ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

211113 瀬戸内寂聴さんが99歳で大往生された。愛した、書いた、祈った!!

2021年11月13日 | 瀬戸内寂聴

 瀬戸内寂聴さんが11月9日、京都市内の病院で心不全で亡くなられた。99歳の大往生。90代は死の上にはった薄氷の上にいるようなもの、いつお迎えがきてもおかしくはないと著書に。想うがままに生きられた悔いなき生涯であったのだろう。唯一の悔いは3歳、物言えぬ幼児を残して自らの欲望のおもむくまま、家を飛びだしたこと。しかし70をすぎたその娘も寂庵を尋ねてきてくれるようになったと著書などにかかれている。

(南天の実や雨露もらひて赤を増し)

 私が般若心経にであったのは大学2年のおわり、いきさつは覚えていないが奈良、生駒、信貴山の断食道場に2週間入った時に毎朝、写経が日課としてかせられていた。その頃から内省的な面があったのかもしれない。

 それから何十年後、「痛快!寂聴仏教塾」という本にであったのが瀬戸内寂聴と言う女流作家が私の意識したに住み着いたきっかけであった。この本はわかりやすく、お盆、お彼岸、仏事などのおりおりに読み返し、氏の他の著書にも目を通すようになった。

1922年生まれ、58年、36歳の時に新潮社から出した「花芯」が評論家から「ポルノ小説」だと酷評され、新潮社に反駁文を載せたいと直談判に及んだ時に、編集長から「甘えるのもいい加減にしなさい。小説家と言うのは自分の恥を書き散らして銭をとるもんだ」と一蹴された。それで目が覚めて肚が座った。5年間、文壇からほされたがそれ以降、己の信ずるまま生き抜く彼女の人生哲学、行動哲学が決まったという。51歳で得度、出家をし、文字通り「一身二生」を見事実践された。

 かく言うわたくし、まあ76歳、自分史などつくりながら、あの時、あの場面で、なぜ決断しなかったのか、反対に何故こんな決断をしたのかと不思議におもえる箇所はいくつかある。おのが性格がなした結果であり誰のせいでもない。それゆえ瀬戸内寂聴という愛と革命に生き抜いた姿に敬服したのかもしれない。たいした女性でしたね

 今頃、なつかしい面々が彼女を出迎え、冥界で歓迎パーティが開かれ、好きな肉をたべワインを傾けているに違いない。寂庵にもいかず、直接お会いしたことはないが、いろいろありがとうございました・・・・

 

 

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211104 小川洋前福岡県知事が肺腺癌で死去、瀬戸内寂聴さんの「死に支度」読む!

2021年11月04日 | 瀬戸内寂聴

 前の福岡県知事の小川洋さんが肺腺癌でなくなられた。72歳。3月に任期途中で辞職された。やはり相当悪かったのだろうね。週刊誌にキャスターの小倉さんが2016年に膀胱がんを公表、全摘手術を拒否した。それから5年の今年10月、肺に転移、ステージ4とかの記事。全摘して人工膀胱などつけたら仕事にならないという判断だったのだろう。手術か抗がん剤か、癌治療のむつかしいところだ

 二人に一人が癌になる時代らしい。かく言う私もアフラックのがん保険にはいって20年をこえる。保険料はゆうに高級車が買えるくらい払ってきただろう。お陰で76歳になった今、癌の兆候はないようだが見えないところでがん細胞ができかかっているのかもしれない。2015年に大腸内視鏡検査をはじめて受けたが幸い異常なしだった。5年ぶりに検査をうけた友人がポリープが発見されすぐ削除してもらったとか言っていたが・・・。

 緊急事態宣言が解除され久しぶりに図書館にいき、新聞に超売れっ子時代小説作家の佐伯泰英さんの「吉原裏同心」の新刊広告がでていたので2003年初版の1,2,3巻を借りてきた。「さ行」の本棚のとなりに瀬戸内寂聴さんの本も並んでいて派手なピンク色の表紙の「死に支度」を借りてきた。

