ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

190430 今上天皇退位、平成最後の日。激動の敗戦後から平成を国民の真の象徴として過酷な任務を全うされた!!

2019年04月30日 | アフターセブンティ

平成31年4月30日、平成最後の日。朝から雨模様。

今上天皇は10時、退位令当日賢所大前の儀をすまされ、17時

   

退位令正殿の儀で安倍総理の天皇皇后への国民代表としての謝辞奏上のあと、天皇から国民への最後の退位挨拶され、30年におよぶ象徴天皇としての責務を終了された。

最後のお言葉。「只今、国民の代表として安倍内閣総理大臣が述べられた言葉に深く謝意を表します。即位から30年、これまでの天皇としての務めを国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ支えてくれた国民に心から感謝します。ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。明日から始まる新しい令和の時代が平和で実り多くあることを皇后と共に心から祈ります」

 明仁天皇は1933年、昭和8年12月23日に誕生され幼少期は戦火の中で育たれて、戦後、敗戦国の皇太子として過酷な環境下で成人され、米欧訪問を通じて日本の信頼回復に努力され、昭和64年1989年1月7日、昭和天皇逝去、125代の天皇に即位された。皇后の献身的なささえもあり、象徴天皇として国内外の信頼を勝ち取られたが並大抵のご苦労ではなかったであろう。皇后への信頼と愛情はつくられた歌にも表現されている。すばらしい。

「語らひを 重ねゆきつつ 気がつきぬ われのこころに 開きたる窓」 

 しかし皇室という存在、戦前、天皇は「現人神」であったのが敗戦後、天皇の人間宣言があり象徴という位置づけになったのだが、やはり日本人には天皇を別格にみる心情は残っていそうだね。戦争を体験していない戦後派の徳仁皇太子がいよいよ明日、令和元年5月1日、126代天皇に即位される。どんな天皇像を作り上げていかれるのか、これを契機に沈滞ニッポンが生まれ変われるか、楽しみではある・・・・

 

 

 

 

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190428 「古都おどる薫風ゆれて令和かな」!!突然注目の坂本八幡宮にいく。九博「令和特別企画」

2019年04月28日 | アフターセブンティ

今、太宰府市の楠田大蔵市長はホクホク顔。民主党県議で筑紫野市在住時とはまさに天地の開きだろう。太宰府の筑陽高校が春のセンバツに出場するし、新元号「令和」の典拠となったのが大伴旅人が自宅で催した「梅花の宴」での32種の短歌の序文からとられたということが今まで閑古鳥がないていた坂本八幡宮(大伴旅人の自宅があったのではないかとされる)が一躍、大脚光をあびることになったという次第。

市長はさらに太宰府をナショナル、インターナショナルブランドにすべくあの手、この手で大忙しというわけである。

 というわけで足もとの九州国立博物館も負けじと4Fに新元号記念特別企画と銘打ち、大伴旅人が主宰した「梅花の宴」につながる「歴史」と「交流」の体系的なつながりに着目して、九博にしかできないコーナーを設置、来館者に感動してもらおうというわけだ。それに先駆けボランンティア対象に令和特別研修会があり、先日参加してきた。

 1、もともと大伴氏は九州とは縁のない大阪湾沿岸の豪族だったが大伴金村が大和政権中枢で台頭してきて527年の九州の筑紫君岩井の乱の制圧に九州に進出、反乱軍を自軍にひきいれ対朝鮮の軍事勢力を拡大、征討将軍の基盤を作り上げた

2、672年の壬申の乱ではその制圧に大功ををあげ名門士族の直系として665年大伴旅人が誕生。天皇集権の律令国家が形成されつつあり、唐、新羅から新来文化がながれこみ、太宰府が重要拠点としてできあがった。順当に出世をかさねた旅人が720年勃発した隼人の乱を鎮めるため56歳の時、九州にきた。再度727年に太宰府の長官、師(そち)として63歳のとき着任。古代都市太宰府は平城京の規模を縮小した形で立派に整備されていたことが後の発掘で軒丸瓦などから想定される。

