ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

豆田祇園、黒ラベル生、天ケ瀬・慈恩の滝、日田・三隅川鵜飼乱写!

2011年07月26日 | 趣味と交遊

水けむり 天上から 涼おとし(慈恩の滝)

別の写真グループから誘いがあって、豆田、日田、天ケ瀬方面へ撮影バスツアーにでかけた。大型バスが天神の日銀前から出るらしく、われわれは基山PAから合流することになった。国道3号線を基山まで車を走らせ、ハンバーグレストランのキリンの手前で右折し、駐車できそうなところを探す。ラッキー!、PAの裏手に1台分あいておりそこにとめる。少々早めに家をでてよかった。朝からギンギラギンの快晴で暑い。11時10分の約束だったが15分遅れでバスが到着。もともと日銀前11時出発など言っていたのでいくらなんでも10分でここまで来れない。趣味のグループはとにかくアバウト。われわれ二人の携帯も知らせていなかったのでもしもの時どうするつもりなんだろうか。もっともこちらもいい加減ではあるけどね。顔見知りの女性が降りてきて二人分、バスの中央に席をとってますという。なんと3つのグループの合同撮影ツアーらしく40人近くの参加とのこと。女性も半数近くいるような感じ。まあいいか、主催者におまかせして楽しむことにしよう。
このコースはわれわれの写真同好会でも去年夏検討されたが今一つもりあがらず結局いかなかった。日田の三隅川での夕日、遊船、鵜飼船を撮影するというのが今回の本命である。

高速道を走り、日田ICでおりて豆田に12時半頃到着。それぞれ食事をして14時集合となる。外は暑い。豆田祇園が今日明日ということで曳山がでている。博多山笠と比べればうんと小規模だが日田駅前でも集団山見せがあるとのこと。
とにかく腹ごしらえということで蕎麦屋さんにはいる。「馬すじ丼」600円なりとあったのでそれを注文、ここまできてそば定食でもあるまいと思いオーダーしたがバサシならぬ馬のすじ肉の丼、みそ汁とセットで出てきた。うな丼、肉丼、親子丼を掛け合わせたような味わいで結構うまかった。

豆田といえば広瀬淡窓の咸宜園、天領雛御殿、草野本家などが有名。いまさら曳山を写すこともあるまいと思い暑い中をゆっくり散策、托鉢の修行僧がお経をあげている、山の担ぎ手の若者たちがあまりの暑さに水をかけあっている。白壁の旧家、酒蔵などとって我々も昔なつかしいアイスキャンディの旗に誘われ、雑貨店の女店主と語りながらアイスに舌鼓。集合時間の二時バスに戻る。

次の目的地はサッポロビールの日田工場。見学と試飲。コースにこんなのをいれるのはなかなか良い。冷えた黒ラベルがうまかった。ビールの歴史は1876年にさかのぼるがサッポロビールがその先駆けである。この日田工場はヤフードームの3倍の敷地で1日100万本のビールを生産する。すごいものだ。

夜の鵜飼撮影までまだ時間が十分ある。次は天ケ瀬の滋恩の滝に向かう。水量が豊富で水の落下地点あたりに虹ができていた。さっそく高速乱写真。2000~4000分の1秒の高速シャッターで水しぶきの動きを止める。だが目に映る虹が思うように再現できない。むつかしいところだ。

17時半、今日の最終目的地、日田の三隅川河畔の銭渕橋に向かう。橋から右手がホテル街、正面の山並に夕日が沈もうとしている。ホテルサイドの川べりに遊船が10数隻でて、鵜飼を眺めながらの酒宴がぼちぼち始ってる。
去年、橋の車道にずらっと並んで三脚をひろげたカメラマンたちに警察から注意勧告されたらしい。やや遠慮しながらも30数名のカメラマンが場所取りにそわそわし始め、誰かが橋中央にでばると次々とベストポジションめがけ三脚が乱立、すごいね。こちらも負けじと夕日にはえる遊船や鵜飼船を乱写。

20時に終了。疲れました。体力勝負だね。20時15分、バスに戻り一路帰途に就く。われわれ二人は基山でおりて、近くのハンバーグレストラン「キリン」で食事、帰宅は22時を過ぎていた。妻への土産はサッポロビールで購入した懐かしの味、塩えんどう豆。さてさて数枚でもいいのがとれているかな?明日、ゆっくりチェックすることにして寝ることにする。
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「サッカーや ヤマトナデシコ 麦の秋」ワールドチャンピオン万歳

