ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

東日本大震災、死者1万人超、ただ祈るのみ。伊集院静怒る!

2011年03月26日 | 辛口ひとりごと

 東北関東大震災(東日本大震災)から2週間がすぎた。死者1万人超、行方不明者をいれると3万人になんなんとする。ニュウジーランド地震の被災者の数からするとまさにけた違いの数字だが一人の命の重さは同じ。書棚を整理していると「関西大地震に学ぶ」とするAERAの緊急増刊号がでてきた。まったく偶然だがおどろく。あの阪神淡路大震災をはるかにしのぐ今回の千年に一度の巨大地震。あまりの死者数だがだんだんその数字に麻痺してくる。放射能の汚染も通常の1万倍などといわれるとびっくりするが元の数字が微量すぎいたずらに1万倍で不安感をつのらす。マスコミ報道の責任、政府発表の責任、これは非常に思い。当事者以外の言動はまったく空虚。あの真っ黒の10メーターをはるかに超す波の壁の恐怖は当事者しかわからない。だからひたすら祈るしかない。しゃべる言葉はすべて空虚。

 仙台在住で今回の巨大地震を実体験した作家の伊集院静氏が週刊現代で8ページにわたり「宮城からみたこの国」と題して怒りのレポートをしている。氏のエッセイなどは人生、人間を知り尽くした味わいでよく読み、共感をする作家だ。その作家が仙台の自宅で執筆中に被災。まさに迫真のドキュメントを展開してくれている。まさに太平洋戦争以来の残酷な焼け野原が一瞬のうちにできてしまった驚愕。
 それをばかなマスコミ人種が・・あの津波を「映画をみているようです」と話す無神経なキャスター、化粧して被災地でレポートする女子アナ、現地に入って居眠りする副大臣・・石原東京都知事がこの震災は物欲、食欲、性欲、金欲、名誉欲にこりかたまってきた日本人への天罰だといってひんしゅくを買ったらしいが、原発絶対安全と称した東京電力、原子力保安院の傲慢、10メーターの防波堤への過信などあながちはずれてはいないかもしれない。しかし大多数のまじめな東北エリアの国民が理不尽な仕打ちをうけた。そんななかでひたすら運命をいきどおり、はたまた甘受し、だまって耐えておられる。世界を驚かせる日本人の冷静さ、英知、人生観。

 一夜明ければ、家の土台だけを残して、家族も財産もすべて流されてしまった人の気持ちはいかばかりか、想像を絶する。市役所もながされて住民基本情報もゼロ。どこからどう立て直してゆくのか、政府の迅速な救済策と被災をのがれた他県民が今までの生活リズムを見直し、日本再生に立ち向かわねばなるまい。電力、水、災害対策これらインフラの整備は国家の根幹をなすもの、あらためて政策の見直しが必要だろう。
 今はひたすら祈るだけ。
日本国民一流、財界三流、政治四流。この流れは変えねばなるまい。」
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震災対応に机上の理論はNo!、だがTV報道にいらつく。

2011年03月17日 | 辛口ひとりごと

 写真は長崎の大波止、出島につながる風光明美な港町。ここに県庁新庁舎の建設が計画されている。地震、津波対策大丈夫かとさわいでいる。県側は地震発生のなんとかプレートは近くにないから津波はこないと答えているらしい。あれだけの津波先進エリア三陸でも想定外な津波にやられた。10メートルの防潮壁に千億超かけたがだめだった、しかしなければもっと被害は拡大したと報ぜられている。福島原発も7メートルの津波を想定したらしい。命綱の電源がすべてやられた。長崎もいい加減な論議はすべきでないと思う。津波はこないんではなく、来るかもしれないことを前提に建築対策、市民教育が必要ではないか。

 ここ数日TV報道を朝から晩まで聞いていてまったくいらつくことばかり。地震と大津波に襲われ、命からがら避難してきた人々、水なし、食料なし、毛布なし、おむつなし、薬なし。おまけに寒波襲来、悲惨である。ぬくぬくとすごしている我々、申し訳ない気持ちになってくる。空調は切って、石油ヒーターにかえる。ボーリング同好会もしばらく中止にした。友人から不要な毛布などあったら提供してくれませんか、薬剤師会が粉ミルクほか鳥栖から送るらしい。TV報道では物資は豊富に集まっている。が運送経路が確保できていない。それぞれの避難所が何が不足しているのか、連絡がつかずわからない。福大の医療支援チームが被災地に飛んだが3日現地にいて、重傷者が一人も来ず帰ってきたとか。原発事故のおかげで動くに動けない。携帯はつながらず、ガソリンがなく道路もがれきの山で動けない。

 震災時、震災後のリーダーの判断。生命第一など言うまでもない。そのために何をせよと命ずるか。避難するにも救助するにもまずは道路からがれきを除き補給路、救済路を確保させる。つぎに通信手段の確保、携帯各社をふくめ国をあげて対処させる。最大規模の自衛隊派遣である。今回はこれらの活動のすべてを無にきせしめる原発、放射能問題が勃発。ということはこの問題に国、民間、さらには世界の英知をあつめて対処することが最重要価値判断となる。

