ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

171030 車中泊撮影ツアー。ミルクロードを通って大津道の駅経由宇土、住吉海岸、海床路、のり網種付け現場!

2017年10月30日 | 軽キャン車中泊ドライブ

なんとなく身体がけだるいまま、ミルクロードへ。阿蘇大橋崩落で57号線は通行不可、ミルクロードで迂回して熊本市内に向かわねばならない。途中、豊前街道、参勤交代路、二重峠の表示。

(ペンタックスK3、タムロン18-200mm)

車をとめて観る。参勤交代で肥後細川藩主はこの道を通って鶴崎まで歩き、あとは海路を頼ったとか。

さぞ大変だったろうね。

11時過ぎ宇土の住吉海岸、長部田海床路に到着。これから干潮になり道が通れる。

(パナソニック、ルミックスFZ-200、35mm換算620mm)

沖合に海苔網を設置する無数の竿、その間を漁船が盛んに行き来している。とりあえずは海を眺めながら昼食弁当。のんびり、のどかなもの、まさに小春日和ではある。

場所を移動して撮影ポイントを探す。しかし遠い。カラフルな海苔網は見えない。どこか高いところに上る必要がありそう。

海床路の際に貝殻がアーティスティックに広げられている。写友が貝殻アートと銘うって作品にしていたやつだね。

漁師夫婦の会話が聞こえそう「ねえ今年の海苔の出来具合はどんなものかね、あんた?」。住吉公園まで車を移動、小高い丘はあるのだがいかんせん遠そう。

眼前の風流島(たばこ島)に真っ黒のウミウが数十羽。

 コンクリートの柱の上にカラスのような鳥が2羽。黒いのが近くにいたものだからてっきりカラスと思い込んでいたが帰宅後、パソコンでよく見るとひょっとしてミサゴではなかったか、ダイビング漁が見れたかもしれないのに残念なことをしたね。寝不足、疲れ気味で思考力がダウンして居ったに違いない。

 写友のTさんにTEL。彼は高台からのカラフルな海苔網漁の作品をものにしていた。JRの線路を渡った山道を車で登って行ったらしい。上り口は不明。それらしきところに行ってみる。踏切脇に老婆が休んでいたので聞いてみる。あそこを上がっていけるよ!有難う。

 進行。細い道、行けるのかな?軽キャン1台やっと行ける狭い道。あれ、藪漕ぎだ。不安になってくる。方向転換のため左サイドの空き地にバック。段差があったみたい。動かない!やばい!後輪が空転している。あせる!まわりには人がいない。車内に置いてあったレジャーシートを後輪にかます。ドライブにいれて2~3回トライ、やっと前進。どこで方向転換するか、あせる!

 2~3m後ろまでさがり右手に貝殻を敷き詰めた空き地、そこにバックでいれてやっと方向転換成功、いやはやえらい目にあった。よくよく考えればしかるべきところに車をおいて歩いて登ればよかったとあとで思う。さっさと諦めて住吉海岸公園にもどりコーヒーで一息いれる。今日は山道でケチがついたのでさっさと温泉にはいりに行こうと結論。「道の駅きくすい」にロマン湯がある。

501号線で有明海を左手に見ながら玉名方面へ車をはしらす。こちらからも遠方に海苔網がみえる。

15時半ごろ、「道の駅菊水」に到着。1~2度来たことがる。菊池川沿いにあってドライブキャンプもできる。

鰯雲がきれいに空に広がっている。なにはさておき温泉。なんと一般300円だがシルバー割引200円、これは安い。女性スタッフたちも愛想が良い。「免許証、車の中だよ、みたら65歳以上ってわかります、自己申告ですから・・ありがとう」200円で入浴。展望風呂気持ちよかったね。頭もあらってさっぱり。

17時、弁当と酒とカメラを持って菊池川サイドを散策、カモが1羽、悠々と泳いでいる。

のんびり一杯やりながら食事。心身くつろぐ。菊池川に雲がうつってきれい

 2~3世帯が芝生でテントをはり、くつろいでいた。関東ナンバーの車。車にもどりとにかくひと眠りしよう。明日は朝から雨予報。柳川のC社によってオイル交換をしてから帰ることにする。今回は去年の震災後1年半、南阿蘇から大観峯と久しぶりに訪問、再建途上の被災者の方々の早期復興を祈るのみだ。

 

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171029 昨夜は眼がさえて寝れず、朝5時、濃霧の中阿蘇大観峰へ。雲海撮影!!

