ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

120926 渡辺謙主演のNHKドラマ、「負けて、勝つ」をみる

2012年09月26日 | 辛口ひとりごと

 連合国総司令官マッカーサーとGHQ(連合国最高司令官総司令部)に対し毅然たる姿勢で対峙し、天皇が戦犯となるのをふせぎ、日本の戦後体制を築いたのが吉田茂であるということを史実に基づきドラマ化したという触れこみの番組。昭和20年5月に生まれた私が10歳になる頃までの10年、その間の記憶は断片的で曖昧。生きてゆくことだけで精いっぱいの政治経済社会、市民生活がどんなものであったか、両親から時たま聞かされたことはあったが体系的に整理できていない。ということで焼け野原から始まった戦後史の最初の路線を作った吉田茂のドラマということで興味をもってみたわけだ。渡辺謙が迫真の演技で吉田茂になりきっていた。昭和20年8月15日、天皇の終戦の詔勅、玉音放送があり大戦が終わった。9月2日に米戦艦ミズーリ号艦上でポツダム宣言受諾、無条件降伏のサインを全権特使の重光外務大臣がおこない日本が無条件降伏をした。日本では終戦記念日は8月15日だが敗戦記念日が9月2日であったとはことにはふれられない。

 そこで吉田茂をパソコンで検索してみると吉田茂 身長というキーワードがあり何かなと思って開いてみると吉田茂の身長が155センチ、

マッカーサー180センチ、渡辺謙184センチ。史実に基づいていないNHKのミスキャストでありなぜこの時期吉田茂のドラマかとサイトの主は言っている。さらにこのサイトに数年前に痴漢事件でマスコミから姿を消した評論家植草一秀の「国家は有罪をどうつくりあげるか」や外交官出身の孫崎亨の「戦後史の正体」などが紹介されている。一連の流れの本質は日本が戦後67年、ずっとアメリカに間接支配されているということだろう。直接なら国民の眼にうつるが日本の政府を通しての間接支配だから国民にはアメリカに支配されていることが認識できないということ。

 さっそく「戦後史の正体」を購入、読み始める。この本の特徴は著者曰く日米外交史から見た歴史の真実を暴露する本、イコール、アメリカの本質を暴露する本だから今まで誰も書かなかったという。外交は対米従属か自主路線志向かの二つしかなく常に自主路線派は結果的に排除されてきた。ここにアメリカの怖さがあるという。そこで葉巻をくゆらす吉田茂がGHQに断固従わずおのが意志を通した自主路線派だったのか。実際はまったく正反対の対米従属だったからこそ独立後も首相でい続けることができたという。あらためて無条件降伏の意味の重大さを思い知らされる。

 ポツダム宣言の受諾、無条件降伏の意味は戦後処理を連合国総司令官すなわちマッカーサーの指示命令どおりにしますということ。だから敗戦国日本からはなんら要望はだせない。なんと最初の指令は日本をアメリカの軍の管理下に置き公用語は英語とする。米軍に対する違反はすべて軍事裁判で処分する。貨幣はすべて軍票(B円)とする。これがそのまま実行されたなら日本は完全にアメリカの属国になり今頃みんな英語をしゃべっていることになる。これを重光外相が決死の覚悟で阻止した。これは他の連合国が承知しないしアメリカのためにならないと・・。まだ1章しか読んでいないがなかなかおもしろい。またのちほど読後感は報告したい。

さてテレビのドラマは全5回で3回は終了、29日が4回目となるがなかなか面白い。GHQのやろうとする3つの課題、非軍事化、戦争犯罪人の処分、民主化への着手。ここで当時、外相だった吉田茂が天皇を戦犯としたら反乱がおこる。天皇は日本人にとって特別な存在。マッカーサーの占領政策は失敗すると説く。マッカーサーは「天皇をどう処分するかはお前ではなくこの私だ」と激怒する。迫真の場面だ。しかし吉田茂はそれなりの使える男と見込まれる。いいかえればうまく利用されたのかもしれない。4回目が楽しみではある。歴史の真実を知っているのはいったい誰なのか、領土問題がかまびすしいがこれとて同じ。日本政府はバカのひとつおぼえのように「領土問題は存在しません」といっているが実にむなしい。前述の本で、昭和天皇が表向きはいかようでも沖縄をずっと統治しておいてもらいたいとマッカーサー宛てに送った書簡がアメリカで日本のある大学教授が発見したという驚愕の記事がのっていた。この明白な事実に対し日本政府、マスコミはなんら言及していないという。まさに沖縄はその通りになっている・・・

 

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120912 友、遠方より来る、たのしからずや!青春回帰。