 1922年生まれだから現在99歳。100歳以上が5万人以上いる時代だから彼女も100歳をクリアするかもしれない。写真仲間の平均年齢が80歳近くになり聞き違いや早とちりや度忘れやもろもろ高齢症状が出始めている昨今、彼らが今どんな気分でいるのか興味があるのだがそんな話があまり出ないのでわからない。

 この本は92歳の時の小説「群像」への連載1年分を文庫化したものらしいが印象に残ったフレーズは・・・。

 92歳と言うのは死の上に張った薄い氷に乗っているようなもの。84歳の時文化勲章受章。お世話になった作家仲間や編集者友人をあつめて盛大に感謝パーティ実施。あいさつで「これは私の生前葬です。ようこそ参列頂きありがとうございました」

 51歳で出家したということは俗界の瀬戸内晴美は死んだ。亡霊の瀬戸内寂聴が今、庵主として、天台寺名誉住職として、出家以前より忙しいくらい生きている。

 死に支度として嵯峨野寂庵の庭に何か木を植えたい。何もなかった寂庵の庭にある樹木はすばらしい友人たちが持ってきてくれた苗木が育ったもの。それこそ死に支度で何か植えなければ・・・。生きた証ですね。わが家の庭にも何か残そうか!

 天台僧源信が10世紀末に著した「往生要集」に臨終行儀が定められてる。今生の死は来世への旅立ち。その時の作法を著述。要するにどんな死に方をするかだね

 小説を書いている時だけが生き甲斐であり生きているということ。書斎は散らかり放題だがもうすでに自分は2回も死んでいるのだから、まあいいかというわけ。66も歳が離れた秘書のルナさんとの掛け合いが実におもしろく書かれていた。

 寂聴さんに対しては好き嫌いが2分するようだが人がどう思おうと関係ない、自分の信じる道を行くのみと言うことのようだね。

 同じスーパー女史の曽野綾子(90歳)さんの「老いの才覚」も以前読んだがやはり極めた人の言うことは並の人間のように甘っちょろくないということ。日本の政治家は簡単に国民の安全安心を実現したいなどと言うがそもそもそんなモノが実現するはずがない。リスクをかけて命がけで北朝鮮に乗り込んで拉致問題を解決しようとする政治家が今いるかと言うことだね。

 子供が独り立ちしていない時には生命保険もかけて、仕事もそうそうリスクはおかせないが、晴れて老人になればやりたいこともやらないとね・・危険なことを一切しないという人には面白い体験はできません。冒険は老年の特権だと曽野先生はおっしゃる。寂聴さんも車いすに乗りながら、かつて東日本震災地跡を尋ねたり、都知事選で細川候補の応援演説に出かけた。絶対、原発はなくさないという一心からであったらしい・・・・

あと何年、生きれるか、日々、「無財の七施」かな!!

 

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200701 はや7月、半夏雨のなか純白のむくげ咲く!「寂聴九十七歳の遺言」

2020年07月01日 | 瀬戸内寂聴

 自粛自粛のR2年上期が終わり半夏生ず7月が始まった。24節気、半夏(からすびしゃく)が生え始める頃、田植えは終わらせてくださいよという農事の節目。

 博多山笠は中止になり、櫛田神社の飾り山のみ今日公開された。いつもなら15日まで博多が燃える山笠が中止でさびしい夏のはじまりである。

 わが家の裏庭に真っ白のむくげが開花、寂しげな感じではある。新型コロナウイルスの脅威が都市圏を中心になかなか収まらない。東京ではここ数日感染者数が50人を超え今日も67人が陽性反応がでたらしい。

自粛で潜伏していた無症状感染者が自粛解除、移動解禁で動き始めたのか。感染させた人物像がはっきりしない、させない政府、専門家集団。もどかしい限りではあるね。こんな状況で都知事選もくそもあったものじゃない。いやはやどうなることやら。

 所属する写真愛好会16名の平均年齢が78歳、80を超えてるメンバーが数人いる。彼らは今、何をおもい、どのように暮らしているのか? 後期高齢者になり、なんとなく体調、体力減退気味の昨今、歳のことなど考えずセサミン?飲んでがんばりゃいいのかもしれないが・・・書店でたまたま「寂聴97歳の遺言」が目に留まり図書券で購入。