2017年10月29日 | 軽キャン車中泊ドライブ

 昨夜は気温も最適だったが、久しぶりの車中泊、南阿蘇からの刺激で交感神経が働いたままか、副交感神経に転換できず頭がさえて眠れなかった。うつらうつら。江津湖から宇土方面を予定していたがとりあえず雲海期待で大観峰にむかう。すごい霧、ライトを上向きにすると霧が渦巻いている。コンビニでコーヒ&卵サンドの朝食をして6時前出発。霧もやや収まり薄明かりのなか大観峰へ。

もうすでの10人ばかり撮影をしている。雲海らしきのがでている。昨夜の男性も三脚をたて撮影している。雲海がでてよかったですね。それほど昨夜は冷えなかったとのこと。

段々空が明るくなってきた。

涅槃像はまだおやすみみたい。

東の方から太陽が顔をのぞかしてきた

雲海もやや下がり表情をかえてきた

民家も見え始める。

8時頃までどのように表情を変えてゆくのか

大部明るくなってきて撤収する人もふえてきた。ゲートがあくのが8時半。

大観峰茶屋横のトイレで用をたし、そのあたりの景観も確かめる。久留米の男性も帰還の途についたようだ。シャッターを押している時は夢中だから感じなかった寝不足がこたえてきた。コーヒーブレイク。とりあえずはミルクロードをへて道の駅大津にもどり、宇土に向かうことにする。

すすきを横に見ながら曲がりくねったミルクロードをおりてゆく。このあとはまた明日報告いたします。

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171028 開通なった長陽大橋から南阿蘇へ、阿蘇南登山道をへて大観峰へ車中泊ツアーにでかける

2017年10月28日 | 軽キャン車中泊ドライブ

震度7ダブルパンチ、未曽有の熊本大震災から1年半余、熊本のシンボル、熊本城、阿蘇大橋、阿蘇神社が壊滅的打撃、熊本市ー阿蘇をつなぐかなめの阿蘇大橋が陥落してしまうなど想像を絶するものであった。被災者の方々はまだまだ再建途上で大変だろうが木金と晴れ予想、思い切って久しぶりの車中泊ツアーに出かけた。

(ペンタックスK3,K-20D、タムロン18-200mm、ペンタックス16-45mm)

九州道筑紫野インターから熊本インターへ、菊陽バイパスをとおって道の駅大津へ。道路情報センターで南阿蘇へのルートを教えてもらう。ミルクロードを通って道の駅阿蘇に向かうか(所要1時間ちょっと)開通なった長陽大橋を経由して南阿蘇に入って、阿蘇白水温泉方面へ左折して阿蘇南登山道をのぼって阿蘇山上、草千里をへて阿蘇道の駅、そして内牧温泉をへて大観峰にでるコース。時間は2~3倍見ておく必要がある。

長陽大橋はとにかく再建を急いだという感じで橋の下はまだまだ崖崩れのあとが生々しくのこり、工事車がいきかう。写真をのんびり撮る雰囲気じゃないのでさっと通過。名所、一心行の大桜の案内をを右手にみて阿蘇南登山道に左折。