 今日は燃料棒を冷やすため空と陸から水を放水するという。防衛相いわく今日が限度だから無理してもヘリから放水する。午前中4回放水、風で流れて効果不明。15時ごろ、警察庁の放水車が現地につき、東電の作業員を避難させて5時10分くらいから放水開始できそうとNHKアナウンサーが発信。実際は6時半、しかも3号炉に届かなかったとのこと。遅れたのは放水してもし水素爆発したら破片はどこまで飛散するか検討していたとのこと。時間との戦いのなかでそんなことは行く前に検討しておくべきではないか。放射性物質が出ている中で理屈通りいかないし隊員の安全確保が優先ということかもしれないがあまりにもじれったい。あとに続いた陸上自衛隊の特殊消防車5台が30トンの水を3号炉のなかに放水に成功したらしいが効果測定は明日か。NHKも10分後と言っておきながら遅れている理由を確認しようともしない(6時なっても放送なし)
 今、一番大事なことに総力集中し、突破口にするという姿勢が必要で、その行動をタイムリーに国民に伝える。海外の日本への評価は政府は後手後手でだめ、しかし国民の柔軟性と我慢強さは世界1だと再認識。世界1を標榜する日本の原発技術は地に落ちた。これからの新原発の建設は難しくなるだろう。湯水のように電気をつかう今の生活を我慢してかえるしかない。
 それにしても、5000人以上の死者がでて、行方不明をあわせると1万人をはるかにこすという。30万人以上の被災者が過酷な避難生活をしいられておられる。大変なことだ。1日もはやい、補給路、連絡網の確保と物資提供がすみずみにいきわたるよう祈りたい。
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110311 十数年ぶりの長崎、浦上天主堂下の焼き鳥屋で東北関東大震災勃発を知る

2011年03月14日 | アフターセブンティ


十数年ぶりに長崎を訪れた。筑紫野高速バス停10時16分九州号にのりこむ。でがけにバイクのスタンドで左足くるぶしをうった。バスでみてみると赤黒く腫れている。
12時半に長崎につく。駅の雰囲気は十数年前とはだいぶ変わっていたがまずはドラッグで腫れ止めの薬を買いサージカルテープでとめる。長崎まできて吉野家の牛丼を食う必要はなかったが時間もなかったので簡単にすませ、さっそく26聖人殉教地へ向かう。今回の目的は長崎チャーチを撮影すること。左足に痛みはなく歩ける。
 250年のキリスト教弾圧の中で地下深く信仰を続けてきた26聖人の石像ができている。祈りのテーマで26人の合掌する手に焦点をあて撮影。

 観光案内所で地図をもらい、大浦天主堂に向かう。駅前から市電1番にのり築町で5番に乗り換え大浦天主堂下で下車。乗り継ぎ券をもらうと120円でいけた。坂道をのぼり天主堂にむかう。撮影用の顔なし竜馬像がある通りをのぼると天主堂下に出る。正面にマリア像がある天主堂、中にはいると荘厳な教会、ステンドガラスごしに明るい光がはいってくる。厳粛な雰囲気にうたれる。
海岸通りの港風景をカメラにおさめ浦上天主堂にむかう。再度市電にのり、出島、大波止、駅前をすぎ松山町で降りて、原爆投下地をみて、天主堂下までの坂をのぼる。東洋1のロマネスク様式の大聖堂、ここも素晴らしい建築物だ。原爆で投下したドームの一部も残されている。聖堂下の公園で子供たちがサッカーに興じている。一見平和な風景だが殺伐とした日本ではある。夕暮れの教会をとるため時間があったので、坂をおりたところに居酒屋の看板があったので腹ごしらえにはいる。

 なんと大津波にのみこまれる東北三陸沖大地震の模様がテレビで放映されていた。なんということか。あまりの大自然の猛威に言葉もない。三陸周辺は津波には過去の歴史で壮絶な体験をしている土地柄、10数メートルの防御癖も構築されていたらしいが、想像を絶する大津波がその壁をあっというまに乗り越え、車や家をなぎたおし人をも飲み込んでゆく。言葉をなくす惨状だ。そこそこの腹ごしらえを終え、夕暮れの天主堂を撮影し、駅前から高速バスで帰路につく。22時帰宅したが、さらに深刻な被害状況が放送されていた。
 

地震発生から3日、死者は1万人を超えるという。マグニチュード9.0、大津波、広域、石油コンビナート火災、福島原発放射能漏れ危機、空前絶後の大震災。日経平均も大暴落。世界初の計画停電。明日から冬に逆戻りの天気予報。水なし、食料なし、毛布なし、ガソリンなし、家族と連絡とれない、大変なことだ。被災地の方々には頑張ってもらうしかない。これだけ技術の発達した今、いつも電話がつながらない。つまらない技術力だ。原発対策もなんかもたもたしている。
 Goo、楽天銀行経由で気持ちだけだが募金をさせてもらう。あらためて地震は日本のどこにいても被災する可能性のあることを認識し、こころの準備をしておこうとおもう。
 

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孫娘、桃の節句に来る!

2011年03月03日 | マイ家族

 長女が子供をつれてやってきた。車で15分だから一緒に住んでいるようなものだが妻にとっては疲れはするが楽しいひと時。長女は4歳、春から幼稚園、去年生まれた長男は4カ月、ともに健やかに育っている。今日は桃の節句とてみんなでやってきた。先日苦労してつくった雛飾りが本番を迎えた。

節句というのは季節の節目に身体の穢れをお祓いするために平安時代からあったらしい。人日(1月7日、七草がゆ)、上己(3月3日、桃の節句)、端午(5月5日、端午の節句)七夕(7月7日、七夕祭り)、重陽(9月9日、菊の節句)の5つ。桃の節句は女の子に災難がふりかからないようお雛様が身代わりになってくれる、厄除けの守り神としての意味から流し雛の儀式が行われたのが起源とのこと。それが時代の変遷とともに雛飾りをして、女の子の健やかな成長を願う行事として現在にひきつがれているのだが住宅事情や時代の喧騒感の中で、その良さが見失われがち。
 チラシ寿司やハマグリの吸い物、デザートにいちごなどが雛祭りの定番料理。昔からのしきたり、行事を家族でおこない、子供の成長を確認できる幸せ感というものを、もっと見直すべきであると最近とくに思うことしきりである。
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