乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

今年度も楽しめそうだな。

2010-04-30 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 昨日は食生活から健康を考える三回目の講義。

 運動におけるお話が約半時間。

 あとは、体操とかストレッチとか。

 ......で、へたれのわたしは、正直疲れた。

 

 こういう場合、気分転換が必要。

 昼から散歩がてら、昨日から帰宅している子どもと買い物に行ったり、夕刻、家族と花やミニトマトの苗を買いに行く。

 気分爽快。



 夕刻、今年度の受講講座のネット連絡あり。

 よっしゃ!

 今年も歴史関係三講座(某会 ひとつも含む)と古典OK。受講できる。(嬉)



 今年の古典は伊勢物語と恒例の万葉集とあとは確か枕草子 だったかな。

 伊勢物語はいろいろな本で楽しんだので、少しはばっちり?(爆)......だったら、いいな。



 あとはわたしの好きな赤坂憲男先生ともお会いになったことのあられる、お話が深くて内容が面白いY先生の講座が 今年もあることを願っている。

 今年度も、いい年になりそうだ!

 うん!いい、一年になるな!!


 
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歌舞伎座さよなら公演 御名残三月大歌舞伎 夜の部 『菅原伝授手習鑑 道明寺』『石橋』

2010-04-30 | 歌舞伎



 歌舞伎座さよなら公演 御名残三月大歌舞伎 夜の部





 気がつけば四月末。

 三月八日に見た歌舞伎の記録がまだだったことに気づく。

 四月に聞いた能楽もまだ未記入。

 それどころか、去年の暮れにイランで見た、二時間半に及ぶ宗教色の強い 受難劇の『タージィエ』の記録すらまだだ。

 せめて美術関係と舞台関係の記録だけでもと思うのだが、美術に至っては中国、トルコ、イランの多くを未記録。

 もう何がなんだか、わからない状態。

 こりゃ、ピッチをあげねば...と思うのだが、やりたいこととやるべきことが多すぎて、なかなか思うようにいかない。

 半端に趣味が多すぎる。



 歌舞伎座さよなら公演 御名残三月大歌舞伎 夜の部はたいへん満足した。

 今年の三月九日には雪が降った。

 その前夜。寒い東京一人夜を歩き、ホテルにつくわたしの心を温めてくれた。



『菅原伝授手習鑑 道明寺』は十三代目片岡仁左衛門十七回忌 十四代目守田勘弥三十七回忌 追善狂言。

 我當、秀太郎、仁左衛門、孝太郎......。ヨ!松嶋屋。

 仁左衛門の菅丞相!もう、ぽわわぁん!だ。


『菅原伝授手習鑑 道明寺』は考玉(いや、仁左玉)でも ぽわわぁん

 ぽわわぁん!ぽわわぁん




 夜の部二つめは『石橋』



 富十郎扮する樵人実は獅子の精と富十郎のご子息 鷹之資君扮する童子実は文珠菩薩の見事なまでの息の良さ。
        
 鷹之資君はしっかりしたお顔で、まるで五月人形のような美しさ。

 こんな頃から頭角を現し、後光の射す存在感を兼ね備えた鷹之資君は将来どんな役者さんになられるのだろうと感じた。


 待ってました!の寂昭法師(幸四郎)......こちらも、仁左衛門と同じく、ぽわわぁん


 夜の部わたしは ぽわわぁん!ぽわわぁん!ぽわわぁん!だった。

 それにしても、東京まで行って、つまらない記録だなぁ!

 

 筋書きは多くの方が書かれているようですので、当ブログでは毎回ほとんど省かせていただいていますぅ~。










第三部


  十三代目片岡仁左衛門十七回忌 十四代目守田勘弥三十七回忌 追善狂言

  菅原伝授手習鑑

一、道明寺(どうみょうじ)

             菅丞相  仁左衛門
              覚寿  玉三郎
             苅屋姫  孝太郎
            宿禰太郎  彌十郎
            土師兵衛  歌 六
            立田の前  秀太郎
           判官代輝国  我 當


  文珠菩薩花石橋

二、石橋(しゃっきょう)

        樵人実は獅子の精  富十郎
        童子実は文珠菩薩  鷹之資
            寂昭法師  幸四郎




 松竹株式会社 歌舞伎美人より ▼



第三部


  菅原伝授手習鑑
一、道明寺(どうみょうじ)
 藤原時平の讒言で、筑紫の大宰府に流罪となった菅丞相(仁左衛門)。船出を待つ間に立ち寄った伯母の覚寿(玉三郎)の館に、丞相の養女で覚寿の実の娘の苅屋姫(孝太郎)が匿われています。姉の立田の前(秀太郎)は、丞相と苅屋姫親子を対面させようとしますが、覚寿は丞相失脚の原因となった苅屋姫を杖で打ちすえます。その時丞相の声が折檻を留めますが、そこに丞相の姿はなく、丞相自らが彫った丞相の木像があるばかり。
 一方、時平の意を受けた立田の前の夫、宿禰太郎(彌十郎)とその父、土師兵衛(歌六)は、丞相出立の合図である一番鶏を鳴かせて贋の迎い弥藤次(市蔵)を遣わし、丞相を暗殺させようと謀ります。更に、それを知られた立田の前を殺害して、奴宅内(錦之助)を犯人に仕立上げますが、覚寿がその真相を見抜きます。そこへ丞相を護送する判官代輝国(我當)が入来します。不審に思う覚寿でしたが、先程出立した筈の丞相が館の内より現れたのでした。
 十三代目片岡仁左衛門十七回忌と十四代目守田勘弥三十七回忌の追善狂言として、菅丞相を当代仁左衛門が、覚寿を玉三郎が演じ、二人の名優を偲ぶ重厚な一幕です。


  文珠菩薩花石橋
二、石橋(しゃっきょう)
 宋の時代、寂昭法師(幸四郎)が中国の清涼山に至り、石橋の目前で、樵人(富十郎)と童子(鷹之資)に出会います。二人が石橋の由来を詳しく語るので、寂昭法師が何者か尋ねると、樵人は自分は文珠菩薩の遣いの獅子の精であり、童子は自らが文珠菩薩であると言って姿を消します。そこへやってきた諸国廻行の修験者(錦之助)が近くに住む男某(松緑)に呼び止められ、石橋の奇瑞について話していると俄かに山々が鳴動するので逃げだします。やがて文珠菩薩(鷹之資)と獅子の精(富十郎)が厳かにその姿を顕します。咲き誇る牡丹の花に舞い戯れた獅子は、やがて獅子の座へと戻るのでした。能「石橋」をもとにした荘重な舞踊劇をご覧いただきます。
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