3、新元号「令和」の典拠である「梅花の歌32首 併序」の舞台となった梅花の宴は大伴旅人邸で催されたわけだがその様子が太宰府展示館でジオラマ人形で再現されている。

4、実はその梅花の宴のルーツは4世紀、「書聖」と称される唐の王羲之が催した「蘭亭の宴」とその序文「蘭亭序」の構成と一致するということ。太宰府が中国、新羅など交流の窓口として洗練された文化をとりいれそれが梅花の宴として結実していったわけである。

その話題の地、坂本神社に出かけた。政庁跡の駐車場の道路をはさんだ対面に臨時駐車場がつくられていてそこに車をとめ、神社に向かう。9時半ごろでそれほど観光客は多くない。

4~5分で到着。令和のノボリの下で記念撮影するカップルや十数人の参拝客。

  

大伴旅人の石碑などもある。TV局も取材に来ていた。令和の額が用意され撮影用に貸与されていた。

本殿は確かにひなびた感じ。急に脚光をあびてびっくりしている感じだね。かえり政庁跡をとおって太宰府展示館に向かう。

令和などに無関心がごとき集団もいる。初めて太宰府展示館にはいる。市長が休み返上で1300年前の梅花の宴にちなみ「時の旅人プロジェクト」時空を超えて1300年のプロジェクトPRに来ておられた。

館内は撮影自由でなかなか面白い。当時の宴の食事のメニューなど興味深い。

万葉集などももちろん紹介されていた。

あらためて和の典拠。

 初春の月にして(しょしゅんのれいげつにして)

  気淑く風ぎ(きよく かぜやわらぎ)

   梅は鏡前の粉を披き(うめは きょうぜんのこをひらき)

    蘭は背後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)

平成もあと二日を残すのみとなりました・・・・・

 (背後の香りの「はい」が文字転換できませんでした。背ではありません)

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190424 花々穀雨いただきしめやかなり!「快慶、定慶のみほとけ」九博特別展、特別観覧。六観音菩薩撮る!!

2019年04月24日 | 旧暦のある暮らし

24節気では「穀雨」。たくさんの穀物を潤してくれる春の雨が降る頃。穀物を育む雨を瑞雨、草木をうるおす雨を甘雨というとか。

わが家の庭の花々も雨の露を含んでしっとりしたたたずまいを見せている。今まで咲いたことがなかったツツジの樹にめずらしく3~4輪、花が咲いた。

 樹木というのは不思議なもので、梅でも木蓮でもカロリナジャスミンでもブルベリーでも剪定などやりかた次第で花や実のなり方が変わってくる。それぞれの樹木の特質を知り尽くしてタイミングよく手入れを施さないと次の年、楽しませてくれない。人の才能発掘も同じかもしれない。

 九博の春から初夏にかけての特別展、「快慶・定慶のみほとけ」が23日スタート、6月16日までの会期。去年秋、東京国立博物館で開催され100万人をこす(九博の約1年分)来場者があった展示会。

(天道へ落ちるのを助けてくれる観音様)

 京都では千本釈迦堂の名で親しまれる(私は今まで知らなかった。大学も京都だったのにね)大報恩寺のご本尊の釈迦如来坐像や釈迦の十大弟子立像、さらには六観音菩薩像など鎌倉彫刻の名品ほかが44点、ゆとりのあるスペースに見事に展示される。通常の特別展ではいつも100点以上の展示であるが今回はゆっくりと運慶,快慶などいわゆる「慶派のスーパースター」名匠の作品をじっくり鑑賞してもらおうというわけ。

(四苦八苦、人の世界へ落ちるのを助けてくれる観音様)

 さらに東京では撮影は六観音菩薩像のうち1体のみだったのが九博では特定スペースから6体すべて撮影OKというからうれしい。

(阿修羅道へ落ちるのを助けてくれる十一面観音菩薩立像)

 この大報恩寺は800年前、鎌倉時代に、義空とい天台僧によって開かれた密教寺院。源平の戦い、応仁の乱など荒廃した中で釈迦の思想に立ち戻ろうという機運の中、創建されたと言われる。ご本尊の釈迦如来坐像は快慶の一番弟子の行快の作。切れ長の目じりがあがったキラッと光る眼が特徴。身体の部分は金泥、衣は金粉が施され金の輝きが異なる。光背、台座とも素晴らしい彫刻。

(畜生道へ落ちるのを助けてくれる観音様)