2012年09月12日 | アフターセブンティ

 年1回の飲み会、「友、遠方より来る、たのしからずや」。福ビル1F、18時の約束。5時過ぎ天神について、久しぶりに水鏡天満宮横丁のカフェにいく。ママさん元気、いつものように常連のシルバー女性2~3人と歓談中。仕事をもっている女性やリタイヤ組の男性客が常連。コーヒーというよりいつもの焼酎ロックを一杯。九電をメイン顧客とするある商社の社長の紹介で来て以来5~6年になる。2階が文化サロンに使える店構えになっており通常は喫茶店だが常連には酒をだしてくれる。5分前に福ビルに行くとすでにいつもの懐かしい顔が待ってくれていた。秋田から遠路かけつけてくれるMさんもいつものようにダンディで元気そう。今日は見知らぬ中年女性が一緒。Yさんが20年来のつきあいのあった元ママさんとのこと。15年ぶりの再会とか。さっそく8Fのビヤガーデンにエレベーターで。まずは生と枝豆その他を調達して乾杯。

1年がまったく昨日のような感じで変わらぬ3人(今日は女性が一人いらっしゃるが)。もっともこの元ママさん、今は引退して田舎で悠々自適とか。二次会でわかったのだがなんと79歳になるとか。まだ恋をしてみたいとかいったりして大変若い。飲みしゃべる。若かりし頃の武勇伝や昨今の政治情勢、JALの再上場問題。破たんして株価暴落、大損した元の株主をどうしてくれるんだとY氏、憤る。私が67で一番若い、Y氏は70歳、M氏は72歳、現役のコンサルタント。みな元気。2時間弱、たのしい時間を過ごす、おおいに飲み食った。

いつもの二次会、スナックKに場所を移す。マスターも元気。来年35周年とのこと。ビッグカメラの裏手にある小さな店だがよく存続しておられ感心する。今回同席の元ママさんも旧知の間柄、30周年に参加された時の写真をマスターがみせてくれた。とりあえず1年ぶりの再会でビールで乾杯。この店は女性はいないがマスターの人間性とこだわりの漬物が評判。腹ごしらえは終わっているのであとは歌うのみ。演歌、沖縄民謡、青春歌謡、がんがん歌いまくる。3~40年昔に戻った感じ。「酒よ、芭蕉布、とんぼ、愛さんさん、高校三年生、石狩挽歌」と6曲も歌ってしまった。

アイジョウジの「赤いグラス」や三田明の「湖愁」なんかがでてきてもう40年前にタイムスリップした感じ。まあしかし現役時代はよく仕事もしたが、大いに飲み、大いに歌い、中洲から何回夜中にタクシーで帰ったことか。タクシー代5000円出すくらいなら、サウナやカプセルホテルに泊まったほうがやすあがりだったろうがとにかく家には帰ったね。10時半、歌いおさめてそれぞれ帰途に就く。M氏はすぐ近くのホテル。明日昼、秋田にむけ帰還予定とか。また来年元気にお会いしましょう。今度はこちらから北海道経由で秋田、東北を回ろうかと思った次第。

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120910 マイピクチャーへの共感者、うれしいものです!

2012年09月10日 | 趣味と交遊

 カメラをもったのは小学校5~6年生から。小学校の修学旅行で伊勢神宮に行った時のモノクロの写真にカメラをもった自分の写真が残っている。昭和32年ごろの写真。敗戦後12年、両親は鉄工所をやっており何をつくっていたか記憶にはないが、アルバムを見た限りカメラを持っている子は少ないから多分経済的にはまあまあだったのだろう。本格的にやりはじめたのはラインでの25年の仕事に区切りをつけて本社スタッフとして転身してから時間の余裕がでて写真の通信講座を始めた。2001年平成13年頃からだ。だから写真歴10数年ということになる。最初はフィルムカメラを数年、講座もフィルムカメラであった。ここ数年はもっぱらデジカメで、いちいちフィルムを現像に出さなくてよいから、撮る、チェック、プリントアウトがまことにスピーディ。日記代わりのようでパソコンに写真データがどんどんたまり、今や外付けハードディスクに居場所をうつしている。

 妻は写真に興味もないし私のとった写真にケチはつけてもほめたためしはない。今年の春、2回ばかり外部のコンテストで入賞したが昨今、写真への思い入れも今一つ燃え上がらない。そんな中で地元の町おこし撮影会に参画し、24名の出品者の作品60点が展示された写真展が昨日最終日をむかた。搬出、整理をおえて8日間の会期中に回収された250枚ほどのアンケートにもとづく総括があった。予期していなかったが私の作品が印象に残った作者の3番手になっていた。ごく平凡なショットと思っていたが40数名の来館者がコメントを書いてくれていた。初日のギャラリートークで作画意図を説明したような内容がコメントされていて結構伝わったのだなとほのぼのした気分になる。普段、街歩きをすることもない二日市という昔の宿場町、温泉街をどうとるか。切り口は歴史と伝統の街の今は?ということか。玉泉館は創業60年、大丸別荘150年、大賀酒造300年、えびす醤油140年、谷呉服店140年。存続させるには古さと新しさがいる。時代対応の革新性がないと存続できない。

