ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

「ただいまは 犬にするなよ 俺にせよ」

2010年08月25日 | マイ家族
 この川柳はH22年の第一生命、サラリーマン川柳トップ10の3位の句である。この現象は周辺の家庭でもよくあることらしい。家族や地域との関係がとかく薄い、いわゆる企業戦士が、リタイアしてずっと家にいるようになって最初に味わう夫婦間冷戦の第一弾がこのコミュニケーション断絶である。
 結婚して妻が私に抱いた人物像は「大事な時にいつもいない存在」ということ。なにも好き好んでしたわけではないが結果としてそうなった。今回もたまたま腰をいためて、活動をなかば停止しているときに妻の母が緊急入院して、なんの支援もしてやれなかった。おかげで夫婦間会話はほとんどなし。こちらからお早うといっても反応なしの日が続く。
 家には息子から預かったイタチ科の哺乳小動物のフェレットがいる。ペット用に医療処置されており、ニューヨーク、マーシャル牧場生まれで保証書付きで息子がインタネットで購入したものだ。今、仕事の関係で預かっているが、なんせ室温が28度をこえると熱中症になるという暑さに弱い贅沢なペットで最優先で空調された部屋で安穏と寝て暮らしている。もともとは狩猟用に買われていた動物ゆえ、体が柔軟でどこにでも入ってゆく。丸くなって寝ている姿はかわいいが犬やねこほどではない。
 マーブルという名前で5歳になるが、このマーブルにしか妻は会話しない。まったく川柳どおりの状況。こっちは毎度のこととてカリカリしないことにして、水をかえたり、糞の始末をだまってやっている。そんなおり、義母が転院することになり、私が毎日、妻を病院まで送迎することになり、やっと会話が戻り始めた。
 数十年でできた私のイメージをわずか2~3年で修復するのはむつかしいが、見返りを求めず、もくもくとできることをやって、少しでも妻の介護疲れが軽減できればよいかなと思っている今日この頃である。
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久方の海、寄せては引く波に、こころ癒さる

2010年08月22日 | 趣味と交遊
 久しぶりに海を見たいと思い地図をみる。姪浜の次の駅に下山門という駅があり、海まで近そう。駅をおりて右手の踏切をわたりまっすぐ5分。元寇防塁跡にでて、そこは生の松原、久しぶりの海だった。2~3の家族連れ、子供たちが海水浴を楽しんでいた。防塁跡の石段にすわり、寄せては引いてゆく波を見つめる。台風の影響でやや高い波がでている。いろいろな思いが波ととも消えてゆくようで気持ちが静かになってゆく。日没まで時間があるので海岸沿いにあった想婦恋で焼きそば&生ビールで早い夕食。冷えたグラスのビールが五臓六腑にしみわたる。幸せなひととき。こ一時間いて、海岸にもどる。海面があかく染まり始めていた。ここでまた2~30ショット、シャッターをきる。この場所では水平線に太陽が沈むのはとれない。きらきら輝く海面に子供のシルエットを撮る。「ぼちぼち帰りましょう」とお母さんの声がしたような気がした。
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久しぶりに写真作品出品

2010年08月21日 | アフターセブンティ
 リタイアのあと、妻の尻をおっかけて嫌われるという話をよく聞くが、私の場合結構手帳の予定は詰まっている。もっともあまり家にばかりおりたくないということもあるが・・
 家事応援、介護支援、ガーデニング支援、外回り清掃、写真同好会、陶芸教室、ボーリングクラブ、宝満登山、体験農園、図書館通い、九州市民大学月1講演会などなど。いずれ10年テーマとして絞り込むつもり。
 毎年、夏、持病の腰痛がでる。今年も少々張り切りすぎてボーリングをしているときにちょっと腰をひねった。3週間諸活動ほぼ停止。先日90%回復、久しぶりにカメラ、交換レンズ、三脚をバッグに入れ、天神にでて、姪浜まで足をのばす。
 駅前にドラゴン・キング・ラビッツ(龍王うさぎ伝説)の立派なモニュメントが灼熱の猛暑のなかで光り輝いていた。上下左右360度ポジションで2~30枚シャッターをきる。
 今、募集中のコンテストにだすことにする。月末締切、推薦1点、賞金5万円。趣味も一人で黙々とやるのも必要だがやはりワイガヤで同好のメンバーがいるほうが楽しいし張りがでる。どんな評価がされるか楽しみではある。
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吉永小百合、原爆の詩、朗読行脚、20数年、立派!