京都ではご本尊をとりまく形で設置されていたらしい「十大弟子立像」。運慶と肩をならべた名匠、快慶が中心となって彫られた。般若心経でおなじみの舎利弗立像ほかそれぞれ個性のある9人の弟子立像が展示されている。年も顔つきも皆ちがい面白い。

最後の部屋は運慶晩年の弟子になる肥後定慶作の六観音菩薩像である。

古来、インドでは人間は生まれ変わると信じられていた。今の世でどんな生き方をしたかで生まれ変わる世界は変わる。天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の6つの世界を六道という。

(餓鬼道へ落ちるのを助けてくれる千手観音菩薩)

(地獄道へ落ちるのを助けてくれる聖観音菩薩立像)

それぞれ現在の己の生活ぶりで思い当たることを想定して、来世は繰り返したくないと思うなら該当する観音様を信心すれば願いをかなえてくれるというわけである。

 この六観音像にぐっと近寄ってみて、すこし引いて見て、さらにはぐるっと回ってみて鑑賞してもらいたいというのが展示課長のK氏のお勧めの楽しみ方らしい。

 今もそうだが昔も上から下まで悩める人々が多かったようだ。その心の救済を仏像に求めたのかもしれないね。現在の日本国民は一体何に救済を求めるのだろうか?愛する妻子を馬鹿老人のために一瞬のもとに事故死させてしまった夫は何に怒り何に救済を求めるのか???

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190422 池袋、78歳老人の過失致死交通事故に憤る!?。太宰府門前真舞祭で気晴らし!

2019年04月22日 | 辛口ひとりごと

 わけのわからない交通事故死事件が相次いでいる。車は市バスとプリウス。プリウスといえば去年だったか、博多の原三信病院にプロのタクシードライバーが制御不能状態で病院につっこみ死者がでた。裁判にもなったらしいがどうやら車の欠陥ではなくドライバーの運転操作ミスのようだ。プロの個人タクシー運転手に操作ミスがおこるのか??

(庭の青もみじ)

 私はスズキのエブリーを改造した軽キャンピングカーに乗っているが5万キロ6年走って無事故、バックカメラもついて車高がたかく運転しやすい。週一、妻と娘をつれて8年前買ったプリウスで買い物にいくが車高も低いし当然ボンネットの先も見えないし、センサーはついているがバックカメラをつけなかったので、とにかく視界が悪い。20センチ以上障害物に近づいたら警報音がなる。警報音がなるまでゆっくりバックするしかない。

(青もみじのさきにハナミズキが咲いた)

 池袋の87歳の老人、勲章ももらった東大出の偉かった人らしい、がカーブでガードレールをこすったあと、猛スピードで市街地を暴走、自転車を跳ね飛ばし、時速100キロ近くで母娘をひき殺し、ごみ収集車を横転させ、車が回転、対向車と激突してやっと止まった。エアーバックが開いて夫婦は無事、息子に携帯でアクセルがもどらなくなって何人か人をひいたと知らせたとか。

 私は車に乗ったら、アクセルからブレーキに踏みかえる動作を5~6回繰り返して、瞬間的にブレーキをふめるよう足に覚えさせる。2年前、教習所で高齢者講習を受けた時も夜間動体視力は悪かったが瞬発力は20代と判定された。この自信も問題だとよく言われるがとにかく乗車する時のブレーキふみは基本動作として体に覚えさせている

(ナニワイバラのアーチ)

ところがこの池袋のケースではブレーキを踏んだ形跡もなくブレーキランプも目撃者証言で点灯していなかったたらしい。このお年寄り、自宅の車庫入れもおぼつかなくなってきていたらしい。老妻も助手席に乗っていたらしいが奥さんに家を出る時の状況から事故を起こして停車するまでのことをしかと事情聴取すべきだね。テレビ局も勘どころを押さえた報道をしてもらいたいものだ。

おかげで妻からまた軽キャンでの遠出セーブがかかりそう。人様に迷惑をかけちゃ絶対ダメというわけ。なくなった母子がほんとに気の毒、若い旦那さんも茫然自失だろう。まったくむかつく事件である。