ススキが白くたなびき、放牧されている牛や馬がのんびり草を食んでいる。平和な秋の風情。

阿蘇山頂ロープウエイを経由、草千里が浜に到着。観光客もそれなりに来ている。410円の駐車料をはらって丘にのぼり草千里を一望。

のんびりした時間が過ぎる。この地であんな大地震があったとは思えないが結構余震が発生しているのは怖いことだ。

日の入りは6時前、下山してぼちぼち大観峰に向かう。

西日をあびて逆光に馬のしっぽが光る。阿蘇の写真は逆光活用に限る。

阿蘇道の駅を右折して大観峰へ。サイクリングツアーの一帯が10数名西日をうけて展望台へ。さすがこのあたりは涼しいというか寒い感じがする。

夕日が沈み、阿蘇5岳に残照がひかる。千葉からくるまでやってきたという男性。久留米出身らしいが高校の同窓会をかねて帰ってきたという。明日、雲海がでますかね?写真が趣味らしい。

その人は大観峰で車中泊するという。明日、雲海が出ればいいがね。私は道の駅に戻り、夕食。ワンカップ大関ですこしばかりほろ酔いだがなぜか頭がさえている。まだ交感神経が勝っているようだ。とりあえず今日1日をふりかえりながら寝袋にはいりこむ。今頃の気候が車中泊には一番いい時ではある。二日目はまた明日のブログで報告させていただきます。それではおやすみなさい!

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171024 謎に満ちた千Km以上飛ぶ「渡り蝶」アサギマダラ、太宰府内山のフジバカマ群生地に飛来!!

2017年10月24日 | 趣味と交遊

 長野松本あたりの高地で夏場をすごしたアサギマダラが1000Km以上飛んで国東半島沖の姫島を経由して福岡太宰府、かまど神社上方、内山に今年もアサギ色の美しい姿をみせ、子孫をつなぐべくフジバカマの花周辺を乱舞していた。

(ペンタックスK3、タムロン18-200mm)

 東京を席捲していたコイケチョウも今やパリでけなげにふるまっているが衆院選完敗の憔悴の色は表情にあらわれ、一挙に年をとってしまった感が隠せない。美しくパワフルなアサギマダラのごとく復活できるか?!

台 風一過、さわやかな晴れた今日、いつも飛来してくるアサギマダラにあいにいく。かまど神社をへて九州山情報センターの上方5分くらいのところにフジバカマが群生しているところがある。車を道路サイドにとめて川沿いにおりてゆく。イマシタいました。アサギマダラがここかしこのフジバカマの花蜜をもとめて止まったり飛んだりをくりかえしている。アサギマダラは幼虫時代に毒のある植物を食べる。それがこの色を生み出し、同時に天敵から身を守る派手な色になっているということらしい。

 フジバカマの蜜にはオスがフェロモンをだせるようにする物質が含まれているとのこと。子孫繁栄の為に上空からフジバカマを発見する不思議。アサギマダラの寿命は4か月ぐらい。日本の中部、高地で夏、成虫になって秋、南下して南方に向かう。途中、姫島や太宰府を経由して沖縄、台湾へと渡ってゆく。

オスはフェロモンをだしてメスをひきよせ交尾する。1~2000KMの大飛行をおこなって冬場南方で過ごし、あたらしい種となって春、また日本にやってくる。

1日200Kmは飛ぶらしいが海上での休憩などはどうするのか、飛行ルートはどのように伝承されるのかなど謎に満ちている。

 人間という種はどうも支離滅裂、同じ失敗を繰り返す。歴史は繰り返されるというが人類史上、失敗の歴史からしっかり学ぶということができないのかね。一人一人のエゴ、煩悩が邪魔して歴史に素直に学べないのだろう。まったく困ったものだ!!

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171023 政治の世界は一寸先は闇!風を読む天才もおごりでレンズが曇った!!

2017年10月23日 | 辛口ひとりごと

 10月5日のブログ、上にたつ人の条件で小池東京都知事が突然の衆院解散で小池新党立ち上げ、少しばかり早まったのではないかと書いたが民進党合流での不用意な切り捨て発言が国民の反感を食らって結局は自公政権の完勝、希望の党完敗に終わってしまった。若狭さんは比例にも残れず落選、忸怩たる思いであろう。

(選挙当日の暗雲) 

