ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

120131:久しぶりに菅原道真ゆかりの天拝山にのぼる

2012年01月31日 | 趣味と交遊

この1週間、寒さで身体がなまった感じ。陽光がでていたので14時ごろ野鳥や光と影(写真のテーマ)をもとめて天拝山にでかけた。いつもふもとの武蔵寺には行ってるがひさしく登っていない。宝満山となると少々しんどいがこの山は標高256Mだからたいしたことはない。9合目から頂上まで350段ばかりの階段はあるがどうってことはない。
この山は九州にながされた菅原道真が自らの無実を天にむかって叫び続けたということでてんぱいざんという名になったとか。その怨念が京都にとどき災いをもたらしたとか言われている。途中、道真が歌ったとされる和歌が残されている

1月はふもとにさざんかや菜の花はあるが頂上までは光と影、緑のみで赤という色彩は皆無で寒々しい。雲間から日がさしてくるとほっとする。最後の階段を登りきると古木の根っこがあらわれ歴史の古さをあらわす。

頂上にも御社があり狛犬が守っている。

写真をとりながら往復1時間半ぐらいの適度な運動。9合目から左にまがっていくと野鳥の森があるとでていたがまた次回にする。
下山していると木漏れ日の中をダックスフンドが足早におりていった。後ろ姿しかとれなかったがシャッターチャンスを逃した。
「武蔵寺と天拝山の四季」というテーマで毎月登ることにする。
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120129: いつの日か こころひらけよ 寒すずめ

2012年01月29日 | 辛口ひとりごと

 なにか気象環境が変化しているのだろうか。この時期、わが家の庭には毎日、めじろとひよどりがきていたが今年はさっぱり姿をみせない。こんな異変は先日の竜岩青少年の家での探鳥会でも参加者がもらしていた。なにかさびしいね。
 かれらに代わって今年の主役は雀たちである。庭先のえさ台に餌を置いてやるとすぐに偵察隊がやってきてしばらくすると5~10羽がわーっとやってきてがつがつ食べ始める。じっと観察しながらカメラに近ずくとバーっと飛び去ってしまう。リビングの中での人の動きを察知する感度はすごいものだ

 よく見ると必ず1羽はきょろきょろ周りをうかがう監視役をやっているようだ。それがわずかな人影の動きも察知して仲間を飛散させる。毎日えさをやっているのにいい加減慣れてもらいたいものではあるがなかなか難しそう。かつて大阪の鶴見緑地公園で腕に雀が鈴なりにとまらせているおじさんを見たことがあり、まったくだめということではなさそうだがこころを開いてくれるのを待つだけだ。ここで1句。

     いつの日か こころ開けよ 寒すずめ

 写真を拡大してみると黒ネクタイをして結構かわいい目をしている雀ではある。都会にいる雀やハトなど人間になれて平気で近寄ってきて、パンくずでも投げてやると一斉に奪い合いをする。すごい生存競争をかいまみるがその時のすずめの目が怖いくらいギロットしていたことを思いだす。やはりすさんだ生活をしていると目つきが悪くなるようだね。これは人間でも同じこと。つねにやさしい気持ちで笑顔や言葉でまわりに施す気持ちと行動が必要だね。

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120125:107歳まで生きた伝説の彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)

2012年01月25日 | アフターセブンティ

 当年とって(10歳引いて)55歳の友人Kさん(情熱のコンサル)が賀状で私のブログIDを教えてくれと依頼があり、先般連絡、夜中の4時まで読んだと返信あり、ありがたきかなである。過剰にほめてくれていたが、男の人生80歳ときめつけるのはよくないとアドバイスをくれた。このブログのプロフィールに男の平均寿命80歳までの自由時間6万時間をどう生きるかをテーマにつづると書いていたのをみてのアドバイス。「平櫛田中をネットで調べてみて」とあった

「六十、七十は鼻たれ小僧、男盛りは百から百から。わしもこれからこれから」
「いまやらねばいつできる。わしがやらねばたれがやる」


この箴言をいったのが「ひらくしでんちゅう」さんというわけ。私は今まで知らなかった。明治5年に岡山県井原市に生まれ、平櫛家に婿養子にはいったが名字の田中を名前にして平櫛田中として昭和54年107歳まで彫刻家として生き抜き、東京の国立劇場に「鏡獅子」という国が2億円でゆずってほしいといったと言われる大作が今も人々の目を引き付けている。井原市には田中美術館がありすばらしい作品が展示されているらしい。この鏡獅子という作品は戦争を挟んで20年間をかけて制作され80歳の時に完成したという

