早いもので孫娘が今日、小学校を卒業した。式は両親がでて、われわれ老夫婦は孫息子と留守番。11時50分からの卒業生見送シーンだけ撮るつもりで娘宅に朝一で出かけた。
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でかける夫婦の後ろ姿にはなんとも言えない感慨を感じるね。娘が成人するまでまだまだ長い人生だが・・「歩み」という通知簿を見る。6年生の1~3学期終了。担任の先生のコメント。先生も大変だね。ひとりひとり良く観察していないと1クラス30名、きっちり書き分けられないのではないか。昔の5点法と違ってぱっと見わかりにくね。
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入学時と卒業時の身長差から6年でこれだけ伸びましたと細長い紙が貼ってあったのはおもしろかった。11時すぎ学校にでむく。
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クラスで先生の話があっている時間。そのあと体育館にあつまって集合記念写真らしい。
7年前、頼まれて糸島のN小学校に卒業式の1日を撮りに行ったことを思い出す。20数名の卒業式で涙や笑顔の感動の卒業式であった。いまは近くの学校と合併されているはずである。地域一体となって子供の教育に当たっておられた記憶がある。
昔の卒業式のイメージは?「仰げば尊しと蛍の光」のイメージでどうしても湿っぽくなる。ふと思うのは卒業式と言わずに卒業証書授与式というようになったのはどういうわけなのか?
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式に出席した夫君と話したがなにか淡々とした進行であったらしい。とにかく6年間の義務教育は終わりましたよ。その証の卒業証書を渡しますよと言った感じなのかね。3月の行事予定のボードには卒業式と書いてあった。この使い分けがなにやらうさんくささをかんじないでもない。
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それはともかく在校5年生が花のアーチをつくってその下を担任の先生と卒業生たちが晴れがましい顔つきでやってきた。FZ300の暗いファインダーで目をこらしていたのだが夫君と孫娘のペアーは撮り損ねてしまった。突然目の前に夫君が現れたのには驚いた。
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孫娘のランドセルには友達や先生の寄せ書きが描いてあった。これは驚きでしたね。私の現役時代のスクールものセミナーでは修了式で色紙に寄せ書きをしたものだ。
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学校の通用門前では恒例のもろもろグループの写真撮影。卒業生はそれぞれ希望の地域の公立中学や独自に私立中学に進学する。卒業生100人が4月から3つに分かれる。いかなる学生期が展開されるか、この段階で生まれた家庭環境の差がでてくる。
家に戻り恒例の玄関まえ記念写真。晴れやかな孫娘の顔がそこにあった。このあと親友の卒業生と近場で食事をしに出掛けるとか。思春期のはじまりだね。
私の場合、敗戦後の昭和28年の入学式、34年の卒業式、残された写真もわずかだし際立った思い出というのが浮かんでこない。それにつづく中学入学、そして卒業。なにか平板な感じ。高校1年。これは校区がひろがりいろんなところから生徒が集まり新鮮な感慨があったことを想いだす。とくにきらきら輝く女生徒には・・である。通学電車の先頭車にあこがれのダンス部の彼女。2年、3年は朝のひと時がときめきの時間であった。しかしそれも大学受験期を迎えると灰色に変化していった記憶が漠としてただよっている。思い出すのはジャストタイミングで舟木一夫の高校三年生がヒットし、その年の体育祭でフォークダンスを踊った・・・まあこの程度でしたね
孫娘がこれからどんな人生を展開してゆくのか、私が80歳の時、孫娘は花の18歳だね・・・