 気分なおしにおりたたみ自転車を引っ張り出し九博にむかう。天満宮4か所で九州近辺のヨサコイチーム60団体が終結、太宰府門前真舞祭がひらかれている。若い集団のよさこい祭りをみて、気分をなおすべく、九博前に11時着。いつもは遊園地前に陣取るが今回は九博のガラス壁面前に陣取り、ルミックスFZ300を連写モードにセットして撮影。

ばしゃばしゃシーンをかえて撮っていたら500カットをオーバー、なんとSDカードの容量切れ。予備バッテリーはもってきたが予備のSDカードはもってこず。あきらめて帰宅。また妻から、なにかミスをするんだから・・・・いやはやの1時間でした。

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190418 38回目の写真展、イキイキ情報センターで開催。個性発揮の勝負!!

2019年04月18日 | 趣味と交遊

私の所属する写真愛好会の通算38回目の写真展が太宰府イキイキ情報センターで22日まで開催されている。今日は午前中の当番ででかける。終了後併設のトレーニングルームにいけるようなジャージ姿で出かけた。

1Fのスーパーが閉店したとかで来場者の流れがどうかわるのか心配だったがそれほどいつもとかわらない来場状況。昨日、私の知人が二人写真展に来てくれているのが芳名帳でわかった。ちょっと電話でもくれたら説明にとんでいったのに残念でした。ひとそれぞれのキャラクターがあるのでなんともしがたいが・・・。誰がいつ当番につくか、明らかにしておくほうがいいかもしれない。

受付横のあいさつ文をみると今回で38回目と記載されていた。今回は16名、26点の作品が展示されている。それぞれキャリアもちがうし、写真への取り組みスタンスもことなる。したがって個々の差異は結構あるがそれ自体問題ではなく、撮り手の感動と見てくれる人たちの感性が一致すれば共感を呼ぶことになり結構なことではある。

桜のように開花はお天気次第というのではなく自分で被写体をコントロールするには家に眠っているお人形さんなど持ち出して撮るのも手であるね

鯉が泳いでくるのを待ってるときに眼前に美女二人が出現。あり難いチャンスである。果報は寝て待てか

「号泣」というタイトルにいったいどんな写真かと出品リストだけをみると考えてしまうがなんのことはない。顔のようにみえる建物の目の部分の窓から雨露がしたたり落ちている写真。Yさんはいつも外を歩いていても顔に見えるものはないかと目を皿のようにしている。

熊本の鍋ケ滝の氷結写真。四輪駆動で冬タイア、足はアイゼンのついた靴。必要装備と雪や寒さにめげない気力がないと現場にいけない。

 ベテランそうなお客さんがいい写真は1年間、飾っておいても飽きがこない写真じゃないかと思いますと言って一番好きな写真として示したのがうえの写真。「あさぼらけ」というタイトルの諫早干拓地から普賢岳をのぞむ風景写真。最初カラーだったのをモノクロに変換して空気感をだしたらしい。フォトマスターの資格ももっているわがクラブのトップフォトグラファー。

 

加齢とともにだんだん行動力がおちてくる。家族も交通事故など心配してそっちからも行動が抑制される。したがってバタバタあちこち行かず特定の気に入りの一か所をきめて3~4日逗留して朝から晩まで撮り続けるというやり方に転換したほうが良いと思う昨今ではある。13時に当番を次のメンバーにひきついでトレーニング室に移動。30分歩速度6キロであるくだけでなくインターバルで5分ジョギングをいれるなどして足腰の筋肉に気合をいれた・・・・

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190415 住宅団地自治会の年次総会、役員体制にも高齢化の影響。令和2年には役員をせねばならない、早いね

2019年04月15日 | アフターセブンティ

 総世帯数171。3分の1が65歳以上の高齢世帯になったらしい。私がこの場所に新築したのは54歳の時、子供もたくさんいたように思う。最近は少ないので子供会が成立しないとか。敬老の日の対象者が増えつづける。

 

13時開会。72名の出席、74名の委任状受理で過半数の出席ということで総会成立、副会長が開会宣言。第二十二回通常総会をというべきところを通常国会と言ってしまい会場の笑いを誘う。まあ、アイスブレイキングになって怪我の功名。いつものAさんが議長に選出されて議事が始まる。

 