 伊藤肇さんが「現代の帝王学」のなかで帝王学には3つの柱があるとして、1、原理原則をおしえてくれる師をもつこと 2、直言してくれる側近をもつこと 3、よき幕賓をもつこと と言っている。改憲問題など地方自治の改革などコンサルタントの大前研一氏などのアドバイスを受けているようだがもっと根本的な人間学を指南してくれる師が必要なのではないか

安倍1強のおごりを非難した小池さんが自らのおごりで墓穴を掘ってしまった。まったく政治の世界は一寸先は闇だね。

 車で20分ほどの松延池にめずらしいカモ、ホシハジロが飛来していた。大自然は粛々と自然の摂理で動く。煩悩に支配される人間はえいえいと同じ過ちを繰り返す。怖いですね。

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171019 九博、新桃山展。信長秀吉家康、大航海時代の日本美術、特別観覧会出席

2017年10月19日 | ボランティア

 九博ボランティアも7か月目。今日もIPM環境部門のボランティア活動に出向く。たまたま14日から始まった特別展、「新・桃山展ー大航海時代の日本美術」の九博関係者向けと思うが特別観覧会があったのでインジケーター交換作業は9名のメンバーにお願いして観覧会行事に参加。

 「新」と銘打っているのは従来の桃山美術展の切り口だけでなく、種子島に鉄砲伝来、フランシスコザビエルの鹿児島上陸から島原の乱、ポルトガル断交、鎖国に至るざっと100年の間の大航海時代の文化交流を軸にして信長、秀吉、家康という3人の天下人を軸にした大美術展というわけ。

 企画にたずさわった学芸員の方の見どころレクチャーのあと約1時間観覧。教科書でみたザビエル像のほんものの絵画、狩野永徳の水墨画屏風、桃山最後の巨匠、海北友松の雲竜図、日本初公開の外国製の屏風、利休が愛した素晴らしい茶器など興味深い展示品が並んでいる。

1Fエントランスホールに設置されている黄金の茶室。

<安土桃山から江戸時代への100年の日本史概要>

1543   種子島に鉄砲伝来  
1549   フランシスコザビエル 鹿児島上陸 
     
1553   川中島の戦い 武田2万上杉1.3万 
1560  織田信長台頭。  桶狭間の戦いで今川義元粉砕、松平元康と兄弟の契り 
 1563 信長、美濃攻略 岐阜から天下布武宣言 

1568   信長上洛 足利義昭を室町15代将軍 比叡山延暦寺焼き討ち
1575   長篠の戦い 織田鉄砲群団が武田粉砕 
1576   信長安土城築城   桃山文化
1582   本能寺の変 明智光秀、信長を暗殺  茶の湯・千利休
         山崎の戦い 備中から秀吉急襲、光秀を討つ 南蛮貿易
1583   賤ケ岳の戦い 秀吉、柴田勝家を打倒、頂点へ  阿国歌舞伎
1585  秀吉天下統一  秀吉関白太政大臣  
1588   大阪城完成 刀狩と太閤検地  キリシタン高山右近改易
1592   朝鮮出兵文禄の役 15万大軍ソウル攻略  26聖人殉教イスパニア断交
1597   第二次朝鮮出兵 14万大軍を半島へ 
1598   秀吉伏見城で病没 五大老五奉行任命、秀頼支援を命じる。家康遺言無視 

1600   関ヶ原の戦い 家康の上杉討伐のすきに光成挙兵。関ケ原で光成西軍、家康東軍対峙 
        小早川秀秋の裏切り 西軍総崩れ、東軍圧勝 
1603 家康天下人  征夷大将軍、江戸に幕府開く 江戸城より市街地開発が優先された 
1605 秀忠  2代将軍へ 家康は大御所として駿府で にらみをきかす
      朱印船貿易、山田長政 日本の大航海時代。日本人町 
      秀吉の妻、淀君 秀頼の母として家康に歯向かう 
1607   江戸城天守閣工事 着工。5年後完成 
1614   大阪冬の陣 秀頼の方広寺再興釣鐘に文句 
1615 豊臣家滅亡  大阪夏の陣 武家諸法度 
1616   家康死去  
1623 家光  家光3代将軍 参勤交代など幕藩体制確立 
1637   島原の乱(天草四郎) ポルトガル断交 鎖国体制始まる。

4Fでは松林図屏風のレプリカが展示。

精緻にえがかれた南蛮屏風など双眼鏡などあればはっきりみることができて面白いかもしれない。特別展は11月26日まで。多くの人に見てもらいたいものだ

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171017 五木寛之「孤独のすすめ」最終章、「回想力」が人間不信と自己嫌悪を癒してくれる!

