこっちは深い 、

  などと思っている 。

   これはたぶん生きるための必要なのだろう 。人は時に浅薄で

  あることで生きる力を得 、時に深くあることでまた生きる力を

  得る 。真相は 、たぶん 、どっちの幸福も等価なのだ 。そう

  思って 、幸福論などあまり推しすすめないようにしている 。

   ひとの幸福を自分の幸福観で裁かない方がいい 。裁きたいの

  も人情だから 、ほどほどには仕方がないけれど 、それは生理

  の必要でしているぐらいに思って丁度いいのではないか 。『 こ

  れぞ真の幸福 』などという想を得て 、ひとの幸福にランクを

  つけ 、自分の幸福観で屈服させようなどということは 、控え

  めにいっても卑しく哀しい 。

   生きるためには 、どうしてもいくらかの幸福感が必要で 、そ

  れは個別の境遇 、年齢 、体力 、性格やらなにやらに添ってあ

  る程度自然に湧いてくるものだと思う 。( 後 略 )

   ( 『 文藝春秋 臨時増刊 』 2001年9月15日 )」

  ( ´_ゝ`)

  ( 杉田成道著「 願わくは 、鳩のごとくに 」についての書評 ( 文庫本の解説 ) から )

 「 ・・・『 マラソンランナーは走っているときがもっとも美しい  ( 略 ) 

   同じようなことが演出家にも当てはまるのだろうか 』とまるで自分が

  美しく見えたのは自分の輝きではなく光線のせいです 、とでもいいたい

  ような留保を書き添えてしまう 。しかしそれはもう杉田さんが美しかっ

  たのだと思う 。

   余計なことだけど 、演出家はいいなあ 、と思う 。脚本を書いている

  だけの私など 、それじゃあ一番美しいときを誰にも見せられないでは

  ないか 。本気で走っているときの自分なんて鏡で見たこともない 。

  それどころではない 。仮に見たとしても 、とてもそれは美しいなんて

  ものではないだろう 。 人にはきっといろいろあって 、私は 『 鶴の

  恩返し 』 の鶴のタイプで 、みずからの羽をむしりとって布を織る姿は

  見られたくない方だから 、残念だけど仕方がない 。( 後 略 ) 

 ( 杉田成道『 願わくは 、鳩のごとくに 』扶桑社文庫 、2014年8月 )

  ( ´_ゝ`)

 ( 山田太一著 「 夕暮れの時間に 」河出書房新社 刊 所収   )

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

 

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鮭の日 Long Good-bye 2023・11・11

2023-11-11 05:21:00 | Weblog

 

  鮭の日の 、今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」から「 ほとびる 」と題した小文の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 箸でつまんだ梅干しをひとつ 、湯呑みのなかに入れて熱い湯を

  注ぐ 。しばらく待っていると 、硬く身を閉ざしていた梅干しが

  伸びをするかのように 、しだいにやわらかくなってくる 。だん

  だんふくらんで 、ほとびている

   ほとびる 。水を吸って膨れたりふやけたりするさまのこと 。す

  っかり使われなくなってしまったけれど 、ことばの情景は 、じ

  つはとても親しい 。水に漬けた豆がほとびる 。コーヒーに浸し

  たパンの耳がほとびる 。ことこと煮た蛸の皮がほとびる 。しゃ

  もじにへばりついて乾いた飯が盥のなかでほとびる ―― ただや

  わらかくなるのではない 、水分がしだいに浸潤しながら緩やかに

  ほどけ開いてゆくのである 。

   森鷗外『 山椒大夫 』の一節も忘れられない 。

 

   その時干した貝が水にほとびるように 、両方の目に潤いが

   出た 。女は目が開 ( あ ) いた 。

   『 厨子王 』という叫が女の口から出た 。

 

   なにかこう粛然としてしまう 。厨子王の母の目から『 干した貝

  が水にほとびるように 』つたった涙 。しずくのなかに時間の堆積

  がこもっている

   似ていても 、やっぱり ほかのことばでは 言いあらわせない 。て

  んぷらそばのかき揚げが 、熱いだしのなかで ぐずりと なっている 。

  それは 、ふやけているのとも違う 。崩れているのでもない 。やっ

  ぱり 、ほとびていると言うのがぴたりとくる 。すこし情けなくて 、

  おぼろげで 、頼りない感じ 。ことばじたいが恥ずかしそうに なり

  を潜めたがっている気配 もあり 、だからよけいに 、こちらのから

  だの感覚のすみずみまで捉えられてしまう 。そのぶん 、じんと

  く 。 ( 後 略 )  