 作家であり、天台宗権大僧正(トップの大僧正の次の位)でもある瀬戸内寂聴さん97歳。本にも書かれているが人気絶頂、豪華な着物や宝石、酒、男に囲まれた生活から一転、51歳で出家して46年、作家家業も続けながら京都寂庵で月一法話、写経会を続けて、途中、圧迫骨折や癌にもおかされ、よくぞ生き永らえたこられたものだ。これぞ神、仏に活かされているということか。ネット上では同業とおぼしき人間からその自由奔放な生き方へのやっかみか非難中傷も多いようだが「独りを慎む」信念から常に仏さまからみられて生きているのでそんな中傷などへとも感じないと書かれている。

 この理不尽な世の中、好きなこと(執筆)をやり好きな肉を食べ酒を飲み、不信政治には声をあげ、デモに参加し、大震災には現地にとび共に悲しむ。机の上でペンを握りながら死ねたら本望、一切悔いはないという。どうこう言われようがその才能と行動力は秀逸ということか

 忘己利他(もうこりた)己を忘れ他を利するは慈悲の極み也、それが生きるということだと天台宗の宗祖最澄は説いた。日々笑顔で生活(和顔施)する。妻の手伝いをする。自宅周辺の清掃。好きなことをこつこつ続ける。天知る、地知る、仏が見ている。見返りを求めない生きざまがすべてということでしょうかね!

 

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170416熊本巨大地震からはや1年。仮設なお47725人。寂聴仏教塾、祈る心、祈れば救われるか?

2017年04月16日 | 瀬戸内寂聴

 わが家のみどり亀、カメコが4か月ぶりに冬眠から元気に目覚めた。自然界の摂理は粛々と命をつないでゆく。しかし4か月も泥水のなかで何も食べずによく生きてゆけるものだ。

  

 ところが、人間界は簡単に蘇生はうまくいかない。未曽有の震度7の巨大地震が去年の4月14、16と夜中に勃発、阿蘇大橋がくずれおち、県民のシンボル熊本城も瓦解寸前、阿蘇神社も崩れ落ち、死者222人の大災害となった。あれから1年、人生を狂わされた人たちが復興途上で苦しんでおられる。いまだに仮設住宅住まいの人たちが47725人、子供たちの勉強場所や遊び場所がなく大変。こんな時、なんで自分たちだけがこんな目に会わなくてはいけないのか、何とかしてくれと神仏に頼みたくもなる。

 

(満開のリキュウバイ)

 瀬戸内寂聴さんは仏壇屋の娘でありながら仏さんの存在などまったく信じなかった。50歳で出家して仏教を学び、1000日回峰行などやりとげたえらいお坊さんからも学び、奇跡を体験し、今では神仏を信じられるという。ー痛快!寂聴 仏教塾 第五章祈る心 信じる心ー

 キリスト教は一神教、ゴッドのみだが仏教は過去、現在、未来に三千諸仏がおられるという。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、不動明王、七福神いろいろ。そのうち一番ポピュラーなのが観音さんと地蔵さん。

 寂聴さんは岡本太郎の母の岡本かの子さんがえらく観音さんを信心していた影響で出家したあと、京都寂庵の持仏を聖観音にしたとか。菩薩というのは如来と衆生の間に位置する仏さん。観音さんは衆生をいつでも救済できるようずっと立ち姿でいる。

 さてこの観音さんのことは法華経のなかの一部の観音経にしるされている。天台宗の根本経典が法華経で、私がいつも写経に通っている武蔵寺は天台宗で写経法会が本殿であるとき参加者はみな観音経を読経する。するとその中で念彼観音力(ねんぴかんのんりき)という言葉が12回ぐらい出てきて、人間にふりかかるあらゆる苦難が観音様の名前を唱えれば危機を脱出できると説いている。当時は一般民衆を安心させるためにこんな説き方をしたのかもしれないが今ではこんなことあるはずがないと皆おもう!寂聴さんも出家当初は半信半疑。