Kさんはきわめて感性豊かなコンサルで企業の活性化にとりくんでおり、ベーアンベーの大型バイクを駆って史跡探訪などもしている、まさに「情熱大陸」に生きている万年青年である。先日のM氏といい、知的刺激をあたえてくれる稀有な友人である。
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120118:腹蔵なく語り合える友人と久方ぶりの再会

2012年01月19日 | アフターセブンティ


 十数年前、私が現役であった頃、経営診断をした企業の経営企画室長だったM氏と久方ぶりの再会を果たした。今年いただいた年賀状に「一度会って一杯やりたい」旨したためてあり、さらに今年退職しますとあったので先般早速電話をして西鉄大橋駅で落ち合うことになったもの。約束の時間になつかしの顔を相互に確認、M氏のいきつけの魚のうまい店に早速むかう。お互い、全然変わってないねと語りながらまずは生ビールで乾杯。

 M氏は診断のあと、その推進リーダーとして経営改革にとりくみ、その後、役員となり今、ISO14000の取得に取り組んでいう。ISO9000は自ら推進リーダーで取得、今、後進を指導し、7月には審査が終了、そして引退するということらしい。診断当時から、謙虚ではあるが頭脳明晰、理論家肌で哲学や美術に関心が深く、手ごわい相手だったが企業の本質的課題を共通認識でき診断作業もスムーズに推移したものだ。
 うまい酒に杯を重ねつつ、お互いの趣味や今後について語る。いままでとりためた写真など見せたりしたが、独自の審美眼でずばずば批評してくれる。腹蔵なく語り合える友人と言うのは得難い存在だ。
 熱いだしまきをさかなに熱燗をやりながら池波正太郎を読んでいる時が至福の時間だねというとM氏は「農園で芽が出始めた時の生命の喜びやこのブログを書き続けたりすることが私の至福の時間かもしれないよと言い返す。
 彼は森の中でフィトンチッドを浴びながら自然と対話しつつ絵筆を動かしている時かなという。まあ。おたがい死ぬ時、ベッドサイドで「○○している時は楽しかったな、ありがとう」と言って死ねれば最高だねということになる。
3時間余りがあっという間にすぎ、また8月にリタイア記念で飲みましょう。私から連絡します」と約束して別れる。久方ぶりに知的刺激をうけたひと時であった。

 翌日、昼過ぎM氏からTELがあり「大丈夫だったですか、お互い大分飲んだようだから」・・
飲んだ翌日、電話をくれるという友人は意外といないものではある。
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120115:新聞に全面広告がでた無料株式講演会に出席

2012年01月15日 | 辛口ひとりごと

 西日本新聞に3回くらい全面広告がでていた無料株式講演会に出席した。広告料も結構かかっていると思うが3回の無料講演で底値の株の見分け方、大きく上がる株の見分け方、上昇寸前の株の見分け方について話すという内容。
 要するに株で儲けるには安値で買い、高値で売ればよい。ところが投資家には3ランクあって、賢い投資家は底を知り、買って、株価があがり、上がりきるちょっと手前で売って利益を確定する。中ぐらいの投資家は賢い投資家のちょっとあとを追って買い、売る。下手な投資家は上がりきった高値で買い、下がるとまたあがると期待して売り損じ結局安値で売り損をする。
 底値の株を知り、上昇株を選ぶ、しかもすぐあがりそうな株を発見する。そのために世界経済の知識ややパソコンは必要ないとのこと。

 株価はどのように変動するか? それは天地自然の法則、にしたがって動くという(多分、人間心理の原則もあるのだろう)どちらの株もこのリズムで動いており、4本のローソク足(始値、高値、安値、終値)と出来高に反映されている。
 このローソク足を自分の手で書き続けることで変化のサイン、シグナル、合図を発見する眼力が養えるという。この研究所は48年間の株価推移グラフを手で書き続け、そして20の株で儲けるゴールデンルールを発見、確立したというわけだ。
演台に2M×4Mくらいのチャート5枚がおろされ、京セラ、ソニーなど5社の3段下げ(賢者が打って1段さげ、中くらいが売って2段さげ、下手が売って3段さげ、底をうって反転、2~4倍に上昇した)の事例が紹介される。

 これらの底打ち、反転、上昇する銘柄を自力で発見する眼力を自ら株価チャートを書くことによりつけてもらいたい。そのためにこの無料講演会3回、体験講座3回(1千円)、入門講座3カ月(9回)、本講座1年、有料で勉強してもらいたい。そうすれば受講料くらいすぐ回収できますよという感じ。さて何人くらいの人が体験講座に申し込むことやら?
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120112:酸素濃縮室に入ったアワーフェレット「マーブル」