   引用おわり 。

 

   ( ´_ゝ`)

 

   語彙豊富 、小気味よい文章 。こんな日本語もあったなあ 、と

  感じ入る 。

 

   ( ´_ゝ`)

 

  ( ついでながらの

    筆者註:木へんに土をふたつ重ねると 桂 、人 ( にん ) べんに

       土をふたつ重ねると 佳 、魚へんに土をふたつ重ねると 鮭 。

       「 『 鮭 』という漢字のつくりの『 圭 』を分解すると

        『 十一 十一 』になることから 、11月11日は『 鮭の

        日 』とされています 。」

             ( 圭 と言えば 小室圭さん の 圭 、如何におわす「 うちのマコさま 」、「 となりのカコさま 」)

         自分の姓名に使われている漢字を 、電話や口頭で

       ひとに説明するのは難しい 。気に染まない 、ん? 、意に

       染まない 説明はしたくないのに 、せざるを得ないことも

       ある ・・・ 。

        市場 ( いちば ) の( いち ) 藤沢市の 座頭市の

        居 ( い ) るの ( い ) 住居の 皇居の居 

        藤田嗣治の ( つぐ ) の字 の下に一冊、二冊の

        書いて ( ただし 横棒は左右に出っぱってない ) 、

        その横 〈 つくり 〉 に ( つかさ ) と書いて( ああ めんどくさ )

             明治の( じ ) 政治の 治ちゃんの ( おさむ or はる  ) 

        ふじたつぐはる とちがい 、いちいつぐはる ではなく 、

        いちいつぐじ です 。 」

         筆者の発音が悪いせいか 、聞き取りにくいせいか 、

         ” Tsuguji Ichii ” も 内外で わかってもらえた ためし が

        ない ( のは 遺憾である )  。)

 

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三代目ラッセル伯 Long Good-bye 2023・11・10

2023-11-10 05:33:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、どこかで見掛けてメモした言葉

 と 、どなたかの邦訳 。

 ”  Life is nothing but a competition to be the criminal

   rather than the victim . ―― Bertrand Russel  ”

    「 人生は被害者ではなく加害者になるための競争だ 」

 

  ( ´_ゝ`)

 

  「 エリス 」も「 ピロラ 」も拡散中 、

  「 スギ花粉 」も「 黄砂 」も「 PM2.5 」も 相変わらず

  舞い飛んでるのに 、マスクかけてる人 めっきり減った 。

  能天気 、 嗚呼 脳天気  。

  神無月に 、老夫婦二人7回目接種を終え 、もう 霜月 。

  もうすぐ 師走  。

  島根県出雲地方では、10月を 神在月( かみありづき )

  と言うそうな 。  

 