 寂聴さんは出家するまでは飛ぶ鳥落とす勢いの小説家でカネも名声も能力も手に余るほどあったのだがなぜか小説を書くことへの情熱がうせてしまった。人生はこんなものでいつまでも同じことは続かない、いわゆる無常の世界。熊本地震の被災者の立場からいえばいつまでも不運の人生が続くわけではないと考えてみる。人生は努力や才能だけの問題ではないと瀬戸内晴美さんは悟り出家してしまった。

 天台寺の住職を頼まれた時も、出家させてくれた今東光さんが住職をしておられたことを知り、そこも持仏は観音様であったりして引き受けることになった。これもやはり観音様のお導きと考えるしかなった。なんでこんなに忙しいのに天台寺の住職をせねばならないのだという驕りがあった、謙虚さを忘れていたとおおいに反省。天台寺で青空説法をしている時、癌になってしまった奥様をかかえる失意の菓子店主に泣きつかれる。そのとき、比叡山で千日回峰行を2回もされた酒井雄哉大阿闍梨が天台寺に立ち寄ることになり、菓子店主の奥さんの寝間着をもってこさせ大阿闍梨に加持をしていただいた。1か月後奇跡がおこった。奥さんのがんが消えてしまった。一心不乱に祈れば必ず通じるのだと寂聴さんは自分に誓った

 現世を住まいとしている仏さまは釈迦如来と観世音菩薩、未来を住まいとしているのは阿弥陀如来様。理屈抜きに南無観世音、どうかお助けくださいと一心に祈る、宇宙と一体になる気持ちで祈れば必ず観音さんに声が届くというわけ。観音経には観音様が人間にふりかかる七難を救ってくれると書いてある。そのとおり解釈するのが事釈でうらみつらみ、煩悩の火の中で苦しくて仕方ない時には「南無観世音」どうか私をたすけて下さいと一心にお願いする。そうすると心の中に不思議な力が湧いてくると考えるのが理釈というわけ。

 寂聴さん曰く、一心に観音様にお祈りしていると観音様はいろんな姿に変身して助けに来てくれる、これを観音様の「三十三化身」という。するとわが妻の笑顔をみていると観音様のように思えてくる。いままで有難う、いつもおいしい料理有難う! 「南無〇〇観音様」合唱!!

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170317 彼岸の入り、墓参。庭のモクレン開花寸前!瀬戸内寂聴仏教塾、お彼岸とは?

2017年03月17日 | 瀬戸内寂聴

庭の木々が芽吹き、ハクモクレンが開花寸前。

今日はお彼岸の入り。霊園まで20分、車を走らせ墓掃除、墓参

3~4台車が止まっていた。彼岸や、お盆、正月前などきちっと墓参りする家庭はどのくらいあるのだろうか。ほったらかしのような墓もここかしこにみられる。墓参代行業などがでるご時世だからいかんともしがたいがね。

そもそもお彼岸とは何か。「第四章 彼岸への細い道」で寂聴さんはこう説明する

 1、仏教では穢れた苦の多いこの世を穢土といい、苦も煩悩もない理想郷を浄土という。また現生のことを娑婆(サハ忍耐)ともいい、四苦八苦のこの世を耐え忍んでいかねばなりません。釈迦のおっしゃる八正道を実践すれば無明がなくなり浄土に行けるというのが仏教の教えです。

2、浄土は別名、彼岸といい日本では春分秋分の日の前後1週間をお彼岸と言って先祖供養する仏教行事になっています。しかし仏教の発祥地、インドにも中国にもこの習慣はない。もともと日本は「豊葦原の瑞穂の国」という農業国、太陽に対する信仰があり特に春分秋分時には田植えがうまくいき、秋には収穫をねがう農業神事だった。

3、1300年前、奈良時代、中国の善導大師が浄土は西にある(西方浄土)と著述し浄土教を大成させた。その話が日本に伝わり太陽の沈むさらに西方に浄土があると信じられるようになり農業神事が仏教神事となり先祖をうやまい供養する日となった。ほんとなら毎日先祖に手を合わせねばならないが現代の凡夫の為に年2回は墓参りしなさいということでお彼岸の行事ができた

