ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

111231:大晦日に映画「山本五十六」、ラストボウリング、その他もろもろ!

2011年12月31日 | アフターセブンティ

大変な年であった2011年、平成23年も今日で最後。
夜間ウオーキング、ひじ骨折の妻も4週間をへて、食事準備も私を助手にして8割がたできるようになり、持ち前の性格ゆえ、正月準備もほぼ終わり、今日はワックスがけするから私は映画なとなんなと行きなはれということで御言葉に甘えて、さっそくワーナーマイカル筑紫野にでかけ9時半から「連合艦隊司令長官 山本五十六」をみる。

 最後まで対米開戦を反対していた山本五十六が皮肉にも真珠湾攻撃という太平洋戦争の火ぶたを切らされる役回りになる。まことにもって天の命とはいえ残念至極であったそのいきさつがどのようであったのか。

 先般のブログで歴史認識の難しさ、歴史認識の必要性云々をつづったが日本を仮想敵にしたのはアメリカが先で虎視眈々と日本排撃のチャンスをねらっていたことにふれた。
まさにこの映画では役所広治演じる山本五十六が海軍省次官時代にドイツとの軍事同盟を徹底反対した。ドイツは破竹の勢いでポーランドはじめ侵攻を開始、日ソ不可侵条約も締結。陸軍も議会も日独伊ソが1本になればアメリカをたたけるということで反対の海軍が目の敵にされる。が大勢はいかんともしがたく海軍大臣が妥協しようとする。山本五十六ただ一人が大臣に日米開戦になれば石油と鉄がアメリカから入らなくなる。対策は有るのかと問いただす。これから考える。多数決だということで押し切られてしまう。日独伊軍事同盟が結ばれ、鉄、石油ルートが途絶え、戦争へ一挙にすすむ。

 この段階で世論を戦争へと先導するマスコミ新聞社の存在が際立つ。ただしい事実、判断が示されない。マスコミが扇動するのはアメリカも同様で日本以上であったらしい。言論の自由を逆手にとり、うかうかするとノンチェックの暴走組織になりかねないし、とがめるものもいない。五十六が若手記者をたしなめる場面は印象的。

 連合艦隊を任された山本五十六はひそかに真珠湾奇襲作戦を部下に練らせる。これからは空軍が戦いを征す。真珠湾で空母、戦艦をたたき、東京上空に米機を飛来させないようにすることと徹底壊滅することによりアメリカの戦意を喪失させ、一挙に講和にもってゆく。したがって攻撃開始の1時間前に宣戦布告を外務省を通じて必ずすること、それが武士道の基本であり、世界世論を味方にするため必須であると・・。五十六の想いが敵空母がいなかったこと、戦線布告が攻撃の後になってしまったことで水泡にきし、米英との長期戦になってしまう。情報戦の弱体、海軍部内の指揮官の意思不統一、参謀の石頭がネックになり、まさに敵は内部にあった。
 これらのネックがミッドウエー海戦でアメリカ空軍に最後の戦いを挑んだ時にも災いし、まったく逆に日本の空母が4隻も撃沈されてしまう。これ以降、制空権を握られ、兵站をたたれ、ついには原爆投下で敗戦終戦となる。
 
 まさに真珠湾奇襲作戦はアメリカに日本をたたく大義名分を与えてしまった。山本五十六という越後長岡うまれの朴訥な指揮官の想いが現実化されなかった、と描かれている。山本五十六についてはまったく逆の評価をする論もあるようだがことほど左様に歴史認識はむつかしいものだ。
 まあ豪華キャストによる映画で2時間あまり楽しませてもらった。そのあと昼食をとり、ホームセンターで買い物をし、今年最後のボーリング、3ゲームなげて投げ納め。スコアは相変わらず、腰はまあまあ問題なし。

 最後にこのブログをお読みいただいている皆さま、勝手なことをつづってきましたが、おつきあいいただきありがとうございました。
皆さまにとって来年が良き年になりますようお祈りいたします。
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111230:アワーフェレット「マーブル」退院!