 ( ついでながらの

   筆者註:「 第3代ラッセル伯爵 バートランド・アーサー・

       ウィリアム・ラッセル( 英: Bertrand Arthur

       William Russell , 3rd Earl Russell , OM, FRS 、

       1872年5月18日 - 1970年2月2日 )は 、イギ

       リスの哲学者 、論理学者 、数学者 、社会批

       評家 、政治活動家 である 。

        貴族のラッセル伯爵家の当主であり 、イギ

       リスの首相を2度務めた 初代ラッセル伯

       ジョン・ラッセル は 祖父にあたる 。

         名付け親は 同じくイギリスの哲学者 ジョン・

       スチュアート・ミル 。ミルはラッセル誕生の

       翌年に死去したが 、その著作は ラッセルの生

       涯に大きな影響を与えた 。生涯に4度結婚し 、

       最後の結婚は 80歳のとき であった 。1950年に

       ノーベル文学賞を受賞している 。

       生 涯

        1872年 - 5月18日 に生まれる 。貴族によくみられるように

       正規の初等・中等教育を受けずに 、1890年 、ケンブリッジの

       トリニティ・カレッジに入学 。その後 しばらくケンブリッジ大学で

       教鞭をとる 。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの才能を早くに

       見抜き 、親交を結ぶとともに 、良き理解者として 『 論理哲

       学論考 』 の出版などを支援した( が寄せた序文には 大幅

       な誤解があった )。

        1916年 - 平和運動 、婦人解放運動 に熱中したため 、

       ケンブリッジ大学を解任される 。

       1918年 - 6か月の間 、投獄される 。

       1931年 - 祖父の後を継いだ兄フランシスが死去 、ラッセル

       伯位を継承 。

       1938年 - 3度目の夫人と共にアメリカ合衆国へ移住 。

       1944年 - イギリスに帰国 。

       1955年 - 7月9日 核廃絶に対する共通の想いから親交の

       あった アルベルト・アインシュタイン と 『 ラッセル=

       アインシュタイン宣言 』 を発表した 。この宣言が パグ

       ウォッシュ会議 の開催へと発展した 。

       1961年 - 百人委員会を結成 。2度目の入獄をする 。

       1970年 - 97歳で死去 。」

        以下 バートランド・ラッセルの名言といわれるているものをいくつか 。

      「 自分で自分の価値を過大評価しないように 。

        Don’t overestimate your own merits .

       最も強い希望は、絶望から生まれる。

        Extreme hopes are born from extreme misery .

       人は生まれたとき無知であって 、ばかではない 。教育によって

       ばかになるのだ 。

        Men are born ignorant , not stupid . They are made stupid by

        education .

       突飛な意見を持つことを恐れるな 。今日認められている意見は

       皆 、かつては突飛だったのだ 。

        Do not fear to be eccentric in opinion , for every opinion now

        accepted was once eccentric .

       それが何であれ 、あなたの得意なことが幸福に導いてくれる 。

        Anything you’re good at contributes to happiness .

       浪費するのを楽しんだ時間は 、浪費された時間ではない 。

        The time you enjoy wasting is not wasted time .

        以上ウィキ情報 ほか 。

        おじいちゃんの代からの 俄か貴族 の 三代目 ( 父をとばして 兄が 

       二代目 ) 。

        97年も生きてれば 、口数も多い 。賞も貰えば 、投獄もされる 。) 

 

 

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宙ぶらりん Long Good-bye 2023・11・08

2023-11-08 05:44:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」から「 宙ぶらりん 」と題した小文 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 カップから引き上げた熱いティバッグは 、まぬけな振りこ

  みたいだ 。吸いこんだ湯の重みで細い紐がぴんと張り 、

  らんぶらん揺れる 。足手まといな様子に映るのは 、もはや

  いっさいの役目をすませてしまった用無しだからだ 。なに

  しろ出し殻 、だいじなものはぜんぶ出し尽くして 、ここに

  はいない 。

   かたちばかりになっているのに 、ようするに事態にはすっ

  かり決着がついてしまっているのに 、こちらはさっさと気

  持ちに整理がつけられず 、宙ぶらりん 。これは 、すこし

  つらい

  ( 中 略 )

   旅先でプラプラ散歩しているとき 、ふいに古い歌が口をついて

  出ることがある 。とうの昔に忘れ果てていたはずの 、またはじ

  ぶんが覚えていたことさえ忘れていた 、そんな歌 。くちびるに

  自然に乗ってくるから 、つぎつぎ浮かんでくるメロディや言葉に

  身をまかせるようにして 、ついてゆく 。

   こういうときだ 。不思議な感情が湧いてくるのは 。記憶のなか

  には自分も知らない深い場所がある 。もしかしたら 、そこにな

  にかが棲んでいることさえ気づかず 、多くはずっとなりを潜めた

  ままなのかもしれない 。」

   ( 平松洋子著 「 なつかしいひと 」新潮社 刊 所収 )」

  引用おわり 。

   昔 、誰かに言われた 「 とっくに 詰んでる 」と 。

   なのに 、投了しないだけ 。

   そりゃ 詰んでるさ 、

   でも 日はまた昇る 、今日も生きてる 、息してる 。

   なにかの拍子に 、頭に浮かぶ メロディ と 歌詞 、記憶の襞に

  潜んでる 。認知症テストのような歌詞 。

 

   ” One little, two little, three little Indians (^^♪

   Four little, five little, six little Indians

   Seven little, eight little, nine little Indians

   Ten little Indian boys.

