ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

三つ子の魂、百まで

2010年10月30日 | マイ家族
 
今、嫁いでいる長女が赤ちゃんと三歳の女の子をつれて、産後の療養に帰ってきており、そのおかげで孫娘と付き合う時間がぐんと増え、公園にいったり、図書館やショッピングセンター、遊園地、畑などなど行動を共にしている。
 先週の水曜日に太宰府遊園にいったが休館日で近くのアスレチック公園のパイプ滑り台などで遊んでお茶をにごしたが、しっかり覚えていて、朝になるたびに遊園地、遊園地とせがんだりする。天気もよくなり、次の週の木曜日に出かける。私より先に先に走っていき、今日はあいてるよとにこっと笑う。さっそく入場券と1000円の乗り物チケットを買い入場。真剣な顔つきで遊具をあれこれ見定め私の手を引いてゆく。これに乗りたい、あれにするといいながらゴーカートに乗ったりするがどうするのと操作を聞いたりしながら、なんでも自分でこなしてしまう。好奇心と不安感の揺らぎの中でどんどん吸収していってる感じがする。あっという間にチケットもなくなり、両替してのせる。もうお金ないよと言うと無料のないのと聞いてくる。いつこんなことを覚えたのかと思わず感じ入ってしまう。7~8種類の遊具にのって引き上げる。また来ようねと陽気なものだ。しかし木曜日ということもあるが客は2~3家族のみでこの遊園地、いつまで続くのか心配になる。
 
 三つ子の魂、百までというが2歳から3歳にかけての物事の吸収力はすごい。大脳の記憶細胞に砂漠で水が吸い取られるごとくどんどん記憶しているに違いない。この時期にこれからの人生をよりよく生きてゆくためのしつけをきちっとすることが大変重要であることを痛感する。この時期、夫は仕事にかまけ育児、しつけは母親任せがかつては圧倒的に多かったのではないか。母親の責務は重大。男は背中で教育するなんてうそぶいていたがそれではだめだね。この時期をのがしてはだめである。
 大脳生理学によると人間の脳細胞の数(3億余)は生まれた時は同じだが3歳前後で配線が決まり知能の構造が決定されてしまう。就学年齢になって出来が悪いのを嘆いても遅いという。
 よりよき人生を送るためのパスポートはなにか
1、おはようございます、こんにちは、ありがとうございます、すみません、おやすみなさいなどのあいさつ
2、使ったいすはもとにもどす、ぬいだ靴は出船の形にそろえる、あそんだおもちゃは後始末させるなどのけじめ
3、唇の端をうえにあげての微笑み
4、よいこと、してはいけないことの区別など身につけさせること。などなどである。
とにかく、ものすごい吸収力であること、あらためて感じた次第。
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出し巻き、野沢菜で熱燗2合、締めにざるそば。

2010年10月25日 | アフターセブンティ
 
 狂気じみた猛暑も過ぎ去り、朝晩しのぎやすくなり、熱燗がおいしい季節になった。天神に出た時、夕刻、ビジネスマンがまだ仕事をしている時刻に蕎麦屋にはいり、出し巻き、野沢菜でかん酒2合を、池波正太郎の鬼平犯科帳など読みながら楽しむ。アクロス福岡の地下に「そじ坊」という蕎麦屋さんがあり、大阪勤務時代も新大阪のその店をよく利用した。接客がきびきびしていて、中国人の女性スタッフも日本人以上のきめ細かい対応で気持ちがよかった。出し巻きがなかなかのものでわさびと大根おろしをのっけて食す。野沢菜も新鮮でなかなかうまい。

 私が蕎麦屋に通い始めたのは、池波正太郎、藤沢周平、佐伯泰英などの時代小説にはまりはじめてからで、文中に蕎麦屋の場面がしばしばでてくる。ソバが出てくるまで酒をちびちびやりながら、見張りをしたり、同僚と話し込んだりする。この3人の文庫本が7~80冊書棚にならんでいる。主人公は酒をこよなく愛し、人情味があり、しかも腕が立つ。私好みの人物像だ。
 蕎麦の粋な食べ方というのがある
まず海苔を避け、そばだけ数本口に含み蕎麦そのものの味や硬さ、喉越しを確認。つぎにつゆを徳利から半分ほど猪口にそそぎ舐めるがごとく口にして味の濃淡をチェック。
そして蕎麦を口に含み2~3回かみしめてそこに汁をすこしすすってのみ蕎麦だけの味からまったく別のふくよかな味覚が口中にひろがる(はず)。汁との相性が大事。
 そばを少なめに箸でとり、汁が濃いときは少しつけ、薄い場合はたっぷりつけて、音をたてて一気にすする。3~4回噛んでるうちにすすったっ時の空気が鼻からでてくる。この時こそが蕎麦の風味がわかる一瞬である。
 片手にそば猪口をもち、蕎麦をすこしつまんで汁にちょこっと付け一気にすすりこむ工程を一定のリズムを感じさせながら食べると周りの人も気分良くなる。テーブルに顔をつけた犬食いだけはご法度。
 最後に残った汁に蕎麦湯を足して最後の一滴まで飲み干す。これがそば職人への礼儀でもあるらしい。
 今頃、ビジネスマン諸氏は仕事でくたびれているんだろうなと思いながら熱燗を飲む。至福の時である。
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筑紫野市祭「二日市温泉&天拝山観月会」今年最後?の花火観賞。