ここ2~3年、問題となる案件がないのでスムースに議事が進行する。総務広報、安全管理、行事の各委員会からH30年度の活動報告。ついで会計報と監査報告。いずれも定型パターン通りですんなり採決。文書の保存期間の規約改正案もすっと通過。すでに調整済みのH31年度新役員案も通過。新役員陣が紹介され、新旧交代。活動計画案も2~3の質問がでて追加修正、採決され、自治会予算もパス。最後に総括質問。

 

Oブロックから役員がでていない理由を説明してくださいという質問。AからPまで16ブロックあるがブロックによって8名から14名とばらつきがあり役員は毎年順送りで回ってくる。高齢化や病気などで役員が務まらない世帯もでてくる。4~5年前、役員の選出についての規定が変わった。75歳を過ぎた人で就任不能と判断されブロック内で承認を受けた場合パスできることにするという規定。今回、その規約の適用第一号というわけ。

 

さらには最近、街づくり協議会と称する地域コミュニティ活動への出席なども要請され役員の負担が増えるので余計になり手が減ってくることが考えられる。

 筑紫野市には82の行政区があって9世帯から2273世帯まで大きなばらつきがあるらしい。それを大きく7つの地域コミュニティに再編成して行政や団体が互いに支え合う街を作っていこうとする市の試み。発想はいいとは思うが誰が進めてゆくのかという人の問題が出てくる。

 

 24時間営業を売り物にし、災害時の避難、食料飲料供給基地としてのインフラでもあったコンビニエンスストアすら人出不足で営業時間短縮を余儀なくされようとしている。人口減少、外国人労働者の増加などいろんな面で考え方仕組みを変える必要がでてきました。私は来年75歳になるが妻はまだ70歳だからパス申請は難しいかもね・・・・

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190413 久しぶりのトレセンのあと、夏タイヤへの交換。平成流行語トップ10、1位「今でしょ」!

2019年04月13日 | アフターセブンティ

 久しぶりのイキイキ情報センター2Fのトレーニングルーム。30分のジョギングと筋トレ、計100分。シャワーを浴びて出る時は爽快、心地よい。健全な肉体に健全な精神が宿るだね。しかしスタンプカードをみて驚く。このトレーニングルームを利用し始めて2年になるが今日で85回目の利用。週2回ペースで利用していたら200回をこえていたわけですね。ちょっと気合をいれて頑張ることにしましょう。

 えらそうには言えないが絶好調でスタートしたソフトバンク柳田が肉離れで離脱、SB2位陥落。もうすこしイチローを見習ってもらいたいね。ぶんぶん振り回してホームラン40本狙う前にけがをしない体づくりに専念すべきじゃなかろうか。連続出場記録の広島衣笠選手もえらかったね。ケガ、離脱はチームに一番迷惑をかける。はやいこと復帰してもらいたいね

 

帰り、オートバックスによって冬タイヤから夏タイヤへチェンジしてもらう。ことしも雪の中を走ることはなかった。阿蘇、九重などを想定していつも12月はじめに冬タイヤに履き替えるが結局は冬、雪中に被写体を求めて撮影に行くほどの気力がないということか。

 夕刊に平成流行語ベスト10がでていた。1位は林修先生の「今でしょ」2位は京大山中教授の「IPS細胞」3位は平成元年の「セクシャルハラスメント」と「IT革命」。うかうか女性に冗談も言えなくなった。いつ頃からガラ携からスマホに一斉転換したのかね、5位は「同情するならカネをくれ」これはあまり記憶なし、6位は「チョー気持ちいい」平泳ぎ金メダリスト北島康介、7位は去年の冬季五輪「そだねー」カーリング女子。8位は最近の「インスタ映え」9位は平成23年の「なでしこジャパン」。なにせあの巨大地震大津波の年に女子サッカー世界1、すごかった。10位はおなじく神戸大震災の年のイチローのオリックスが優勝した「頑張ろうKOBE」

 あと2週間少々で平成31年が終了して令和元年ということになる。平成元年、私は44歳でした。男のゴールデンエイジ40代の真っ盛りでしたがあの時がピークだったですね。それから平成19年62歳で定年退職し、嘱託で3年、平成22年完全リタイアするまで振り返ると凡人でした。才能あり、特待生、そして名人へとはいきませんでしたね。良かったか悪かったかわかりませんが上昇志向も薄かったということでしょう。

  

わが家の庭は春の花々が満開です!!