 

    Ten little, nine little, eight little Indians

   Seven little, six little, five little Indians

   Four little, three little, two little Indians

   One little Indian boy” ♫

 

 

  ( ついでながらの

    筆者註:「 テン・リトル・インディアンズ( Ten Little Indians )は 、

         英語圏で広く親しまれている民謡 。マザー・グースの

        ひとつとして知られる 。

        概 要

         題名は 10人のインディアンの子供 という意味で 、日本

        では『 10人のインディアン 』 という曲名で知られている 。

        フォークダンスの曲としても用いられる 。

         1868年に アメリカの作曲家 セプティマス・ウィナー( Septimus

        Winner )により 、" Ten Little Injuns " というタイトルで

        ミンストレル・ショー向けに作詞・作曲された 。

         翌1869年には イギリスの作詞家 フランク・J・グリーン によって

        翻案され 、" Ten Little Nigger Boys " として有名となったが 、

        Nigger という 差別的な単語 を含むため 、1940年代以降は

        " Ten Little Indians( あるいは Soldier Boys )" と改められる

        ようになった 。

         さらに 、 " Ten Little Candies "( 10個のキャンディ )や

        " Ten Little Pumpkins "( 10個のカボチャ )などの替え

        歌も作られている 。

         また 、10人の少年たちが 事故などで順にいなくなり 、残された

        最後の一人も自殺する という残酷で冷笑的な歌詞であったこと

        から 、現在は大きく改変・簡略化されたバージョンのみが 童謡と

        して伝えられ 、原曲が公の場で歌われることはほとんどない 。」

        以上ウィキ情報 。)

   ( ´_ゝ`)

 

   

    筆者の英語の師匠の近影

  ( 近影といっても 、二、三年前のお写真かも  )

         ( 御年 90 ん歳 )

          ( 英国在住 )

 

 

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うち帰る Long Good-bye 2023・11・06

2023-11-06 05:30:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 )から「 おうちへ帰ろう 」と題し

 た小文 。備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 師走にはいって数日が過ぎたころ 、旧知のひとから便りがあった 。