2010年10月24日 | 趣味と交遊
 菅原道真ゆかりの天拝山頂上での観月会や天拝公園での花火などをメインとした筑紫野市祭りにでかけた。以前からこの行事のことは知っていたが見るのは初めて。あいにく天気がおもわしくなくお月さんンもぼんやりカサをかぶっていたが桜や紅葉の季節にまけないほどたくさんの筑紫野市民がござやブルーシートをひろげて気炎をあげていた。

 二日市温泉、同商店街、武蔵寺、天拝公園など筑紫野市を盛り上げようとする市の企画なのだろうが、俳句会、バザー、茶会、演芸大会などそれぞれのコーナーで粛々とわいわいがやがやと催されていた。市民も十人十色、いろいろだ。このチャンスを逃さず市会議員などものぼりをもって飲み会グループにあいさつにまわっている。

 天拝山は200Mそこそこの低山だが九州に左遷された道真がこの山にのぼって京都への怨念を発したとされるが普段は健康づくりにちょうど良い山である。武蔵寺のことはこのブログでも先に紹介したが、今日は句会が行われていた。そとからみていると何か暗い感じがしないでもないが、なかでは結構盛り上がっているのだろう。
 天拝公園の舞台ではヨサコイや和太鼓、道真ゆかりのだしもの、総おどりではなつかしの炭坑節などなどだされて、さすがに昔炭坑でにぎわった福岡県ならではの感があらためてしたしだい。8時40分にだしものが終わり、フィナーレの打ち上げ花火がはじまった。池の対岸に設けられた打ち上げ台から猛烈に花火が打ちあげられ、見物客からおおきな歓声があがっていた。ひとでごった返しているわけでないのでどこからでもゆっくり花火をみることができるので結構、花火見物の穴場だなと思った。

 今時、地域の祭りはどこも低調なようだがこの筑紫野市祭りは準備委員の方のご苦労もあるのだろうが結構にぎやかに行われていると感心した。来年は4歳の孫にもみせてやりたいし、どこからどんなふうに花火があがり、みれるかわかったので来年はベストポジションを確保して、花火のいちおしショットをものにしたいと思う。
ちなみに花火は三脚にデジカメをセットしレリーズをつけて、絞りはF8、シャッターは6秒でドーンとあがった瞬間にシャッターをおすと花火の光跡がとれる。バルブにして、シャッターを押した状態で、レンズの前に黒い厚紙で覆ったり外したりすると多重撮影ができる。
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今時、携帯を忘れたら?もと女性コンサルと空港で再会!

2010年10月16日 | アフターセブンティ

 私が拠点のマネジャーをしていたころ、二人の女子大生がはいってきた。二人ともコンサルタント志望で一人は立命館大学経済卒のHさん、一人は福岡大学商学部卒のNさんですこぶるアグレッシブな二人であった。

 Hさんとはコンサルティングや幹部教育で行動をともにしたが持ち前の積極性で受注のキーポイントとなるライバル調査を休日独断で実行、受注の決め手になった。幹部教育でもむくつけき男どもにしっかりインパクトを与えていた。

 もう一人のNさんも24時間仕事中心のプロ魂に燃え拠点戦力になるべく頑張っていた。もっともプライベートではどんな生活ぶりか不明ではあるが、男連中は休みなしの仕事ずけであったわけでそれにあわさざるをえなかった部分も多かったろう。Hさんは30歳で結婚、今パリに在住。Nさんは人材教育にあけくれた生活に終止符をうち35歳で結婚。女子社員教育などやらせたら十分プロで食ってゆける実力はあると思うが、私とは15年ほど仕事をともにしたことになる。その彼女から福岡に行くので1~2時間あいたいという。


 天神にでかける口実ができる御誘いはありがたく、妻とのスケジュール調整をしてでかける。ところが出発間際まで先約の白アリ調査を依頼しておったものだからそれが長引き、ばたばた出かける始末、西鉄特急にのりしばらくして携帯電話を持ってくるのを忘れたことにきずく。しまったと思ったがどうしようもない。

 飛行機の到着時刻にはつけるだろうとたかをくくっていたが、第二ターミナルと思っていたのが間違いで第一ターミナル着であることがわかる。あわてて向かったがすでに到着済みで乗客はすべて出てゆかれましたよと案内嬢。携帯のない時代はこんなことがすれちがいで人生を大きく狂わしたわけだが昨今は携帯があるおかげで待ち合わせで困るということは皆無になった。ところがその携帯を忘れたものだからどうしようもない。


