ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

プリウスパワーモードで竜岩自然の家へ、観鳥会

2010年11月29日 | 趣味と交遊

 第四日曜日、朝9時10分出発。今朝は寒い。ちょっと着こんでプリウスにのる。自然の家まで登りの道がつづく。プリウスには通常のソフト走行意外にパワーモード、エコモード、EVドライブモードの切り替えが可能。はじめてパワーモードのスイッチを押す。アクセルのレスポンスが急に良くなり、上りこう配の曲がりくねった道をすいすいパワフルに走ってくれ、10分くらいで自然の家についた。なかなかのパワーであった。満足。
 天神と筑紫野で2度、筑紫野と竜岩で2度くらい温度差がある。聞いてみると今朝は1度くらいだったらしい。どおりで寒い。今日のバードウオッチングには講師も含めて10名。8倍の双眼鏡と500ミリの望遠を装着したデジカメをたずさえ出発。風があるので体感温度がさらに寒く感じる。
 最初にわれわれを迎えてくれたのはジョウビタキ。すずめ目、ヒタキ科に属することりで尾羽を上下にぴんぴんと振りながら「ヒツヒツヒッツ」となく。柿色の胸毛と背中の白い斑点がよくめだつ。全長14センチくらいで冬の庭先にもよくあらわれる。縄張りをもっており、庭先でみれたら同じ個体とおもってよいらしい。その後、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シジュウカラ、ジョウビタキ、メジロ、モズ、ヒヨドリ、カワガラス、ホオジロ、ハイタカなど24種が目視で来た。といっても自分で見つけられたのは半分くらいで野鳥の会の講師がめざとく発見、スコープで見せてくれる。
 レンズをのぞいているときは浮世のことは忘れる。約2時間半のウオッチングだったが寒さにもめげずあっという間におわった。
 かえり、コンビニにより、おでんとおにぎり二人前を調達して帰宅、日当たりのよい部屋で妻と昼食。ちょうどよい量の昼食。暖かい我が家があるのがありがたい。さあ午後はなにをするかな・・・
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燃える紅葉、枯れる前の冬支度は鮮烈に!

2010年11月27日 | 趣味と交遊
 
この時節、アマチュアカメラマン(中高年、リタイア族)の行先は紅葉の名所である。人並みの時間に訪れては不作法な観光客に邪魔されてろくな写真はとれない。そこは時間貴族のリタイア族は有利なのだが天気の加減もあるので土曜日だったが早々に紅葉の名所、太宰府天満宮に隣接する光明禅寺にでかける。9時半着、まだひとはすくなかったが曇りがちで透き通るような紅葉はとれない。10時を過ぎると観光客で混雑してくる。また日を改めよう。
 そもそも紅葉とは木々の冬支度である。気温が下がってくると養分や水分を運ぶ経路が閉ざされ葉緑素が壊れて葉から緑色が消えてゆく。黄色くなるのはカロチノイド、赤くなるのはアントシアンという色素ができることにより変色し、一時期ぱっと輝き落葉してゆくのである。カメラもそのあたりの樹木の生きざまをとらえたい

日をあらためて26日の日に観世音寺にいってみた。太陽がでてくれて、逆光で紅葉の燃えるさまをキャッチしたのがこの写真。燃えて落ちる。この散り際は人間もかくありたいものだ。ライトアップされて幻想的な紅葉の夜景がテレビでながされ、一方で北朝鮮の砲撃事件が流されている。平和ボケの国、日本ではある。
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待望の新型プリウスSを入手。

2010年11月20日 | アフターセブンティ
 
 9月中旬に発注したプリウスがやってきた。7年前、妻が発注したプレミオ、5月に車検がくるし、先述の後ろ左バンパーの損傷などがあり、前から営業マンに勧められていたこともあり、この際買い替えることにしたもの。納期が3カ月近くかかり、そんなに売れているのかなと思うが要するに少しくらい待ってもらうレベルの生産能力におさえておかないと世界のトヨタといえど何がおこるかわからないご時世だからであろう。プレミオはまだ22000キロくらいしか走っていないがいわゆる飽きがきたということもある。プレミオの前は日産のプレセアだったがなぜか車の名前はPが多いね。販売店で新車と対面、ブラックのボディカラーのフロント正面にトヨタのエンブレムが付いているが中の水色が輝いてかっこいい。