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190410 孫娘中学入学式。桜も見納め、散り際いさぎよし、時は移り行く!

2019年04月10日 | 趣味と交遊

孫娘の中学入学式。絢爛たる桜も面影を残しつつ落下盛ん。九博のボランティアの予定が入っていたので孫娘宅へはいかず妻のみ留守番にでかけた。送ってくれたスマホ写真をみると詰襟5つボタンの男子生徒の中にいるいくばくか不安げな孫娘の顔、時代はあらたなステージに移ってゆく。3年先に高校受験を控えてこの3年、どんな学生生活を送るのか? 13,14,15歳と多感な時を迎える。

 カメラのキタムラで孫娘との12年間のフォトメモリーを21ページのアルバムにつくりあげた。生まれてから小学校卒業するまでの125枚の写真を21ページに編集、それぞれのページにコメントをつける作業、4時間かかった。

 

出来上がり待ちに御笠川の桜並木の撮りおさめ。

  

西日をあびて輝く桜、菜の花、水浴びしている野鳥、ジョギングしている女性、

学校帰りの自転車の女生徒、春の盛りの1シーン。

昨日でかけた定番スポットの朝倉、草場川の桜並木も花吹雪、花筏の様相だったが。

あらたなステージにむけすべてがかわってゆく。不易流行、かわらぬものと変化してゆくもの。変わらぬはわが生活だけかね。老いはゆっくりゆっくりとすすんでゆくが・・・・

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190408 クサガメ、かめこちゃん、4か月の冬眠からお目覚め、生命の神秘!福岡県民、派手さより堅実誠実を選択、小川候補圧勝、3選。

2019年04月08日 | アフターセブンティ

 福岡県知事選、小川現職知事が麻生副総理ひきいる元厚生官僚の竹内候補の4倍の130万票近くを獲得して圧勝した。小川氏とて京大出身の元特許庁長官でまったくの官僚キャラ、副総理の指摘するビジョン、リーダーシップの不足感は私とて感じていて、2期8年地道に努められたがぼちぼち若手の清新な人材にかわってもいいかなと思っていた。

 が、福岡県民は地道、堅実、誠実というキャラを選択、嘘を平気でつく安倍1強政治に辟易、輪をかけたような麻生副総理の鉄面皮キャラにぼちぼち鉄槌をくだそうと感じ始めているのかもしれないね。応援していた福岡市長も劣勢に腰砕けだった。麻生大先生も潮の流れを十分感じ取って、ぼちぼち引き際を考えるべき時ではないでしょうか?

 去年11月末頃から普段使っていない洋室の納戸の中で冬眠していた、わが家の10年をこえるペット、クサガメのカメコちゃんが冬眠から無事お目覚めになりました。元気そのもの。

飲まず食わずでよく水中で4か月も生きていられるもので生命の神秘を感じますね。10度以下の気温維持が冬眠成功のポイントらしいが、両棲類というのは変温動物とかで低体温の状態でなかば仮死状態故、栄養も不要で生き続けられるということらしい。まあ無事冬眠から生還してよかった。

 <冬眠のさせ方>

1、ホームセンターで内径40センチ、高さ32センチくらいの漬物用のプラスティック樽を購入

2、同じく砂も調達して、水をいれてかきまぜごみをうかせて、きれいにする。

3、砂を10センチくらい入れて、5~10センチで傾斜をつけておく

4、水を底から15センチばかりにして、亀をいれて、漬物ふたのかわりに、格子状の網をおいて、その上に新聞紙をおいて、普段開閉しない、押し入れの中など暗所に設置する。暗くして、呼吸はできる状態にしておく。

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190405 プリウスの6か月点検をして恒例の孫たちとの温泉ツアー、あの別府杉乃井へ!!