2011年07月19日 | 趣味と交遊

たいしたもんだ。よくやったね。立派!すごい!
「楽せず、楽しむ!」
あまり待遇の良くない中で、仕事をしながら、サッカーが好き故、練習にひたすら励む。練習が苦しいなど一度も思ったことがない。これらが結果を残すプロフェッショナルの資質かもしれない。
沢キャプテンの延長戦後半の左からのコーナーキックをボールにむかって走りながら右足右側面で右後ろのゴールネットに蹴りこむゴールはまさに神業的だが15歳から代表として苦労を重ね、練習を重ねた結果として身体が覚えてしまっているゴールと言えるのかもしれない。
俳句で言う「麦の秋」は収穫の秋だが夏の季語である。「サッカーや ヤマトナデシコ 麦の秋」と一句したためた。
 
18日の朝5時、目が覚める。TVのスイッチオン。女子サッカー、ドイツワールドカップの決勝戦、ランク1位のアメリカと4位の日本の戦い。前半戦0-0、後半戦に入っていた。24分についに先制を許す、やられた!、が10分後、MF宮間のゴールで追いつき延長戦。延長前半残り1分でもっとも警戒していた、身長181センチのワンバックにヘッディングで押し込まれ後半へ。あと3分、もうだめかと思っていた時、宮間の左コーナーキックにキャプテン沢が右足で技ありの絶妙ゴールを決め同点、まさに神がかり的なゴールだった。
 そして運命のPK戦。円陣をはる日本勢、佐々木監督が笑顔で指示をだしている様子がTV画面にうつる。これはいけると思ったね。勝ったと思っていたアメリカが焦りか3連続失敗、というより日本のGK海堀の2本のスーパーセイブ。これもまさに神がかり的なプレイであった。童顔だがやや緊張気味の熊谷のキックが見事決まり日本が世界1になった。感動感動の瞬間、思わず手をたたく。おもえば延長後半10分ごろの岩清水の身体をはったゴール前の守備がレッドカードになったがあれがなかったら3点目を許していた可能性が高い。まさにそれぞれの場面で選手ひとり一人が判断しプレーする、チーム精神と技術が身についているチームなのだろう。

 すっかり眼がさめて、コーヒ&トーストの朝食にする、どのTVも女子世界1に沸いていた。午前中はすっかり劇的勝利の余韻にひたっていた。
 今日の成田での凱旋合同記者会見をみていたが男子と違い最初から日の丸を背負って必死に戦うという悲壮感がない。東日本大震災の被災者への勇気づけという側面はあったにしても、北京では4位までいっている自信もあり、あとはトップを目指すだけ。しかも「佐々木ジャパン」とか言われない「なでしこジャパン」だから監督の仕事はしっかり選手を観察し、ベストの力を発揮できるようにしてやることであり、オフではキミマロの漫談でリラックスさてやる。ピッチでは選手にまかせる。控えの選手の表情をしっかりつかむ。タイミングをおさえチームをベストの状態にもってゆく、これが佐々木流女子サッカーマネジメントの極意かもしれない。
 記者団の質問に監督から学んだことは何かと問われ、選手たちが明確に答えていなかったのが象徴的であった。知らぬ間に各人の持てる力、チームの力を発揮できる状態を監督が作り出したのだろうと思う。
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もぎたての 巨大キューリに かぶりつき・・うまかったです

2011年07月13日 | 趣味と交遊

もぎたての 異形キューリに かぶりつき
しおゆでの とーもろこしの ランチかな

夏野菜の収穫期にはいっている。感覚的に体験農園の恩恵に浴したと感じた品種はレタス、インゲン、二十日大根、キューリかな。レタスは2週間ばかり朝とってきて洋朝食のサラダに、二十日大根は生でマヨネーズをつけて、インゲンはてんぷらにして食した。
特にキューリは20~30センチのものが25本ばかり、なかには40センチ以上の特大異形のが5本ばかり収穫があった。
家内が水洗いして真中からカパッとわって塩をつけて食べ始める。中の種もおおきくなっておらず結構うまい。「もぎたての 異形きゅーり かぶりつき」とさっそく一句計上。

次の日、トーモロコシを収穫、7本ばかり。中くらいの大きさだが虫が食い始めたので収穫。NHKのがってん流ゆがき方を実践。北海道産地流は熱湯にしてトウモロコシをほりこんでゆがくらしいが、がってん流は水の状態からからトウモロコシをいれて沸騰して3分半ほどゆがき、火をとめて塩をまぶしてかき回す。甘みが増すというがやってみて大変甘くておいしかった。
「しおゆでの とーもろこしの ランチかな」と食い物シリーズの俳句2弾。