   そのなかにこんな一文が記されていた 。

  『 平松さんがいらしたのは一九九八年 、雨がざあざあ降る日でしたね 』

   二度 、三度 、目が繰りかえし読みたがった 。雨がざあざあ降っていま

  したね 。雨がざあざあ ・・・ 。

   すると ―― 。あれは たじろぐような どしゃ降りだった 。わざわざ駅ま

  で出迎えに来てくれた車の助手席に座ると 、右へ左へワイパーが律儀に

  首を振っていた ・・・ 十一年前に降る雨が すがたを現しはじめたでは

  ないか 。

   記憶の回路のふしぎに唖然とする 。ただの空模様でしかなかったこと

  が 、文章ひとつで十一年を超え 、記憶として飛来するのだから 。

   いっぽう 、繰りかえし感覚をまさぐりつづける記憶もある 。そのひと

  つが 、ねじ式の鍵を締めるときの記憶 。

   こどものころ 、毎夕戸締まりをするのが役目だった 。まず鎧戸を閉め 、

  ねじ式の鍵を回して締める 。つぎに内側のガラス戸を閉め 、これもねじ

  式の鍵を回す 。どっちもおなじ真鍮の鍵 。ひとつの持ち手は半月 、もう

  ひとつは団扇みたいに丸かった 。

   穴のいりぐちに先端をあて 、鍵棒をくるくる差しこんでゆく 。おしま

  いにきゅうとひと捻り 。すると 、ふたつの木枠がしなって隙間なく ぴ

  ちりと重なる 。そのとき真鍮と指の腹の皮膚も 、おたがいを認め合うか

  のように密着するのだった 。

   もう三十年近くまえ 、好きこのんで古いちいさな日本家屋を借りて住ん

  だことがある 。縁側にはがらがらと敷居を滑る四枚のガラス戸 、木枠に

  はあの真鍮のねじ式の鍵がついていた 。

   じっさい 、鍵を締めるたび指がよろこんだ 。伝わってくる回転運動 。

  真鍮のやわらかさ 。やっぱりおしまいに力を入れて ひと捻りをかける

  と 、木枠がしなる 。薄いガラスにも緊張が走る 。もうちょっと捻っ

  たら 、ぱりん と割れてしまいそう

   ねじ式の鍵には 、『 締める 』という行為に リアルな実感 がともなう 。

   そこがすきだった 。がちゃり と いっぺんに鍵を下ろすのでは 、ちっと

  も おもしろくない ―― 。だからこそ 、飽きもせず おなじ記憶が顔を

  のぞかせてくるのだが 、身のまわりには ねじ式の鍵はおろか木枠の窓

  さえありはせず 、記憶はふたたび黙りこんで引っこむ 。 

   つい数日まえの日曜のことである 。やわらかな光が降り注ぐ冬のは

  ざまの奇跡のような日 、小学校の脇道を歩いていると 、向こうから

  年配の女性のふたり連れが歩いてきた 。ひとりがもうひとりに付き添

  いながらゆっくりとした歩調で進んでくる 。添われている白髪の老婦

  人の視線はどこか虚ろで定まらない 。

   すれ違うまえ 、老婦人のつぶやきをわたしの耳がとらえた 。

  『 あら 、ひとがいっぱい歩いてくる 』

   すると隣の婦人が励ますふうにかるく腕を取り 、声を掛けた 。

  『 だいじょうぶよ 、みんなおうちへ帰るひとたちだから 』

  『 そう 、みんなおうちへ帰るの 』

   老婦人は安堵してこっくりとうなずいたのだった 。

   もうじき夕暮れがはじまる 。みんなおうちへ帰るのだ 。たったいま 、

  すれ違ったあの老婦人にひらりと飛来したのはどんな記憶だったのだろ

  うか 。 」

  ( 平松洋子著 「 なつかしいひと 」新潮社 刊 所収  )

   引用おわり 。

   昭和30年代の日本家屋の玄関引き戸や木枠の窓には 、大抵 、真鍮の

  ねじ式の鍵が付いていた 。 締めた記憶が指に残っているのは筆者も同じ 。

   レビー小体病の老婦人の幻視のエピソード 、十年以上も前 、ピック病の

  連れ合いがわけもなく「 うち帰る 」と連発していたのを思い出す 。

   一体「 うち 」ってどこなんだろう 。

  今もってわからない 。家人が言葉を失って久しい 。

  ( ´_ゝ`)

   いいのか 、これで 。このままで 。

   いいのだ 、これで 。これでいい 。

   ( ´_ゝ`)

  ( ついでながらの

    筆者註:「 平松 洋子( ひらまつ ようこ 、1958年2月21日 - )は 、

        日本のエッセイスト 。

        人物・来歴

         岡山県倉敷市出身 。清心中学校・清心女子高等学校 、

        東京女子大学文理学部社会学科卒業 。アジアを中心と

        して世界各地を取材し 、食文化と暮らし 、文芸と作家を

        テーマに執筆活動を行う 。2006年 『 買えない味 』 で 山田

        詠美の選考により ドゥマゴ文学賞受賞 。2012年 『 野蛮な

        読書 』 で 第28回講談社エッセイ賞受賞 。2021年 『 父の

        ビスコ 』 で 第73回読売文学賞受賞 。

         広 く食と料理に関する書籍を読み込み 、中国の食養生の

        考え方 や百人一首を解説したり 、日本にピザが紹介された

        時期を述べた 。神戸のレストランで 1944年からピザを焼いて

        いたという カンチエミ・アントニオ のコメントが載っている 。 」

        以上ウィキ情報 。)  (  Sir Antonio Cancemi  )

 

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沈むフランシス Long Good-bye 2023・11・04

2023-11-04 05:55:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家 松家仁之 さんの小説