2011年12月30日 | マイ家族

 息子が岡山から帰ってきている。帰郷時はいつもフェレット「マーブル」の定期検診に動物病院につれていく。三日前、「肺気腫を発症しています。肺に水がたまっています。薬で治しますので入院させてください」との先生の診断。いつも寝起きをともにしている妻はびっくり。まあ確かにこの1~2週間、寝姿をみていても呼吸のわりに身体がおおきく上下していた。

 昨日、息子が大分時代にお世話になった先生から、いつものようにゴルフの誘いがあり、前夜からおおいた入りし、後輩と食事したのち、今朝からゴルフ。福岡に帰っているのを見計らっていつも電話してくれるような、友人、顧客をもてて息子は幸せだ。昼、食事に誘われ、その後福岡にもどり、夕方病院に見舞いにたちよる。薬の効果絶大で退院してもよいと言われる。よかった。

 犬と違って飼い主への忠誠を態度であらわすわけではないが、いつもの部屋にもどって、いつも寝ているところにゆくと安心しきったようなたたずまいをみせ、まさに家族の一員といった感じになる。寝姿をみているとまるで人間と同じ。あおむけになって寝たりするのには顔負けだ。

 夕食はおでんと息子がいつも大分で買って帰る絶妙の味のからあげに舌づつみをうってマーブルの快気祝いと息子の昇格祝いをした。はやいこと、いい嫁さんをみつけてくれたらばん万歳だ。
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111228:思い切って懸案の御輿来(おこしき)海岸へ撮影に出かける!

2011年12月28日 | 趣味と交遊

 前夜、忘年会で4人で焼酎1升ビンをからにしてしまい、今朝がた少々頭も胃も重いなかでコーヒー、トーストの朝食をとっていたら、写真道の先輩から前々から、一度は行こうと話していた宇土の御輿来海岸へ撮影に行きましょうと誘いがあった。なんせ体調がすぐれなかったので即答はせず、あとで電話しますといってとりあえず電話を切った。息子が帰郷しており、妻の予定も確認しようと思っていたので即答を保留したのだが、それを聞いていた妻が「あなたはいつもそう。いざとなるとなんやかや理由をつけて決断、実行しない」ときめつけられた。まあ今年の夏も山鹿灯篭祭りのバスツアーを申し込んでおきながら、天候悪化見込みからキャンセルして結局、撮り損ねた。まあ、妻からそう言われても仕方ないかなと思い、先輩に行きましょうと折り返し返事。
 不思議なもので決めてしまうといつものやるべきことを、つぎつぎこなしてゆくと頭が重かったのもなんとなく忘れてしまった。

 約束の13時におちあい、先輩の車に同乗させてもらう。はじめてゆく場所故、少々まよったが、九州自動車道、松橋インターをおりて宇土方面へ。天草街道を本渡方面にむかって進む。住所から言えば宇土市下網田(おうだ)町で網田の周辺5キロくらいの海岸線をおこしき海岸と言う。この海岸は4世紀ごろ、景行天皇が九州遠征時にその干潟模様の美しさに感嘆して乗っていた御輿をとめられた故事にちなんで御輿来海岸となったとのこと。干満の差が激しい有明海島原湾の景勝地になっており、日本百渚に指定されている。

たまたま27、28日当たりが天気もよく、潮もよくひき、雲仙普賢岳をバックにして夕日にくっきり干潟の紋様がみれるということで急遽、はせ参じたというわけ。地元の人に道をききながら撮影ポイントにむかう。網田中学と案内表示のあるところを右折して大栄稲荷神社方面へ細い道を登ってゆくとやがて展望台につく。すでにアマチュアカメラマンが十数名、三脚をたてて、待機している。天気がよく太陽がしっかりでているがどのあたりに落ちるかわからない。有る程度想定しながら三脚をたて、300ミリ望遠をセット。しっかり防寒体制を組んで日の入りを待つ。関西や東京あたりからきたおばさん連中がぺちゃくちゃしゃべりながら、露出補正がどうだこうだと撮影ツアーの講師らしき人をつかまえて話している。要するにわざわざ来るぐらいの撮影スポットのなっているということだ。