2017年10月17日 | 五木寛之

 妻が熊本での同窓会から帰ってきた。60名くらいの参加だったらしいがやはり女性の方が多かったとのこと。先生は90歳をこえている。去年の熊本大震災の復興過程のなかで頑張っているいる人も多いとか。そんな中、50年前の同窓生との年一度の再会はこころの癒しになるのだろう。

まさに五木寛之さんのこの本での提案は不安多き世の中、ガラクタは捨てずに回想力をよみがえらせて、人間不信や自己嫌悪を癒してほしいということのようだ。これは決して後ろ向きの発想ではなくて、まずは心を安定させ、謙虚で元気な老人力を発揮してゆくためのベースを創れということだろうね。

第五章 なぜ不安になるのか

1、「心配停止」の時代・・物質的には超豊かな国でありながら何を信じてよいのか、ほんとに安倍政権に任しておいてよいのか、国民の見えざるところで日本の、世界のひとにぎりの人間が我々の運命を握っているに違いない。今の世相は平安末期から鎌倉初期の世の中に似ている。鴨長明の方丈記など読めばよくわかるらしい。

 2020年のあとの日本はどうなるのか?まあ、いろいろ考えても仕方ない。杞憂だ、心配はよそう。心肺停止ならぬ心配停止だ。財政問題など棚上げして目先の教育費無償化で選挙に勝とうとしている。まあ日経平均株価も20年ぶりの高値だし、失業率も低いし、就職もできたからとりあえず現状維持でいいか、まさか北朝鮮は東京にミサイルをぶち込むようなバカはしないだろう。さあクライマックスシリーズどうなるかな・・心配停止の時代! ほんものの心肺停止になる前に何をすべきか

最終章 まず「気づく」こと

1、ガラクタも捨てなくて良い

 わが書斎はまさにガラクタのヤマ。この1年見たり使ったりしていないモノであふれている。断捨離、断捨離といつも思うだけでそのまま。何が写っているのかよくわからない35mmのネガフィルムがアルバムの間に挟まっていた。カメラのキタムラでCD化してもらった。子供たちが大学生の頃、はじめて家族で海外旅行、バリへ行った時の写真や京都、清水寺界隈を散策した時の写真で実になつかしくほのぼのとした気分になった。

 さらに書棚のすみにはドーナツ版のレコードが50枚ばかり。小川知子の夕べの秘密やベルトケンプフェルト楽団の星空のブルースやこれまた5~60年前の私の青春時代に買ったしろもの。レコードプレーヤーを買うかね!まあ確かに現役時代の思い出はほのぼのとしたものは少なく思い出してもしゃくに障ることもおおいが古き良き思い出をチョイスすればよいことだ。

2、老人のための、老人によるアイデア開発、商品開発で日本を高齢カルチャーセンターに!

(1)席を譲らぬ若者に腹をたててはいけない。時代背景を背負った若者の嫌老意識の影がでていると思えばよい。社会への依存意識をすて「自覚した老人」をめざしなさい。おたがいわかり合うべきだという精神論では解決できない

(2)補聴器のポルシェを、ものが挟まらない入れ歯を、老人専用の車を老人の目線でアイデア、商品開発。世界の富裕層が日本に買い求めにやってくる。老人世代が信頼されるそんなシルバー産業を作り出す。賢老社会を作り出す。

こんな構想をリードしてくれる政治家が現れないかね。まあ、まずは、おたがい寝たきり老人にならないよう足腰を鍛え、良き思い出を回想し、心を元気にしてやっていきましょう

南無阿弥陀仏、ナンマイダ、ナンマイダ!!!