4、お盆はお経に由来する行事で中国にもある。釈迦の弟子の目連は神通力をつかってなくなった母の姿をみたが地獄の苦しみをしている。生前人の為になることをしなかったからと釈迦にいわれる。母親の罪を償うにはお前が夏安吾の終わった僧侶たちに布施をしなさいというのが「盂蘭盆経」に記されている。夏におこなわれる僧の修業である夏安吾のあと、目連は僧たちにたっぷり布施をして母親の地獄を救ったとある。

5、母親の地獄で受けていた罰を「ウランバナ」といい逆さづりの苦しみという意味。ということでお盆は正式には「盂蘭盆会」といい、亡くなった人がどうか極楽浄土に行けますようにと祈願する仏事ということになる

6、さて、われわれは浄土にいけるのか?先の善導大師が「観経疏」かんぎょうそのなかで「二河白道」というたとえ話で説明している。ある若い僧が西方浄土をめざし西へ西へといくと15センチほどの細い白い道にでくわす。南側は燃え盛る火の川、北は濁流の水の川で白い道に襲い掛かってくる。背後には悪獣がおしよせ進退窮まる。背後からは「釈尊が恐れず進めと、西方からは阿弥陀様が一心に仏を祈って走ってきなさい」嫉妬の火の海、欲望の洪水をやっと若い僧はのがられて浄土にたどりつく

7、このように修行僧でも彼岸に渡るのは大変、凡夫の我々はなおさらむつかしい。が死ねば仏さまになって彼岸に行ける。刑事映画で死人を仏さまとよんで手を合わしている。しかし浄土に行くためには先の善導大師は南無阿弥陀仏と一心に唱えながら彼岸への道を渡らねばならないと説く。南無阿弥陀仏・・身も心も阿弥陀様にお任せします!ひたすらナンマンダととなえれば浄土に行けると中世日本人に説いたのが法然や親鸞であった。南無阿弥陀仏は彼岸へのパスポートというわけ。

8、問題は現代人というか日本人はいざというときには神頼みをするくせに普段は眼に見えないものは信じることができなくなってしまったことにある。アメリカや中東ではどうか?キリスト教やイスラム教への信心はどうか・・・また次回のテーマにしよう!

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170213 日米トップ、ゴルフ対談成功、安倍総理おつかれさん! インド、菩提樹の元で釈迦が悟った「四諦」、滅諦、道諦とは?

2017年02月13日 | 瀬戸内寂聴

 トランプ米大統領の一挙手一投足、一つぶやきに世界が過剰反応する中で安倍総理はワシントンでの1時間弱のトップ会談ののち、なんとあのエアーホース1にのってフロリダに移動、27ホールのゴルフプレイを元世界一のプロゴルファーも交えてトランプ大統領とゴルフを楽しんだ。どんな会話がなされたかは知る由もないが凡人なら緊張感の中で胃が痛み楽しむどころではないように思うがさすがに世界を飛び歩き、伊勢志摩サミットでも議長役もこなすなど場数をふんできた総理、第一次アベ内閣当時の胃痛での退陣など今回はまったく心配なさそうな感じ。野党が外野席だ騒ぐのが精いっぱいで世界を舞台に活躍できそうな政治家は誰一人としていないね。自公においても次期首相候補となるといないね。なんやかや言いながらよく頑張っているというしかないね。

 トランプ大統領も70過ぎて自家用ジェットをもち、ゴルフ場を20も持ち、ニュウーヨークの一番地に高層タワービルを所有する。そして大統領の座に上り詰めた。これも考えてみればとてつもない男と言える。できない連中は周りでピーピーいうだけだ。さあ、これからどんな政治をやってくれるか楽しみな感じもするね。

さて、瀬戸内寂聴、痛快仏教塾の続き、お釈迦さんの悟った四諦(したい)の3つ目の滅諦(めったい)とは何か

苦諦(くたい)、人間の苦しみの原因はなにか、それは無明から老死に至る十二因縁、とりわけ諸悪の根源の無明をどうなくすかがカギ。人類なんて2500年たっても相変わらず戦争は亡くならず、武器をあつめ核兵器を開発保持しようとする。歴史に全く学べず、無明から脱却できず、まったく進歩できていない。女性と問題を起こしたくなければ女には見向きもせず、話もせず、そんな必要のない山奥に暮らせばよいが人間の本能はそうしていても性欲の炎から逃れられない。雲を見ても花のにおいをかいても女を連想してもだえる。比叡山で20年修業した30歳の親鸞がそうであった。