 さて、なぜ、プリウスかということだが要するに燃費ということになりそう。リッター20キロ以上だからガソリン代が半分で済むということ。ネットでのユーザー評価もそのあたりに集約されそう。コックピットも従来車の速度計、タコメーターがなくデジタルでの速度表示、現状の燃費、エコドライブコントローラーなど環境優先車らしくなっている。急発進急加速などせずゆっくりエコドライブしましょうというコンセプトだね。まあ元気なつもりでも65歳だし、目もしょぼつくから仕方ないかね

ハッチバックの5ドアでテールランプが縦にならんでいる。白のボディだとデザインにめりはりがつかないので黒にしたがまあこんな感じ。車の幅は外目では縦細の感じだったがプレミオより5センチ幅がひろい174センチは意外だった。したがって後部座席も思ったよりゆとりがある。せっかくの買い替えなのでナビもつけて4か所接近警報センサーをつけた

ぴっかぴかにコーティングされているので、乗るのに緊張する。事故でも起こそうものなら女房から何を言われるか知れたものじゃない。まずは寄り道せず家に帰ることにする。さっそくナビを使う。目的地を自宅に設定し、CDもセットする。軽快な音楽とともにナビの女性の声でスタート。無事、帰宅、車庫にしずしずと車をいれ、ほっとする。興奮した十数分のドライブだった。
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武蔵寺での千年の歴史をつなぐ写経埋納法会に出席

2010年11月17日 | アフターセブンティ

 武蔵寺で年1回11月に行われる写経の埋納法会に出席した。前に紹介した毎月第一日曜日の写経会で書写された般若心経を1年分、昭和43年に発掘された武蔵寺裏山の経塚に経筒にいれて埋納する行事である。
 昭和43年に1094年の銘がのこった平安時代の経塚が発見され、現井上住職の父上が写経を現代に復興させたいという思いでその年に写経会を始め、11月に第一回の写経埋納法会を行い、今年が43回目の法会を迎えたという伝統の行事である。

本堂でのご本尊ご開扉法要、写経法要、ご詠歌奉納の後、裏手の経塚に登り、写経埋納、経塚法要がおこなわれ、写経が納められた経筒が1Mばかりほられた穴に埋められ
参会者ひとりひとりスコップで土をかぶせてゆき、無事埋納法会が終了。また来月から心静かな写経会を重ねることになる。
 般若心経は600巻もある大般若経のエッセンスをあつめたものだとされ本文わずか266文字で花のお経ともいわれ、宗派を問わず、読経しても写経をしてもよいとされている。その言わんとする真髄はこの世は無常と無我である。ひとつとして同じ状態が続くものではなく必ず変転してゆく。盛者必滅、夜の明けない日はない、だから物事にとらわれていけない、あるがままでいよ。さらに何一つとして自分だけでできるものではない、人様の協力でことがなされる、だから常にありがたい、お陰さまでという気持ちを忘れず生きなさい。すべての人間の苦や不平、不満のもとは人との関係においての恨み、ねたみ、つらみ、おごり、我欲、執着心などとめどもない煩悩である。わかっちゃいるけどできないのが人間だが、般若心経を無心にとなえ、写経をすることにより心が鎮まるというわけだ。
 静かにゆくものは、遠くまでいける!
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嵐のような主役が二人去り、静寂の二人残さる