 「 沈むフランシス 」。都会を離れての地方移住が今ほど

 盛んでなかった 、10年ほど前の 、北海道を舞台とする作品 。

  小説の主人公は 、撫養 ( むよう ) 桂子 ( けいこ ) 、35歳

  む 、よう 、 は 、撫でて 、養う 、と書く 。珍しい苗字 。

  下の名前は 、木へんに土をふたつ重ねた 桂子 。

  安知内 ( アンチナイ ) という 、北海道東部のとある村が

 語の舞台 。主人公の職業は郵便局の臨時雇いの郵便局員 。

  村の公営住宅にひとり暮らす 東京から移住して来た 、訳

 あり女性 」という設定 。

  郵便配達に出かけるときは 、赤いスズキジムニーの荷台に 、

 ゆうパックやレターパックのストックを入れた水色のカゴを置き 、

 切手シートとはがき 、釣り銭の入った小さな手提げ金庫と郵便配達

 用のバッグを助手席に置く 。几帳面な性格 。

  中学時代の3年間 、乳製品の会社に勤める父親の仕事で北海道東部の

 枝留 ( エダル ) に住んでいた 。

  枝留町は 、あいだに伏枯 ( フシコ )町をはさんで 、安知内村からは

 四十キロほど離れている 。

  主人公が思い浮かべる 北海道の地名は 、

 幌加内 ( ホロカナイ ) 、音威子府 ( オトイネップ ) 、

 苫小牧 ( トマコマイ ) 、占冠 ( シムカップ ) 、

 馬主来 ( バシュクル ) 、阿寒 ( アカン ) 、

 佐呂間 ( サロマ ) 、真狩 ( マッカリ ) 。

  因みに 、安知内も 、枝留も 、伏枯も 、ありそうで 現実にはない

 架空の地名 のよう 。

  前置きが長くなったが 、備忘のために 、筆者が抜き書きした文章

 は以下 。自然描写が印象深いが 、きりがないので 、抜き書きはし

 ない 。

 引用はじめ 。

「 桂子は思う ―― 人がかたちにしたものは残っても 、人そのものは

 残らない 。その人がどのような風貌をそなえ 、手や足 、からだを

 どのように動かして 、どのような声で話をしたか ―― かたちにと

 どまらないものは残らず消えてしまう 。

  一滴として同じ水を含まないのに 、同じ流れにしか見えない川の

 流れにそれは似ている 。激流に運ばれてきた大きな岩や大木の幹の

 ように 、そこにとどまってかたちを残すものもある 。しかしそう

 したものはめったに流れてはこない 。あれほど馴染み親しんだ 、

 見紛うはずもなく 、忘れられるはずもないしぐさや声や匂いは 、

 茫洋たる時間のまえではひとたまりもない 。記憶は曖昧になり 、

 やがては忘れられ 、消えてゆく 。 」

 

郵便配達の仕事は 、一日単位で終わる 。不在で手渡せなかった

 ものを除いて 、手もとにあったものはすべて相手に渡り 、あと

 にはなにも残らない 。

  これが何よりありがたいことだった 。会社員だったときは 、

 どこかにかならず終わらない仕事が残り 、次の日に送られていっ

 た 。とにかく毎日 、仕事が残らないように片づけたいと思っても 、

 それはとうてい無理な願望だった 。 」

 

「 東京で出会うのはほとんどがゆきずりの視線だ 。ところがここでは

 すべての視線に名札がついている 。昨日の視線には 、明日も明後日

 も出会う可能性がある 。二度と出会わない 、などということはまず

 ありえない 。安心といえば安心かもしれないが 、いったん窮屈と

 感じてしまったら 、窮屈きわまりなく 、逃げ場がない 。 」

  ( 松家仁之著 「 沈むフランシス 」新潮社 刊 所収  )

 引用おわり 。

  読み始めたら 、フランシスが 何者か わかるまで 、読み続けない訳には

 いきません 。編集者ならではのタイトル決め 。

 ( ついでながらの

   筆者註:「 松家 仁之( まついえ まさし 、1958年12月5日 - )は 、
       日本の小説家 、編集者 、慶應義塾大学総合政策学部
       特別招聘教授 。株式会社つるとはな取締役 。
       来歴・人物
        東京都生まれ 。1979年 、早稲田大学第一文学部在学中
       に 『 夜の樹 』 で第48回文學界新人賞佳作に選ばれ 、『 文
       學界 』 にてデビュー 。卒業後の1982年 、新潮社に入社 。
       1998年 、海外文学シリーズ 『 新潮クレスト・ブックス 』 創刊 。
       2002年 、季刊総合誌 『 考える人 』 を創刊 、編集長となる 。
       2006年より 『 芸術新潮 』 編集長を兼務し 、2010年6月
       退職 。2009年より 慶應義塾大学総合政策学部特別招聘
       教授( 2014年春まで ) 。
        2012年 、『 新潮 』 7月号に 長篇 『 火山のふもとで 』 を発
       表し 、小説家として 再デビュー 。第34回野間文芸新人賞候
       補に挙がる 。2013年 、同作により 第64回読売文学賞受賞 。
        2013年12月 、『 沈むフランシス 』 が 『 キノベス!2014 』 
       第4位に選ばれた 。
         2018年、『光の犬』で芸術選奨文部科学大臣賞 及び河合隼雄
物語賞受賞。
         2020年より三島由紀夫賞選考委員。 」

       以上ウィキ情報 。)

 

 

 

 

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千日紅の恋人 Long Good-bye 2023・11・02

2023-11-02 05:30:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、帚木蓬生さんの「 千日紅の恋人 」 。