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171016 妻は中学の同窓会へ! 五木寛之「孤独のすすめ」その4、シニアは今や「階級」となった!!

2017年10月16日 | 五木寛之

 外は雨がシトシト、気温もさがり、セーターをきてちょうどよい。妻は熊本、中学の同窓会に行っている。卒業して50年、同窓会ができる人、うらやましい。私の中学時代、13~15歳時の記憶はきわめて不鮮明、当時の写真も残っているのは数枚の集合写真のみ。

私が3年連用日記など書き始めたのは32歳の頃から。物資不足の敗戦後の小学生が日記を残すなど親も本人もそれどころではないということか?

まあ、今は日記代わりの写真やビデオなどメディアがあふれているので日記を書く必要は薄れているかもしれないが孫娘なども10歳、思春期を迎えるようになると心模様なども書き留めておくこともそれなりに意味があるのではないか。

さて、「孤独のすすめ」第四章、「世代」から「階級」へ。

階級とはどういうことか? 学生時代、マルクスの資本論を学んだ。資本家階級が労働者階級を搾取するというもの。

1、五木さん曰く、いまや世代対立というよりもはや老人と若者、働き手との階級闘争の入り口に立っている。日本人は世界で初めての使用済み核燃料の処理問題と高速老齢化人口減という難題にぶちあたっており、どう日本人が解決し世界にそのモデルを示しうるか注目を浴びているというわけ。搾取するシニア階級、搾取される若者、勤労者階級であってはならない。そのためにはシニア層は健康寿命をのばし財政医療費負担をへらし、資産を子、孫に移転し、消費につなげ、億以上の金融資産をもつ1%の富裕者は年金を返上するくらいの気概をもてというわけ

2、旧世代は未来の日本人に巨額の借金や核のゴミなどツケを負わしたらダメだが若者のガス抜きのために老人階級が利用されないよう注意も必要という。70数年前の無謀な太平洋戦争もマスコミの扇動があったというが背景には国民の鬼畜米英やっちまえという空気が膨張していたから。今やSNSの時代。嫌老があおられてはいけない

3、シニア世代とて家族を犠牲にして24時間働きズメで今の日本を築きあげてきた。それに比べ今の若いのは何をしてるのかと文句をいいたい気持ちもありそれがリタイア後の横柄な老人の態度になったりしがちだがそこはぐっと押さえて精神の安定、自立を図らねばならない。死生観の確立を含めてリタイア後の林住期、遊行期をどう生きるかの心の整理をしておけというわけ。昔は神国ニッポンだった。アメリカは信ずる信じないにかかわらず「神国アメリカ」であり、見えざる神の御手が働いていると皆思っている。日本人もそういった心のよりどころを持つべき時が来た、とくに老人階級において・・・

第五章 なぜ不安になるのか 第六章まず「きづく」こと・・・は、また明日のブログで!

 

 

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171015 五木寛之の「孤独のすすめ」その3。「鈍感力」をおさえて、謙虚に自立せよ!

2017年10月15日 | 五木寛之

4時過ぎ眼がさめる。5時半、久しぶりに宝満川周辺早朝カメラ散歩、ウオーキングに出かける。早起きは三文の徳やらでなにかいい被写体との遭遇を期待して歩き始める。

朝5時58分の月。さめざめと光っている。

 日の出が6時20分、ぼちぼち薄明かりが広がってくる。ゴルフボール除けの屋根の下をライトをつけたトラックが走り去る。娑婆はすでに営業開始。

宝満川に出る。ダイサギが長い首をのばして小魚を狙っている。

山頂がうっすらピンクがかってくる。筑紫野の静かな田園風景。

さて、第三章、「老人と回想力」

最初、回想力って何か・と思ったがこの章では回想力というより想像力をもっと働かせよということか。

1、脳にしっかり命令を下すこと・・・大脳と末端筋肉との時間ギャップがつまづいたり、嚥下を失敗したりする。私も最近よく食事中、舌を噛んでしまったりする。どうも舌の筋肉、ほっぺたの柔軟性など、ちょっとしたギャップが発生して噛んでしまうのだろう。五木氏いわく、おのが脳にはっきり「これから薬を飲むよ」と命令をくだしてから飲むようにしたらあまり失敗することがなくなったという。私も車に乗ったらさっとブレーキに大腿部、足が動くように数回左右に動かしてみて足に記憶させるようにしている。ブレーキの踏み間違い、踏み遅れがなくなる。

