この言葉自体は米国のアフリカ系の方々の言葉ですが、
その意味合いにおいては世界共通でしょうか。
日本では郷土料理や「おふくろの味」がそれに該当するのでしょう。
幼少期や食べ盛りに「美味しい」と感じた食べ物は、
一生涯記憶として残り死ぬまで消えません。
グルメ漫画などで「こんな美味いものは今まで食べた事がない」
って決まり文句が使われますが、
そんな筈はないんですね。
「若かりしあの頃に食べたあの味を超える食べ物に出会えない」
が本当なんです。
今までに食べた事のない味に出会いますと、感激したり、
あるいは拒否反応を起こしたり、まぁ軽いカルチャーショックを感じます。
新しい味覚に「目が醒めるような思い」をする場合もありましょう。
けれど、だからといって人間はそれを今後も食べ続けようとは思いません。
思ったとしても、やがて遠のいて行きます。
何故でしょう。
それは出会いよりも記憶を優先させる「人間の仕組み」のせいです。
本質的に人は自己本位です。
自分の中で組み立てた「決まり」によって世の中と接します。
外部から入ってきた情報をその人独自のフィルターに通し、
「個性」「感性」によって再構築されて
「自分の考え方」と「行動原理」が出来上がります。
それは他人からみれば「思い込み」でしかありません。
が、その本人にしてみれば「これが世界そのもの」なんですね。
このシステムで明らかな事は、「記憶」の重要性でしょうか。
人の行動はメモリによって左右されるって事ですね。
このメモリは不思議なことに「最新版」よりも、
「一番最初の経験」を引っ張り出す特性があります。
「三つ子の魂百まで」という言葉があります
「初志貫徹」は難しくても、
意志とは無関係の「体感」は、まさにこの言葉の通りなのでしょう。
人間は「上書き」されるだけの単純な構造ではないようです。
新しい体験を受け入るのは簡単ではありませんが、
人格形成の時期の体験や記憶は常に
優先されているという事になります。
つまり、早い話が大多数のお客さまの舌は「保守的」なんですね。
商売の鉄則は「顧客の開拓」と「顧客のつなぎとめ」です。
次々と新しい事を求めるお客さまに合わせて新開発に追われるのが
定めの様にも思いましょうが、
そうとばかりは言えません。
そのレールに乗れば原則的に「顧客のつなぎとめ」は不可能です。
他に流れるのは必定です。
お客さまの後ろ姿を追いかけ続けるよりも、
「戻って来る」のを待つ。
人は新しいものに飛びつく習性がありますが、
すぐに飽きます。
それは食においても同じ事だと思うんですよ。
「未来」ではなく「過去の再現」を目指す。
「いらっしゃいませ」と言うよりも、
「おかえりなさい」です。
新しい味の追求も悪くはありませんが、猫騙しでは不毛。
ケバい厚化粧よりスッピン。
人様を安心させる道を選びたいのです。
そして創意工夫はお客さんを満足させる方向に使いたいのです。
天才でもないかぎり、「自己満足」で商売はできません。
我は抑えて、常に顧客を笑顔で帰すべきでしょう。
まあ具体的にどうするかは店主の個性や考え方次第になりますが。
一つだけ確実なのはこのやり方で「大規模化」は無理だということです。
チェーン展開やマスコミ露出によって「大儲け」は出来ないって意味ですね。
すぐに矛盾の波にさらわれて沈没します。
口は悪いですが、クーポン屋に騙されて妙チクリンな料理を売ったりするのが関の山でしょうか。
大事なのは「顧客」であって、
マスコミや「過ぎ去る嵐」ではないと思いますね、
私は。
食べ物商売=「革新」への脱線であります。
飲食店は『保守的』なものだと考えています。
「新しいもの」を否定するわけじゃありません。
だが「新しもの好き」の方々は飽きるのが早いもんです。
食べたり飲んだりするものを販売するのはお客さまが前提の仕事です。
けれどもそれはお客さまの「上っ面の行動」を追いかけるという意味にはなりません。
お客さまが本当は何を求めているのかを考えることです。
「最先端」を追うのはキリがありません。
今現在輝いてみえても、すぐに陳腐になり色褪せてしまいます。
流行とはそんなモノなんですね。
条々自戒自守
明日、二月二日(火曜日) は通常の 営業日 です。
今日も、皆さんの happy な一日を願っています(^-^)
ゆったり、ほっこり♪
巻寿司大使・昆布料理研究家・岩佐 優