 夕日が沈み始める。予測していたより左サイドにおちそう。絞りはF11にして絞り優先で露出補正をマイナス1.5~プラス1くらいにしていろいろ試してみる。ホワイトバランスも最初は太陽光にしていたが曇りに変えてたりして試写。夕日の赤みや干潟の陰影が微妙に違ってくる。時間とともに干潟の色合いが違ったり、道路を行きかう車のヘッドライトが海に写りこんだり、三日月を広角で写しこんだりいろいろ撮影が楽しめた。ざっと110ショットくらい撮影。しんしんと冷え込んできたので18時過ぎ撮影を終了。かえり北熊本SAでたべた熊本ラーメンはうまかった。

 しかし、よくぞ先輩、電話してくださいました。ありがとうと大感謝。なんでもやってみるべきだ。まあ女房が叱咤してくれたおかげかもしれないね。左ひじを骨折して今日で27日目、腕も少しずつ動くようになったようだが早く感治してください。おみやげにカラシレンコンとバサシ。宇土名物の小袖餅は残念ながらSAでは売っていなかった。
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111224:歴史認識のむつかしさ、歴史を知ることの重要性。

2011年12月24日 | 辛口ひとりごと


 NHKラジオ第1放送6時43分、月~金曜日まで「ビジネス展望」を毎日聞いている。今日は評論家寺島実朗さんの当番。世界は多極化から全員参加の枠組みへ変わりつつあり、アメリカ一辺倒の日本が世界へ何を発信するかが来年問われるという。
この10年で世界人口が10億人ふえて70億人になった。30年後には90億人になる。その時日本は1億人を割り込む。一体日本は世界でどんなポジションを占めているだろうか

 北朝鮮の金正日総書記が死去し3男の正恩氏に国家リーダーが移行するという。今時、2300万人と推定される人口を有する組織が世襲制で権力継承される国があるのはまったく驚きの現実である。
先般、韓国大統領が来日し、従軍慰安婦問題をもちだし、野田首相に首相権限で善処せよと迫った。人道的観点から対処しますと首相は回答したと報道されている。韓国の反日感情については簡単には理解できない

 今、10年以上前に購入した産経新聞社がだした西尾幹二(新しい歴史教科書をつくる会、編)著になる「国民の歴史」を読んでいる。なにしろ800ページ近い分厚い本で、ぱらぱらしか読んでいなかった。あらためて読み始めてみると「そういうことか」と思わせる今まで認識すらしていなかったことが随所にでてくる。
 NHKで足かけ3年かけた司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が放映されている。
私は今まで、大国ロシアの戦いで勝利したことが日本の陸海軍に変な自信を与えてしまい、第一次大戦の戦勝組に名を連ね、一躍世界の大国の仲間入りをはたし、山本五十六はじめ戦争反対論者がいたにも関わらず、ついに真珠湾奇襲作戦で超大国アメリカへ戦線布告してしまったと思っていた。

 明治維新から敗戦までの日本近代史のなかで「ん?」と感じたのは以下の指摘。
1、明治維新後、ロシアが朝鮮を占拠したら日本は列強の侵攻から逃れられないという恐怖感が旧態依然たる朝鮮李朝や中国清王朝をみかぎり、自らロシアと戦わざるを得なかった。イギリスは日本との同盟をうけいれ、みずからの代わりに日本に戦わせた。日本は破産一歩手前で紙一重の差でなんとか大ロシアを退けた。日露戦争の目的は日本を含めた東アジアの解放のためだった。

2、日本の勝利を列強は快く思っていなかった。特にアメリカは人種差別思想が強く黄色人種が列強の仲間入りするのを嫌い、日本を最初に仮想敵国としてとらえ、次々と日本抑え込みの手を打ってきた。たのみの日英同盟も破棄され、日独伊三国同盟、第二次大戦につながってゆく。1941年9月、真珠湾攻撃に先立つ3カ月前にアメリカ軍が日本本土の大爆撃を計画していた公文書が最近発見され公開された。いつ機会をつかまえて日本をつぶそうと考えていたのはアメリカで有るというのだ。

 米英仏がアジア諸国、太平洋諸島を占拠、植民地化する帝国主義と人種差別思想の嵐の中で日本は孤軍奮闘、戦わざるをえなかった。欧米はそれら植民地へ武器供与し、現地人に日本と戦わせた。日本は孤独の中でせいいっぱい生きて戦った。戦争となった以上正邪善悪の入る余地は小さくなる。そう考えたほうがよいというのが著者の見地である。