2010年11月15日 | アフターセブンティ
 
長女が二人目の子供を出産して静養のため帰ってきてからの1カ月は実にめまぐるしく人生の悲喜こもごも、生老病死が高速回転していった感しきりである。長女は3時間ごとに泣く赤ちゃんの世話で手が離せないし、好奇心旺盛な三歳の女の子の面倒見はもっぱら我々夫婦で担当、その間、妻は毎日午後3時間は病院にいき、病気入院中の母親の看護をし、送迎はわたしの役割で、その間、私は孫と遊んだり夕食の段取り、妻が帰って食事を作り、夕食をワイワイがやがや。終わったら後片付けをし、今度は風呂。まずは私が10分でさっとあがり、長女が入った後、妻と孫娘がはいる。長湯。そのあと洗面台で赤ちゃんの入浴、妻は孫娘が寝るまでお相手、くたくた。その間風呂の残り湯で洗濯、9時ごろやっと孫娘は眠りにつく。そして風呂掃除をして10時ごろ静かになる。朝は7時半に孫娘に起こされまた同じリズムで1日が始まる。

 そんななかで義母が95歳の天寿を全う、お通夜、葬儀とがらっと悲しみのモードに180度チェンジ、久しぶりに身近な親戚がつどったがそれぞれの世代でなに思いどう感じたか。今、にこっと微笑む遺影のなかの義母と対面しながらこの1カ月の生老病死を考える。産後の1カ月も無事、母子とも元気で安心する。そして父親が迎えにきて、家族4人で帰って行った。

 48坪くらいある広い家に夫婦が二人、38年前の新婚当初の状態にもどる。もっとも新婚当初は2Kの公団住宅で狭いながらも楽しい新婚生活であったが、今はだだっ広い家に静けさだけがただよう。なにか嵐のあとの静けさ、虚脱状態にあるような感じ。
妻も今は喪中だが長い間の介護生活から解放され、こっちも会社をリタイア、縛られることはなくなったのだが、はたしてこれからどうするか。いずれにしても今年いっぱいはお互い静かに時を過ごし、身辺の整理をすることになるだろう。

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地域の市民文化祭に写真出品

2010年11月13日 | 趣味と交遊


地域の市民文化祭に所属する写真クラブが出品。いつも例会につかっているコミュニティセンターが会場。前日に設営、搬入、展示を終了、13~14日にかけてガーデニングから水墨画に至る26のクラブやピアノやカラオケ、日舞など36のサークルが日頃の研鑽成果を発表する。
 去年の春、地元の写真クラブにはいって初めての出品がこの文化祭だった。今年は「新年を待つ観世音寺」を出品。
去年の大晦日、夜の11時ごろ、ライトアップされて金色堂のように輝く観世音寺の新年をまつ静寂の雰囲気を描写。しんしんと冷え込む中で除夜の鐘が打たれ始めた中での撮影であった。そんな時に携帯がなり、義母が救急車で運ばれ、元日の昼まで対応に追われたことをあらためて思い出される。カメラはペンタックス20D、絞り優先F4.5、シャッターは4分の1、ISO400、三脚使用。
 20作品が出品されているが力作ぞろいだ。「姿見」という作品などはトンボの影が葉に映っているのをじっと見ているような作品だが決定的瞬間をとらえるまで3日通ったというからその執念はすごいね、感心する。いずれにしても見る者をして感動してもらうには撮影者の感性と準備と粘りがものを言いそうである。
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笑顔No1義母、95歳で安らかに逝く!