  この小説の女主人公は 宗像時子 ( むなかた ときこ ) 、38歳 。

  自分の名前について「 わたしはいや 。ずっと嫌い 。ついでに言うと 、

 宗像 ( むなかた ) という姓も気に入らん 。宗像時子なんて 、

 戦国時代の奥方の名前よ 。男運が悪かったのも 、そのせいよ 、

 きっと 」と語っている 。

  はじめの夫とは死別し 、二度目の夫とは離婚し 、六年前から「 サン

 ライズ 」という名の福祉施設「 特養 」で月に20日ほど「 ヘルパー 」

 として働く傍ら 、近くで独り暮らしをする母親 宗像峰子が所有する 、

 14世帯が入居する老朽化したアパート  扇荘 の「 管理人 」を務めて

 いる 。 毎月一回 、アパートに住む14世帯から月家賃3万円を戸別

 訪問して集金して回る 。父親が建て 、父親亡きあと 、今は七十代の

 母が所有する 、小さなアパートを大事にして 、細かな揉め事 、修繕 、

 住人の交代などに行き届いた対応をする「 管理人 」として 、周囲の

 皆の信頼を得ている 。

  そんな 「 ヘルパー 」兼「 管理人 」の女主人公が日々の生活

 で出会う人々との交流が 、時子の視点で描かれている 、重ねて

 言うが 、「 恋愛小説 」 。

  そんな小説の中で「 介護 」の世界は 、ヘルパー2級の講習で

 使われる教則本の中の説明文のように淡々と解説される 。

  そのくだりを 、備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 特別養護老人ホーム の正式名称は 介護老人福祉施設 で 、

  一般に 特養 と略されている 。その他に 老健 と呼ば

  れる 介護老人保健施設 があり 、双方とも介護保険の対象

  になっている 。特養 がほとんど死ぬまで介護するのに対し

  て 、老健 のケアは在宅復帰を目的としている 。施設サー

  ビスには 、ほかに 、老人福祉法に規定された養護老人ホー

  ム老人ホーム 、公的補助の全くない有料老人ホームがあ

  る 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 人間誰しも老齢になると 、他人の世話を受けなければなら

  なくなる 。この摂理からはずれるのは 、若いうちに病死か

  事故死か自死する場合のみで 、あくまで少数派だ 。大部分

  の日本人は高齢に達すると 、要介護認定を受けるはめになる 。

  その度合いは 、要支援1と2と 、1から5まである要介護の

  七段階に分けられ 、介護のための給付額が決まってくる 。時

  子が勤務する特養で生活できるのは 、せいぜい要介護が3以上 、

  大半は要介護度4か5の頭も身体も不自由になったお年寄りば

  かりだ 。

   これに対して 、リハビリ中心の 老健 には 、足腰が比較的

  達者で 、多少の痴呆もある介護度2か3の高齢者が入所する 。

   しかし終 ( つい ) の棲家 ( すみか ) ではなく 、三ヵ月から

  六ヵ月 、一年くらいで追い出される 。

  これとは対照的に 、建て前上 最期 ( さいご ) まで住めるよう

  に なっているのが グループホーム と ケアハウス だ 。グルー

  プホーム は通常の住宅で 、最大九人のお年寄りが一緒に住み 、

  介護者も同居して 、食事 、入浴など身の回りの世話をしてやる 。

  いうなれば通いではなく住み込みの宅老所と思えばいい 。軽費

  老人ホームの一種とはいえ高級感のあるケアハウスはいわゆる老

  人マンションで 、自炊ができない程度の障害の軽い高齢者が個室

  に住み 、共有の食堂や浴場を自由に利用する 。もちろん 、必要

  となれば 、看護師の世話や嘱託医師の診察も容易に受けられる 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 老人の終の棲家が千差万別なのは 、それだけ高齢者介護の市場が

  広いからだろう 。老人が持っている財産や年金を 、大勢が寄って

  たかって 、手を替え品を替えて少しずつもぎ取り 、ちょうど

  貯 ( たくわ ) えが底をついた頃に 、寿命も終わる仕組みにな

  っている 。 ( 仕組みはそうだが 、老人ホーム の場合 、入居一時金の償却期間が経過した後 、

               貯えが底をついたあとも 、年金や仕送りだけを頼りに生き続けるはめになることはある )

   時子にしても 、そのおこぼれを頂戴しているのは間違いない 。

  時給九百円で 、一日五 、六時間 、ひと月二十日は働くので 、

  十万円以上は手にすることができる 。たまに 、残業すれば 、十四

  万円になる月もある 。 ( 国からの給付を含め 、当の高齢者がすべての所得の源泉である )

