年末年始の咳熱の影響で体調はいまいち。日曜日の武蔵寺写経会欠席。そして今夕、予定の写真愛好会の新年会も欠席通知。息子も週末、岡山にかえった。世の中、企業も病院も、官庁も仕事再開、経済活動が始まった。
昨今の日本社会、とにかく騒がしい。SNSでもテレビでも私の趣味にしてきた写真でも今の人間は、一見して面白いもの、驚きのモノ、スポーツでもド派手な活躍にペットでもおもろい所作をもとめて動画が飛び交う。見ている人間の現実レベルと違いすぎるものへのあこがれか、気分転換か?
フェイスブックをみていても絶景写真やソラクモやいろんなグループが写真を投稿、イイネをもらうべく狂奔している。足元に健気に咲いている小さな花々に興味を示さない。今のカメラは良くなっている。誰でも天の川の写真は撮れる。ただ夜中に阿蘇,久住界隈にでかける行動力があるかどうかの差。まあ、要するに他人に認められたい、関心を示してほしいと思う人間がやたらに多いということだけ。殺人しないだけでもましということか。
久しぶりにテレビでプライムビデオのボタンをおして、映画のチェック。「パーフェクトデイ」が推奨リストにあがっている。役所広司がカンヌ映画祭で主演男優賞をとった映画か?!と
変わり映えしない日常のなかに変化と楽しみ、幸せを見出す生き方
平山(役所広司)は毎日同じ時間に目覚め、ひげをそり、口ひげを整え、歯をみがき、植物に水をふきかけたのち、自動販売機でいつもの缶コーヒーを買って出勤する。ぴたっと同じルーチンワーク。BGMはカセットテープに収録された古い音楽。丁寧に公共トイレの清掃を行い、昼飯は神社のベンチで木漏れ日を眺めながらサンドイッチを食べる。いつも古いフィルムカメラでその日の木漏れ日を撮影する。仕事が終わったら銭湯で一番風呂、疲れを癒し、夕飯はいつも同じ居酒屋へ。すっかり常連になっているので、注文せずともいつもの酒と料理が運ばれてくる。帰宅後は古い小説を読みながら就寝。これが彼の仕事の日の1日だ。休日も同じようにルーティンがある。
映画は同じルーティンが繰り返されるが今日は何が起こるのかと観ているものをあきさせない。一見変わり映えしない日常だが、彼はどこか満足そうだ。それは小さな変化例えば公共トイレに残されたメモを通して見知らぬ誰かと⚪︎×ゲームをしたり、昼飯を食べる神社に木の苗が生えていたら持ち帰って育てたり。車のなかではその日に選んだ音楽を聞いて身体をわずかに揺らす。その日に自然が見せる表情や自分の心身状態に身を委ねて、その変化に幸せを見出している。平山にはそんな幸せ発見能力がありそう。
なぜ我々は人からの評価を望むのか、変化を求め平凡をきらうのか
平山の同僚・タカシ(柄本時生)という若い男は、どうせ汚れるのだからと適当に仕事をして、お金がないから恋ができないんだと嘆く。トイレ掃除という変わり映えしない仕事に辟易とし、お金に執着している。平山と対照的に自分が何によって幸せを感じられるのか理解していない。
映画をみはじめて、平山という男がどうしてトイレ掃除の仕事をやりはじめたのか、どんな過去を持つ人間なのか?だったが。突然現れた平山の姪・ニコと、妹でありニコの母・ケイコ。ニコは母親のケイコとの折り合いが悪く、現実から逃れたいと日常に変化を望む。ただただ今を見つめ続ける平山とは真逆の存在だろう。印象的に繰り返される「今は今、今度は今度」という言葉。平山が今この瞬間を生きるべきとニコに言う。
ニコを迎えにきたケイコが発する「本当にトイレ掃除しているの?」というセリフ。平山は公共トイレの清掃員の仕事に責任感とプライドを持ち、その仕事が周りからどう見られていようが、彼には関係ない。平山の仕事ぶりとケイコのセリフが対比。平山とケイコが全く違う世界を生きている感じ。
人との関係性の変化や人からの評価に重心を置くと人は息苦しくなってくる。周りに影響されずに自分を貫く平山はどこか聖人のようで、なぜか観るものは憧れを抱いてしまうのではないか。
平山にとって幸せとは、まさしく彼のルーティンとそこに訪れる小さな変化を見つけることなのだろうが、その幸せがすぐに崩れてしまうものであることも理解しているようにも見える。
終盤、平山の妹・ケイコが平山の元を訪れ、2人の父親の病状について話をするシーン。ケイコが乗りつけた高級車。平山の実家は富裕?。そこから逃げ出した平山は父親との折り合いが悪かった?平山は今にも泣きそうな苦しげな表情。彼には、自分の幸せを守るために捨てたものがあり、それに対する罪悪感を抱いているような表情。平山は自分の幸せを守るためにもがいた末に、今の生活を手に入れているのかもしれない。しかしそんな幸せ感にも簡単に崩れる危うさを感じているようだ。
人間はひとりで生まれ一人で死んでゆく、所詮は一人だといっても、関係者や関係物は存在する。ラストシーンでわずかに瞳を潤ませる平山の表情が印象的な映画でした。小津安二郎作品のようにこの作品も長く日本人に見られ続ける作品になりそうな映画でした。