2010年11月10日 | マイ家族
 

 朝8時、病院からTEL。血圧が降下しています、すぐご家族のかたがた病院にきてください。関係者に電話して、急ぎでかける。意識がない、半こん睡状態と主治医が言う。のどはまだ呼吸している。看護婦がきて脈をとる。弱い。先生を呼ぶ。11時46分。心電図の表示が一直線に。心臓が止まった。主治医が苦しみはありません、よくがんばられました。95歳で天にめされた。どこの病院にはいっても笑顔がすばらしく人気ナンバー1の患者であった。妻が十数年献身的に看護をつづけた義母がなくなった。なにかあっという間のできごとだった。
 大正14年鹿児島に生まれ、熊本に移住、結婚し、満州に移住、終戦をむかえ苦労して子供を3人育て、夫は68歳でなくし、自身は95歳の天寿を全う。一時期、長男夫婦と同居、その後長女(わが妻)と生活を共にしてきた。80歳の頃に靴下をはくときにころんで大腿骨折(右)、数年後左足も骨折し車いす生活に入った。階段エレベーターを設置し、デイケアに通い、どこでも笑顔をわすれず人気者だった。
 が、耳も遠くなり、顔面神経痛の痛み、足も不自由だったが胃腸は強く我々と同じ食事、飲み物。生活リズムも我々と同じで、定時朝食、10時には般若心経、お茶をいただき、テレビをみてマラソンなどしっかり応援していた。耳が遠い、体が動かない、家内も大きな声でやりあう。義母もつらかったと思う。そばにいる私は無理強いはしないでよいと思っても家内からすればきっちり食事させないと体力が低下しますます弱るという。医者もしっかり食べさせなさいというものだからしかたない。妻も看護にかかりっきりで大変だったと思う。そんな義母が天にめされた。95歳、大往生だ。鼻からパイプで栄養剤を投与されて、命をたもっていても生きる喜びがかんじられるわけがない。
 通夜がなされ、住職の読経をききながら無常観におそわれる。近親者だけの通夜ぶるまい。夜を徹していろいろ語り合う。子供、成人、中高年、いろんな世代の人間がよりそい義母の死の前につどう、死に化粧された老母が若かりし頃の表情を垣間見せ、静かに横たわっている。残された面々がどんな思いでみつめているのか。ほとんど寝ずの通夜がおわり、翌日、故人との最後の別れの膳(おとき)をいただき11時から葬儀がはじまる。曹洞宗の僧侶二人がこられ、読経、鐘、どら、四竹?、中国仏教の匂いがする葬儀、焼香が終わり、斎場の司会の女性のお別れのメッセージ、私のとった二年前の太宰府政庁跡の桜をバックにした故人のこぼれるような笑顔の遺影。スマイルとやさしさでまわりを明るくしてきた女性が今、天にめされて浄土に旅立たれます。思わず涙がでてくる。出棺の時がきて、参列者が花を遺体に順にたむけてゆく、涙があふれてくる。
霊柩車にのせ、見送り、近親者は火葬場にむけ後を追う。
 火葬場につき、最後の別れをおしみ、遺体は窯のなかに入れられる。1時間後、お骨となった故人と対面、全員で骨ひろいをする。子供たちは一体どういう気持ちを抱いてこの場面をみているのだろうか。
 帰宅。清めの塩で家にはいり、後飾りの祭壇で遺影をながめる。無の境地。去年の年末、救急車で運ばれ、元日のお祝いは昼から始まった今年のスタートを思い出しながら
母と娘が精いっぱいともに生きた、なんの悔みもない静かな今を迎えたという感がしみじみと湧き上がってきた。
 あすから新たな生まれ変わりの生活が始まることであろう
 
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2000万本のコスモスから英彦山夕日まで撮影ツアー楽しむ

2010年11月05日 | 趣味と交遊

 所属する写真クラブで撮影旅行に出かけた。メンバー16名、早起きは得意。近所の住宅団地前に7時15分集合、なんと本ぶりの雨。予報では曇り晴れのはずであったが。高速で日田ICまででて国道212号線で中津方面へ。雨はやみ晴れ間が見えてくる。二時間で中津市三光のコスモスセンターに到着。2000万本と称される日本一のコスモス園。どう写真表現するか、広角、望遠、マクロ、逆光、ローポジション。バチバチ撮りまくったがどれだけ差別化できるか自己表現できるか?きれいに撮るのはだれでもできる(最近のデジカメでは一眼だろうがコンパクトだろうが)掲載写真はとにかく広角で広大さを撮る。