例によって感性に赴くままバチバチとって最終的に出品することにしたショットは板塀の続く大丸別荘と最近のマンションを対比させた全紙作品。それと板塀のうえの欄間の隙間から垣間見える和瓦と丸窓のA4写真2枚の組み写真として出すことにした。木のぬくもりを生かした板塀、丸窓、和瓦が道行く人の心を和ませる、そんな思いを組み写真にした。

 講演会のアンケートをはじめ、アンケートというのはまったく反対の意見がでてくるいい加減な、主観、独断が多いのは現役時代いつも感じていたが、それはともかく次のようにすなおに感じてくれた人が2割ちかくいてくれたということはうれしい限りであった。

1、味のある板塀 2、ビル建築物の多い中和風の建物、日本人の心がうかがえる 3、歩いてみたい 4、湯町の風景がよく出ていると思います 5、日本人で良かったと思える風景で素敵です

6、いつも見るところだがレンガ色のマンションと板塀の色の対比がよい 7、新旧のバランス   8、格子越しの屋根が印象的 9、古いものとあたらしいものの混在が面白く感じた 9、歴史を感じさせられますね、すばらしいところを狙ってあります 10、  構図が新鮮

11、  毎朝、天拝山にいきますがとなりのマンションとちがった風景を再発見しました 12、  昔の感じがよくでていいです 13、 丸窓が気に入りました 14、 むかしの遊び場でした 15、 ランドマークが違った視点で描かれているのが良い

16、  温泉街の貫録を感じます 17、 遠近が良く撮れています 18、手前と奥の建物のバランス、二日市の歴史がしのばれる 19、 線がうつくしい 20、板塀とマンションの対比、歩道の石柱、木の緑、風景がとっても好きです

21、時代、歴史を感じる 22、現代建築にはない場所の良いところをとらえてあってよかった23、二日市らしさがよくあらわれている。などなど 

 板塀の左サイドの間があきすぎている。板塀の上の格子がもっと左にくる位置から撮ったほうがよかったという意見も頂いた。もっと杉板塀の文様を出すつもりだったが不十分で冗長に過ぎた感じがするのは確かだ。まあ技術論はともかく、みずからがいいなと直感で感じたことをどんどん撮って、さらにその思いが写真として表現されるよう腕も磨いてゆくことにしようと思いました。こころやさしき写真展への来館者の皆様ありがとうございました。一度ゆっくり、車をおりて、わが町を、裏通りを歩いてみてください。

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120908 中洲ジャズフェスティバル・・中洲の夜の町がスウィング!

2012年09月08日 | 趣味と交遊

中洲ジャズフェスティバル。8~9と思っていたら7~8で今日がラスト。4時ごろ急きょバイクで大宰府にでて天神へ。中洲界隈からスウィングジャズの響きが聞こえてくる。今回は30くらいのグループが出演、7~8か所のステージで観客と一体となってジャズを演奏するとのふれこみ。

葉加瀬太郎ばりにバイオリンを軸にしたソノダバンドというグループが熱演していた。7曲のうち5曲が新曲とか、なかなか気合のはいったいい演奏だった。中洲のメイン通りに入る。

ステージは19時からというので腹ごしらえ。いつもの蕎麦屋で生Bとさつま揚げ。ここの揚げたてのは実にうまい。ざるでしめて中洲にもどるともうすでにいっぱい。ゆっくり飲り過ぎた。

プレスの人ですかと聞かれtそうだとも言えず。撮影は禁止ですと言われる。なんとしたことか。まあ演奏を楽しむことにする。アメリカ帰りとかで英語のボーカルも含めてなかなかのもの。外人客も缶ビールをのみながら身体をゆすっていた。帰る途中、橋の上でストリートジャズメンが一人アルトサックスを吹いていた。ただいま修行中と地べたに表示、お布施の籠がおいてある。カメラをむけると演奏をやめてお布施を所望された。まあがんばってと思いつつお布施。数枚撮ったが暗くて手振れ、被写体ぶれでアウト。

前にもこそっと撮影したようなきおくのあるジャズメンだったが来年のフェスティバルではステージで聞かせてほしいものだ。

最初見たKBCのステージではビッグバンドをバックに女性のジャズシンガーがハスキーなのどを聞かせていた。観客もすっかりジャズにとけこみ楽しんでいた。世の中、不景気でろくなことがないが今や音楽とスポーツだけだね。気分を晴らせてくれるのは。久しぶりの音楽シーンでした。

 

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120905 Mさん、二人だけの送別会。お疲れさんでした、リタイアおめでとう!