 こんな時の原則はお互いにうろうろしないこと。どちらかが定位置におればさがしあてることができる。山で迷ったら位置が分かるところまで戻ることが重要なのである。そして到着出口で少し待っているとみなれた笑顔のNさんが出口からでてきた。福岡で2泊するということで小さめのキャリーバッグをもち軽快なスタイルの彼女、結婚して顔の色つやがよくなり新妻としての魅力にあふれていた。

 コンサルというしごとは外から見るほどカッコよいものではない。経営者と同じ姿勢で24時間ともにいるという基本スタンスがいる。おまけに事務所に帰ればコンサル会社としての業績維持業務がまっている。つまらん上司もいる。クライアントの業績、自分のつとめているコンサル会社の業績、ストレスはたまる一方。

 彼女も外にでれば生き生き教育コンサルタント、事務所に戻ると指示される立ち場になりストレスもたまる。それが今や愛する旦那さまと一緒に生活し十分睡眠もとり、いきいき生活しておれば肌のつやも良くなるというものだ。すべからくストレスが一番悪だね。
 

 ビールで乾杯、彼女の所望のうな重の昼食をとりながら歓談、ひさしぶりに波長のあう同志との再会で気分がやわらぐ。披露宴の写真など見せてもらいながら彼女が幸せいっぱいなのが実感として伝わってくる。今頃、前の職場ではセミナー動員や販促ツールづくりで感動レスの仕事をみんなやっているんだろうなと思いながら、しみじみ今のありがたさを痛感した次第。

 しかしまあ携帯は何が何でも家を出る時のチェックをやらにゃいかんね。いま携帯は日本で7000万台使えわれているらしい。サラリーマンが5500万人、自営業者が700万人、人口12000万人。子供を自転車の前後に二人のっけて母親が携帯電話しながら乗っている危うい日本、携帯の奴隷になっている日本人(世界も同様?)、やはり携帯がないと不便なんだが使いようだね・・・

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二人目の孫、誕生。誕生日は2010年10月10日。

2010年10月11日 | マイ家族
 人間の一生は生老病死、誰も避けて通れない。
筑紫野市民体育祭、御笠地区大会に出席、行政区対抗リレー予選で熱狂した後の昼食をとっている時、妻からTEL、嫁いでいる長女が二人目の子供の出産で入院した旨連絡あり。もう少しで4歳になる長女の面倒をみてやる必要があり、急きょ帰宅。リレーの決勝をみたかったが今はすべて家族優先、お先に失礼させてもらった。

 一人目は入院してから相当時間がかかり難産だったので今回も心配。母親(95歳)のつきそい介護に行っている妻を迎えに4時ごろ病院に行った時、長女のだんなさんからTEL、今生まれました。なんだかあっけなすぎて「ほんとに」と言ってしまったほどだが母子とも元気だということでほっと一安心、よかったと安どの胸をなでおろす。
 片いっぽうで病院のベッドで食事もできず、チューブから栄養剤を供給されていきている年寄りがいる。人間社会はじゅんぐりじゅんぐりだ。植物と同じように巡回している。生かされているうちはせいいっぱい人生を楽しまねばならないがベッドにくくりつけられていてはいかんともしがたい。

 妻を車にのせて長女の入院している病院にむかう。15分で到着。待機していた婿と握手、よかったね、おめでとう。出産予定日は18日だったが、1週間ばかり早かったようだ。身長50センチ、体重3344グラムの立派な男の子。長女の時は難産で2600グラム程度、ほんとにお猿さんのような感じの赤ちゃんだったがさすがに二人目は大きく、手指もしっかり開いており、出産後2時間とは思えない。看護婦さんが爪をきってやっていたがこれにもびっくり。しばらくして個室に運ばれてきた娘によく頑張ったね、おめでとうと声をかける。若干顔色が青ざめていたが元気そうだった。

 ほんとに出産だけは男は何も手助けしてやれないが、陣痛の苦しみで大きな声をだしたり、泣きわめくような声を聞いても男はおろおろするばかり。今回も婿が立ち会う予定で、その間長女を預かっておく手はずだったがタイミングがずれて生まれてしまったようだ。いずれにしても女性はたいしたもの。子供を産めるというのはすごいことだ。私自身のふたりの子供の出産の時は仕事でどうしても時間がとれず、たちあえなかったがさぞかし心細かったろうと今になってあらためて妻に申し訳なく思った次第。

 あくびしたり、手を握ったり開いたり、泣いたりしている赤子をみているとどんな人生を送るのかなとふと思ってしまう。弟ができた4歳の孫娘は神妙な顔つきで赤ちゃんをみているが口ではお姉さんだもんね、もう何でもできるよと強がっている。
 これで孫は二人になった。女、男と産み分けてくれて立派なもんだ。この男の子はしっかりした手をしているからきっと力強くたくましく、生きてくれるに違いないと思いつつ病院をあとにする。
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