2、戦後72年の違和感。「嫌韓」ならぬ「嫌老」社会がきているのではないかという違和感。われわれ団塊世代は日本の高度成長を必死に支えてきたが、どんどん給料があがり生活が豊かになってゆく実感があり、さらに当時10数%だったシニア世代への負担などまったく感じなかった。それが今や、「高速高齢化、人口減少時代」になった日本で年寄りが遊び惚けている姿をみたら、希望を失っている若者は頭にくるに違いない。弱者でなくなり、金をためこむ老人たちは、金がなくて結婚したくともできない独身男女がふえている現実への想像力を高めて、もっと謙虚に自立してゆくべき・・と筆者は言う。たしかに無作法で鈍感な年寄りが増えて世の中に軋轢をうんでいる! 要、注意ですね

第四章、「世代」から「階級」へは・・・また明日のブログでご紹介。

 

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171014 五木寛之「孤独のすすめ」その2、登山は下山こそ要注意だがあらたな視界が広がる!!

2017年10月14日 | 五木寛之

 右ひざの違和感を感じて以来、近場の修験の山、宝満山(900m弱)登山はご無沙汰。近くの小学生も登れば、犬をつれたおばさんものぼる、自転車をかついで走りながら筋トレをかねて大学生がのぼる、昔、遣唐使船が出るときは無事祈願のためこの山に登り安全祈願をした。

 

 そんな山だがのぼりはひたすら、何も考えずに岩の階段をよいしょこらしょと登るのみ。頂上からは360度の眺望がのぞめ、一休み。なんのため登るかはひたすら頂上制覇、大眺望をのぞむ快感のためだ。

 下山はつけたしのようなものでのぼりの6掛けの時間でかまど神社までおりてしまう。下山時に道に迷うことはないがひざや大腿部を痛めるのは下山時だ。降りる時にのぼりより急激な負荷がかかる。と同時に登りでは見えなかった、見なかった、おおいなる筑紫野平野を見渡しながら降りれるし芭蕉の俳句塚もみながら、ゆっくり下山すればひざを痛めることもないし、岩場ですべることもない。

第二章「下山」の醍醐味

1、体力、足腰の衰えを自覚し、焦らず、ゆっくりとが基本心得

2、日本社会も敗戦後焼け野原から物質的豊かさというゴールをめざしひたすら上り続け、20世紀中に世界2位の経済大国になってしまい、21世紀、空白の10年をへて、急速高齢化、人口減少のまさに下り局面に入っている。欲しいものは何もない。そんな時に日本政府はいまだデフレ脱却経済成長を志向している。もうインド、中国のように6%成長など望むべくもなく、現実1%の低成長がずっと続いている。こんな時に学ぶべき国はすでに下山した国、イギリスやイタリア、スペインなどに学ぶべきなのだ。

3、人生においても定年以後の下山のクオーターこそ楽しむべきなのである。

インドにおける人生哲学。学生期(良き社会人になるための学力体力養成)、家住期(社会に出て一生懸命働き、結婚し、子供をつくり家を買う)そして林住期(会社や妻子育成義務から解き放たれる時期)、遊行期(ひたすらガンジスへの死への旅路)。

 人生の下山、この林住期以後をほんとに自分のやりたかったことをふりかえり、あらためてそれを求め続ける人生のクライマックスなのである。これが五木流シニア族への提言なのだが家住期、現役時代の幻影をひきずり、なかなか心の豊かさ、自由な境地を満喫できないシニアが多いのではなかろうか

第三章、老人と回想力

については、また明日のブログで!!

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