映画「山本五十六」が封切された。どんな描き方をしているか観てみよう!
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111221:妻の嫌いなもの

2011年12月21日 | マイ家族

 結婚して40年にもなるのに妻のきらいなものや嫌いなことが完璧には把握していないことがよくわかった。「己の欲せざることは人に施すな」とは論語に書いてある一警句だが結婚生活においてうまくやっていくためには自分のいやなことを相手がやった場合、どれだけ許容できるか、これが許容できなくなると相手の顔もみたくないということになり離婚に至ってしまう。だから結婚する前は相手を両目を開いてしっかり観て(うちなるところまで)、結婚したら片目でみなさいということになる。
 
 先日、あるドラッグストアでだんごやわらびもちの催事販売をしていた。なんとなくわらびもちが食べたくなって買おうとしたがみたらし団子がならべられてあった。確か妻はみたらしは好きだったなとふと頭によぎったが団子屋のおやじさんが「わらびもち、できたてだよ」といったので買ってしまった。あとで女房があのむにゅむにゅとした触感が嫌いなのよという。ああそうだったんだと何も言わず一人で平らげた。

 妻の骨折から3週間あまり、夕飯の心配をいつもしているがなにか簡単にできる鍋ものがないかなとスーパーにでかける。確かコンビニで小世帯向けの鍋セットを出していたようだ。もついりのもつ鍋スープというのが並んでいた。あとはキャベツとニラをいれたらOKと書いてある。ビデオでは他の種類の鍋もあるようだったが店頭にはもつ鍋しかなかった。
 ニラひと束とあわせ購入、夕食の準備にかかる。キャベツを適当に切り、ニラを5センチくらいにきって豆腐も準備。もつ鍋スープが煮えてきた段階でキャベツ、豆腐、ニラの順にいれて、全体ににつまった段階で食事OK。いい味、うまい。
ワインと焼酎湯割りも用意して妻を呼ぶ。いきなり、何この臭い!私はこの臭いが嫌いなの・・・納豆ご飯をたべて、さっさと御馳走さんと言って二階にあがってしまった。確かホルモンはダメと言っていたかな・・一人で焼酎を飲みながら食べる。結構うまかった。まあ、「この臭いは吐き気をもよおす」とまで言われればあえて「まあ食べてみろよ」とは言えない。

 まあお互い、小言も言わず、機嫌よく生きてゆくには相手の小言のもとになることをしっかり整理して小言がでないようにする努力がいるのだが・・・。
朝のNHK連ドラ「カーネーション」で超関白親父の小原善作を小林薫が演じているがあれは戦前の親父の姿だね。よくDVや女性蔑視で視聴者からクレームがでないものだ。
さあ、料理本をみて勉強、勉強・・・・
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111218:孫娘の幼稚園、おゆうぎかい。小さい子供たちががんばっている!

2011年12月18日 | 趣味と交遊

 5つになった孫娘の「おゆうぎかい」に行く。妻も行く予定だったが骨折でとりやめ。駐車場などの関係で3部制になっているとのこと。8時半スタートの第一部、2番目にでるらしい。娘家族は7時半にでて、夫君が座る席の確保。私も8時過ぎに会場につく。すでにいっぱい。私の座る場所もとってくれていた。舞台のある講堂の床にひきつめられたシートにじかに座る格好。腰が痛い。窓側に身体の不自由な人用のイスがおいてあり、運よく1つあいていたのでそこに座る。三脚は禁止だが目線が高くなるので写真をとるには好都合。

 8時半開演。司会の案内、注意事項、園長挨拶。園児代表2人のかわいい歓迎あいさつ。プログラムをみると10時過ぎまで20組の演技。さっそく軽快な音楽にのって男の子たちの演技がはじまる。5名が結構よくそろってリズミカルにダンシング。大拍手。いよいよ孫娘の出番。ごろっと雰囲気がかわって皆着物で演題「桜姫」。一人だけ緑のきものだったのですぐわかった。みんなうまいもんだ。相当練習したらしい。出し物は毎年違うらしいが教える方も大変だね。5~6歳の園児はのみこみが早い。習い事も昔から6歳になった6月6日から始めるのが良いとされている。なぜこの日か、理由は忘れたが・・・