   その代わり 、仕事は重労働だ 。おむつ替えに食事の介助 、入

  浴介助 、車椅子を押しての散歩 、口内清拭 ( せいしき ) 、髪

  梳きに化粧と 、仕事が途切れることはほとんどない 。

  その中でも一番の重労働は入浴介助で 、週三日 、パートタイ

  ムの職員は必ず出陣を要求される 。

   パンツにTシャツといういで立ちでないと 、風呂場では熱気に

  やられてしまう 。それでも汗が噴き出してしまうので 、着替え

  は欠かせない 。

   介護を受ける高齢者が肥満体なのは罪 ―― 。 これが六年間サ

  ンライズで働いた時子の感想だ 。( 「 サンライズ 」は時子が働いている 「 特養 」の名称 )

   体重が六十キロまではまだ許せる 。しかし七十 、八十キロの

  老人は 、それだけで介護の手を取り 、介護者の健康を害する 。

   車椅子からかかえ上げるときに 、体重が三十キロの入所者と八

  十キロの老人では 、必要とする 力 が五倍は違う 。

    おむつ替えのときも同様で 、三十キロのおばあちゃんなら 、あ

  っち向きこっち向きさせて 、ひとりででも替えられる 。ときに

  は 、赤ん坊のおむつ替えのように 、両足を片手で持ち上げ 、手

  早く替えることも可能だ 。

   しかし八十キロの巨体はそうはいかない 。転がすのも二人がかり、

  それもベッドに上がって 、大木転がしと同じように 、掛け声とと

  もにやる 。

   だから 、肥った老人は存在そのものがうとましい 。反対に小柄な

  高齢者は好まれる 。少女のように可愛らしいところがあれば 、な

  おさら好かれる 。

   自分が老人になったらどうか 。時子はよく考える 。高校時代は百

  六十センチあって 、体重は四十七か八で 、五十キロを超えること

  はなかった 。二十年たった今 、五キロ増えたものの 、やはり五十

  五キロ以上になることはない 。できれば 、老人になったとき昔の

  五十キロ以下に戻っていたい 。

   母親の峰子は六十五キロの肥満体だった 。今のところヘルパー

  もいらない一人暮らしで 、名目上の要介護度は2だ 。将来デイ

  サービスに通い 、入浴するようになれば嫌われ者になりはしない

  か心配ではある 。 」

  引用おわり 。

  (* ̄- ̄) ( ´_ゝ`)

  こうした解説だけを読むと 、これが恋愛小説かと思い始めるが 、

 読み進めると 、やはり恋愛小説だと得心がいく 。

  「 閉鎖病棟 」とは趣を異にする作品 。

 ( ついでながらの

   筆者註 :「 帚木 蓬生( ははきぎ ほうせい 、1947年 - )は 、日本の

        小説家 、精神科医  。

         ペンネームは 、『 源氏物語 』五十四帖の巻名 『 帚木( はは

        きぎ )』 と 『 蓬生( よもぎう )』 から 。本名は 森山成彬

       ( もりやま なりあきら )

       経 歴

        福岡県小郡市生まれ 。福岡県立明善高等学校卒 、九州

       大学医学部卒 、東京大学文学部仏文科卒 。

        東京大学仏文科卒業後 TBSに勤務 。2年後に退職し 、

       九州大学医学部を経て 精神科医 に 転身する 。その傍らで

       執筆活動に励む 。

        1979年 、『 白い夏の墓標 』 で注目を集める 。1992年 、

       『 三たびの海峡 』 で 第14回吉川英治文学新人賞受賞 。

       八幡厚生病院診療部長を務める 。2005年 、福岡県中間市

       にて精神科・心療内科を開業 。開業医として活動しながら 、

       執筆活動を続けている 。

        医学に関わる作品が多く 、また自身( 精神科医 )の立場

       から 『 ギャンブル依存とたたかう 』 を上梓している 。

        2008年 、短編 『 終診 』( 『 風花病棟 』 に収録 )を執筆

       後に たまたま受けた定期検査で 急性骨髄性白血病に罹って

       いることが判明 。半年間の入院生活の後 、復帰した 。

        2019年 、小郡市ふるさと文化大使に任命される 。 」

        「 センニチコウ( 千日紅 、学名 Gomphrena globosa )は 、

        ヒユ科の 春播き一年草 である 。園芸植物として栽培されて

       いる 。別名 千日草( せんにちそう ) 。

       形 態

        草丈は 50cmくらい 、近縁種の キバナセンニチコウ では 1m

       近くになり 、よく分枝し 、葉は対生し 、細長く 、白みを帯び

       ている 。全草に粗い毛が生えている 。花は 7月から9月 にか

       けて咲き 、直径 2-3cm で 、松かさを少し押しつぶしたような

       形をしている 。 」

       以上ウィキ情報 。)

 

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