道の駅やまくにで食事。そばセット750円注文。20分待った。ボリュームはあったが大味。そうそうにかかしワールド会場に移動。町をあげてかかし祭りに参画しており各家庭の軒先にもかかしでそれぞれ表現している。個性があってなかなかおもしろい。実りに感謝、かかしに感謝というわけだが被写体としてはどうか、飲んだくれの亭主がリアカーでひかれているのがあったがこんな亭主、別れてやる!といった説明文がかいてありおもわずニヤリとするが・・

つぎに立ち寄ったのは「アユがえりの滝」この手の滝や渓流はあちこちにあり、とりあえず、数枚カメラに収める。

中型バスで1時間、英彦山青年の家近くのすすき高原。雲からでてくる太陽の光がすすきに反射、きらきらしている。スキー場あととかでこんな広大なすすきの風景は初めて。

最後の撮影場所。英彦山、別所というところから日の入りを撮影。5時ごろ撮影場所を確保。気温が下がってきている。待つこと30分、震えがくる寒さになってきた。やっと撮影開始、10分ぐらいの勝負。200ミリくらいの望遠でISO100、絞りF8(絞り優先)でオートブラケットをかけて絞りを0.5レベルでプラスマイナス3マイ連射でとる。そのうちの1枚がこれ。まあ苦労した割にはこんなものかといった感じ。
一路帰路につく。小石原、秋吉、筑紫野へ。19時半帰宅。12時間コースの撮影会終了。費用はバス代3500円、食事ほか1000円。結構でした。
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40年ぶりの同志社カレッジソング、わが青春のノスタルジー

2010年11月04日 | わが青春の日々
 
わが母校、同志社大学のキャンパスフェスタと交友会福岡支部の総会懇親会がアクロス福岡国際会議場で開催され、40数年ぶりに大学の香りをかいだ。来春の入試を控えた学生、親など100名あまり、OB、大学関係者など300余名の集まりで盛会だった。グリークラブの合唱するカレッジソングを久方ぶりに聞いて、なつかしき青春時代の想いがよみがえり血が騒いだ。昭和43年に卒業して以来、ビジネスの世界に埋没、一部友人との賀状交換が継続するのみで接触はないに等しかった。勤務地が大阪から九州、沖縄など西日本中心になったため大学時代の友人との交遊は疎遠になってしまった。
 このフェスタは福岡県人に創立135年の同志社のよさを知ってもらうのが狙いで開かれたようだが、受験生へのアドバイザーとしてあいさつした3人の女子大生はなかなかはつらつとしたあいさつで大したものだった。政界、財界、官界との立ち位置のブレが目立つ昨今の情勢下で、「良心が全身に満ち溢れたますらおを育成する」として新島襄が設立した同志社、今こそその真骨頂を発揮すべき時が来たというわけだ。

 学長のあいさつの後、神学部OBで「知の巨人」インテリジェンスの雄として知られる佐藤 優氏の講演があり学生時代の思い出、神学部があってこそ総合大学、世界の読み解き方など知的情報の豊富さに圧倒される。やはり凡人とは頭脳構造がちょっと違うような感じで、どの教授の教えが自分の今を決めたのどうのとその記憶力はけた違い。ロシア、北朝鮮、中国の動きなど勘所の押さえるにはそれぞれの歴史体験がどう影響しているか押さえねばならないなどおもしろかった。
 講演のあと、交友会福岡支部の総会が開かれ新役員が決まったようだがOBは福岡県で1300人くらいいるらしいが今回100人の参加で43年卒業生など数人しかおらず、知ってる人はこの会を紹介してくれた人以外皆無で、さびしい想いがしたがリタイするまでまったく大学のことは頭になかったのだから仕方がない。
 場所を西鉄インに移して懇親立食パーティが開かれた。ここでもグリークラブの演奏からスタート、関係者紹介で時間がくったが約二時間行われ、最後にカレッジソングの合唱で終了。今後は福岡良心塾と銘打ち交流しているようなので、遅ればせながらぼちぼち交流を深めてゆこうと思う。
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