現実に私がここに存在するのは私の両親の無明からおこったこと。なにも敗戦間際の日本で結婚などする必要がない、さすれば終戦間際のS20年5月にこの世におギャーと苦しみうまれ出ることはなかった、という理屈になる。所詮、人類の歴史は無明の歴史ということになる。無明は尽きることなく人殺しを続ける。お釈迦様はこうした無明の連鎖を断ち切りなさいという。無明のない涅槃の世界、悟りの世界にどう達するか、それが4つ目の悟り「道諦」どうたい。

無明を消滅させるには「八正道」はっしょうどうを実践しなさい。3歳の子供でも分かっているが80歳の大人でも実践できないようなこと。悪いことはするな、いいことはいっぱいせよいうこと。

一、正見(しょうけん)正しく見よ。人間は色眼鏡を外せない。正しく見て正しく判断せよ。二、正思(しょうし)正しい考えを持ち、 三、正語(しょうご)、正しい言葉遣いをせよ。悪い言葉は話さない。妄語、悪口、両舌、おべんちゃら、むだぐち。TVは悪語だらけの世界。四、正業(せいぎょう)悪いことをするな。仏教では殺生、盗み、邪淫。不倫ノー。人間は他の生命を犠牲にして生きている。カキ小屋。生きたカキを炭火であぶりながらのたうちまくるカキをみながら成仏したカキを酢醤油につけてうまそうに食べる。これが人間。すみません、ありがとうの気持ちなくてどうして食事ができようか 

 五、正命(しょうみょう)、煩悩をおさえて正しい生活に努める六、正精進(しょうしょうじん)。無明をなくす努力を継続する、七、正念(しょうねん)外にむかう欲望をおさえ、自分の内にむけて心を集中させる、八、生定(しょうじょう)心を鎮め煩悩をなだめる。禅宗では「只管打坐」ひたすら座禅をしなさいと教える。写経をしたり、夜、瞑想をしたりして心身を整える。

 お釈迦様はこれら四諦八正道(したいはっしょうどう)を悟られた。お釈迦さまは死ぬまでインド北部をあるいて法をとかれた。これらはお釈迦様がなくなられたあと弟子たちが釈迦のことばとしてまとめあげていったとされる。

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170130 大寒の末候、暖かいが立春まで1週間。釈迦の悟った二つ目の真理、「集諦」とは?!

2017年01月30日 | 瀬戸内寂聴

 東京では4月の陽気、20度になったとか。24節気では大寒も末候、「鶏始めて乳す」頃。鶏が卵を産み始める頃とある。コンビニでは恵方巻の幟がぱたぱた。また節分がきて、その翌日は立春。とはいうものの三寒四温、TVでは気象予報士が活躍、いつごろからこんなに天気、天気と言い出したのかね、それだけ日本人は幸せということか。毎朝5時45分、TV東京のモーニングサテライトを見ているがコメンテイターの言うことはいい加減なもんだね。今日の日経平均はどうなるか。シカゴ先物の数値がでて、その前後2~300円を証券会社の評論家がコメント。投資判断にはほとんど役に立たない。決算発表が始まっているがその情報を人よりいち早く察知して手を打てるかどうかだがこれがね、むつかしい、インサイダー情報とやらだね

さて、瀬戸内寂聴、痛快仏教塾。お釈迦さんが菩提樹の下で悟った四諦(したい)の二つ目、集諦(じったい)とはなにか。この世の中の苦しみの原因は一体何か。それは凡夫たる人間の持っている煩悩と執着であり、それを生み出す無明から老死にいたる十二の因縁があることを明らかにされた。

諸悪の根源は凡夫のもつ百八つの煩悩。百八つということは無限の闇を言う。本来108回、除夜の鐘をたたいてすむものではない。とにかく人間の欲望はすさまじい。最悪のものは渇愛だという。10の愛情を注いだのだから15の愛情を頂戴というむさぼる愛、これが離婚、夫殺しにつながる。