2019年04月05日 | マイ家族

恒例の孫たちとの温泉ドライブツアー。孫娘は10日、中学校の入学式、孫息子は小学3年生に進級、恒例のこのツアーも今年で最後になるかもしれない。二人は水泳教室に通っており、友達の間で別府杉乃井の造波温泉プール、アクアビートの話を聞いていたらしく、妻が杉乃井に行くよというと大喜びだったらしい。

 ちょうどプリウスの6か月点検の案内がきたので、点検、タイア圧アップ、洗車とやってもらって3日10時別府に向け出発、孫たちは嬉々としていた。

筑後小郡ICから大分自動車道にのって、途中、由布岳PAでトイレ休憩、別府湾SAで昼食。大分名物、とり天定食750円なり。

 13時過ぎ、杉乃井ホテルの立体駐車場に入ってしまう。HANA館にTEL、近くの駐車場はいっぱいらしい。しかたなく2Fエレベータ近くにとめて、それぞれ荷物を引っ張り出し1Fで待っていたシャトルバスにのりこむ。8年前のエクリプスのナビがどうもパナソニックのより使い勝手がわるくさっぱり音声案内をしない。予約を妻任せにしていたから駐車場事情の状況把握が不足していた。

 杉乃井ホテルは別府八湯のなかの観海寺温泉郷に位置するホテル。新聞にでかでかと広告がでる温泉レジャーランドみたいなもので中国や韓国の観光客でうじゃうじゃしているイメージだったので今まで選定外のホテルだった。来てみれば地元民も春休みとて家族連れで温泉プールにきていて駐車場がないはずである。とりあえず、荷物をフロントにあずけて早速アクアビートへ。

   

プールや海はとんとご無沙汰だったので妻ともども見るだけ。子供たちは嬉々としてプールへ。温室に入ったみたい。一定時間ごとに案内があり滝が出始め、波がでてきて足元まで押し寄せてくる。チェックインは2時半だったので、私は外に出て周辺探索。

 

桜の間から湯けむりがでて温泉ゾーンの雰囲気。3時、私だけ先にチェックイン。このホテルはボーリング場、アクアビート、ゲームセンター、シーダパレス(大バイキングレストラン)、アクアガーデン(水着着用温泉)、本館上の天空露天風呂「棚湯」、HANA館と館内通路でつながっている。4時過ぎ子供たちが帰ってきた。部屋は海側で別府湾がずっと見渡せる。和洋室、ベッド2、和室で3人。5人部屋というわけ。

早速、孫息子と棚湯へ。外の露天に出てみると湯が棚田のようになっている感じ。温泉の海につかってその先の別府湾を見渡している感じ。スマホ、カメラ持ち込み禁止。

パンフでみるとこんな感じ。朝は日の出が海から上るのが見れそう。これがホテル人気のおおきな目玉のようだね。18時半、シーダーパレスヘ。中央に円柱水槽、その周りに酒やワインのコーナー。周辺にぐるっと日本食,中華、洋食、スパ&パスタとバイキング。

2Fでは外人の4人グループ、ラテン系の音楽が奏でられていた。バイキングは好きなものが食べられる反面、選び方がむつかしい。できるだけ食べたことがないのを少量ずつ、何回かにわけてとるのがいいのかもしれない。

 

20時、外に出てライトアップされた周辺を散策。9時前部屋にもどり、私以外は温泉へ。棚湯の夜景を楽しみ、ゲームに興じて彼らは10時過ぎ帰ってきた。孫たちはおおいに楽しんだようだ。

 翌朝、6時半、棚湯へ。日の出は5時58分の表示があった。昨日は気が付かなまったが海からの日の出を見損なった。きらきら輝く別府湾をみながら寝っ転がって眺める。至福の時間でした。

8時半朝食バイキング、11時チェックアウトなのでそれまで子供たちはアクアガーデンへ。その後ボーリング場に行って2ゲーム宿泊料金内のサービス。

1年ぶりのボーリングでした。しかし孫たちにボーリングを教えるのはむつかしい。まずは助走してボールをまっすぐ振り子のようにして投げるということが教えてもまったくできない。うまくいかないので孫むすこはべそをかいていたが2~3本でも倒れたら大拍手で機嫌取りが大変。14時半、お遊びはこれで終了、一路筑紫野へ。

 小郡ICをおりて、城山公園にたちより形だけの花見。すでに花吹雪でしたね。17時自宅到着。高速で120キロくらい出して追い越すのを妻たちはひやひやしながら見ていたようだがバカにしてもらっちゃ困ると言いたいところですがね。まあ無地に帰れて、孫たちも満足したようなので結構なことではありました・・・・・

 

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