 現時点での今年の春夏野菜の成果は
・じゃがいも 4.7キロ ・二十日大根 50本 ・インゲン75本 ・キューリ30本 ・トマト 不作、大3、ミニ10 ・なす 5本 ・ピーマン4個 ・シシトー5本
・枝豆50個(残5株)・春菊、ホーレンソーなど葉物少々 など
あとはオクラ、ししとう、トマト、ピーマン、なす、みにかぼちゃ、しょうが、落花生、さといもなどがどのくらいできるかである。
なにせこの猛暑。畑での作業は8~9時に限定しているが、いずれにしても量は少なくても、とりたて、もぎたてはうまい。
 天地の恵みに感謝である。

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武蔵寺、アオバズクと1年ぶり再会!

2011年07月10日 | 趣味と交遊

 7月3日の写経会の前に、バードウオッチャーらしき人に鮮明に写ったアオバズクをみせてもらって、あと1週間もすれば雛がかえるのではないかという情報を入手。梅雨の合間に一度行ってみたが見つけることができず、今日再度出かけたところ、3日にあった人がまた来ておられ、場所を教えてもらう。青葉若葉の茂る中で繁殖する関係で保護色となって見つけるのがなかなか難しい。この写真はオスで若干、巣から離れて広い範囲を監視している感じ。一方メスは大木の洞の中の巣の近くで雛を見守っている。メスが外に出ているということは雛どりが外にでてくる時期が近いことを意味する。

洞はみえるが中までみることはできない。何羽いるかもわからない。親子が揃って枝に止まっているシーンがとれるか見ものである。
くだんの人はH氏といって、パナソニックのルミックスFZ-50にテレコンバーターをつけて700ミリくらいで撮っているということだった。FZ-50の会をつくって10名くらいで情報交換しながら鳥や花を撮影して回っているとのこと。眼がぱっちり撮れておりその解像度はすばらしい。残念ながら製造中止になっているとのこと。オーディション品はあまりすすめられないということだった。
いずれにしても1年ぶりに再会できてうれしい限りで2時間ばかりがあっという間にすぎた。8月には子をつれて東南アジアのほうに帰ってしまうのでぜひ親子を撮ってみたいものだ
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太宰府天満宮、七夕の宴(~縁)、ルーツ探し!

2011年07月09日 | 趣味と交遊

短冊の 夏の夜の夢 風に乗る
 18時半、バイクにカメラバッグと三脚をのっけて天満宮へ。まだ明るい太鼓橋の水上舞台の準備に関係者は忙しそう。浴衣姿のアジアの女性らしきグループが飾られた七夕のもとで写真をとりあっている。太鼓橋をのぞむ絵馬堂の前はすでにアマチュアカメラマンの三脚が場所取りで据えつけられている。

 今年の七夕祭りは副題に「縁(えにし)」と設定されている。去年も山鹿灯篭踊りのデモンストレーションがあったが今年もきてくれている。天満宮と山鹿が菅原道真の絡みで縁があるとのこと。今回は地上、水上の両舞台で楽器や踊りのコラボレーションを展開しようというわけだ。

 予定の20時、舞台は地上から水上にうつりライトアップされた幽玄の世界の中で太鼓、ダンス、筝曲と尺八、ハープ、山鹿灯篭踊りが演じられる。水面にその姿がうつり幻想的。

 写真を撮るほうは三脚が乱立、前のカメラマンの肘が邪魔になったり大変。脚立と2M以上の三脚を用意して撮影する猛者もいる。ライトアップとはいえ幽玄の世界の演出で明るくはない。ISOをあげてとらないと被写体ブレをおこす。800に設定していたが10秒以下のシャッターでは遅い。おもいきって1600や3200にあげて少々のノイズはがまんして撮ればよかったが押し合いへしあいでできず。これは反省点。

 さて今回テーマの縁について。人間というのは男と女が何かの縁で結ばれ、そして子供がうまれ、成長し、何かの縁で異性と知り合い、結婚し、子供をつくるか、うまくいかずに離婚したりする。仏教でいう「輪廻」「無明」の世界である。子からすれば産んでくれと頼んだ覚えはないということだ。先祖がいいことをしていてくれれば子供にそれが伝わる。因縁の世界である。
 ある本に定年後は自分のルーツ探しをせよとあった。たまたま私の場合、両親から祖父母のことについてはあまり話をしなかったのでどんな仕事をしていたとか詳細は定かではない。まして祖父母の親のことになると明治初めの人ということになり江戸時代が近い話にもなる。この流れ、ルーツがわかれば、現在の自分にどんな血が流れているかわかることになる。
 とりあえずは本籍のあった大阪西区のホームページを開き、メールで祖父母の除籍謄本を依頼した。郵便局で750円の小為替を発行してもらい、返信用切手、免許証のコピーをいれて送った。1週間くらいで返信がきて、読みにくい青焼きの文字をたどってゆくと驚くべき事実を発見することになる。親の知られざる一面や他県からどうだこうだといった記述があったりで非常に興味がそそられた。家系図の完成とプラスアルファの人間模様を探求する推理小説まがいの話になってきた。
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福島のさくらんぼ「紅秀峰」、甘みが強く、硬い食感、グー!!