2010年08月10日 | 辛口ひとりごと
 8月6日、9日、広島、長崎で原爆でなくなった御霊への慰霊の式典、核兵器廃棄への祈念式典が行われ、初めてアメリカの駐日大使が参列した。20世紀初め、大国、ロシアに勝利した日露戦争が軍部の独走をまねき、東アジアを支配し、結果としてパールハーバー、太平洋戦争勃初、硫黄島全滅、沖縄、東京、壊滅、広島、長崎原爆、そして8月15日の終戦となった。日韓併合100年という。戦争とはこんなもんだ。やっちゃいけないことだ。
そんな終戦間際、3月に吉永小百合、5月に私は生まれた。よくもこんな時に無事、出産ができ、生きながらえることができたものだ。産婆さんというすばらしい人がおり、両親が必死に守り育ててくれたということだ。
 吉永小百合、1960-70年代の日活の大スター、団塊の世代には俗にいう「サユリスト」がわんさといるだろう。高校時代にテレビにでていた吉永小百合を写真にとって大事にしていたことを思い出す。その吉永小百合が被爆者との純愛物語で広島に関与して以来、自分にできることは何かということで「被爆者の苦しみ、戦争の悲惨さ、平和への想い」を朗読会という形でスタート、もう20数年続けているという。戦後65年、平和ボケの日本でこれだけの平和、反戦活動ができるというのはすごいことだ。
 経営コンサルタントとして35年、ビジネス戦争のなかでいかに勝ち残るかとういうテーマでやってきて、倒産の悲惨さを避けるべく経営支援をやってきたがリタイアした今、またやろうという熱い思いは湧き上がってこない。なぜか?所詮、その程度の世界であったのかもしれない。これから15年、とりくむテーマは模索中。
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100809:藤沢周平作品再読、「海鳴り」に男のロマンと現実をみる

2010年08月09日 | アフターセブンティ

 目がさえて眠れず。ラジオをつける。NHK深夜便。藤沢周平の「海鳴り」が朗読されていた。紙問屋として功なった小野屋新兵衛が「俺の人生はこれでよかったのかな」と酒をやりながら同業と話しているくだりである。ビジネスで成功し、財もなしたが、妻との関係は冷え切り、跡継ぎの息子は遊び呆けてこころもとない。

藤沢作品との出会いはNHK金曜時代劇で「蝉しぐれ」を見たときからであったと思う。海坂藩下級武士の牧文四郎とおさななじみの隣家の娘おふくなどが主役の時代劇。理不尽な時代に翻弄されながら軸足をしっかりもっていきてゆく物語、水野真紀のたおやかで凛とした風情が最終章の蝉しぐれで男心を劇的にくすぐる。爾来、出張のたびに文庫本を買い求め書棚には直木賞の「暗殺の年輪」ほか44冊が並んでいる。団塊世代の心情をがちっと掴んだ藤沢時代劇をむさぼり読んだものだ。

で「海鳴り」上下巻再読。ビジネスで激烈な戦いのなかにある男にとってやすらぎはやはり心身共に和合する女との出会いである。新兵衛は同業のおかみ、おこうと300両を携えてすべてを捨てて江戸を出奔する。主張する女性、見返りを求めない奉仕など?の女性が増えた昨今、ないものねだりの男のロマンか。男の幸せをどのレベルで妥協すべきなのか。家もあり、特段の病気もなく、いくばくかの貯金もあり、趣味もある。幸せと思え!はい、そうですね・・・80まであと15年、ほんとにいいの?

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