 デジカメはモニターですぐ写り具合がチェックできて良い。ちょっと赤みが強い感じがしていたがとにかく4~5分のこととてバチバチ連写。プログラムの後半でわかったのだがホワイトバランスの設定が太陽光になっていた。オーツ、ミステイク! 蛍光灯に設定すべきであった。舞台が明るかったのでISOをちょっと上げれば十分高速シャッターでOKだったのだがホワイトバランスはうかつだった。オートにしておけばよかったと反省。このカメラを使い始めて3~4年たつがまだまだ使いこなせていないね。シーン別対応力が完全には身についていないようだね

 10時過ぎ第一部終了、孫娘は晴れ晴れとした表情。2部との入れ替えがあるのでそそくさと引き上げる。娘の家に立ち寄り夫君がとったビデオをみる。ばっちり撮れていた。うまくなったものだ。写真は瞬間の芸術といわれているが今回は負けだね。
「良く頑張ったで賞」で昼飯をおごることにする。なんでも食べたいものを注文していいよと言っても孫娘のオーダーしたのはうどんだった。かわいいもんだ。大人3人と子供で4000円弱、安上がりであった。
 来年は年長組での演技になるらしいが何をみせてくれるのか楽しみではある。
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111216:やっと妻の左腕ギブスはずれる、自宅リハビリ開始

2011年12月17日 | マイ家族

 今年の紅葉はどこも今一つ色づき悪く、燃えるようなという形容詞がつけられるところが少なかったようだ。我が家も和室、ダイニングからもみじが見えるが12月初旬に色づき、中旬にやっと、陽にはえてきれいだと感じるようになった。ただし遠目できれいで近づくと色づきのわるいところが目立つ。
 
 今日、整形外科に妻をつれていく。レントゲンをとり、やっとギブスをとってよろしいでしょうとのジャッジがでた。当初、2週間でとれるでしょうということだったが2~3日のずれこみでOKがでた。年寄りほど長びくということだったがまだ若いという証拠でしょうと妻は喜んでいた。

 外は雪まじりの雨で寒い。ちゃんぽんが食べたくなったので近くのリンガーハットにいく。外食産業は経営の合理化にどこも必死だが最低限の人員でやっている。15分ぐらい待ったがちょっと時間がかかりすぎだね。無料増量などやってほしくもないが10分以内にだしてほしいものだ。いつもなら一言苦言を呈したいところだが妻のギブスもとれたことだし、だまって食べる。野菜具だくさんはいいね、味は結構でした。
 かわしょくで買い物、うまいキムチを買う。同じ会社でも店舗により仕入れ先が違うのか、店により商品がちがう。おいしくご飯がたければキムチやめんたいがあればそれでこと足りる。妻が元気な時にいかに夕食がバラエティに富んでいたか今更ながら痛感する。
 16日ぶりに風呂にはいった妻、垢がぼろぼろ出たとか。湯で血液の循環がよくなりあちこちじんじんするとか。腕のおりまげはゆっくりできるが、回転させると痛いらしい。風呂の中でゆっくりゆっくりリハビリしてくださいということらしい。もういちど24日にレントゲンをとって本格リハビリにはいる段取りになりそう。
とにかく、ギブスがとれてほっと一息である・・・
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111215:市の特定健康診断2回目、悪玉コレステロール値悪化、基準オーバー!

2011年12月15日 | アフターセブンティ

筑紫野市の特定健康診断2回目、前年より若干悪化!

現役時代は毎年「人間ドック」を会社の費用負担(5万円前後)で受診、特段の異常はなかった。去年春、完全リタイアして人間ドックは中断、年末に市から案内があった特定健康診断なるものを受診(料金1000円)。行きつけの内科で検尿、血液検査、医師による内診。メタボとは程遠いスリムな身体だし、異常もなかった。

先日、1年ぶりに2回目の健康診断と大腸がん検診を受けた。大腸がん検診と言っても内視鏡でチェックするやつではなく要するに検便。今日その結果を聴きに内科を訪問。尿、血圧、肝機能、腎機能は異常なし。

糖尿病に関連する糖代謝のうち血糖値は標準範囲内で数値も低下、ヘモグロビンA1cというのが標準値の上限を0.1超、糖質代謝のうち中性脂肪は下限の数値で○、悪玉コレステロールが去年は標準値内だったのが今回は上限を7ポイント超。2項目が要指導となっていた。