2011年07月06日 | 辛口ひとりごと

さくらんぼが連続2弾届いた。ひとつは東京の親せき筋のおばさんからのもの。虎谷の羊羹から最近はサクランボを送ってきてくれる。あとひとつは入れちがいにネット検索して福島県産の紅秀峰が美味ということでオーダーしたものがついたもの。いずれも娘家族におすそわけされるが孫娘もおいしいものには眼がない。ぺろりとたいらげるらしい。
写真の紅秀峰、開梱してみると福島市長の安全メッセージが入っていた。放射能のモニタリング調査をして暫定規制値を下回ったものだけを消費者の皆様にお届けしていますとある。まったく風評被害は困ったものだ。
暫定規制値とは一体どういうものかよく知らないが暫定だから値がさらに下げられることもあるということか、そのあたりはやくわからない。

ネットのうたい文句通り、大変甘くてしかも食感がかたくてしっかり味わえる感じだね。野菜でも同じだが収穫にして2~3日以内に食べないと甘みが薄れてしまうようだ。収穫された場所や果樹園のHPも記載されている。
こんななかで災害復興大臣の言葉使いが横柄だということで辞任してしまったがまったく現在の日本の政治模様はあきれはててしまうね。野党も揚げ足とりばかりではどうしようもない。管総理の顔つきもすっかり精気をなくしてしまっているが電力行政で発電、配電を分離するなど大変重要な提言もしているがすっかり影をひそめ論議すらされていない。してもらっちゃ困る政財界人がたくさんいるからだろう。

 たとえばこの風評被害の解決策をどう進めてゆくかのストーリーができているのかどうなのか、大震災発生から4カ月になろうとしているがいっこうにはっきりしない。
現地も含めてもっと国民が一体となって政党ではなく日本の国会、政治家をもっとつきあげる必要がありそうだ
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小澤征爾のベートーベン交響曲1~9番、通しで聴く!

2011年07月04日 | 趣味と交遊

交響曲第一番から九番「合唱」までトータル6時間弱の演奏。
ベートーベンというと「運命」ということでその名を知らない人はいないと思うがどんな人だったのか?運命や田園、第九などは定番だが他の交響曲はどんなのかと思い立ち筑紫野図書館でCDを借りて聞くことにした。たまたま小沢征爾指揮のサイトーキネンオーケストラの演奏になるものを毎日1曲聞くことにした。

 ところでベートーベンは1770年神聖ローマ帝国ボンで生まれ1827年オーストリア帝国ウイーンで56歳の時、肝硬変で亡くなったクラッシック音楽市場極めて偉大な作曲家の一人。同時代にハイドン、モーツアルトがいる古典派音楽の偉大な作曲家である。
祖父、父親も宮廷歌手で幼少より音楽的才能を期待され、16歳の時、ウイーンでモーツアルトに弟子入りを許されたが母の死でボンに帰り、父のアル中化で苦労、22の時ハイドンに認められピアノの即興演奏の名手として名声を博したが26歳の時中途失聴者となり聴覚を失い自殺も考えたが強靭な精神力でのりこえ芸術の道を進んだとある。

<交響曲第一番>はそんなときに生まれた最初の4楽章からなる管弦楽の演奏になる交響曲となる。1824年の交響曲第九番合唱に至るベートーベンの一大歴史モニュメントがスタートするわけである。
クラッシック音楽は作曲家自身の時代背景が反映されるのであろうが聞くほうはどんな姿勢で聞くのだろうか。自分を鼓舞してくれる好きな旋律があり、その中に自分をおきたいから聞くのか、演奏会場ではみなまじめな顔つきで聞いているが何をおもい聞いているのか。この第一番は5番の運命や6番の田園、9番の合唱のように日本人向け副題が付いていない。専門家からみればこの1番はハイドン、モーツアルトの作曲技法を引き継いだ交響曲として完成された逸品らしいが印象は薄かった。