2012年01月12日 | マイ家族

10日の朝、いつもより早く起きてきた妻。マーブルの調子が悪そう、病院に連れてゆくという。さっさと朝のルーチンワークをすませて8時半、博多駅近くの動物病院につれてゆく。薬でちらしていた肺気腫が再度発症、水がたまり心臓も弱くなっている。即入院。岡山の息子にも連絡。11日に福岡で会議があるので夜帰るという返事。
 人間でいうならもう70歳くらいのおばあちゃん。加齢で目も不自由になり、部屋の中を歩き回っていても臭いを嗅ぎながら動いているようでぶつかりぶつかりしている。
人間と違いしゃべることができないからこちらが察してやらないとだめよと妻が言う。いままで砂のはいったトイレでおしっこやウンチをしていたのが最近はままならず部屋の各コーナーに置いた新聞の上で用をたす。
 帰ってきた息子はさっそくレンタルで酸素濃縮機をオーダーしてきたという。ゼーゼー大きな呼吸をしていたのが楽になるらしい。これも人間並みの処置、おもいやり。まったく家族同様といったところ。そういえば年間35000円くらいのアニマル保険にも入っているという。妻の友達が愛犬を病院に連れて行った時、思わず自分の健康保険証を出してしまったという。笑いばなしみたいだが現在のペット社会を象徴しているね。
息子にも「マーブルくらい心底愛せる女性を探しなはれ」と冗談ではなくなかば本気で言ったものだ。
 写真のような酸素濃縮室が宅急便で到着した。月電気代が5000円くらいかかるそうだ。
12日、先生に電話して容態を確認する。レントゲンでみると水もきれいになくなり昼には退院可能と言う。二泊三日の入院費薬代など2万5000円ほどだったらしいが保険で半額以下だという。息子が引き取りに出かけ2時間後に帰ってきた。意外と元気にいつものなつかしい部屋であちこち動き回っていた。

さっそく酸素濃縮室に入れたが心地よさそうにすぐ眠った。まあよくなってよかった。2週間後もういちどレントゲンチェックと言う。14時、息子は岡山へスタッドレスタイヤにはきかえた車でかえっていった。20時、岡山着のTELが入る。元気だね。また妻が息子にかわってマーブルの面倒をみることになる。
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120110:十日恵比寿神社、博多芸妓衆の「かち詣り」あでやかなり!

2012年01月10日 | 趣味と交遊

 写真同好会の新年1回目の例会があり、4月から役員を担うことになった。去年まで順番制でその最後が自分であった。新年度からご破算で役員を考えようということになり少数派の60代が世話役をさせていただこうということになった次第。

 現会長が12時40分のバスでJR経由で東公園内にある恵比寿神社に芸妓さんを撮りに行くという情報発信。私は妻との約束がありいかないつもりだったが帰宅してそのことを話すと「いってらっしゃい」という。最近は写真に理解を示しているのか、家にいるのがうるさいのかわからないがホイホイとそのバスに乗ることにしJR吉塚にむかう。それほど寒くもないし、東公園の沿道の出店周りは商売繁盛を願う人達中心に大層賑わっていた。太宰府とはちがい出店の数は圧倒的に多いね。神社の境内に着
くと参拝の列と金2000円なりの福びきの列が続き。なんでもかんでも「大当たり」という掛け声で盛り上がっていた。
 良い賞品があたると笑顔もおおきく崩れるが大人は概して笑顔は微妙だね、腹から笑っているような人は少ない。やはり世相か

 15時ごろ、博多那能津会」の三味線や太鼓に先導されて、日本髪に稲穂のかんざしを挿し、正月の正装の黒紋付を身にまとった博多券番の芸妓衆たちが徒歩でしずしずやってきた。例によって一斉に観客が身をのりだし、ばしゃばしゃやりだす。今日は30センチばかりの足場を用意しシャッターをきる。やはり黒紋付はあでやかだね。まあしかしあっという間に拝殿に消えてゆく。また帰りをまって写真をとる。しばしスナップショットをくりかえす。じっとしていても仕方ないので拝殿にいる芸妓衆をおっかける。人ごみでなかなか撮るのは大変だがちょっとくつろいだかわいい笑顔をしている若い芸妓さんに狙いをさだめてシャッターをおす。

 祈願をおえてかえってゆく「かち詣り」の一団を乱射して、撮影会終了。のども乾いたし、気温も下がってきたので「酒」「おでん」の幟をめざし直行。やや甘口の熱燗が五臓六腑にしみわたる。反省会をひととおりやり、2合あいたところで駅に向かう。この時間になっても参拝客の列がえんえんと続いている。