内科医いわく、血圧も正常だし、どうってことないでしょうとのご託宣。悪玉コレステロールが増えているので酒や食事に注意とのこと。
確かにこの2年弱、夕食は食べすぎだね。おいしいものを食べさせているのだからもっと太りなさいとは女房の弁。標準体重より4キロ少ない。BMIは20.2で標準値(体重÷身長÷身長で算出するいわゆる肥満度。18.5~25が標準値)にはいっており問題なし。ジーンズでも79のウエストサイズでは少し緩め。

<悪玉を標準値に下げるには食事療法が必要>
1 緑茶をのむ(酸化防止)
2、にんにくはLDLを減らす
3、水溶性植物繊維(オレンジ、リンゴ、アボガド、納豆、さつまいも、枝豆、あずき)を多く取る
4、バター、肉の脂分、加工食品、焼き菓子など減らす
5、牛乳は低脂肪のもの

妻のひじ骨折完治も今月いっぱいかかりそうだし、こちらもまたぞろ腰痛に悩まされこの12月は三隣亡だね。まあ、ひにち薬で時が解決してくれるだろうが・・・
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111213:九州市民大学最終回、「日本の心、子守唄の旅」西舘好子さんの講演

2011年12月13日 | アフターセブンティ


 講師がどういう人かまったく知らなかったが最終回で日程がとれたので出席。急に寒くなった天神、アクロスの講演会場は今日も女性陣をメインにほぼ満席。311の東日本大震災時に子守唄で被災者の心を慰めるため、ぜひ行ってほしいという依頼ででかけられたいきさつがしみじみと語られ、子守唄というものが人間のDNAにしっかり残っており、生きぬくという魂におおきく語りかけた体験談をされ、おおいに感銘。昨今、子守歌を歌いながら赤ちゃんをあやすお母さんは少ないのではないか、子供は母親の胸のぬくもりと声に安心感をいだき、こころ穏やかに育っていくのだろうけど最近はね・・・。
 そのあとの川口京子さんのピアノ伴奏での全国子守唄の旅はせつせつと聴衆に語りかけるものがあった。島原の子守唄、五木の子守唄、原曲をまじえながらの歌唱、ジーンときたね。「よいとまけのうた」も子を思って必死に働く母親の子守歌にちがいない。フィナーレは全員で配布された歌詞をみながら「ゆりかごのうた」と「ふるさと」を歌って終了。

ゆりかごのうた
北原白秋作詞、草川信作曲
ゆりかごの うたを カナリアが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごの うえに 枇杷の実がゆれるよ      〃
ゆりかごの つなを 木ねずみが揺するよ      〃
ゆりかごの ゆめに 黄色い月がかかるよ      〃


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111210:妻、左ひじ骨折から10日、片腕使えないのはやはり不自由!

2011年12月10日 | マイ家族


 妻の左ひじ骨折事故から今日で10日、昨日病院に行き、レントゲン、骨はずれてはおらないがギブスをはずせるのはあとしばらくかかりそう。やはり歳をとってくると、再生するのに時間がかかるのかね。
左手はつかえるものの握力がなくなっており、雑巾やタオルはしぼれない。きれい好きの性格とて掃除機は毎日つかっているが拭き掃除は私が絞ってやらないとできない。私がやるといっても自分がやるといってきかない。どうも私がすべからくアバウトにやると思っているらしい。しかしながら五体満足であることの有り難さがしみじみわかるね。
 
 夕食準備は妻の指示に従い、ぶつぶつ言われながらもやりはじめて1週間余。
おでん、豚シャブ、カレーライス、卵焼き、キャベツいため、チャーハン、キムチラーメンなどなど。米をあらってご飯をたくのはずっとやってきたが、白菜やキャベツをどのように切るとか包丁の使い方、調味料がどこにあるのか、その分量などすぐにはスムースにいかない。まあ40年数年もやってきた妻から一言ふたこと言われて覚えてすぐできるくらいなら苦労はしない。
 
ギブスがはずせるのにあと1週間余、リハビリで10日。正月準備は今年はなしにしようと言ってるがどうなることやら。
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