<交響曲第二番>
1803年に完成、初演はウイーンで翌年行われた
随所に9番を思わせるフレーズが登場するね。第二楽章は田園的雰囲気。旋律の美し出有名らしい。だが感銘レベルに至らず。

<交響曲第三番 変ホ長調作品55「英雄(エロイカ)>
1804年の作品。フランス革命の影響、ナポレオンを尊敬して書いたとか?
第二楽章の葬送行進曲が有名。

<交響曲第四番>
1807年、ベートー円37歳の時の作品。シューマンが二人の北欧神話(3、5番)に挟まれたギリシャの乙女と伝えたらしいがそれらしい副題がついていたらもっとポピュラーになったかもしれない旋律を含んでおり又聞きたいと思った。

<交響曲第五番ハ短調作品67(運命)>
日本で一番知られている交響曲。しかし運命交響曲といっているのは日本だけ。最初の「ダダダダーン」の出だしが運命の扉をたたく音だとベートーベンが弟子に言ったとか言われ日本では副題に運命がつけられたとか。五番だけは第一楽章から第四楽章まで主だったメロディは覚えてしまっているくらいよく聞いた。中年男の願望の一つに大オーケストラを指揮してみたい、指揮者になりたいという夢をもっているとか。五番を聞いているとついつい指揮棒をふるしぐさをしてしまう。いろんな指揮者の五番を聞いたが小沢征爾指揮のサイトウキネンオーケストラはカラヤンのベルリンフィルに似て、スピーディで華やかな演奏であった。なかなかグーだ。
初演は第六番と一緒に演奏され5番と6番が逆で、もろもろの状況が重なり失敗に終わったがその後、評判がたかまり5番は後世の作曲家のモデルともなるベートーベンの最高傑作となった

<交響曲第六番(田園)>
1807年から8年にかけて五番とともに作曲され、8年に同時初演、当初は田園が5番であとに「運命」が演奏された。通常の交響曲と異なり5楽章からなる。平和な気分にさせられるなじみの曲だ。
各章にタイトルがつけられ、第一楽章は「田舎に到着した時の晴れやかな気分」。なじみの軽い叩く動機づけの親しみやすいなじみのメロディではじまる。
第二楽章は「小川のほとりの情景」終結部はオーボエやクラリネットで鳥の鳴き声が表現される。第三楽章は「農民たちの楽しい集い」その集いを打ち破るがごとく第四楽章「雷雨」が短く激しく演奏される。そして第五楽章「牧人の歌―嵐のあとの喜ばしく感謝にみちた気分」自然への畏敬と感謝の牧歌が奏でられ、おだやなかホルンで終曲となる。ストーリーがあり、目をつぶってイメージしながら聞ける典型的なクラシックだね

<交響曲第七番>
1812年、ベートーベン42歳の作品、13年ベートーベン自身の指揮で初演。伝統駅作曲手法に戻った作品とされ、第二楽章が圧倒的支持を得たとされる。全体にスピーディでエンディングでクライマックスに達する。小沢征爾の髪ふりみだした指揮をみて聴衆はスタンディングオベーションしている姿がうかぶ。バレーボールの試合でサーブ、レシーブ、トス、スパイク、ブロック、トス、スパイクと盛り上がってゆく感じに似ている。
<交響曲第八番>
1814年の作品。重厚なベートーベンに似合わないような明るい感じ、ユーモアのあるとぼけたような感じがする交響曲。

<交響曲第九番ニ短調作品125(合唱)>
ベートーベンが20代の頃からシラーの詩「歓喜に寄せて」に感銘をうけいずれ曲をつけてみたいと思っていたらしいが実際に作曲にとりくんだのは1820年くらいからで初演は1825年に行われた。第四楽章に合唱をくみいれた画期的な交響曲でワーグナーやリストなどロマン派の作曲家におおいなる影響をあたえたベートーベンの偉大な交響曲だがこの時すでに耳は完全に聞こえなかったと言われている。
第九と言えば年末の定番、恒例行事ともなった。これも一度は合唱に参加してみたいと思う人が多いのではないか。私もその一人だが・・・いつぞやのTV番組で第九のフィナーレで演奏が終わった瞬間、「新年あけましておめでとうございます」となる感動の演出をしたことがあったが大晦日はほとんど第九を聞いて締めをするようになっている。
とにかく時間貴族の特権をいかしてまずはベートーベンの交響曲をみんな聞いてみたが聴くサイドの心象風景と曲の構成、メロディ、楽器個々の個性などのフィーリングがあえば一体化できていいのではないかと思った次第。
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