 今年の景気はどうなるか、東日本エリアへの復興事業が本格化するだろが、外的環境は厳しいばかりだろうね。豚バラが3~4年前は500円くらいだったのが300円くらいになっている。デフレはチジミ志向になるね。
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120108:7日夜は「鬼すべ」、8日は新年写経会(武蔵寺)

2012年01月08日 | 趣味と交遊

昨晩は太宰府天満宮の厄払い伝統行事「鬼すべ」(平安時代の986年に始まったとされる)にでかける。去年も21時ごろ立ち寄ったがすでに会場はいっぱいでろくな写真しかとれず、今年はまんを持して19時過ぎでかけたが、その前に行われていた「うそ替え」神事を観たりして、20時20分ごろ、鬼すべ堂に上がって行ったらなんとすでに、観衆が占拠、写真をとれそうなポジションはすでにない。なんとどじなことか。20センチちょっとのミニ脚立を持っていたが頭一つでるものの、前の観客が腕をあげて写真をとるは、携帯がにょきっと突き出されるはで結局去年と同じ葉目に。要するに会場のレイアウト認識とタイミングのずれが失敗の原因。1時間強、小さな椅子にのっての撮影で足ががくがく、散々でした。早めの事前ロケが大事ですね。

一夜あけて、気をとりなおして武蔵寺の新年写経会にでかける。本殿での写経法会のあと作法にのっとり写経。約1時間、一字一字に気をいれて(息を吹きかけないよう和紙のマスクをして)写経をしてゆく。二日に自宅で書き初めもしたがやはり作法通りすると気持ちもすっきりする。次は例によって井上住職の法話。

最近は年中無休の店がふえたり、おせち料理を家で作らなくなったり、海外で正月を過ごしたりでだんだんと日本的な正月らしさが薄れ、二日目からカレーを食ったりする。まあ、いろいろだが数えで歳をひとつ重ねる節目、あたらしい自分づくりのスタートにしたいもの。もっともなこと。亡くなったアップルのCEOスティーブジョブスの話がでるとはおもわなかったが「私はいろんな人たちから恩恵をうけている。だからお返しできることはすばらしい気分だ」SJが言ってたらしい。まさに般若心経の無常と無我の精神そのもの。ひとさまのためにたとえ少しでも善行できるひとは、すでに生きて仏道を成じていることになる。
武蔵寺の入り口に「時は今、ところは足元、打ち込むいのち」。今、ある命は奇跡の産物、感謝をして、人様に返す。これが仏道修行。足元の簡単なことからしていこうというわけである。
どこかの本に書いてあった。「今という、今なる時はなかりけり。まの時くれば、いの時は去る」
 
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120106:ボウリングクラブ、新年食事会、初ボウル。妻とのウオーキング再会!

2012年01月06日 | 趣味と交遊

 ボウリングクラブの初例会。去年はボウリングをして夜、新年会をしたが今回はメンバーの諸般の事情で夜の予定がたたず、昼の食事会にきりかえる。だんだん歳をとってくると本人や配偶者の状況がいろいろ変わってくる。

 ボウリング場の近くの食事どころに会場を設定、女性4人、男性2人の6名が集まり、食べ放題ランチをたのみ、ノンアルコールビールで乾杯。堀炬燵式なので腰痛持ちにはありがたい。ノンアルコールビールも味はいまいちだが結構売り上げが伸びているらしい。なれればこんなものかということで定着するかもね。なんせ飲酒運転事故死日本1の福岡だからビールをつくる、うる、のむの三者が一体となった改革がいるね。基本的はバイキングらしいがいちいちとりにいくのも面倒だしお任せにする。どんどん料理が運ばれ、女性陣の食欲とおしゃべりはすごい。二人の男は静かに飲食。

 メンバーの事情で参加率が最近5~6割にダウン。毎回1000円徴収、3ゲーム900円で100円は積立し、ハンディキャップゲームの賞品などに充てるようにしているが数が少ないと開催もできない。とりあえず去年の4月から蓄積したのを各人に返却することにする。今回の食事会はひとり2330円の会計。あとのボウリング900円。この返却金で充当してもらう。結構満腹し、ノンアルコールにもかかわらず気分がよい。10分で移動してボウリング。

 去年はマイボールをつくって、アベレージ170を目標にしたが150を割った。今年は160以上できれは170をだしたいもの。問題は安定性だね。180だして次が120じゃだめ。スペアをづっとだしてもさほどスコアはあがらない。ノーミスでづっとスペアでも180前後、やはりストライクの3連発(ターキー)をその間にいれていかないと200アップは難しい。まあ力まず、コントロール第一にして、フックボウルをしっかり投げれるようにしないとだめだね。