2012年09月05日 | アフターセブンティ

今年の1月に現役時代の心に残る友人Mさんと久方ぶりに再会して、4月に舞鶴の夜桜をみましょうと約束して結局4月なんやかやで約束果たせず8月になってしまった。会社に電話すると20日付で退職するとのこと。自宅に電話して送別会をしましょうということで9月はじめ天神でおちあう。あやしい空模様だったがなんとかやんでいる。どこでやるか決めていなかった以前いったことがある北海道の素材をつかった魚のうまい店にいく。ネットでは営業しているようにでていたがなんと天神店は閉店、中洲店のみになっている。夜の街の栄枯盛衰ははげしい。天神センタービルの地下にも魚のうまい店があったのでそちらにむかう。水槽にイワシが乱舞しているのが見えたが5時半開店とのこと。時間つぶしに14Fにあがりお茶をのむ。

毎日新聞社が農業や環境問題の啓蒙のため農業記録賞なる作文を募集している。地区審査の後、中央審査で1等賞金は30万円。体験農園3年のキャリアがあるので挑戦、原稿をMさんにみせる。4000文字の範囲でいかに表現するか。リタイア団塊世代をターゲットにした文章を書いたがMさんも文章講座にでたことがあるとか、きっちりした視点をもっていて的確に批評してくれた。結果が楽しみだが応募することにする。

店にいく。落ち着いたいい雰囲気の店で水槽に泳いでいる魚を指定して注文もできる。まずは生ビールで乾杯、生きのよさそうな刺身盛り合わせ、エイひれの一夜干し、小魚とごぼうのあげたのや山菜オムレツ、てんぷら盛り合わせ。テーブルがいっぱいになりあとはリタイア後の生き方、原発問題、家庭のこと、絵や写真など趣味のこと、約二時間歓談。地場の中堅企業で36年活躍してきたMさん、私の前職の関係でのお付き合いだが人と文明と自然をつねにじっくり見据えていきてきた哲学的な人。36年間会社の全部門を体験しまさに生き字引みたいな存在になっておられ退職するのがもったいない気がするがさっぱりと次なる新天地に生きるのもよさそう。絵の個展も何回かしたらしいがじっくり自然を相手に絵を描きたいという。結構だね。次の飲み会は12月14日の赤穂浪士討ち入りの日と決める。楽しい2時間あまりの送別会でした

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120902 「二日市街歩き写真展」開催

2012年09月03日 | 趣味と交遊

 縁あって四月末、二日市の老舗旅館玉泉館をデジカメで撮るイベントに参加、「寄り道アート二日市」の呼びかけに福岡市のイメージラボ(写真家 奥勝浩氏)が協賛して実現したものだが、3か月後に二日市中央通り商店街や老舗企業を訪問しての撮影会第二弾がおこなわれ、その成果が生涯学習センターで、再発見!二日市と銘打った写真展で公開された。土曜日に作品60点ばかりの搬入と会場設営、最初どうなるかと思っていたがさすがに奥先生の指導よろしきをえて立派に写真展会場ができあがった。そして初日の日曜日、幕があき、百数十名の来場者があり盛況に推移。このセンターは結構人の出入りが多いがアンケートにも非常に協力的で熱心にみてくれた。市長の祝電もポスターと一緒に掲示されていたがこの写真展を契機に二日市、筑紫野市への関心がたかまり、つぎの撮影会への地元参加がさらに増えれば結構なことだ。

イベント関係者の中にデザイン会社もありわかりやすい二日市まち歩きマップができていた。撮影地をローマ字であらわして、写真がどこで撮られたかわかる仕掛けになっている。

最初の展示コーナーには奥先生の作品が3点展示、玉泉館や谷呉服店の2Fを撮ったものだが格子模様が共通デザインとして切り取られていて印象的であった。出品者24人、作品60点、それぞれの思いで展示、各人の個性がよくでていた。私の所属する写真愛好会は平均年齢が70をこえるが、今回の出品者は半数が女性でぐっと若いメンバー構成で、男とは違う切り口での写真が多かった。

4時から奥先生のリードと講評が加味されたトークショウがありなかなか面白かった。プロの写真家の感性や切り口、作品のとらえ方など興味深い1時間半であった。9日の日曜日まで開催されるがまずは成功を祈願しての祝宴を西鉄東口近くのジャズ工房ニシムラで開催。すごい音響装置とスペインの高級油絵、料理もグッド。えびす醤油や大賀酒造の社長も参加されてなかなかの盛り上がりであった。ふだん二日市界隈を徘徊することはめったにない。いい再発見の企画であった。

 

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