 すべての結果(苦)には原因があるのだが、その間に12の因縁がある。無明、行、識、名色、六入、触、受、愛、取、有、生、老死の12ステップがあり根本問題の無明にもどる、すなわち世の中の真理を知らず心の中に暗闇を抱えさまよっているおバカちゃんが大概の人間であるというのだ。まあ結婚などは凡夫にあたえられた人間力テストのようなものだね。最近の晩婚化、未婚化の要因は昔と違って、ひとめぼれで本能の世界で結ばれるというより、年収400万以上とか行、識レベルで頭で考え、自分を縛ってしまうのが原因らしいが・・・・。

 まあ、ともかく婚活などをへて、いい人だなと思って、付き合い始め、女性のかぐわしい香りに悩殺されて、抱きしめたくなって(名色、六入、蝕)自分だけのものにしたい(受、愛、取)と思って結婚する。セックスをして子供がうまれ、育児に妻は忙殺され、旦那も長時間労働、段々夫婦に会話が少なくなり、マスコミ情報に扇動されて、自分の人生に迷いを感じ始め、ついに離婚に至る。一人になったが経済的にも心理的にも寂しさは否めず、やがて老死に至る。

 ではどうすればこのような苦しみをせずに、心安らかに老死に至れるのか、それがお釈迦さまの悟られた3つ目の真理、滅諦(めったい)、無明をどう消し去れ良いのか? また次回のブログで・・・

 

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170128 大寒の次候、「水沢あつく堅し」だが春隣。寂聴仏教塾その3、釈迦は何を悟ったのか?!

2017年01月28日 | 瀬戸内寂聴

 24節気では大寒の次候、沢の水が厚く張り詰める頃。やったことはないが北国ではわかさぎの穴釣りが解禁される。てんぷらでまるごと食す。うまいらしい。春隣は季語。今日などすこし暖かい感じがして春が隣にきている予兆を感じる。   軒先の日ざしをみても春近き(高浜年尾)

庭先には中国東北部からの渡り鳥、ジョウビタキがやってくる。オスの胸の橙色が目に付く。メスは地味。雀くらいの大きさでメスなど見落とす可能性がある。

世間はトランプ騒動でかまびすしいが時節は着々と進行している。

 さて瀬戸内寂聴さんの痛快仏教塾その3。前回は仏教の祖、お釈迦さんの生涯について紹介した。今回はお釈迦さんは一体何を悟られたのかということ。6年の苦行林での修行をしても人間の苦しみの原因と脱却法について悟れなかったのが菩提樹のもとでの座禅で何にめざめたのか。

 あらゆる苦しみ、物事の結果には必ず原因があり(因果律)、それを媒介するものに縁という条件がある。氷は水が凍ってできるが、気温が氷点下にさがるという条件がないと凍らない。人間は四苦八苦という生まれながらに苦の種をかかえているが根本は無明という闇、世の真理を知らずに心の中に暗闇を抱えてさまよっており、その闇の中に無数の煩悩がうごめいている。

 お釈迦様は菩提樹の下で四諦(したい)という四つの真理を発見された。

1、苦諦(くたい)・・この世は苦しみに満ちているという真理。(1)生老病死の苦しみ (2)愛するものと別れる愛別離苦の苦しみ (3)怨憎会苦、嫌いな人に出会ってしまう苦しみ (4)求不得苦、ほしいものが手に入らない苦しみ (5)五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・五蘊というのは人間の構成要素。色、受、想、行、識。肉体と精神の間に受想行がある。天地創造、キリスト教ではアダムとイブが、神話ではイザナミとイザナギ。ペアの人間がいて相手を認識することから愛憎もろもろの因果がスタートした。人間の心や身体の中で欲望が燃え盛る苦しみ。釈迦が発見した第一の真理は苦しいのは自分だけではないという真理。なぜ自分だけが・・・からの脱却。ものごとはすべて移りかわってゆく、同じ状態は続かないという「無常観」。

2、集諦(じったい)・・苦しみの原因は何なのか、煩悩や執着である

3、滅諦(めったい)・・苦しみの原因、無明から脱却すること

4、道諦(どうたい)・・涅槃、悟りへの道はどうすれば到達できるのか。

集諦以降についてはまたのブログで・・・

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