 17時帰宅し、あまり、おなかもすいていなかったが軽く夕食をすませ、18時半から妻と夜間ウオーキングの再会。妻は骨折以来37日ぶりのウオーキング。事前に下見した新しいコースを約30分、ウオーキング。私には少々物足りないが初日はこの程度にとどめておく。それでも寒い中、力をいれて歩けば、帰宅して家に入ると身体がホカホカしている。まあそれなりに身体が活性化しておるのだろう。継続は力なり。無理せず続けよう。
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120103:初詣、初風呂、書き初め(写経)、写し初め(箱崎宮、たませせり)

2012年01月03日 | アフターセブンティ

正月二日目。7時起床、コーヒー&トーストウイズブルべりジャム。元旦の読み残し新聞をよみ、ポンカンひとつ。皮は初風呂のため残しておく。家内、息子が起きてきて、9時半初詣に出発。駐車場付近は30Mの渋滞、わき道にはいり、いつもの駐車場500円。参道を通らず光明禅寺のほうから太宰府天満宮入り。古札をかえし、手を清め、参拝。雨がふってきた。傘なし。初めての体験、濡れるにまかせる。じたばたしない。去年の御礼と息子の良縁願う。手をすりあわす。息子苦笑い。お守りを買い、おみくじを引く。中吉、あまり出しゃばらずおとなしくしておけとのご託宣。梅が枝もちを買い、豚バラを買い車の中で食す。このブタバラうまい、1本330円。一時500円だった。ここにもデフレ現象。帰宅。

 風呂に湯をハル。10数年前の京セラのソーラー。天気が良くないので湯温湯量が不十分だがいれながら追いだき。ぽんかんの皮を袋にいれて湯に入れる。初風呂、幸せ。当たり前のことができるシアワセ。東北大震災被災者の方々はこの当たり前のささやかな幸せを味わっておられるだろうか・・

 「ぽんかんや ふるさとのかおり はつぶろに」

続いて息子、妻が風呂に入り、残り湯で初洗濯。
 さっぱりしたところで書き初め。硯をとりだし、香をたき、こころ静かに墨をすり、マスクをして、写経にかかる。約40分無心の境地にはいり写経。般若心経のいわんとする空の世界は無常と無我。世の中同じことは続かない、暗い夜は必ずあける。人は一人では生きてゆけない、あらゆることが人様の仕事から今の自分の生活が行えている、お陰さま、ありがたいと思えば世の中うまくいく。

 風呂掃除を終えた頃、娘家族がやってきた。元日はうきはの田舎ですごし、二日目夕飯を食べにたちよる。例年のパターン。孫娘5歳、孫息子1歳、かわいい。おとそを飲み、ビールで乾杯、ワイガヤの正月パーティ。息子がビール1杯しか飲まないのが私にはじれったいが言わない。娘婿と冷酒をやる。残ったおせち料理、みんな娘が持ち帰る。二日目終了。


 三日目、コーヒーを飲みながら箱崎宮の「たませせり」どうするか考える。写真の先輩が脚立をもっていかないといけないよといっていたが面倒だな。行くことにして10時バイクで西鉄太宰府まで。箱崎宮に11時半まえにつく。なんと脚立の行列。これは参拝客からクレームがでそう。北九州からきたという中年の女性に声をかける。1時から始まるという。おたがい初めてだがとりあえず状況把握。まだ参詣客は少ない。参詣をすませ、交通安全の御守りを買い、ラーメンをたべて、撮影スタンバイ。隣の男性も北九から来たという。同じ年恰好で話がはずむ。1時やっとたませせりの神事がはじまる。参詣客の進入制限がされ、前に出すぎないようロープをもたされる。がこんなもの役にたたない。たませせりの一団がやってくるとわーっと一斉に前のめりで写真を取り出す。乱写、激写。今年は陸の男性が球を確保、五穀豊穣が約束されるという。まあ、来年は脚立をもってポジションを確保、いい写真を撮ろう。

 三越でケーニスクローネのリンゴカスタードをお土産に帰宅。息子は明日早朝から出張ということで夕食をすませ博多駅前のホテルへ出発。JR二日市駅までおくる。自分も現役時代、同じようなことをしていたなと思いつつ息子を見送る。
あっという間に三賀日が終了。妻と二人だけの生活が始まる。現役時代は新年の抱負をいろいろしたため目標を設定したものだが完全リタイア3年目にはいる2012年、どうすごそうかね・・・・
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